第3話 初期装備

 空腹に目が覚める、スマホを確認すると22時過ぎだ。スマホのライトを光原にして冷蔵庫の横にある棚からサラミの袋を開けて一枚口に入れる。


「ダメかぁ」


 冷蔵庫の稼働音など普段の生活であったノイズが全くない空間。念の為壁にある電池駆動の時計の針はしっかり進んでいた。


「電池製品は影響を受けてないから全ての電化製品が止まっているわけでもないし、時間という概念はあるんだな……」


 窓に少し目をやり、街灯がなく電柱も見えない光景に肩を落とす。僅かな希望とは思っていたが睡眠前と変わらない状況、何より電気のない状況は絶望的だ。

 こうなるとスマホという心のをどうにか延命すべく早々にベッドへ戻り電源をOFFにする。フライトモードでは意味がないのだ。


「どうするかな……明るくなったら外に行くべきか? いや行くべきだろうなぁ……」


 緩やかにに向かっている状況を考えると行動する以外に選択肢はないのだが、正直どんな服装でどのくらい散策をすればいいのかも分からない。

 異世界でなくともヨーロッパに転送されたとしてな動物が襲ってきたら怪我は確実だ。


「せめて、原チャリさえあればなぁ……」


 昨日の時点で分かっていたことではあるが、愛しの原付はこっちの世界には運ばれてこなかったようだ。


「ヘルメットだけあってどうすんだよ……」


 靴棚の上にあるヘルメットを思い出す。ただ、よく考えるとこれは立派ななのだ、有り体に言うのであればである。


「あれだな、今は家のある物で俺の攻撃力や防御力を上げるターンか……」


『早く日常に戻りたい』

『これは夢である』

『夢ならなんとなる』

『いやこれは異世界だ』

『異世界にしても酷い……』


 目の前のある現実と『現実を受け入れたくない』という思考がループする。

 一番可能性のありそうな異世界への移転をのが自然なのかもしれないがそれを感情が拒否する。


「王道パターンなら散策中に年下のヒロインに会って能力を買われてギルドに登録って…のが多いと思うんだけど俺のポテンシャルが明らかに日本人のモヤシのオッサンなんだよな」


 俺には同時に転生したクラスメイトもいないし魔王を倒すスキルもなければ、スローライフを楽しめるほどの生活力もない。


「こういう特殊スキルがない時は雑魚狩りをくらいやったりするんだよな。その経験値が後から効くパターンのヤツ」


 知っている異世界設定をアタマに思い浮かべるが、生憎努力するも分からないし、40才手前にして汗水垂らして筋肉を酷使する時間も取りたくない。


「高校の頃から楽譜じゃなく小説ラノベをもっと読んでおけばよかった……」


 結局寝れないまま外が明るくなって来たのでヘルメットを装備する。

『きっと防御力のパラメータが上がっている』と信じ込むことで決意が固まった俺は台所にあった包丁とパソコン修理で使うニッパー、非常用のライター、ライターのガスそして押し入れにあったのエレキベースをソフトケースに入れて外に出ることを決意する。

 エレキベースを選んだ理由は家の中にあるもので一番でかくてと判断したからだ。


「学生時代の俺が『楽器を武器に……』とか言ってたら漫画の見過ぎって白い目をしてただろうな……」


 有名ゲームになぞって文字通り革靴にするか迷ったがを重視した結果スニーカーを履く。虫よけスプレーを念入りにすると玄関のドアを開けて異世界への一歩を踏み出す。

 ……が、1分後俺は家に戻った。ビビったわけではない最高の武器『六弦ベース』がのだ。リュックタイプのソフトケースとは言え30代半ばを超えた体にはキツかった。

 ヴァイオリンやアコースティックギターのように中身がソリッドな弦楽器演奏者だが『木材は重ければ重いほどよい』みたいな傾向があり出音とは別に(中身が)がするというのは演奏者自体のテンションが上がる要素の一つになることが多く俺もそのだったからだ。


