第4話 孤児院の悲劇 後編
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―防壁街での条例―
・月が出る日は門限を設定する。
連盟関係者以外は日没までに屋内に待避し、戸締りを徹底せよ。また、翌朝の日出までその状態を続けること。
・
・
・
・これらの条例に反した行為をする者を殺処分対象と見なす場合がある。
・感染者についての報告や、憑き物についての情報提供に協力すること。
早急な病の根絶を実現する為
以上の条例に対し、引き続き理解と協力を求める。
教会連盟 医療部門
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この条例の貼り紙というのは、庶民に向けて街頭に掲示されるものだが、この孤児院でも戒めという形で置いてあった。
「そんなもの今更眺めてどうしたの?」
クローディアは、自室のベッドで横になっているマーガレットに問い掛けた。
もうすぐ晩餐があるというのに、真面目な彼女が仕事をサボっているのにはそれなりの事情があるのだと察していた。
「これは暇潰しというか……ごめん、ついさっき急に体調が悪くなっちゃって」
「
「ううん、違うの。この頃、何だか疲れが取れないとは思ってたんだけど、それがどっと来たのかも」
「『いつも健全』って感じのあなたが珍しいわね……熱もあるみたいだし、薬を持ってくるわ」
「ありがとう」
クローディアは一度部屋を出て行った。
マーガレットは体が熱かった。
……全身が痒かった。
……頭痛や吐き気もしていた。
……痙攣まで始まった。
……息を吸っても吸っても酸素が足らない。
クローディアが水と薬を持って戻って来るまでの僅かな間で、彼女の容体は著しく悪化していた。
「ちょっと、大丈夫?」
「……」
彼女がベッドからずり落ちていたので、クローディアはひとまず水だけ飲ませて落ち着かせようとした。
しかし、マーガレットはコップを受け取るのを拒み、水を零してしまう。
「……外の、空気……吸いたい」
彼女はフラフラと立ち上がり、窓辺に縋り付くようにしてガラス戸を開けた。
冬の癖に生ぬるい空気が入って来て、カーテンがたなびく。
「マーガレット、もう月が出てる時間よ。戸締りはきちんとしなきゃ――」
クローディアの
重苦しいのにどこか耳障りの良い音につられるように、周りの建物に備え付けられた時計や家の中にある時計なども全て含めて、一斉に鳴り出した。
防壁街では慣れた光景とは言え、不吉な予感がしたクローディアは急いで窓を閉めようとした。
「ほ、ほら。今日はもう止しなよ」
「……」
反応が無い。
マーガレットの瞳は夜空に昇る青白い月を映し、微動だにしなくなっていた。
次の瞬間、彼女の背が伸びた――椎骨が順番に破裂したかのように、ボキボキと酷い音を立てて。
肋骨が勢い良く皮膚を突き破り、血も噴き出す。
全身の筋肉が肥大化し、衣類を引き裂いた。
ここまで来ると人体のバランスも崩壊。正しい位置を保てなくなった臓器が床にボトリと落ちた。
それには痛みを伴うらしく、本人は目を血走らせながら激しく喘ぐ。
そうして浅い呼吸を重ねる度に体毛が長く、濃くなって行った。
背筋を反らして、爪先立ちをするようになった。
爪を立てるように手を丸めて、体中を掻き毟った。
そして、月へ向かって吠えるときには口が大きく裂け、彼女の全貌は完全なる肉食獣と成り果てていた。
クローディアの悲鳴を聞いて、用心棒の男は二階へ駆け付る。その際、すれ違った少女には
「離れているんだ!」
と強く言った。
彼が槍を携えて事の起きた部屋に乗り込むと、部屋の隅で縮み上がっていたクローディアがすぐさま飛び出して来て、やがて黒い毛並みを自らの血肉で濡らした【熊狼】と相対する。
男は用心棒を務めるに足る勇敢さは持ち合わせている筈なのだが、尋常ならざる威圧感の前に思わず足が竦んでしまった。
