第64話 プロセス

 メルピアの表情が固まる。


「な、何か粗相がありましたでしょうか?」


 メルピアがライリに問いかける。


「――あ、失礼しました。王宮で飲むお茶より遥かに美味しかったもので、つい……」


 ライリの返答にメルピアの表情が一気に弛緩し肩の力が抜ける。午前中にメイはこのようなやりとりを幾度となくやってきたのだと思うと、急に胃が痛くなっていた。


「そちらはメイお嬢様が、調合したものでございます」


 メルピアの表情を汲み取りタンボが答える。脳筋のタンボとは言え王宮の兵士との接点や貴族の護衛の経験があるため『こういう圧』にはある程度対処できるのだ。


「そうですか……正直羨ましいですね。これ程の味であれば先ほどのハーブティーも一度味わってみたかったものです……」


 出されたお茶を口にしたライリの脳裏には、午前中に主であるハンバが二杯分とも飲み干してしまったハーブティーの残像が再び蘇った。王宮にいる要人の側近として交渉中に必要以上の私語を挟むことは禁じられているが、場所と口にしたあまりの美味しさに普段では言わないような欲求がつい出てしまったのだ。


「――あら? そんなに量はありませんが飲まれますか?」


 一度、書類に目を通したメイがライリに話しかける。今回メイが持参したハーブティーの茶葉や牛乳などは移動時間のため最低限の量にしている。特に牛乳と茶葉は痛みやすいので状態保存魔法ステイトセーブをかける必要があるが、魔法をかけたものは王国や王宮に入る際に入念にチェックされる。特に王宮への訪問となると基本的にプロテクト系の魔法はでのチェックになり、ハンバの性格と交渉を優先に考えたメイなりの配慮でもあった。


「あ、いえ。流石にハンバ様に怒られますので……」


 正直、自分の欲望は言ったもののライリは目の前にあるお茶で十分だと思っていた。


「メルピア、タンボの部屋に行ってこちらに用意してください」


 メイは、自分がソウタからもらったコーヒーカップに対象物清潔魔法クリーンアップをかけるとメルピアに渡した。


「「承知いたしました」」


「申し訳ございません。作り方などは秘密になっておりますので、ここで作るのだけは無理なのです」


 メイがライリに対して深々と頭を下げた。ライリは「いえ。とんでもございません」としか返せなかった。


 理由は単純で、これ以上心の動きを知られたくなかったからだ。

 ライリは心の中でガッツポーズをとっていた。正直ハンバがこのを頼んだ時「どうしてラギじゃないのか?」と五回――いや、三十回は思った。

 王宮を出るのも面倒な上、一々庶民の寝泊まりする部屋に自分が行く理由が分からない。書面のやり取りなら王宮に別で勤める下位のものに行かせれば充分であるし、ライリ自体も食い下がってみたものの、ハンバは首を縦には振らず側近の自分が行くことになった。


 しかし、今自分の前にある状況はなんであろうか、こともあろうに王宮で飲むよりも上質で美味しいお茶が出てきた上に、心待ちにしていたハーブティーが飲めるのだ。しかも少量と言っていた割にラギが毒味した量より遥かに多いのだ。


(あぁ、フリューメ様感謝いたします)


 ライリは自分の気持ちの高揚を隠す事を第一にして、目の前にある普通のお茶を少しだけ口に入れた。


「――それで、この書面なのですが……署名をするも何も例の王都の外の店を一週間で用意するから了承しなさいというものなんですが、本当に渡された書類はこれだけなのでしょうか? しかもなのです」


「――ブッ!」


 メイからの質問にライリはお茶を吹き出しそうになった。


「お、王宮契約書になっているのですか?」


「えぇ。間違いなく王宮契約書になっていると思います……」


 ――王宮契約。

 通常の人同士がやりとりする上である意味緩いが強制力が強いのが『魔法契約』だ。ノスファンこのくにの殆どの契約は通常の契約か、この魔法契約で成り立つ。ただ一つ例外があり王宮案件に限り王宮契約というものが存在する。

 王族、もしくは王族に準ずる人が発行できる魔法契約書。国同士や国で決めたものに対して発行され恩赦などでも使われる。魔法契約と違うのは魔法条件の均衡つりあいが必要ないことだ。

