第63話 Ad

「あぁ、そうですね。では、マグカップ一つをいただきましょう。いやメイちゃんの分も含めて二つにしましょうか、フフフ」


 文句は言わせないという無言の圧をメイに加えるハンバ。


「そ、そのマグカップはアルモロの店のシンボルが入っていますが宜しいのですか?」


 メイは旅に出る直前、試作品として出来上がってきていた無印のマグカップ二つをタンボとメルピアの分として受け取っていた。だが、旅路の途中で『交渉に使えるかもしれない』と気が変わり、それなら店の宣伝に使おうとソウタがデザインしてくれたアルモロのシンボルマークを魔法で無理やり入れたのだ。


(使用品で悪いけど、ソウタにもらったコーヒーカップのお礼にしようと思っていたのに失敗したな……)


 正直、旅の直前にマグカップを持ってきたのは全くのだった。しかも以前クッキーを作る際に湯呑みを魔法で加工して『型』にした経験があったので綺麗にシンボルを入れる事ができたのだ。


(【祝福】3のおかげかもな……)


「――あら、あなたにとっては好都合なことじゃない? デザインとしてからこれを献上品としてもらうわ」


 この辺りが潮時だろうという感覚が彼女ハンバから伝わってきた。こうなってはこれ以上交渉の余地はない。


「承知いたしました」


 メイは自分用に作ったハーブティーには全く手を付けず頭を下げた。緊張で喉がカラカラだが、それ以上に考える課題が多すぎだ。


「メイちゃん。近いうちにお使いが行くわ。よろしくね」


「はい、よろしくお願いいたします」


 メイは、再度、深々と頭を下げ椅子から立ち上がるとライリとレギの二人にも会釈をすると踵を返して前室の方に向かう。彼女が入り口に近くなる度、張り詰めていた場の空気が和む。


 通常、彼女ハンバとの交渉や謁見の場においては、最後の最後までもっと空気で終わる事が多い中、主人ハンバが満面の笑みで終わるのは非常に珍しく、異例中の異例の交渉であったことが側近であるライリとレギにはしっかり伝わった。


 ハンバはメイが出て行ったのを見届けると、やや冷めたハーブティーを一気に飲み干す。


「やっぱり、ぬるいのはダメね。熱い方が美味しいわ」


「ハンバ様、本当によかったのですか?」


 ラギがメイの出て行ったドアを締め戻ってくると、先ほどの交渉について質問をする。


「フフフ、ラギ。このマグカップとハーブティーの組み合わせは――ただのだと思った方がいいわ。ノスファン王は安い買い物をしたと思った方がいいわね」


「は、はぁ……」


 ハンバは少し不気味な笑みを浮かべて、メイが飲む予定だったマグカップに残っているハーブティーも飲み干した。


を残す余裕が、今のメイちゃんにはあるって事でしょ? あの子にもが吹いてきたということでしょうね)


「――ハンバ様、私の飲む分も残しておいてほしかったです……」


「あら、ごめんなさいね」


 ライリの心からの声を軽く交わしたハンバは直ぐにアルモロ王都店の設計図と人材の準備に入ったのであった。


 ◇◇◇


「生きた心地がしなかった……」


 王宮を早々に出たメイは全身に疲労感を感じていた。


「お役に立てず申し訳ございません」


「お嬢様、すいません。掛ける言葉が見つかりません」


 メルピアとタンボがそれぞれ自責の念に駆られ言葉をメイに届ける。


(きっと、こういう時の為にエナドリなんだろうな)


 ふと、ソウタの言っていた事を思い出す。


「メルピア、店に帰ったらもう一種類ハーブティーを作りましょう、絶対に!」


「は、はい。かしこまりました」


「お嬢様、先ほどのハーブティーはダメなのですか?」


 脳筋タンボがメイに尋ねる。


「暫く、あのハーブティーはいいわ。さっきの事を思い出してしまって。全く味を楽しめないもの……」


「な、なるほど、承知いたしました」


「さぁ、宿につきましたよ」


 メルピアが先導して宿の部屋に案内してくれる。王宮に用事があるため王宮に一番近い宿を取っていたのだが、主人の疲労具合を考えると王宮という忌むべき場所に近い事がよかったのか悪かったのか判断に困る結果となった。


