Episode Memory:08 火と水

 人間界と同じように朝を迎えた世界は、太陽の光が燦々さんさんと降り注いでいた。

 昨夜の暗闇が嘘のように周囲と洞窟どうくつ内を照らし、幸奈はそのまぶしさで目を覚ます。

 洞窟の外に出ると、大の字になって倒れている日向と、それを取り囲むようにしゃがんでいる洸矢とプレア。


「マジで眠い……」

「なんで寝なかったんだよ」


 日向は完全に脱力していて、洸矢はあきれながら日向に手をかざしていた。

 洸矢とプレアの力による淡く暖かい光に包まれ、日向の眠気と疲れが癒やされていく。


「日向さんは頑張ってくれたんですから。僕たちは日向さんを癒しましょう」


 プレアは談笑しながら、両手をかざして力を強める。それと比例して、日向を包む光も少しずつまぶしくなっていく。

 朝の光も加わり、最終的に日向は大の字のまま完全にくつろいでいた。

 日向のだらけた表情に、思わず笑みがこぼれる洸矢とプレア。


「一生このままがいい……」

「俺たちが疲れるからやめてくれ」


 幸奈は洸矢たちのやり取りに苦笑しながら、近くで髪を整えている瑞穂に声をかける。


「瑞穂ちゃん、日向ってほんとに寝なかったの?」

「そうよ。私とフレイムがいくら言っても聞かなかったの」


 瑞穂が近くにいたフレイムに視線を移すと、フレイムはうなずいたあとに小さくため息をついた。


「消えかけた火も自分からつけていた。そこまで張り切る必要はないのに」


 洸矢とプレアに「もうちょっとだけ!」とせがんでいる日向を見て、やれやれと言った表情のフレイム。

 すると、シルフが少し離れたところで尾ヒレを抱えて丸くなっているセレンに気がつく。


「朝からどうしたのよ」

「わ、私は起きていようと努力していたつもりです! で、ですが、瑞穂様の暖かさにすっかりリラックスしてしまい……」

「ぐっすり寝られたならいいじゃない」

「私は、瑞穂様のお役に立ちたかったのです……!」


 目をうるませるセレン。


「それなら、今日リベンジしましょ。落ち込んでいる暇なんてないわ」

「……は、はい」


 そして幸奈とシルフは森の中へ、洸矢とプレアと凜も幸奈とは別の方向の森へ、瑞穂と日向はセレンとフレイムと連れて水場へ。

 それぞれ人間界に戻るための手がかりを探し始めた。


   * * *


「シルフの言う通り、本当に孤立した島なのね」


 瑞穂は視線の先にある、永遠と続く水平線を眺めながらつぶやく。

 日向たちが森を抜けると、そこには透き通るような青い海が広がっていた。セレンに水中の探索を任せ、日向たちは砂浜周辺の探索を始めた。

 穏やかな波が押し寄せる砂浜を歩きながら、日向は前をトコトコと歩くフレイムに尋ねる。


「フレイム、精霊界にもこういう海ってあるのか?」

「もちろんだ。そこでセレンのように水を司る精霊たちが暮らしている」


 へー、と軽く返しながら日向は足元の砂浜を軽くる。


「そういえば、フレイムはどのへんに住んでるって言ってたっけ?」

「俺はいつも渓谷けいこく付近にいた。だからこういった海とはえんがない」

「お前、水苦手だもんな」


 日向はしゃがんでニヤニヤと笑う。

 冷ややかな目線を返したあと、フレイムのパンチが日向のすねに直撃する。声にならない声を上げて、砂浜を転がりもだえる日向。


「二人とも、なにしてるの」

「気にするな。早く手がかりを探そう」


 身もだえる日向を置いて立ち去るフレイム。


 しばらくして、セレンが水面から頭をのぞかせた。


「すみません……水中にはなにも見つかりませんでした……」

「いいのよ。探してくれてありがとう」


 瑞穂の優しいフォローに、セレンは再び「すみません……」とつぶやいてがっくりと肩を落とす。

 その後、砂浜やその周辺にも手がかりらしい手がかりは見つからず、日向たちは幸奈からもらったお菓子を食べて休憩していた。


