第62話 インスタンス
ハンバはレギの毒味を待つことなくマグカップを手に持つとハーブティーを口に含んだ。
「――何これ! ほのかに甘くて美味しいわ!」
ハンバの中にあるお茶は、渋みがあって甘くないものという常識が覆される。
「お褒めにいただきありがとうございます。ですが毒味の順番は守られた方がよいかと存じますわ」
メイは一応釘を刺しておくことを忘れない。
「そんな悠長な事をしている間にお茶が冷えたらどうするの? しかも、こんな美味しいものを先に飲まれるのは癪に触るわ」
側近二名に対し、やや優越感が見える表情をしながら、もう一口ハーブティーを口に含むハンバ。どうやっても毒味をさせるつもりはなさそうだ。
「メイ様、大変申し訳ないのですが、同じものを我々にも提供していただけますか? 流石に毒味をしてないというのは……」
レギがメイに縋る様な目で訴えてくる。
「では、こちらの私が飲む予定のを使ってください。本来の毒味としては意味がないと思いますが、ハンバ様がこの感じですので……」
メイはテーブルに置かれたもう一つのマグカップを差し出した。レギはメイのマグカップから毒味用のカップにハーブティーを移し口に入れる。
――――時にして二秒程度だろうか、静寂が流れる。
ハンバは笑みを浮かべながらレギの毒味の様子を伺っている。
「――これは……」
レギは目を大きくし反応する。
「
レギの反応が気になり。ついメイは質問してしまう。
「……いえ、なんでもございません。毒味としては問題ないと判断いたします」
すると、レギの毒味で問題ないという判断を聞いていたハンバが口を開く。
「メイちゃん。気にしないでいいわ。彼女が思ったよりもずっと美味しかったのよ。レギがこんな反応をするなんて珍しいんだから!」
メイは『してやったり』と言わんばかりのハンバの言葉を聞いてレギに目をやる、すると確かに
「そうですか、てっきり何かあったかと……」
メイはホッと胸を撫で下ろす。本来毒味は毒の有無だけではなく、味の刺激の強すぎる場合に質問をしたり、明らかに不快感があるものから『
つまり毒味をする従者が『味が気に入られない』となったら
「それで、メイちゃんこれをどうするつもりなの?」
ハンバはハーブティーの匂いを嗅ぎならメイに質問をしてきた。
メイは毒味が問題なしという判定とハンバがハーブティーを口にした時点でビジネス的に『引き分け』状態だと思っている、問題はここからどうやって『勝ち』に持っていくかだ。
「はい。こちらのハーブティーは、チェリアの店では出すことはありません」
「あら? こんなに美味しいのに?」
「はい。我々はハーブティーと呼んでいますが、庶民にとって『お茶』というのは透き通っていて甘くないものという常識がございます」
「常識ねぇ……」
ハンバがつまらないとでも言いたげに首を振っている。
ハンバは常識に拘ることが嫌いだ。過去や歴史は大事にしなければならないが、常識に囚われすぎると未来の繁栄を邪魔することを数々の建築物を建ててきた経験として知っているからである。
「マグカップに関してはアルモロ及び系列店で扱う予定があるのですが、ハーブティーは作り方を含めて系列店にも伝えるつもりはありません」
「あら? そうなるとコレはどこで飲めるのかしら?」
(ここからが勝負になる……)
メイはハンバの目をしっかり見ながら答える。
「まずは、このハーブティーを『ハンバ様が気に入っていただけるか?』が知りたかったのです。我々は自信を持っていますが、
「そんなの聞かなくても分かるでしょう? 今、王宮で飲んでいるお茶を全てハーブティーにしたいくらいよ?」
ここまで
「ありがとうございます。しかし、ハーブティーを今のお茶の代わりにするのは避けた方がよろしいかと思われます」
「……なぜ?」
ハンバが明らかに不快だと言う表情でメイに詰め寄る。
「はい、最初に申し上げたと思いますが、このハーブティーはハンバ様が忙しく、なんとなく疲れた時に是非飲んでいただきたいのです」
メイは、ハンバの圧力をモノともしないで彼女が喜びそうな言葉を使ってしっかり答える。
「また、少し甘みがあるため食事中のお茶としては向かないこともありますので……是非、お仕事前・お仕事後などに飲む事をお勧めいたします」
これはハンバが特別だから言ったのではない、ハーブティーは通常のお茶と違い甘味がある。これは武器でもあるがスッキリ感で言うと通常のお茶の方が圧倒的に勝るにだ。特に脂っこいものを食べた後に牛乳入りのハーブティーは合わない。そういう意味でも食事中のお茶として用いるのはよくないというお茶のプロとしての判断なのだ。