「せめて普通の四弦ベースにしておけばよかったな……」


 ソフトケースから本体を出し、押し入れのハードケースに戻すとギターに持ち変える。六弦ギターにしなかったのは『攻撃力』を優先したからだ。


「こう言う時ステータスが見えたら便利なんだろうけどなぁ……」


 家を出て自分なりに真っ直ぐ歩く、帰れないと怖いのでとりあえず家が見える範囲までということは決意していた。

 交通事故以上の衝撃でなければヘルメットがあればどうにかなるし、擦り傷程度であれば家に十年ぐらい前から使絆創膏がある。

 もし、ここが異世界で『結界』や『ワープホール』みたいなのがあって家から隔離されたらゲームオーバーそれまでだ。むしろワープホールで日本に戻してほしい。

 まぁ、今の俺の頭以外の部分の防御力を考えると隔離以前に何かに遭遇しても可能性しかない。


 しばらく歩くと違和感に気づく。日差しが強いわけでもないのに異常に目が疲れるのだ。


「緑色って目にいいとか自然って目にいいとか言わなかったか?」


 メガネをとって目の間をマッサージする。

 小学校高学年で両目0.5以下になっているの近眼である俺はメガネなしでは生きていけない。むしろこんな舗装されていない地面では裸眼だと怖くて歩けない。


 にしてもおかしいピントがのだ。


「異世界に来てアレかとうとう視力も失うやつか……」


 ネガティブ思考に磨きがかかるが命を失うほどではないダメージと割り切り視力を諦めて目を凝らしてみる。


「ん? ……」


 意外と見える……気がする。


「――というか視力落ちてるんじゃなくて上がってる??」


「いや、上がってるな! 裸眼で俺の靴しっかり見えたことなんてなかったもんな……」


 独り言でやりとりをすると、ネット通販で買った靴のつま先のがしっかり見えるこの状況に少しだけ嬉しくなる。


 異世界こっちに来て初めてのグッドニュースいいことである。


「お、これはもしかしてアレか? 視力がチート級で透視とかできちゃう系か?」


 前回ステータスは表示が、今回はちょっとパターンが違う。


「凝!」


 ………………


 何も起こらなかった。


「――なんだよ、メガネ使わなくなったのいいけどこれ何のギフトなんだよ……」


 40歳手前になって『凝!』なんて唱えたりする(正確にはやや大きな声を出してるだけ)というのは中々痛いが、この状況下では『四の五の言ってられない』というのがこちらの言い分だ。誰にも見られていないのに恥ずかしくなって一度帰宅する。

 イジけたのもあるが、冷静に考えると20年以上視力が何もしていないのに勝手に回復、否、しているということは身体の他の部分も強化されている可能性がある、これを確認する方が多分……きっと……絶対に自分のためになるはずだ。


 一瞬、視力回復記念としてメガネをその場で投げ捨てようとしたが、また視力がことを恐れてメガネを胸ポケットにしまうと草原に広がる一軒家へと踵を返した。


 ◇◇◇


 帰宅した俺は強化部分のテストをしたい心を落ち着ける為としてシャワーを浴びることにした。なんでも準備が大事なのだ。


「大体、水だけ出るって状況もおかしいわけよ、水さえあれば簡単には死なないとか言うけど……って裸眼でシャワー浴びるの便利すぎるだろ」


 20年以上に渡る『裸眼になると癖』が抜けないものの圧倒的な便利さにテンションが上がる。お湯を使えない不便はあるものの、この『視力強化』をきっかけに自分のが開花することで事が良い方に進展することを体全身で期待してしまう。

 と、風呂場の鏡を見た俺は違和感に気づいた。


「――白髪が減ってる? というか、俺、若返ってる?」


 若返ったというのには理由がある。30代中盤あたりを超えてくると意味のないところに毛が生えたり、白髪が増えたり黒子ほくろが増えたりしてこれが『老化か』と思っていたが、鏡に映った俺の顎に黒子がなかった。この顎の黒子は33歳ぐらいにできたが『それがない』ということは寝てる間に改造手術をされたか、勝手に取れたか32歳の顎になったと考えた方が無難だろう。

