Episode Memory:26 別れと運命

「変わってないみたいでよかったわ」


 駅からそれほど離れていない一軒家――みのりの家の前に日向たちはいた。

 みのりはいるだろうか。瑞穂はごくりとつばを飲み込み、インターホンを鳴らす。

 少しして現れたのは壮年の女性。瑞穂は軽くお辞儀をする。


「こんにちは。突然押しかけてしまいすみません」

「こんにちは、えっと……?」

「みのりちゃんと小学校の頃に同級生だった、秋月瑞穂です」


 不思議そうに日向たちを見ていた女性――みのりの母は、瑞穂の言葉にだんだんと顔を輝かせた。


「瑞穂ちゃん!? 久しぶり、大きくなったわね! 元気にしてた!?」

「お久しぶりです。お母様も元気そうでなによりです」

「ちゃんと会うのは小学校以来かしら? あら、瑞穂ちゃんも精霊と契約したの!?」


 矢継ぎ早に言葉を投げかけるみのりの母の視線は、瑞穂の後ろにぴったりとくっついていたセレンに移る。


「は、はじめまして……! 瑞穂様と契約した、セ、セレンと申します!」


 緊張気味に、深々と礼をするセレン。

 セレンの初々しい様子にみのりの母は微笑み、視線は日向に移る。


「あなたは、瑞穂ちゃんのお友達?」

「運上……さんの、クラスメイトの結城です」

「そうなのね。みのりがお世話になってます」

「いえ、その……運上がしばらく休むって聞いて、心配になって来ました」


 日向に言われ、みのりの母は「わざわざありがとう」と眉を下げる。


「でもみのり、今日は友達の家に泊まるから帰らないって言ってるのよ。せっかく来てくれたのにごめんなさいね」

「家にはいないんですか……?」

「えぇ。仲のいい子が一人暮らしで寂しいとか言ってるみたいでね。まったく、学校は休むのに泊まりに行く元気はあるのよね」


 みのりの母はやれやれと首を振る。

 日向との会話を聞いていた瑞穂は、なにかに気がついたように顔を上げた。


「……すみません。お母様は精霊と契約していましたよね?」

「そうよ、今はリビングでだらだらしてるの。掃除手伝ってって言ったのに」

「それと……みのりちゃんって精霊と契約していますか?」

「もちろん契約してるわよ。もう六年くらい経つんじゃないかしら」


 長いわねぇ、としみじみしているみのりの母。


「もしかして、二人とも知らなかった?」


 不思議そうに首を傾げるみのりの母と、玄関が開く音は同時だった。


「あら、フォーチュン。どうしたの?」


 フォーチュンと呼ばれた精霊は、幽霊が魔法使いのような帽子とマントを被ったような姿をしていた。


「みのりと出かけたんじゃなかった?」

「みのりが忘れ物をしたと言ってな。それを取りに来ていたんだ」

「あの子ったら、精霊使いが荒いんだから」


 そこだけを切り取れば、なにげない日常の会話だった。

 だが、日向たちは例外で。みのりの母とフォーチュンのやり取りを信じられない顔で見守っていた。


「みのりに明日には帰って来なさいって伝えてちょうだい」

「もちろん」


 フォーチュンは日向たちを一瞥いちべつする。


「それと、私は彼らに話がある。あとは私に任せて欲しい」

「そうなの? それじゃあ、瑞穂ちゃん。結城くん。また今度ゆっくり話しましょうね」


 にこやかな笑みを浮かべ、みのりの母は家の中へ戻っていく。

 家の中に入ったことを確認すると、フォーチュンは立ち尽くしている日向たちに向き直る。


「はじめまして。私はフォーチュン。みのりと契約している精霊だ」


 うやうやしく頭を下げるフォーチュン。


「……本当に運上と契約してるのか?」

「あぁ。みのりとは六年前に出会い、契約した」

「……運上、精霊と契約してないって言ってたぞ」


 顔をしかめる日向。

 日向の表情から状況を察したフォーチュンは目を伏せ、「そうか」と静かにつぶやいた。


「私が引っ越したあとだったから、私はあなたのことを知らないのね」

「なるほど。それなら私を知らなくても仕方がないな」


 お母さんは教えたつもりだったのかしら、とため息をつく瑞穂。

 一方で日向はうつむき、唇をかみしめていた。


「……なんで運上は契約してないって嘘ついてたんだよ」

「それはきっと、私のせいだろう」


 フォーチュンは静かに答える。


「私は運命を司る。そして、私は未来を見ることができる」

「予知能力ってやつじゃん。チートかよ」

「便利なものではない。私が見えるのはせいぜい数秒先の未来だ。そして、私が見えた未来は決して変えてはいけない」

「なんでだよ。嫌な未来があれば変えられるだろ」

「それがその者の運命だからだ。未来を変えれば運命も変わってしまう」


 フォーチュンに言われるが、釈然としない表情の日向。

 その反応が返ってくるのを分かっていたように、フォーチュンは小さくうなずく。


「みのりが幼い頃、私はみのりが交通事故に遭う未来を見てしまった。それはみのりの運命だったが、私はみのりを守りたかった」