 因みに、メイ達一行は部屋を二部屋借りている。部屋割りはメイとメルピアで一部屋、タンボが一部屋となっている。本来ならば従者と主人が同じ部屋に泊まるということは珍しいのだが、メイはずっとこの形をとっている。


「では、私は買い物をして参ります。お嬢様とメルピアは部屋でお休みください」


「タンボありがとう」


 メイはタンボにお礼を言うと、メルピアと一緒に部屋に入っていった。

 とりあえず、脱力し椅子に腰掛けるメイ。


「――お嬢様これを……」


「あら、メルピアこれは!」


 メルピアが取り出したのはクッキーだった。


「お嬢様がこうなると思って少しだけ持ってきたのです。ちゃんと保管の魔法もかけていますから味は大丈夫ですよ」


 差し出されたクッキーを手に取ったメイは一口頬張ると「ふぅ」とため息をつく。


「ううぅぅ、おねー様アタシ頑張ったよー」


 いきなりの妹モード発動に苦笑するメルピア。敢えて結果は聞いていないがメイの様子でなんとなく悪い方にはなっていないのは感じていた。


「暖かい牛乳とも結構合うんですよ」


 メルピアはメイの為に暖かい牛乳を用意しテーブルに並べる。


「おねー様、久々の王都なのにごめんね……」


 メルピアとメイが出会ったのはメイが王都ここノスファン貴族院にいた頃にメルピアが料理人の見習いをしている店に来たのがきっかけだった。

 給仕の担当をしている時に顔馴染みになり、メイが貴族院を去るのと同時に屋敷の正式な料理人として契約した。

 元々奴隷上がりとして待遇が良いわけでもなかった上に、料理ができればどこでも良いメルピアとしては王都を離れることよりも、位を意識せず自分の料理の可能性を信じてくれたメイの態度が嬉しかった。


王都ここよりも自由に料理ができる屋敷の方が全然楽しいから大丈夫」


 敢えて敬語を接するメルピア。ソウタが来てからのメイは明らかに変わった。16歳らしくなったというか親近感が増した感じがする。

 ソウタとメイの関係性が周りに影響をしている気もするが、それ以上に彼が来てからの店の忙しさは尋常ではない。少しずつ変わるのならばまだしも、急にあそこまで忙しくなってしまったわけで……。

 人間どこかで弱音を吐けないと潰れてしまうのだろう。


(そう考えると、ソウタさんの18歳であの落ち着きようも異常なのよね……)


 いきなりやってきたかんが、ソウタはスタッフの間では「かんがえ様」と呼ばれていた。というのもソウタの存在が知られていなかった時、メイがいきなり「あれは仕事を呼び込む『考え様』だ」と言っていたのだ。

 尊敬するカートに話を聞いても「確かに、あの方が考えた後、尋常じゃないくらい忙しくなる」と真顔で答えていた……最初は「そんな大袈裟な!」と思っていたがココ一ヶ月の激動を考えるとメルピアも納得せざるを得ないのだ。


「ねー様もタンボも何も聞かないのねぇ……」


「信頼していますから」


 メイが聞いてほしいオーラを出しているのを分かっているが、敢えて自分から話すのを待つメルピア。


「みんな厳しいなぁ……」


「そういうはカート様かソウタ様だと思っていますから」


「カートもソウタも優しさ成分ゼロじゃない……」


「私から見るとお二人とも優しいと思いますけど?」


「見解の相違ね」


 メイはクッキーを食べ終わるとそのまま机に突っ伏した。


「さて、私は私でやることをやりますかね……」


 メルピアは暫くして寝息をついたメイを見届けると、保温の魔法をメイに施し自分のバッグからメモを取り出す。目下メルピアの課題は『匂い』と『軽食』である。

 そもそもメイ達一向が王宮に来るようになった根幹はクッキーの焼いている時の匂いが原因である。


 メルピアの主人あるじであるメイは防音や消音に加え、消臭などには物凄く気をかけている、メルピアも消臭には気をかけていたものの、考え様ことソウタの『匂いでと集客をしていく』という観点は衝撃的なものだった。

 もちろん、貴族や一部の上流階級の間で香水やお香などの『匂い』をステータスとする文化があるのは知っていたが、食事の場でなどでは『魔法で匂いを』のがマナーとされている。


 その上、メルピアは食事担当として『しっかり栄養の取れる美味しいもの』を提供する事を心掛けてきた。ところが、クッキーは逆で『栄養は二の次』のものでありメルピアの常識にはなかった。いや、多少『考えた事』はあるものの冒険者などの食事になると干し肉とか『味も二の次、栄養第一』のようなものもあるし、間食をせず食事は食事処や家でしっかり食べるものという概念があったため無用と思っていたのだ。


「匂いを楽しみ、軽く食べられるもの……」


 メルピアもソウタに聞けば解決するのは分かっている。分かっているのだがメイの……アノー家の料理人、アルモロのスタッフとして自分で考えたものを出したいというプライドもある。クッキーほどの衝撃は無理だとしても『考え様』に一泡吹かせたいと思っているのは事実であった。


「死ぬほど作ってやる……」


 先ほどメイに対していたとした表情と打って変わり眉間に眉を寄せ、自分のメモと向き合う。

 そのメモには自分の秘薬とも言える普通なら使木の皮や種、花に草やキノコを魔力を使って粉砕したり圧縮してエキスを取り出した特徴が書いてあった。

 メルピアにとって今回の旅は王都を楽しむ事でもレシピの改善ではなくからやり直し、それこそスパイスを作る旅になっていたのだ。


 結局三人とも昼食を取らないまま夕方になる、その時――


「メイお嬢様、いらっしゃいますでしょうか? 王宮から使いが来ております」


 外から聞こえるタンボの声に気づき眠りから覚めすぐに気がつくメイ。


「はい、大丈夫です。メルピア……」


「承知いたしました」


 メルピアが部屋全体に対象物清潔魔法クリーンアップをかけると、部屋のドアを開ける。


「――失礼いたします」


 ドアの前にいたのはタンボと今朝会ったライリであった。通常、王宮の使いで側近が動く事は非常に稀である。しかも、一般人が(と言っても、メイ達が宿泊しているところはそれなりのところではあるが)宿泊する施設に来るのは異例中の異例とも言える。


「これは、ライリ様いかがなされましたか?」


 メイが一礼をして質問をする。


「いきなりの訪問大変失礼いたします。ハンバ様からこちらの契約書にメイ様の署名をいただけとの指示がございまして……」


 ライリは王宮製の封書をタンボに手渡す。タンボは片膝で封書を受けメイに手渡す。


「契約の署名は本来契約者同士が揃わないと無効になるのではないのですか?」


「おっしゃる通りだと私も認識していますが……」


 どうやら持ってきたライリ本人もの事は初めてらしく戸惑っているようだった。


「メルピア、大丈夫です。まず中身を確認させていただきます。ライリ様このような所で大変申し訳ありませんが、少々お待ちいただけますか?」


「お心遣い感謝いたします」


 ライリはタンボが用意した椅子に腰掛ける。メイは腰掛けたのを確認すると封書の確認に入る……その間メルピアはお茶の用意をしているようだ。


「こちらをどうぞ……鑑定をしていただいてからお召し上がりください」


「重ね重ねありがとうございます」


 メルピアが出したのは、アルモロおみせで出している通常のお茶なので鑑定は必要ない。しかし、相手は王宮からの使者でしかも天才建築家ハンバの側近である。何か粗相があった場合に大問題になってしまう可能性があることは想像に難くない……鑑定をしてもらって飲んでもらうのが筋だろうと気を遣ったのである。


 ライリはライリで、このような事が初体験であるので失礼とは思いながら言われたまま鑑定をする。内心ここまでハンバが緊急に動くのが不思議でならず疑問しかなかった。ハンバは王宮でもでは動かない人で有名である。ちょっとやそっとの貴族からの提案には書面の段階で断りを入れたりする事も多く、彼女が動くものは王家直系の勅命に近いもの以外は殆どなかった。


「――これは……」


 先に声を挙げたのはライリであった。

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