歓楽街 編

第28話 当たり前じゃない 前編

 バーグ砦が建っている山を下ってしばらく行くと、大きな街に辿り着いた。

地理的に考えて、ここは【スラターン歓楽街】だ。

噂には聞いていたが、月夜にも拘らず・・・・・・・

様々な店があざとい程に煌びやかな灯りをともし、歩道に溢れんばかりの人々が互いの合間を縫って思い思いの方向に歩いて行くのは、「異様な光景」の一言。

誰もが灯りの消えた家屋に籠り、夜を越す。生まれてこの方防壁街で暮らしていた俺からすれば、それが当たり前だったので、この街の雰囲気にはまだちっとも慣れないのが本音だ。

確かに、憑き物が出るような不気味な雰囲気はどこにも無いが、

一応、街頭掲示されてある条例の貼り紙を読んでみた。


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―スラターン歓楽街での条例―

・祟りの被害を十分に抑えられているこの街では、特別に月夜の外出も制限しない。ただし、街外れや森林付近は依然として危険であるため、立入を避けること。

・感染者についての報告や、憑き物についての情報提供に協力すること。


早急な病の根絶を実現する為、

以上の条例に対し、引き続き理解と協力を求める。

                             教会連盟 医療部門

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「えっ、条例二つしかないのかよ」


教会連盟が都合の良いように情報を偽っている可能性は大いにあるが、こういう場所がある事でドリフト諸島の経済が回っているのも事実。

ただ、『祟りの被害を十分に抑えられている』という文言が信用されているからには、きっと優秀な弔いが街を守っているのだろう。



 それはそうと、人混みに紛れる事ができるのは都合が良い。追われの身である俺からすると一安心だ。

殺処分される筈だった防壁街の生き残りにして、バーグ砦からの脱走者……見つかったらただでは済まない。

 今は目立たないように裏路地を歩いているものの、大通りには遊びに来ている兵士をちらほら見かける。

皆決まって酒や女に夢中で、こちらに気付く素振りすら無いとは言え、看守から奪った制服のままでいるのはマズいと気付いた。

 とりあえず、道端の共同井戸をお借りしまして体を洗い(水が冷たい……)、近くの家から洗濯物を拝借(ごめんなさい……)。

ただし、ズボンはブカブカで、シャツに限っては女物。

まぁ何とかなるし、捨てられてあった麻袋を即席のマントとして羽織り、剣を隠すのもバッチリ。それから、脱いだ看守服を捨てようとした時、ポケットから紙片がはみ出ていることに気付く。


「なんだこれ?」


折り畳まれたそれを開いてみると、押収品の中から見つけて持ち出した自作曲の楽譜だった。


「気付いて良かった。すっかり忘れてた」


また、同じようにもう一つメモ用紙があった。そちらも開いて見てみると、見慣れない筆跡の走り書きがあった。


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少年へ 歓楽街に居る義手の弔いを訪ねるといいよ♪

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このメッセージはレオンからだろう。

いつの間に忍ばせたのか俺が気付かなかったように、彼も急いで用意のだろう。その「義手の弔い」が何をしてくれるのかまでは不明だった。(♪を書く暇があったならそっちを書けよ)

実際に会ってみるしかなさそうだ。俺は二つの紙を丁寧にポケットにしまうと、早速その人物を探す事にした。




 ただし、失念していたのは楽譜だけではなかった。脱獄に成功した解放感が、極度の疲労と凍餒とうたいを誤魔化していたのだ。

体がだるいのには慣れて、無理矢理体を動かせば幾らでも力は絞り出せるような気がしていたのだけれど、いつしか立っているだけで息が浅くなるほどに悪化していた。そこから更に真冬の寒気が体温を奪い去り、強烈な飢えが追い打ちをかけ、身体は急速に限界へと向かう。

 俺は壁を背に、崩れ落ちるようにへたり込んだ。

表情筋すら弱ったその顔を横に向けると、ゴミ置き場が。明らかに自治体が管理しているものではない……その辺の汚物をただかき集めらただけ。

それでも俺は唾を飲み込んで近寄いた。


(何でもいいから食べたい……)


ゴミ箱の縁に手を掛けて、自分の体と一緒に引き倒した。ぶちまけられた屑を漁り、口に運ぼうとする。

その瞬間、何とか理性が甦った。


「こんなの、食えるわけ無い……」


俺はそう呟いて屑から手を離した。

こんなことなら、なぜ俺は獄中食に手を付けなかったんだろう……


頭がこんがらがって何も喉を通らなかった?

大切なものを奪った教会連盟の奴らから餌を与えられるのが耐えられなかった?


贅沢を言うな、自分よ。

あれは決してご馳走などではなかったが、人間に相応しい最低限度は満たしていた。

一方、今貪ろうとしたのは何か。


自問自答の結果を意識した途端、酷い腐臭に耐えられなくなった。



 これまで生きて来て、ひもじい思いなんてした事が無かった。毎日のように母さんが温かいご馳走を用意してくれた。

食べ物だけじゃない。服だって好きなものが着れたし、雨風に晒されたせいで風邪を引いた事も無い。経済的にも恵まれている方だった。

そんな安心でいっぱいの生活をしていれば、自然と平和ボケしていくもので、

恐ろしい月夜ですら、眠りに落ちればどうせまた翌朝が来ていた。正直、死の危険なんて他人事のような認識で居た。

でも、全ての当たり前は当たり前じゃなくなった。

失って初めて、自分の幸福と愚かさに気付かされた。


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