 フォーチュンの脳裏に浮かぶのは、幼いみのりにトラックが突っ込んでくる光景。


「私はみのりを守ろうと飛び出した。しかし、みのりの兄も同じことを考えていたのだろう。みのりの兄はみのりと私を守った」


 忘れない。みのりの兄が、みのりと自分の背中を押したこと。


「その瞬間、みのりが事故に遭うという運命は変わった。だが、みのりの兄の運命が変わってしまった。……私のせいで、みのりの兄は亡くなった」


 みのりを守ろうと飛び出さなければ、みのりの兄の運命は変わらなかった。

 泣き叫ぶみのりと、自分に向けられる恨みのこもった瞳。


「私は物事の運命を見守るために存在する。運命を司る精霊として、やってはいけないことをした」

「……契約している人間を守るためなら、俺も同じことをしただろう」


 重い空気を変えたのはフレイムだった。日向の足元にいたフレイムはフォーチュンを見上げる。

 日向たちが驚く中、フレイムは続ける。


「そんな未来が見えたなら、誰だって変えようとするはずだ」

「…………私も、フレイム様と同じ考えです。ですから、フォーチュン様が間違っていたとは思いません」


 セレンが悲痛に満ちた表情で瑞穂に寄り添う。

 出会うべくして出会った運命の相手を、絶対に失いたくない。

 フレイムも日向に歩み寄り、日向は拳を握りしめる。


「……運命とか未来とか、そういうの抜きにして俺は運上に言う。契約した精霊の存在をなかったことにするなって」


 日向の言葉の端々からは怒りがにじみ出ていた。

 フォーチュンは静かに頭を下げる。


「私は胸を張ってみのりの隣にいられる存在になりたい。突然出会った人に言うことではない。……だが、これも運命だと思って、協力してくれないだろうか」

「私たちも運上さんのことを探してるの。一緒に探しに行きましょう」


 小さく微笑む瑞穂。

 フォーチュンは再び深く頭を下げた。


   * * *


「精霊と別れるって、どんな気持ちなんだろうな」


 洸矢とプレアは、颯太と通っていた中学校の近くを歩いていた。

 二人の横を通り過ぎた学生と精霊を見送りながら、洸矢はつぶやく。


「突然自分の半身がなくなったようなものですから……悲しみという単語では表しきれないと思います」


 去っていく学生と精霊の背中を見つめるプレア。

 洸矢もプレアも、あの日の電話越しの颯太の声が忘れられなかった。絞り出したような颯太のかすれた声は、耳を澄ませなければ聞こえないほどだった。


「……プレアがいなくなるなんて考えたくないな」

「僕も、洸矢と別れるなんて想像もできません」


 ここに颯太はいない。話すうちにそう判断した洸矢は駅へ戻ろうとする。


「いたいた! 探したよー!」


 その声は洸矢の近くにいた学生のもので、契約しているであろう精霊を遠くから呼んでいた。

 それはなにげない放課後の光景で、洸矢は学生たちからプレアに視線を落とす。


「プレアはあのとき、どうやって俺を見つけたんだ?」

「契約したときのことですか? 探したわけではないですよ。人間界に向かったら、そこに洸矢がいたんです」

「……まぁ、俺の部屋だったからな」


 洸矢が小学生の頃。寝ようとベッドに入った瞬間、部屋が明るい光に包まれた。

 そして光とともに現れたのは、羽根が生えた天使――プレアだった。

 毛布を抱えたまま固まる洸矢と、穏やかに微笑むプレア。


「寝る前に契約したって言うのは、今でも俺以外に聞いたことないな」


 苦笑する洸矢に、「僕もです」とプレアは小さく笑う。

 そのとき、洸矢はふと立ち止まった。


「……だから、忘れるはずないよな」

「洸矢?」

「契約したときのことは、誰も忘れないよな」

「そう、ですね」


 独り言のようにつぶやく洸矢に、プレアは戸惑いながらもうなずく。


「影井と、影井が本来契約してた精霊が契約した場所。そこに行ってみる」

「知っているんですか?」

「前に教えてもらった。変わった場所だったからちゃんと覚えてる」

「……どこまでもついていきますよ」


 二人は顔を見合わせて笑う。

 契約した相手――運命の相手――自分の半身が言うのだから、きっと合っている。

 プレアは心に留めながら、トコトコと歩幅を合わせて洸矢を追いかけた。

 そして駅に向かう途中、


「シルフ……?」


 洸矢の視界の端に映ったのは、見慣れた妖精の姿をした精霊。洸矢と目が合い、小さく微笑む。

 だが、洸矢が声をかける前にどこかへ飛んでいってしまった。


「洸矢?」

「今そこに……いや、なんでもない」


 きっと幸奈と別行動をしていたんだろう。向こうもこちらに気がついていたし、なにをしていたかはあとで聞けばいい。

 洸矢は深く気に留めず、駅へと向かう足を早めた。

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