第5話 贈り物
聖誕祭は確かにありがたい休暇ではあったが、俺にはこの御馳走が特別な物に感じられない。仕事の合間を縫って用意したそれらは豪華な雰囲気に見合った格別な味だが、それ以上に二人きりで過ごす空気が味気無い。向かい合うアシュレイは楽しそうにしているが、きっと俺の為に取り繕っているのだろう
……仲が険悪になっているわけでは決してない。ただ、何年も一緒に制限された生活を送っていると、どうしても新鮮味は失われていくのだ。特に今日のような、元々話すのが下手な俺が沈んだ気分でいるときは尚更。アシュレイにも気まずい思いをさせてしまって申し訳無い。俺たちは沈黙を破ることができず、その空間には食器を動かす音だけがあった。
残るはデザートくらいになった頃、中心街の方が騒がしい気がして、俺は窓の外を見た。
見覚えのあるレンガ造りの館で、小さな火事が起きているのが見えた――孤児院である。
俺は今朝あそこに置いて来た少女のことが真っ先に頭に浮かんだ。
仕事としての義務感もあるが、それ以上に彼女が心配で、すぐ向かうことにした。
「……アシュレイ、すまん。留守を頼む」
帽子とコート、大剣だけ持つと、俺は一言残して外へ出た。
「あ、ちょっと師匠! ケ―キどうするの⁉ はぁ、全く……」
条例で定められた門限はもう過ぎているので、野次馬一人居ない。お陰で最短・最速で孤児院に辿り着いた。
現場の状況ならば、来る前から予想がついている……施設内で誰かが憑き物になったのだろう。憑き物は火を嫌う習性があるので、照明や燭台を蹴散らす事がよくある。今回はそのまま火事に繋がった例だ。
そして、妻子を失った事件とよく似た状況だった。十年以上も前のことだが、俺にとっては一生のトラウマ。
しかし、だからこそ、今度こそ誰かを――銀髪の少女だけでも助けたいと思い、俺は火の中に飛び込んだ。
とは言え、基本がレンガ造りという事もあって火の手はそれほど酷くない。早いうちに生存者を見つけてしまおう。
手始めに二階から調べると、修道女と男がそれぞれ一人……いずれも苦痛に歪んだ表情のまま完全に息絶えていた。
また、男が死んでいた部屋の窓辺には、はち切れた服や人の臓器が散らばっていた。誰かがここで祟りを発症したのは間違いない。俺は駆け足で一階へ下りた。
一階は単純な間取りだったので、出火元がダイニングルームである事まで分かった。
が、その周りだけで数十人は子供が殺されており、少なからず胸が痛くなった。床を染める血は、赫々たる炎に照らされて、景色がとにかく赤く見えた。
「これは……黒髪か」
それらしい女の遺体を一つ一つ調べて回ったが、どれも銀髪の彼女ではないので、俺は仕方無く憑き物の捜索を優先する。
窓を割って外に出た形跡は無く、血を踏んだ足跡もまだ新しいので、この屋内に息を潜めているのは確かだ。
では、どこに行ったのか……一階の中で、まだ火の手が届いていない場所に絞られる。すなわち、水回りだ。
台所は先程確認した。便所という線は薄い。
「風呂場か」
大剣を構えて進んで行くと、やはり憑き物(熊狼)の後ろ姿があったのだが、それと同時に銀髪の少女が目に映った。たった一瞥でも間違えようが無い。
熊狼は仰向けの少女に
また、少女の右腕には既に大きな傷があり、赤黒い血が滴っている……彼女は声も出せない状況で悲痛に耐えていたのだ。
そして、
助けて……
次の瞬間、熊狼は少女に牙を剥いた。
俺はそれより速く、熊狼の喉を貫いた。
あまり惨いことはしたくなかったが、少女を救うには奴を即死させる他無かったのだ。
俺は熊狼に刺さったままの愛剣も放り出して、彼女を強く抱き留めた。傷ついたこの子を一刻も早く慰めてやらねばと、思っていたから。
少女もこの時気付いたのだろうか。自分を拾い上げ、手放し、また目の前にいるのがこの俺だという事に。彼女は細い腕で俺を抱き返し、胸倉に顔を
「もう……見捨てないで下さい」
その言葉は俺の心を強く揺さ振り、過去を思い起こさせる。
(……俺なんかがまた、親になって良いのか?)
その自問に答えも出ないまま、衝動のままに今一度少女を抱き締めた。
燃える孤児院を後にしてしばらく。俺はまだベールの下で泣きそうになっていたが、夜空の方が先に氷の涙を流し始めた。
また、少女は申し訳無さそうに俺から少し離れて、何度かくしゃみをしている。彼女の服装は旧診療所に連れ帰ったとき、アシュレイが仮として着せた薄いローブ一枚のままであり、さぞ寒いことだろう。
「少し待て」
俺は彼女にコートを被せてやろうと袖を抜いた。
が、流石に大き過ぎる。代わりに丁度良い物は無いか迷っていると、自分のマフラーが目に留まった。それは剣よりもずっと大切な品だったが、首から解いて少女を
それから彼女の足元を掬い上げるように抱いて、
「帰ろう」
とだけ言った。
聖誕祭の夜、俺への贈り物は「娘」だった。この穢れた手には余りあるほど貴く、
旧診療所に戻って来た者は一人増えていたわけだが、アシュレイも快く迎え入れ、少女の右腕の手当てを請け負ってくれた。
それが済むと、俺は改めて彼女に歩み寄る。彼女は「素顔も見せない黒尽くめの大男」に対して恐れる素振りもせず、上目遣いにただ見ている。俺は膝を折って視線を合わせた。
「傷は大丈夫か?」
「はい」
少女は首を縦に振った。その素直な反応が可愛らしくて、俺はその頭を丁寧に
(まだ赤子だったあの子が生きていたら、この子くらいだろうか)
そう思うと、長い間心の奥底に溜まっていた涙が枯れるほどの哀しみと、やるせない悔しさが濃厚な痛みとなって込み上げて来る。
これまでなら、その痛みが俺を死にたい気分にさせて終わりだったが、今回だけは違った。
(替わりにせめてこの子を幸せにしてやれたら、俺はどれほど救われるだろう)
俺は
俺は少女の前でピクリとも動けず、その間葛藤した。
だが、結論は予定よりも早く出た。
罪滅ぼしでも、わがままでも、偽物の愛情でも……不純な動機がこの子を見捨てる理由にはならない。もう二度とそんな真似はしたくない。
俺はようやく顔を上げると、少女と真っ直ぐに視線を合わせ、落ち着いた声で言い聞かせた。
「シルビア……これがお前の名前だ」
こうして俺は、シルビアにその名前とあのマフラーを贈った。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「防壁街第二孤児は半焼。職員・児童共に全員死亡だ。……唯一見つかっていないのは、連絡があった娘さね」
「そうか……」
「また儂が探って来れば良いのか?」
「いや、その必要は無い。歯車が動き出すのもまだ先だろう。それに、目星は付いている……これも巡り合わせだ、ローレンス。君の好きなようにしたまえ」
・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――
黒い影のベ―ル
古い弔い、ロ―レンスが被る黒いベール
外側から顔が見えなくなってしまう
普段はフ―ドと共に、狩りではハットと共に身に付けるが、
家族同然の弟子の前でさえ彼がそれを脱ぐことは無い
「無能風情があの人に合わせる顔など無い」のだと
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