第29話 消えない傷

 俺が意識を取り戻すとベッドの上に居て、覚えの無い天井が目に映った。

古い板張りの天井だ。俺がもっと幼かったら、きっと木目を目で追う地味な遊びを開始していただろう。

でも、俺はまず周りを見渡した。

 終わりかけの夕日が差し込んでいるここは、ありふれた民家の中の大して広くない一部屋なのだと分かった。

続けて、ゆっくり上体を起こす。


「イテテ……」


背中の切り傷諸々がまだ痛むので、自分の体に視線を移したところ、

乾いた包帯が丁寧に巻かれていたり、ガーゼや絆創膏が貼られたりしてあった。


 間も無く、ガチャリとドアが開く……俺は思わずビクッとした。

入って来たのは、波打つブロンズ髪を長く伸ばした女性。

意識を失う前、俺を取り押さえた人とは違う。

背が高いので若干圧があるものの、こちらを害する雰囲気は一切伴っていないので一安心して良さそうだ。


「おぉ。起きたか、少年」

俺の介抱これ、あなたが? だとしたらありがt――」

「お門違いだ。感謝ならあっちに」


彼女は持って来た包帯の替えを一度据え置き、後方のドアを親指で差した。

続けて、そっちへ向かって大声で告げる。


「ジュリエッタ! 目ぇ覚ましたよ!」


間も無くバタバタという慌ただしい足音が近づいて来て、一人の少女が視界に飛び出して来た。

見た感じ同世代。

薄い金色のセミロングヘアは大人びているのに反し、その顔は子供っぽい。

とは言え、整った顔立ちの子だった。

こちらと目が合うと、さぞ嬉しそうに目を輝かせる――ただし、それはほんの刹那の間の話であり、次の瞬間には俺へ突撃して来た!


「お兄ちゃん!!!」

「ちょ、まだ傷が痛――って『お兄ちゃん』?」


…………おにいちゃん、

………………オニイチャン、

……………………ONIICHAN、


「は⁉ 俺が?」

「覚えてる? 私、ジュリエッタだよ」

「いやいやいや、はじめましてだ」

「髪型変えたせいかな? ほら、分からない?」

「知らないったら知らない!」

「小さい頃、超遊んだじゃん。一緒にお風呂入った事もあるし、将来はお兄ちゃんのお嫁さんになるって約束もしたよ⁉」

「存在しない記憶突き付けるのストップ‼」

「え、もしかして……記憶喪失⁉ そんな、お兄ちゃん……お゛に゛い゛ち゛ゃぁぁぁぁん!!!」


ジュリエッタと自称するその子は、しつこく俺に詰め寄って来た挙句、勝手に泣き出した。


「あ゛~、もう。せめて説明するか、こっちの言い分を聞いてくれよ!」


距離感がバグっているジュリエッタを引き剥がしながらそう言うと、彼女は涙を仕舞って前者の選択肢を実行した。


「えっと、私の幼馴染の男の子がね、行方不明だったの。そしたら今朝お兄ちゃん・・・・・が店裏で倒れてて……私のところに帰って来てくれたんだって思ったら超嬉しくって!」