 これは国と国同士の場合、戦争時に戦力の貸し借りで兵士の命が失われた場合、損失のなかった国に同数の命を捧げるというのがあまりにも非人道的だった価値がわかる賃金では代理ができないためだ。

 そういった均衡つりあいをイーブンにする事がほぼ不可能なものに対しては、そもそもの主題であるものの執行は必ずするが、付随する細かい条件の均衡つりあいが必要ないというのが王宮契約なのだ。

 ただし、魔法契約では病気などの不測の事態に対して強制力が強すぎるものに使われなかったのに対し王宮契約は主題であるものの執行が執り行われなかった場合、署名者の命に関わるというのが魔法契約と大きく違う所でもある。


「――だから、私を派遣したのか……」


 ライリは自分が指名された事などの謎が全て解けたが、それならそれで一言ぐらい言ってほしいとも思った……まぁ、思ったところで何も止められなかったとは思うが。

 一方メイは、ライリの前であるので物理的に頭を抱えはしなかったが、心の中では「どうしよう……早すぎる」がずっとループしていた。


「――失礼いたします」


 メルピアがハーブティーを持って戻ってきた。タンボを先頭にして部屋に入る二名。


「こちらになります」


 メルピアがコーヒーカップに入ったハーブティーをライリの前に置く。


「ありがとうございます」


 ライリは運ばれてきたコーヒーカップの取っ手を持つとハーブティーを一口飲んだ。


「「「……っ」」」


 呆気にとられる三人。


「――これは……」


 感想を言おうにも何と表現していいのか分からない。王宮に勤める者として自分が知らないものを体験した場合には感想を言わなければならない。感想を言わない事は失礼に当たる。しかし今のライリにはこのハーブティーをどう表現していいのか分からないのだ……。


「……あの、大丈夫なのですか?」


 メルピアがライリに問いかける。


「――あ……失礼しました。なんと表現していいのか私の語彙力が足りないばかりに……」


 自分の不躾な部分を見られて流石に顔を赤らめてしまうライリ、だがメルピア含めて三人が心配していたのはではなかった。


「――いえ、あの鑑定をされていませんでしたので……」


「――っ」


 続くメルピアの一言にライリの顔が青ざめる。そして今までの人生が走馬灯のようにフラッシュバックする。


 ――ライリは成人する前から王宮に勤めるべくして幼少の頃よりルールやマナーについては勉強をしてきた。元々お転婆と言われていたがそれを必死で隠し、なんとか狭き門である王宮の……しかも、天才ハンバの側近となったのだ。実際は天才というより変人に近かったが――それでも彼女の人を見る才能や判断、王を恐れず意見をする所などは自分には絶対に届かない存在として畏怖さえしていた。


 そのハンバに恥をかかせたのだ。もし、今飲んでいるものが毒薬だった場合、ハンバを守ることどころが『人質』に取られる可能性もあったのだ。


「――ライリ様、この事は我々のみ多言無用にいたしましょう……メルピア魔法契約の用意を……」


 メイはライリの様子を見ると即座に自分ができる最大限の動きを見せた。


「メイ様、それではライリ様側の条件が……」


 そうなのだ、ライリはこれからメイ側から突きつけられる条件を飲まなければいけないのだ。


「大丈夫です。ここで私が秘密をライリ様に共有すればいいのです。そしてお互いに多言無用にすれば問題ありません」


「……承知いたしました。契約書の準備をいたします」


 メルピアは主人であるメイの言う事に表情を全く変えずに契約の準備を進める。


「ライリ様、私の従者二名は私達一族と魔法契約を交わしており、主人である私が不利になる事はできません。よって私の秘密をお知りになった上で魔法契約を交わした場合、自動的にタンボとメルピアも同様の魔法条件が付与されるのと同じだと思っていただけますでしょうか?」


 ライリは言葉なく、静かに頷く。


 正直、メイの話が嘘であってもこの状況下でライリには選択肢がない。もちろんここでメイを含め三人を始末することはできるかもしれないが、得策ではないのは充分承知しているし現状を鑑みると『この条件』を飲む方が自分にとっては良いのは過去の経験からでも分かった。