「フフフ、メイちゃんもしっかり言うようになりましたね……分かりました」
ハンバの表情が一気に崩れる。なんとか乗り切ったようだ。
「それで、このレシピの対価は何を求めるのかしら?」
ハンバが再度緩んだ空気を締めるように圧をかける。
(ほら。やっぱり、気を抜けない……)
ハンバの言葉や表情の緩急の一つ一つが母と娘の会話ではなく、あくまで交渉の場である事をメイは肌を介して感じ取っていた。
「はい、実は私が父から受けついた店がありがたいことにやや繁盛しておりまして改築をしよ――」
「なるほど、では私がデザインいたしましょう」
(――っ、この流れはやばい)
メイは必死に会話の主導権を自分に戻そうと、少しだけ会話の切り返しのペースを上げる。
「いいえ、ハンバ様。たかだか小さなチェリアの街の一店舗のためにハンバ様がデザインなど滅相もないことです」
「何を言っているのです! かわいい私のメイちゃんが、折角私に頼みに来たのですよ?」
「いえいえ……それは流石に……予算のこともありますし。私共がハンバ様のデザインの建築費を出せる予算がございま――」
「私が出します!」
「……っ、それは、王様が許さないのでは?」
メイは正直苛立っていた。明らかにこちらの話を途中で切り上げて自分の良いように持って行こうとしている。
「――ハンバ様、失礼ながら流石に私費を投じるのは……」
メイの王様という言葉に今まで黙っていたライリが口を開く、流石に暴走がすぎると思ったのだろう。
「何を言っているのですか? ライリは毒味をしていないからそんな事を言うのです。このハーブティーはこの国の王族・貴族の常識を変える飲み物になりますのよ?」
ライリの静止が逆に着火剤になったかのごとく更に圧を込めるハンバ。
「そんなにですか?」
圧に対して屈してしまうライリ。
「貴方も飲んで見れば分かります。貴方に続いてレギが全く何も言わないのが証拠ですわ。後、今後の事を考えたら私の私財ではなく、建て替え費用全てを王宮から出すべきだと判断していますのよ」
(ヤバい。話が大きくなりすぎている)
メイは戦略を誤った。確かにクッキーという爆弾に対してハーブティーは『弱い』のかもしれないが、どちらにしても食や飲み物という常識をぶち破るものなのだ。ある程度「文化」や「風習」や「流行」の重要さを知っている者であれば、その価値は計り知れないと思うのは当然である。
「レギはどう思っているのかしら?」
冷静にレギに問うライリ。
「従者の私がこんな事を言うのは憚れるが、ハンバ様が言っていることは大袈裟でもなんでもない。今後王宮で来賓が来た際にこのハーブティーを出す事ができれば
レギは一切表情を変える事なくライリへの問いに答えた。
(……ソウタどうしよう。考えろ私! 考えろ! 考えろ! 考えろ!――)
メイは自分のコントロールできない状況を必死でどうにかしようと考えた。
「ハンバ様はハーブティーをどのように扱うおつもりですか?」
メイは苦し紛れにハンバに対して質問をする。ここから彼女の一挙一投足をしっかり判断して道を塞ごうと思ったのだ。
「そうね。まずはしばらく私だけの楽しみにするわね。そこからは仲の良い王族や貴族に対して見せびらかそうと思うわ。そして――」
事もあろうにハンバは自分より目上である王族に対しても「見せびらかし」をするつもりらしい。
ハンバはハーブティーの美味しさを再度噛み締めるように飲むと、再度口を開く。
「そして、痺れを切らした頃に王族から徐々に広めるわ。貴方の名前と一緒に!」
ハンバは何かを悟ったように目を細めて今後の展開をメイに語った。
(そういう事か……)
「それは困ります」
メイはココで一か八かの賭けに出た。
「どうして困るのかしら?」
ハンバは理解できないという表情でメイを見つめた。
「実は、このハーブティーを開発した者がいるのですが、その者との魔法契約で『私の名前』で広めることができないのです」
「あらあら、そんなことですの? そんなのお金を積んで変えてしまえばいいじゃないの?」
(……っ、この女……)
実母ながら金と権力の使い方にイライラしてしまうメイ。ただ、この場でその怒りを出すのは得策ではない。
「私は、その者に不義理をしたくありません。その者はハーブティー以外にも色々な可能性を秘めたものを作れる者なのです」
「――なんですって? そんな人が
ハンバはメイの言葉の真意を探るようにメイの目をしっかり見つめる。
(ぐう……ヤバい)