「俺はお兄ちゃんじゃないぞ。その人の名前を言ってみなよ」

「クロード」

「ほれ見ろ。俺はルドウィーグだ」

「それが記憶喪失した後の名前?」

「しつこいな! 防壁街で生まれてこの方、俺はルドウィーグ! 君の言う線は無い!」

「えぇ……こんなにそっくりで他人なんて信じらんない。7年前とちっとも変わってない」


ジュリエッタは失った存在を確かめるように俺の指を撫で、どこか悲しそうに呟いた。

しかし、その数秒後。自身の発言を顧みるや否や、目を見開いて叫ぶ。


「7年経ってるのに外見が変わってない⁉ そんなのありえないわ!!」

「だから言ってるだろ」

「誰よ、アンタ!!!」

「えぇ……」


ジュリエッタの豹変する態度に閉口したところで、ブロンズ髪の女性にもようやく口を挟む隙がやって来た。


「さて、少年。ちょいと話があるから一階したまで来てもらうよ。ジュリエッタも」


彼女の顔はあまり穏やかなものではない事からも、嫌な予感がする。




 シャツに袖を通して一階に下りると、酒場というかレストランといった感じだった。

それも、開店前のきちんと片付けられた状態。

カウンター席に座らされた俺は、四人の女性に囲まれた。

ジュリエッタ、俺が起きたときに居たブロンズ髪のお姉さん、俺を取り押さえた色黒のレディ、初めて見る黒髪ショートの眼鏡ちゃんという顔触れ。

部屋の隅で一人酒を呷るオッサンも居るが、彼は関係なさそうだ。


「全員揃ったわね……じゃあ話を始めましょうか」


場を仕切るように口を開いたのは色黒のレディ。

ただ、眼鏡ちゃんがすかさず口を挟む。


「ねぇ、自己紹介しよ」

「そうね。先に済ませましょうか」

「ジュリエッタはもう済んでるらしい。取り敢えず、年長者としてあたしから行くよ」


そう言ってブロンズ髪のお姉さんが先頭を切った。


「あたしはヘーゼル。ちょいと煙草臭いかも知れないけど、大目に見てくれ」

「うん、さっきはどうも」


ヘーゼルとは軽く握手を交わした。

続いて、眼鏡ちゃん。


「ジーナって言うのぉ……えぇっと、何言えばいいかなぁ」

「それ、俺に訊くか?」


淡白な声とおっとりした口調。

少し不思議な感じだが、比較的物腰柔らかで馴染み易そうだ。


「まぁいいや。よろしくぅ」

「あ、こちらこそよろしく」


最後は色黒のレディ。

まだ俺を不審者として見ていてもおかしくはないのに、彼女は先刻よりもずっと柔らかい雰囲気を纏っていた。


「私はクロエ。この店で店長をさせてもらってるわ。ここに居る3人も店員よ。今朝は私も警戒してて、手荒になってしまった事を謝るわ。あなたが重傷人とは知らず……」

「いや、弁解はあるにしたって器物破損をやったのは俺だよ。なのに、介抱までしてもらって本当に感謝しかない」


俺が頭を下げてみせると、ジーナが小悪魔のような顔でクロエの二の腕を小突こづいた。


「ほら、クロエ。悪い子じゃなかったでしょ」

「もう、私が悪かったってば……」


その様子を見ていると、彼女たちも良い人であるのがすぐに分かる。

では、今度は俺が名乗るのが礼儀というもの。

しかしながら、俺は迷わずそうしていいのか、踏み止まらざるを得なかった。

防壁街の生き残りにしてバーグ砦からの脱獄者である事など、話せるわけがないうえ、名前という個人情報を晒せばこれからの逃亡生活にどんな支障が出るか分からない。


「俺は――えっと、」


そうだ、偽名を使おう。

咄嗟にしては妙案でなかろうか。

適当な男性名を思い浮かべようとすると、いつか母さんが言っていた父親の名前【ヨハン】が出て来た。


「ヨ、ヨハンって言います!」

「ヨヨハン?」


焦りが出て少し噛んだのをジーナが聞き返して来るものだから、俺は笑って取り繕う。


「ヨハン。ただのヨハン!」


ただ、この時点の俺には既に口を滑らせている自覚が無かった。

3人が「そうか、ヨハンか」と頷く中、ジュリエッタだけがキョトンとした顔で口を開いた。


「あれ、ルドウィーグじゃなかったっけ?」

「え、何でそれを――」

「さっきそこそこ声を大にして言ってたじゃない。『俺の名前はルドウィーグで、君のお兄ちゃんとは違う』みたいなこと」

「……あ」

「防壁街で生まれてこの方ルドウィーグなんでしょ?」


(おのれジュリエッタ、名前のみならず出身地まで! 何でそんな余計なところにだけ鋭いんだ……)


やましい事は無いのに、これでは皆の信用を失って不審者扱いに逆戻りしてしまう。

完全にしくじったと後悔しつつ、いぶかしむ視線を向けているであろう皆の顔を見た。


……皆の表情は、俺の見当と全く違っていた。


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