Episode Memory:07 本物と偽物

「リンゴだ!」


 森の奥深くに来た幸奈たちの目の前には、ひときわ高くそびえ立つリンゴの木があった。

 枝にはたくさんのリンゴが実っていて、その存在感に二人は「おぉ」と感嘆の声を上げる。


「シーちゃん、リンゴって精霊界にもある?」

「あるわよ。ただ、生えているだけで食べることはなかったわね」

「シーちゃんたちはご飯いらないもんね」

「そうね。でも、人間界の食事の楽しさを知ったら、食事がない生活には戻れないわ」


 シルフは微笑みながら、近くにあるリンゴを小さな手でもぎ取る。

 必要な分だけ収穫し、両手に抱えながらルンルン気分で戻る幸奈。

 その途中、幸奈はふと足を止めた。


「なにかいる!」


 幸奈が指差す方向には、クラゲの姿をした生き物が空中に浮いていた。

 その生き物は日の光に照らされて透き通った身体と、そこから透けて見える自然の色が合わさって、この世のものとは思えない存在感があった。

 しかし、それは木々に囲まれた中では幽霊のように不気味で、底知れぬ雰囲気にシルフは眉を寄せる。


「なにあの生き物……」

「精霊みたいだね。でも、精霊界じゃないから精霊じゃないのかな?」


 シルフが警戒する一方で、幸奈は好奇心に満ちた表情を浮かべていた。

 クラゲの姿をした生き物は幸奈たちには気がついていないらしく、木々の間を不規則に泳ぐようにただよっていた。


「ちょっと話しかけてくる!」

「幸奈!」


 シルフが止めるより早く、幸奈はクラゲの姿をした生き物の前に立つ。


「はじめまして! あたし、幸奈って言うの! あなたは?」


 幸奈の存在に気がついたそれは、ゆらゆらと漂いながら近づく。観察しているかのような動きに、幸奈はニコニコとそれを見守っていた。

 次の瞬間、クラゲの姿をした生き物から大きな触手が何本も現れる。

 幸奈におおい被さるようにして伸びる触手たちは、獲物を狙う捕食者の動きそのものだった。

 突然のことに幸奈は凍りつき、自分に向かってくる触手を見上げることしかできなかった。


「幸奈!」


 シルフの叫び声と同時に周囲の空気が舞い上がり、その生き物を勢いよく真横のしげみに吹き飛ばした。

 目の前で発生した突風で幸奈は解放されたように我に返り、茂みに消えた生き物を目で追う。


「急いで戻るわよ!」


 幸奈の手からこぼれ落ちたリンゴを拾い上げ、二人は洸矢たちの元へ走った。


   * * *


「変な生き物に出会った?」


 洸矢の問いに、幸奈は大きくうなずいた。


 人間界と同じように夜を迎えた世界は、幸奈たちの行動を制限した。木々の奥はなにも見えず、一歩進めば飲み込まれてしまうほどの暗闇だった。

 凜が見つけた小さな洞窟どうくつは拠点に最適で、フレイムの力で起こした火が洞窟内と周囲を明るく照らしていた。

 集めた食料と幸奈が持ってきたお菓子を食べながら、暖かい火を囲んでそれぞれの報告を進める。


「クラゲみたいでかわいかったんだけどね」

「危なかったんだから少しは焦りなさい」


 ごめんね、と幸奈は呑気のんきに笑う。

 ため息をついたあと、シルフはぱちぱちと音を立ててはじける火を見つめる。


「……あの生き物からは精霊のような力を感じたわ」

「ということは、お二人が会ったその方は精霊なのですか?」

「人間を襲う時点で精霊じゃないわ。それはプレアも分かるでしょう?」


 プレアの問いにシルフは冷静に答えた。

 いつになく鋭い視線にプレアは圧倒され、静かに肯定する。


「そいつ、幸奈たちの話だと精霊もどきって感じがするな」

「精霊もどき?」


 首を傾げる幸奈。

 日向はうなずき、リンゴの最後の一口を飲み込んでから続ける。


「幸奈は精霊っぽいって思って、シルフは精霊の力があるって思ったんだろ? でもここは精霊界じゃないし、それならそいつは精霊もどきって呼ぶのが一番いいだろ」


 欠伸あくびをこぼす日向。

 視線に気がついて顔を上げると、全員が目を丸くして日向に視線を注いでいた。


「……なんだよこの空気」

「お前が急に頭よさそうなことを言うから驚いてる空気だよ」