 しかも、白髪がなくなっているということは『若返り説』が一番濃厚なのだ。

 まぁ、オッサンや爺さんが異世界転生するとで若返りするという設定を思い出したというのが一番の裏付けなのだが。


 現状、風呂場で確認できるのは髪の毛、視力、顎の黒子の三点だ。他にも変化がある気がするが身体の感覚的に言うと20歳前半ぐらいの感じになっている気がする。


「だから、こういう時ステータス確認の魔法がなんだって……」


 今までの愚痴とは違いやや希望を持った独り言を言う。実際会社でも接する後輩が19歳と分かるのと25歳では全然気持ちが違う。


「視力が回復(強化)、年齢が若返るか……あとはなんだ……もしかして不老不死設定か? それかエルフ的なやつで長寿命になったとか……」


 残念ながら『シャンプーボトルを持った時に握り潰してしまう』ということもなかったので、力などが強化されている訳でないことは理解している。


「俺のほしい能力じゃねーじゃん。髪の毛も黒のままだし、やっぱりチートスキルがほしいわ」


 認識できた外見以外に目立った変化があるわけでもない状況だったが、このヨーロッパの状況になって少しだけポジティブなことが起こったため心なしか気力も上がってきている。

 尚、この気持ちの変化は黒子がなくなったとか若返りの効果が原因ではなくだ。裸眼の快適さといったら半端ねーから。


 のシャワーが終わると洗面台で体を拭き終え着替えを済ませる。ドライヤーが使えないので頭にタオルを巻き付けリビングに向かう。


 ここからは『強化』の確認だ。コップに水を注ぐと、ゆっくりと両手でコップを囲むようにし『念』を送ってみる……


 ………………


 何も起こらなかった。


『凝』のように声を出さないだけマシだったとも言えるが。


「まぁ、こういう特殊系じゃないんだろうなぁ……」


 学生時代はもとより幼少から特質して運動神経が良い訳でもなく『ザ・中の中』で生きてきた自分が肉体に対する『強化』の恩恵を受けているのは不条理さがある。簡単に言うと運動神経がよいなら特殊能力がなくてもよいが、至って普通の運動神経で生まれてきたのだから一つぐらい超能力的な何かがほしかったのだ。


『念』が使えない事が分かったので、特殊系は諦め物理的な身体の変化をもう一度確認してみる。

 燃えないゴミのゴミ袋にあったコーヒーのスチール缶を持ち出すと縦に思いっきり潰す実験をしてみる。手を切るのは怖いので頭に巻いていたタオルを缶に巻き付けて行う。


「う……ん……潰れないか」


 まぁ、風呂場のシャンプーボトルの件で分かっていたことだ。ただ、本気を出した時だけ発動するような事があるかもしれないと頑張ってみたのだ。


「肉体的な攻撃力が上がってないとすれば、あとは防御力と素早さか……」


『防御力のチェックってどうすればいいんだろう?』と悩んでいる時とりあえずコーヒー缶にしてみる。

 ギターをやっていた頃、握力のような『指を閉める行為より運動能力を鍛え方が楽器に有利』という説があり、暇があればデコピンの要領で指を鍛えていたのでデコピン力には自信がある。


『カンっ!』


 爪と金属がぶつかり鈍い音がする


「うん、普通に痛いな……」


 穴が開くこともなく(気持ち少しだけ凹んだ気がするだけの)スチール缶によって逆にダメージを受けた爪を見つめると防御力があがってないことも分かる。


「あとは、素早さか……」


 素早さの確認は走り回れば分かると思う。ただ20代前半の体を手に入れたと言っても持久力が上がっていると思えず、むしろ10代後半で既に持久力を俺がオリンピック選手並みのスピードを手に入れてたとしても転移魔法などが存在し得るかもしれない異世界でそれを活かせる職業が分からない。

 まぁ、仮に素早さの能力が上がっていたとしても走ると言う行為をのが大きいが。


「素早さで思いつく職業……盗賊? ちょっとモラルがなぁ……」


 など、善人っぽいことを呟きつつ


「とりあえず、外に出て走ってみるしかないよな」


 ゴミ箱にあったペットボトルを丁寧に洗うと水を入れもう一度散策に出かける準備をする。

 因みに包丁は流石になのと重さを少しでも軽減するために、カッターナイフに変えて外に出たことはある意味『経験値』とも言えるだろう。

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