「紹介はできませんよ? これも魔法契約で決まっていますので……」
ソウタとの魔法契約でそんな事はやっていないが、メイだってソウタが本当に面倒臭がりでハンバと接点を持ちたくないのを知っている。メイは経営者として従業員ではないが彼との繋がりを持ち続ける為にもソウタを守らなければいけないのだ。
「えー。そんな逸材、王宮に来て、ちょっと見るくら――なるほど。そういうことね……」
(上手く引っかかった)
メイは先ほどの会話で「紹介しません」とは言わなかった「紹介できない」と言ったのだ。これを聞いてハンバならどう考えるか?。
――ハンバとは会えない。つまり理由があって王都に来る事ができない存在、そうなるとアノーかアノーの血縁者だと思ってくれるに違いない。
多分、このように考えるだろうと高を括ったのだ。
ハンバはマグカップをテーブルに置くと、目を閉じて暫く考え込む。緊迫した無言の時間がなんとも心地の悪さを感じる。
「――分かりました。では、王都のすぐ外にアルモロの王都店を出店しましょう! これは決定事項です」
ハンバはいきなり目を開けたかと思ったら、意味不明な決定事項をメイに対して突きつけてきた。
「「「はっ?」」」
あまりの突拍子のなさにメイだけではなく、その場に居たライリとラギも声を出してしまった。
(意味が分からない、意味が分からない、意味が分からない、意味が分からない、意味が分からない)
「ハンバ様、その……ちょっと……意図が余り分かっておらず……」
メイは正直に自分の心情をハンバに尋ねることにした。
「まず、チェリアの店の拡張は約束します。でも、その前に王都の門の外のすぐ近くにアルモロを……そうですね地下一階付きの二階建ての店を建てます」
どうやら、ハンバには店の場所だけでなく構造も既に決まっているらしい。さすが天才と言った所でだろうか。
「ハンバ様、それであれば王都の中でも問題ないのでは? なぜ王都の外なのですか?」
流石に主が『決定事項』と発言した事の真意は従者として確かめなければならないと、事情を知らないレギが当然の質問をする。
「えぇ、それには理由があります。まずこの『マグカップ』だけでも意味があるのはレギにも分かりますか?」
「は、はい。私の私物としても欲しいくらいだとは思っておりましたが……」
「メイちゃんのやる事は、マグカップなどを使って
メイはハンバの表向きの理由に納得できた。つまり王都に入る予定のない冒険者や王都に色々な事情があって入れない商人に対してもマグカップやハーブティーを見せつけろと言っているのだ。
「ハンバ様の意図は理解いたしましたが、治安が気になります」
メイは経営者として気になった事を言う。例え王都の門のすぐ近くであろうと王都の外である事実というのは変わらないのだ。
「だから、私がデザインするのです。私が建てたことを全面に押し出すのです」
ハンバは勝算ありという表情でニコリと笑ってメイを見つめた。
(確かに、
「それでも、冒険者が来るとなれば色々問題がおこりそうな気がいたします」
「大丈夫よ。メイちゃん! その辺は追々考えますから」
「は、はい……」
(あれ? この喋り方って既成事実として成立しちゃった感じかしら……)
「あと、このハーブティーのレシピはいらないわ」
「「「え?」」」
「ハンバ様、それでは何のメリットもないではないですか? それこそハンバ様の私財を投資するのと同じになりますよ?」
ライリが最もな指摘をする。
「はい。むしろ、私が私財を出して建てたという方が良いのではないかしら?」
「そ、それは困ります」
メイは予想外の展開に心のウチを正直に言ってしまった。
「メイちゃん私も伊達に修羅場は潜ってないのよ? あなた先ほど『ハーブティー以外』って言ったわよね? じゃぁ、ハーブティーよりもっと凄いモノが出てきた時に私は毎回買い取らなければならなくなるの?」
ハンバは口角を吊り上げて不敵な笑みを浮かべながらメイに尋ねる。
「……っ。それはあくまで可能性の話であって」
「まぁ、いいわ。今はそういう事にしておきましょう」
(負けた……完敗だ)
「ハンバ様。おっしゃる事は分かりますが、流石にこれだけのものを目の前にして何も得ないというのは……」
ライリの言う通りである。基本的に王宮の人物へ何か交渉をする場合というのは貢物を持っていくのが常識なのだ。
(この上、何を強請られるの? やはり来るべきじゃなかった……)
メイは交渉の場に着いたことを後悔しはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます