Episode Memory:05 準備と転移

「おやつでしょ、あとカメラとトランプと……」

「幸奈、遠足じゃないのよ」


 鼻歌を歌いながらリュックに物を詰め込んでいく幸奈。

 みのりにからかわれないようと意気込んでいたが、結局準備は前々日にすることになった。


 幸奈の部屋は、幸奈のにぎやかな性格に反してシンプルなレイアウトだった。ベッドや床など、ところどころに置いているかわいらしいクッションが部屋を彩るアクセントになっていた。

 そして床に置いてあるタブレットでは、少女とその契約した精霊が和やかにゲームをプレイしている。

 それをBGMにして準備を進める幸奈とシルフ。

 だが、先ほどからリュックには明らかに関係ないものも詰め込まれていて、幸奈が入れてはシルフが取り出すという攻防を繰り返していた。


 数十分後、格闘の末に準備が終わり、二人は疲れ切った顔で床に転がる。

 カーテンを閉めていなかった窓から見える空はすでに暗くなっていて、いくつも星が瞬いていた。

 夜空を見上げながら、幸奈は小さく笑う。


「いよいよだね」

「そうね。昔から行きたいってずっと駄々だだこねてたものね」


 起き上がり、ベッドに置いていたクッションを抱きかかえる幸奈。


「シーちゃんと初めて会ってから、もう十年くらい経つのかぁ」

「そんなに経ったのね。幸奈も気がついたら高校生になってるし、人間界の時の流れは本当に早いわね」

「シーちゃん、おばあちゃんみたいなこと言ってる」

「失礼ね。私から見たら、幸奈なんていつまでも赤ん坊よ」


 少しの沈黙のあと、二人は顔を見合わせて吹き出す。


「あたしは今回みたいに手続きがないと精霊界に行けないけど、シーちゃんはいつでも精霊界に行けるんだもんね」

「そうよ。四大精霊の権限なんて言うとおかしな話だけどね」

「あたしも連れてって欲しいなー」

「ダメよ。人間が勝手に精霊界に行くのは禁止されてるんだから」

「分かってるよぉ」


 幸奈は不満げに口を尖らせる。


「それに、幸奈を置いて精霊界に帰るなんてできないわよ――」


 そこまで言葉を続けてシルフはハッとする。

 目の前にはニヤけた顔を抑えきれていない幸奈。


「ち、違うわ! 私がいなくなったら洸矢が一人で大変だからよ!」


 顔を真っ赤にさせてぽこぽこと幸奈を殴る。と言っても、幸奈にとってはまったく痛くない強さだったが。

 そんなシルフから逃げるように、幸奈は楽しそうにベッドへ勢いよく飛び込んだ。

 ベッドに飛び込むと、クッションを抱えたままくるりと体勢を変え、天井を見上げる幸奈。


「……シーちゃん、あたし思ったの」

「どうしたの?」


 幸奈のクッションを抱きしめる力が強くなる。

 物憂ものうげな顔に、つられて表情が曇るシルフ。


「やっぱり、お菓子が足りないと思う!」

「……は?」

「持ってくお菓子! ということで、今から買いに行こう!」


 机に置いていたスマホを持って部屋を飛び出す幸奈。

 呆然ぼうぜんと見送るシルフだったが、すぐ我に返ってタブレットの電源を切り、急いで幸奈を追いかけた。


   * * *


「いやー、大漁大漁!」


 街灯が照らす道を歩く幸奈たち。

 幸奈がげるレジ袋にはチョコレートや飴、小袋のスナック菓子など、大量のお菓子が入っていた。


「どう見ても買いすぎよ」

「そんなことないよ! みんなにも配るんだから、このくらい買わなきゃ!」


 自信満々な幸奈に言い返す気力はなかったのか、シルフはただうなずくばかりだった。

 その途中、小さな公園の横を通り過ぎる。ブランコとすべり台とベンチしかない寂しい公園を、街灯が静かに照らしていた。

 歩く速度も遅くなり、完全に遊具に視線が向いている幸奈から、次にどんな言葉が飛んでくるのか。シルフはだいたい予想がついていた。


「ちょっと遊んでから帰ろ!」

「言うと思ったわ。少しだけよ」


 シルフが了承するや否や、幸奈は一目散にブランコへと駆け出す。

 レジ袋を持ったままブランコに座ってぎ始めると、あっという間に勢いがついていく。

 髪がなびき、楽しそうにブランコを漕ぐ幸奈の笑顔は公園を照らす街灯より明るかった。


「幸奈?」

「洸矢兄!」


 幸奈を呼んだ声の主は、公園の入り口にいた洸矢だった。

 パーカーとスウェットとラフな格好をした洸矢は、幸奈と同じようにレジ袋を提げていた。

 幸奈はブランコを漕ぐのを止め、洸矢を笑顔で迎える。


「洸矢兄、どうしたの?」

「親に買い物頼まれたから、そこのスーパーに行ってきた。幸奈は?」

「精霊界に行くときのお菓子が足りないと思って、買いに行ってたの!」

「遠足じゃないんだぞ」


 ため息をつきながら、洸矢は幸奈の隣のブランコに座る。


「プレアは留守番?」

「あぁ。このくらいでついてきてもらうのも悪いからな」


 幸奈たち以外に誰もいない公園を、懐かしそうに見渡す洸矢。


「久しぶりにこの公園来たけど、なにもないのは変わんないな」

「このブランコもずっとあるもんね!」


 またゆっくりとブランコを漕ぎ始める幸奈を、洸矢は笑顔で見守る。


「ようやく精霊界に行けるな」

「うん! ほんとに楽しみ!」

「昔からずっと言ってたもんな」


 洸矢が地面を軽く蹴ると、かすかにブランコが揺れる。


「……精霊界に行ったら、会いたい精霊にも会えるかな」

「会いたいって、プレアの友達?」

「それもだけど、親友と契約してた精霊に会いたいんだよ」


 幸奈はブランコを漕ぐ足を止めた。地面に足がつき、砂ぼこりが舞う。


「なんで親友の人の精霊は精霊界にいるの?」

「あー…………悪い。今の忘れてくれ」


 言いかけた言葉を飲み込み、顔をそらして乾いた笑いをこぼす洸矢。

 幸奈は気になりつつもそれ以上は追求せず、「どれにしよっかなー」と持っていたレジ袋をあさり始めた。

 二人が見守る中、洸矢にキャラメルの箱を差し出す幸奈。


「疲れたときには甘いものだよ!」


 洸矢は差し出されたキャラメルの箱をポカンと見つめる。

 だが、それは幸奈なりの優しさなのだと洸矢はすぐに気がついた。

 無意識かは分からないが、幸奈は昔から相手の感情を読み取るのが得意だった。

 それが自分だけでなく周囲を惹きつける魅力なのだと。その言葉の代わりに、笑顔につられてキャラメルの箱を受け取る。


「ありがとな」


 穏やかな空気に包まれている二人を、シルフは腕を組んで静かに見守っていた。


「……プレアの言うことも案外間違ってないのかしら」

「プレアがなにか言ってたのか?」

「なんでもないわ」


 雑談もほどほどに、幸奈たちはそれぞれ帰路についた。

 

 そして、幸奈たちが精霊界に向かう日がやってきた。

 

   * * *

 

 午前九時。幸奈たちは精霊界に向かうために、とある研究所にいた。

 研究所内は近未来的な装置が整然と配置され、複雑なケーブルが網のように張り巡らされていた。

 壁には精霊界のものらしい地図が投影され、幸奈たちが辿たどるであろうルートが赤く表示されていた。


「精霊界に着いたら、先に向かった研究チームが待機しているので、そこに合流してください。向こうでの動きは先日お渡しした資料の通りです。今回は森林エリアを中心に動きます」


 白衣を着た職員は幸奈にタブレット端末を渡す。

 画面は暗く、なにも表示されていない。


「連絡用の端末です。これは先に行った研究チームも持っているので、なにかあったときはこれで連絡を取り合ってください。また、人間界に戻る際は端末が発した電波を受信し、こちらから再度ゲートを開きます」


 説明を聞きながら感心したように端末をまじまじと見る幸奈。

 ひと通り説明を聞き終えた幸奈たちは、精霊界と繋がるゲートへと向かう。


「これが、精霊界に繋がるゲート……」


 幸奈たちの目の前には、直径二メートルほどの大きさをしたゲートがあった。

 ゲートは網のように張り巡らされた装置の中心にあり、どこか不思議な緊張感を漂わせていた。

 最新鋭の技術と精霊の力を駆使して作られたゲートは、宇宙空間をそのままそこに映し出したような色をしていた。

 それが絶えずあやしくゆらゆらと揺れ、その奥にあるのは未知の世界だという感覚を幸奈たちに突きつける。


 また、人間界と精霊界の時間の流れは異なっている。人間界での一時間は、精霊界での一日。

 つまり、精霊界で一週間を過ごしても人間界では七時間しか経っていない。


 今までの人生ではおおよそ見ないであろうものを目の前にした幸奈たちは、ゲートを見て息をのむ。


「……緊張するな」

「洸矢、安心してください。精霊界は素敵なところですよ」

「フレイム、楽しみだな!」

「お前は少し落ち着け」

「セレン、いつもより嬉しそうね」

「はい、久しぶりの精霊界ですから……!」


 しかし、ゲートを目の前にした幸奈たちは、不安より期待に胸を膨らませる気持ちの方が勝っていた。

 凜は誰よりも興奮をおさえきれていない幸奈に視線を移す。


「幸奈、準備できた?」

「うん!」


 満面の笑みで答えた幸奈は、横にいるシルフに声をかけようとする。


「……シーちゃん?」


 しかし、シルフの表情は暗く、隠しきれない不安が顔に表れていた。

 幸奈はシルフの前に立ち、小さな手を優しく握る。


「あたしがいるよ」


 幸奈のまっすぐな瞳にシルフの表情は明るくなり、言葉を返す代わりに小さく微笑んだ。


「それでは、どうぞお気をつけて」


 職員の合図で幸奈たちはゲートへ一歩踏み出す。

 ゲートを越えた先で白い光に包まれ、幸奈たちは精霊界へと向かった。

 

 はずだった。

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