「どうやったら人間界に戻れるのかしら」


 ぽつりとつぶやく瑞穂。

 物憂ものうげな表情で海を眺めている様子はどこか絵になる光景で、日向は静かにその姿に見とれていた。


「……そもそも、初めから戻る方法なんてないんじゃないかしら」


 寄せては引く波の音に混ざったその声色は、どこか諦めのような感情があった。

 日向はごくんとチョコレートを飲み込み、瑞穂の前に立ちはだかる。


「方法はある!」

「……え?」


 逆光のせいで、日向の表情は瑞穂からハッキリとは見えなかった。しかし、日向の明るく力強い声は瑞穂にしっかりと届く。


「俺たちが見つけてないとこにあるかもしれないだろ?」

「日向……」

「あと! ほら、帰ったら…………あ、遊ぶ予定もあるし……」


 だんだんと声が小さくなっていく日向。


「……そうね」


 瑞穂はそっと微笑んだ。

 そのとき、日向たちの上を巨大な影が通り過ぎる。

 見上げると、わしの上半身に獅子ししの下半身――グリフォンと形容するべき生き物が上空を飛んでいた。

 優雅に羽ばたく様子に、日向たちは思わず息をのむ。


「あのかっこいいの、精霊なのかな――」


 言いかけたところで、ある単語が日向たちの頭をよぎる。

 精霊もどき。

 見上げたままの日向のほおを一筋、冷や汗が流れた。


「……あれも、精霊もどきなのか?」

「分からないわ。でも、幸奈たちの話が正しければ、見つかる前に逃げた方が――」


 突き刺すような視線が向き、日向と瑞穂は硬直する。

 その視線は上空を飛ぶ生き物からで、それは明らかな敵意と、獲物を狙う獰猛どうもうな目つき。

 二人の本能が、あの生き物は危険だと判断した。

 次の瞬間、轟音ごうおんとともに稲妻いなづまが日向と瑞穂の間に猛烈もうれつな勢いで降り注ぐ。二人の間に落ちた落雷は砂をえぐり、砂浜に大きな穴を作り出した。

 この数秒間で起きた状況を理解する間もなく、生き物は稲妻をまとって日向たちに向かって急降下してきた。


「日向!」

「瑞穂様!」


 セレンが二人を守るように水のベールを作り、フレイムは生き物を巻き込むように炎の渦を巻き起こす。

 生き物は羽ばたきで炎を払いのけ、稲妻をまとったまま日向たちから離れたところに着地した。


「二人とも、ありがとう」


 瑞穂が震える声でつぶやく。

 セレンは瑞穂に優しく微笑み、様子をうかがっている生き物に向き直る。


「シルフ様がおっしゃっていた通り、あの方からは精霊のような力を感じます……」

「たしかに、あれは精霊もどきと呼ぶのが適切だな」


 重苦しい表情のセレンと、それに同意するようにうなずくフレイム。

 すると、日向が大きく伸びをしながらフレイムの隣に立つ。


「俺さ、一度やってみたかったんだよ」


 ニヤリと笑う日向の手元に火球が現れる。


「精霊と戦う動画見るの、最近ハマってんだよな」


 精霊の力を借りて様々な動画が投稿されている中で、契約した精霊と戦うという動画が学生を中心に人気を集めている。

 しかしそれは動画内の企画であり、人間も精霊も本気で戦っているわけではない。

 フレイムは日向の作り出した火球を尻尾で消し去る。


「日向、ふざけている場合ではない」

「分かってるよ。でもこんな機会、二度とないだろ」


 日向の手には汗がにじみ、心臓の鼓動は明らかに早くなっていた。

 だが、同時に目は爛々らんらんと光り、精霊もどきをしっかりととらえていた。


「追い払うだけだからさ。フレイムも手伝ってくれよ」


 未知の生き物との遭遇に、日向の身体は興奮をおさえきれなかった。

 様子をうかがっている精霊もどきに視線を送るフレイム。


「……危険だと判断したら逃げることを約束しろ」

「もちろん」


 二人の会話が終わると同時に、精霊もどきは翼に雷をまとって日向に突っ込んできた。

