第28話 当たり前じゃないこと 後編

 路地裏の治安というのは決して褒められたものではない。

この歓楽街のように、人の入り乱れの激しい場所では「明るみ」と「暗がり」の差も顕著だ。


 「暗がり」の住人の筆頭は貧しい浮浪者たち。

彼らの殆どは、以前まで普通に暮らしていた。

落ちぶれてしまう原因には多くの場合、憑き物による被害が絡んでいる。

自身の家や健康を損なって稼げなくなる、職場の経営者が殺された事で仕事を失うといったところだ。

 こうなると一日食い繋ぐ事すら難しい。同族から物を奪う者が出て来るのも無理は無い……追剥や盗賊のお出ましだ。

それもまた、彼らなりに生きる為の賢い選択の一つであり、徒党を組むケースも少なくない。

 防壁街も、ほんの少し廃屋街の方に目を向ければそういった「暗がり」が広がっていたから、俺だって知らなかったわけでない。

ただ、俺の根は所詮ボンボン。

そういうものとは無縁だという思い込みがまだ抜けていなかったらしい。

あろうことか俺は、そんな場所・・・・・寝落ち・・・してしまったのだから。




「痛ッッッてぇ!」


激痛を受けて最悪の目覚めを迎えた。

朝日を眩しく思う暇も無く跳ね起きると、背負っていた剣が無くなっている事に気付く。

そして、路地の先には棒状の何かを一本持って逃げる少年が居た。

盗人に背負っていた剣を勢いよく引っこ抜かれて、その拍子に背中が斬れたのだと理解した。

背中の傷は何とやら……絶妙な温度で皮膚の上を這う血が心地悪い。

鞘があれば結果は変わっていたのだろうかと思いつつ、大きな舌打ちを堪えられなかった。


「ざけんな、あいつ……」


とにかく、俺は全力で盗人を追う。

ドリフト諸島の上質な剣ともなれば工芸品として高値で取引されるのだろうが、

ローレンスから託された色んな意味で重いあれ・・を、そう易々と失ってたまるものか。

俺の体は依然ボロボロ……特に膝の裏や肺回りの筋肉痛が酷いけれど、相手だって俺より小さくてやせ細った子供。

執念深く追い回せば、捕まえられない事は無かった。


「ハァ、ハァ……ちょっと、待て! 悪かった、悪かったから――」


子供すら盗みを働かねば生きられないほど世は厳しいと思うと胸が痛くなるが、

相手の言葉には耳を貸さず、その足目掛けてダイブするように掴み掛かった。

俺たちは縺れ合って、近くに積まれてあった樽へ盛大に突っ込む。

盗人の少年は立ち上がるや否や、剣を諦めて「参った」と言わんばかりに逃げ去った。

これにて一件落着。


「やれやれ、今度は酒でビチャビチャだ」


俺は被ったビールを軽く払って、大剣を拾い上げた。

先程は激しく地面にぶつかったように思えたが、刃こぼれすらしていない。古いが、本当に頑丈な剣だ。



 俺が安堵していると、すぐそこの建物からやや色黒の若い女性が顔を覗かせた。


「何の音よ……って、ちょっと。これやったのあなた!? うちの店の商品なんだけど⁉」


女性は壊れた酒樽から流れ出すビールを見て怒鳴る。


「え……っと、これは違わないけど、違うんです!」

「だいたい、どうして剣なんて物騒な物持ってるのよ⁉ ねぇ皆助けて、不審者!」

「ちょっとストップ、ストップ! 俺はただ――」


弁解をしようと歩み寄ったのが良くなかったのだろう。

女性は思いの外果敢で、素早く俺の腕を掴み、地面に組み伏せた。


「――ウ゛。 もう勘弁してくれよ……」


既に満身創痍の俺は抵抗もできず、そのまま重たい目蓋を下ろした。


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