「では、お耳を拝借いたします。その上で……」


 メイは無音化魔法ノイズゲートの魔法を掛けた。メルピアとタンボに聞かせなようにしたのである。


「ライリ様、私とハンバ様は極めてであります。この事は聞いたとして多言できないようなっておりますので充分ご注意ください」


 ライリはメイの告白に大きく目を開けると、静かに頷く。こういう場合読唇術を使える人がいた場合に口頭で「分かった」とも言うのが得策ではないからだ。


「……では……」


 メイは、無音化魔法ノイズゲートを解除する。


 ライリはメイの告白の意味を充分理解した。彼女は『極めて近い』と表現した。


 ハンバは天涯孤独であるというのが王宮にある出生書にて確認できている。

 ただ、彼女メイの告白が本当ならば色々と問題が出てくる。例えば彼女メイが人質になった場合『国』が動く可能性があるのだ。

 俄には信じ難いが、ハンバの今までの彼女メイに対する姿勢やこれまでの動き、王宮契約のことを考えると全て合点がいく。


「メルピア、条件に『お互いが不利となる情報は他言不要とする』とだけ記載してください」


「承知いたしました」


 メルピアはメイの言われたまま条件を書いていく。メルピアが条件を書き終わると一度タンボに渡して条件を確認した後、タンボがメイに契約書を持っていく。


「お嬢様、確認後署名をお願いいたします」


「いや、その署名は私から先にすべきだ! こちらからお願いする」


 ライリはタンボに向かって頭を下げた。通常貴族でもないメイ、しかもその従者であるタンボに対して王宮の重要人の側近が頭を下げる事はあってはならない。

 な場合。本来ならば、ライリ側が署名をした後にメイが署名をするのが通例であるが、それは格が同格であった場合でだ。貴族でもないメイ達はライリの尊厳に対してメイ側から署名をすることを選んでいるのであって、それが分からないライリではない。

 ライリは状況をしっかり把握している。自分の落ち度によりここまで事態が深刻化したのだ、せめて誠意を見せるべきだと彼女は判断したのである。


「――お嬢様……」


 異例のことに、メイに指示を仰ぐタンボ。


「ライリ様の言う通りにいたしましょう」


 メイの一言で、タンボはライリに契約書を持っていく。


「本当に申し訳ない」


 謝罪を述べつつ。契約書を確認し署名を終え、タンボに契約書を戻す。


「――では……」


 メイは何事もなかったかのように署名を終える。無事に魔法契約が結ばれた。つまりメイの告白がブラフではなかったことの証明にもなったわけだが。


「こちらの契約書はライリ様がお持ちください。我々庶民が持っておくには色々問題がありそうですので……」


 メイが契約書をライリへ渡そうとする。


「いや、これはメイ様がお持ちください。私のとがですので」


「しかし……うつしは?」


うつしもいりませぬ。それが私の誠意だと受け取っていただきたいのです」


 ライリはメイに対して頭を垂れる。いくらメイが主人であるハンバの来賓であっても、格で言えば簡単に頭を下げるべきではない。要人は簡単に謝罪をすべきではないというのは王宮に携わる者であれば常識でありライリはこの場で既に二回謝罪をしているのである。


「承知いたしました」


 メイはこれ以上のやりとりは無粋だと感じ軽く頷くとライリの申し出を受け取り、契約書を素早くタンボに渡すと不意にライリに微笑むと続けて口を開く。


「そうそう、ハーブティーは如何でしたか?」


 メイの一言で、緊迫感のあった空間がいきなり緩む。


 ライリは『メイの』が、主人ハンバのように常人より逸脱してることを再認識した。明らかに十代中盤の少女なのに関わらず、あの天才ハンバと一人でやりとりできる胆力、自分の落ち度に対して即時判断できる状況把握能力、話題を雰囲気切り替えできる能力……表現は失礼だが、そこらの貴族よりも能力の高さを感じざるを得ないのだ。


「――正直、王宮の業務を辞めてチェリアに移り住もうと思ったくらい美味しかったですよ」


 そう言うとライリは再びコーヒーカップに残っているハーブティーを喉に流し込む。まだ自分のに少し緊張が残るがそれでも今まで感じたことのない美味さで心が包まれる。


「そして、なんというか普通のお茶よりも心が温かく優しくなれる感じがいたします」


 未体験だった味に対して素直な表現をするライリ、これもハーブティーの効果なのだろうか? と思っていると。


「ありがとうございます。今のライリ様のお話を聞いて『王宮契約』を締結することを決めました」


 メイがゆっくりと宣言した。

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