熊狼は体長約2メートルとされているが、数字で表せない何かがずっと大きく見せる。「逃げろ」と、本能が恐怖を以て訴えているのだ。
これがついさっきまでよく知った人の姿をしていたという事実もまた、男の覚悟を狂わせる。
そして何より、何を考えているのか分からない。
理性無き完全な獣なのだから、いつどのように襲い掛かって来るか想定できない。
今は瞳孔の無い瞳で男を睨みながら、牙を覗かせるようにゆっくりと口を開閉している。その度に荒い息と唾液が吐き出されていた。
様子をうかがっている間にも恐怖は蓄積し、膨れ上がる……滝のような汗を流し、プレッシャーに堪え兼ねた男は、情けない雄叫びを上げて熊狼に挑んだ。
初撃……彼は思い切り槍を突き出したのだが、何と、熊狼は避けずにむしろ突進して来た。
肩に槍を掠めても怯まず、男の足を鋭い爪で刺した。
そのまま床に押し倒し、瞬く間に組み伏せる。
首に噛み付かんとする熊狼に対し、男はその顎に槍の柄を挟む事で何とか耐えていたが、しきりに振り回す両手の爪までは防御できず、みるみるうちに追い詰められて行く。
「クソッ! 誰か……助けてくれ!」
憐れに助けを乞うても、応えられる者はここに居ない。
彼はそのまま血塗れになって弱り果て、槍から手を放してしまった。
熊狼はここぞとばかりに男の喉に牙を突き立てる。
「ギャアアアアアアアアアアアアアッ!」
純粋な痛みによる金切り声を耳元で聞いている筈なのに、熊狼は気にも留めず、首の肉を引き千切ってクチャクチャと美味そうに飲み込んでしまった。
「ア゛ッ、アアアアアァ……」
男が息絶えると、熊狼は次の獲物を探しに血赤に染まった部屋を出た。
それからは本当に地獄絵図。
まず、騒ぎに気付いて部屋から出て来たマザーが一瞬にして頸動脈を裂かれ、凄まじい血飛沫を上げて絶命。
一階で晩餐の支度をしていた孤児たちも年上・年下問わず大パニックに陥って、その間に熊狼が来てしまった。
銀髪の少女はその直前に状況を説明しようと試みたのだが、よそ者である彼女の言葉に誰も耳を傾けようとしない。
熊狼はテーブルをひっくり返し、椅子を踏み潰し、ご馳走も全て床にぶちまけた。
見境無く暴れ回るうちに照明は壊れ、蝋燭なども殆ど床に落ちてしまい、孤児院は闇に包まれる……子供たちはそこから次々と虐殺された。
暗中では熊狼の目が一対の光点となって浮かんでおり、それが荒ぶる度に人の肉が千切れる音と断末魔の悲鳴が響くのだ。
銀髪の少女は、他の子供たちが逃げ惑った末にあっさりと殺される様をただ見ている事しかできなかった。
(これが、『ツキモノ』……)
クローディアは孤児たちを囮にして生き残っていたが、自分が最後になると血走った目をして少女の胸倉を掴み、息も整わないまま怒鳴りつけた。
「あんたがぁ、あんたが病原体を持ち込んだのよ‼ もうっ……、こんな事ならさっさと殺しておけば良かった!」
彼女は最後の一言を吐き捨てると同時に、少女を熊狼の方へ突き飛ばし、自分はおめおめと逃げようとする。
ただ、熊狼の機嫌は思い通りにならず、残念ながら先に殺されたのはクローディアの方だった。
少女は突き飛ばされた後、尻餅を搗いたままへたり込んでいる。
クローディアの生臭い血が顔に降り掛かろうとも動けない。
クローディアが言い放った最後の言葉には、人間が抱く剥き出しの憎悪と敵意が籠っていた。
少女はそのショックで心身共に縛り付けられてしまっていたのだ。
・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――
熊狼、クリーチャービジュアル
https://kakuyomu.jp/users/yuki0512/news/16817330667359710758
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