 たじろぐ日向だったが、一転して喧嘩を売るように洸矢をにらみつける。


「んだと洸矢。俺だってこれくらい考えてるからな」

「悪かったよ。あとお前は先輩をつけろ」

「すみませんでした。洸矢せ・ん・ぱ・い」


 日向からいつもの軽口が洸矢に飛ぶ。らしくない雰囲気は一瞬だったと、洸矢は喧嘩を買うことなくため息をついた。

 そのやり取りを凜は微笑ましく見守っていたが、一人浮かない顔をした幸奈に気がつく。


「幸奈、どうしたの?」

「なんか、もどきって言い方があんまりしっくりこなくて……」


 腕を組んで頭を悩ませる幸奈。


「シーちゃんが精霊の力を感じたんだから、あの子は精霊じゃないの?」

「いいえ。私はあれを精霊じゃないと言い切るわ」


 シルフの言葉は、和やかな空気を勢いよく切り裂いた。


「精霊の存在を気に食わない人間がいるのも知っているし、逆にそう思う精霊も少なからずいる。でも、精霊はそれを理由に人間を傷つけないわ」


 厳しい物言いだが、それは事実であるとプレアたちはうなずく。

 今までにない張り詰めた空気の中、洸矢たちは幸奈とシルフの会話を静かに聞いていた。


「幸奈はなにもしていないのに、対話もせず襲いかかった。だから、私は彼らを精霊とは認めないわ」


 シルフが心の奥底で怒りを募らせているのは、言葉の端々はしばしから全員に伝わっていた。

 反論せずとも真剣な眼差まなざしの幸奈に、シルフは小さく息を吐く。


「あとは日向が言ってた通り、ここは精霊界じゃないんだから。精霊もどきって呼んでも間違ってないでしょ」

「……たしかに。それなら納得!」


 幸奈とシルフは目を合わせて微笑む。

 張り詰めた空気がゆるみ、緊張していた洸矢たちはほっと一息つく。


「それじゃあ、精霊もどきってことで話を進めようか」

「分かりました」


 瑞穂と凜が話を切り替え、そのまま話を続ける。


「その精霊もどきですが、私は再び遭遇する可能性があると思っています」

「僕もそう思う。明日からは注意して行動しなきゃいけないね」


 それから、幸奈たちは夜が明けるまで仮眠を取ることにした。

 暗闇で視界が制限された中、疲労が溜まっている状態でこれ以上の行動は危険だと全員が判断した。

 各々おのおのが洞窟の中や入り口で寝る場所を確保する中で、フレイムは火の前に座ったままで、日向は隣に来るようにうながす。


「フレイム、寝るぞ?」

「俺は起きている」


 きょとんとしている日向に、フレイムは火に視線を移す。


「火が消えたら困るだろう。それに、俺たちが寝ている間に精霊もどきに遭遇する可能性もある。俺はその見張りもする予定だ」


 納得の表情を浮かべる幸奈たち。

 すると日向がフレイムの隣に座り、堂々とあぐらをかく。


「フレイムが起きてるなら俺も起きてる!」


 さも自分が提案したかのように胸を張る日向と、苦笑する幸奈たち。


「それなら、私も起きているわ」


 日向の隣に座る瑞穂。


「み、瑞穂……!?」

「三人いれば、交代で仮眠が取れるでしょ」


 突然瑞穂が座ってきたために、瑞穂の言葉はほとんど日向の耳には入っていなかった。

 日向の顔は赤さも熱さも火が照らしているせいか、いつもより赤くなっていた。

 そんな日向の横から、セレンが瑞穂に詰め寄る。


「わ、私も起きています……! 瑞穂様だけに任せるわけにはいきません!」

「いいのよ。セレンは休んでちょうだい」


 優しくなだめる瑞穂。しかし、セレンは弱々しくも引き下がらなかった。


「ですが、私がなにもしないというのは……」

「日向とフレイムがいるから大丈夫。私の横で寝ていて」


 瑞穂だけに任せるわけにはいかない。

 セレンはそう伝えようとしたが、瑞穂の笑顔で言いかけた言葉を飲み込む。

 申し訳なさそうに瑞穂の横に座り、こてんと寄りかかった。


「朝になって疲れが取れていなかったら、僕と洸矢に言ってください。僕たちの力で疲れを癒します」

「ようやく幸奈以外で活躍する日が来そうだからな」


 洸矢の冗談に微笑みながら、「そうですね」とプレアは穏やかな笑みを浮かべた。

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