 日向は素早くかわして炎の球を放つが、それは羽ばたきで簡単に消し飛ばされた。

 フレイムが日向の横を駆け抜け、炎をまとった尻尾を叩きつけると、燃え盛る炎に精霊もどきは跳ねのく。

 いつの間にか反対側に回り込んでいた日向は再び炎の球を投げつけ、精霊もどきの羽根を焦がした。


「っしゃ、一発目!」


 日向の口元から満足げな笑みがこぼれる。


「まだ追い払えていないぞ。俺のあとに続け」

「分かってるって!」


 得意げに笑いながら炎の球を作り出し、精霊もどきと対峙たいじする。


 二人が精霊もどきと戦っている姿を、瑞穂はセレンに守られながら見つめていた。

 瑞穂の内心は、日向たちが精霊もどきにやられてしまうのではというおさえきれない不安と、セレンに守られているだけという無力感。

 このままではいけない。

 そう決意した瑞穂は、目の前で水のベールを作っているセレンを呼ぶ。


「ひとつお願いがあるの」


 セレンが振り返ると、瞳に強い決意が宿っている瑞穂。


「あなたの力は争うためにあるわけじゃないのは分かっているわ。でも、今このときだけ。あなたの力を誰かに向けることを許してくれないかしら」


 言葉の意味をすぐに理解したセレンは目を見開く。セレンの動揺で水のベールが波打つように揺れた。


「危険です……!」

「大丈夫よ」


 セレンの感情に反応するように、さらに水のベールが揺れる。

 だが、瑞穂のまっすぐな瞳は揺らがなかった。


「私を信じてちょうだい」


 逡巡しゅんじゅんしていたセレンだが、覚悟を決めたように口元をきゅっと引き締める。


「私もお手伝いします……!」



「ようやく四発目ぇ!」


 日向は勢いよく着地したせいでついた砂をはらう。

 あれから精霊もどきに炎の球は何度か当たったが、それは精霊もどきを追い払うための決定的な一撃にはならなかった。

 落雷が日向のすぐ横をかすめ、その熱に日向の体が一瞬ひるむ。


「日向、瑞穂たちを連れて逃げるぞ」

「なんでだよ! まだ追い払ってないだろ!」

「さっき俺と約束したはずだ」


 危険なら、この場から逃げる。

 数枚焦げた程度の羽根を見て、日向は歯を食いしばる。


「日向!」


 その声と同時に、日向とフレイムの間から精霊もどきに向けて水流が噴き出す。

 水流は精霊もどきを十メートルほど後ろに勢いよく押し飛ばした。

 日向が振り返ると、瑞穂と目を丸くしているセレン。


「セレン、これでどうかしら」

「す、素晴らしいです……」


 精霊もどきはすぐに体勢を立て直し、落雷を瑞穂に向けて放つ。

 だがそれより早く、セレンが水のベールで雷を吸収した。


「海に飛ばしましょう。合図は私がするわ」

「分かりました!」


 瑞穂は呆然ぼうぜんとしている日向たちに視線を移す。


「少しだけ精霊もどきの注意を引きつけられるかしら」


 日向が嬉しそうに見下ろすと、ため息をついているフレイム。


「てことでフレイム、もう少しだけな」


 炎の球を作り出し、精霊もどきに目がけて飛び込む日向。

 精霊もどきから放たれた雷が襲いかかるが、それを避けたフレイムが炎の渦で精霊もどきを囲う。


「セレン!」

「はい!」


 炎の渦をかき消すほどの水流が現れ、精霊もどきを勢いよく海に押し出した。


「すげぇ……」


 勢いに圧倒され、海に消えた精霊もどきを呆然ぼうぜんと目で追う日向。


「日向」


 振り返ると、目の前には優しい笑みを浮かべる瑞穂。


「今のうちに逃げましょう」


 日向はその瞬間思い出した。

 普段は凛々しいが、時折見せてくれるこの笑顔が好きなのだと。

 大きくうなずき、日向たちは森の中へ走っていった。

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