第5話 贈り物

 聖誕祭はローレンスにとってもありがたい休暇ではあったが、彼は晩餐を味気無く思っていた。

仕事の合間を縫って用意したご馳走は豪華な雰囲気に見合った格別な味だが、沈んだ気分が全てを塗り潰しているのだ。

元々彼は口数が少ないのに、アシュレイも黙っている……先の件で本音を吐き出し、少し気まずさを感じているのかも知れない。

二人はただ静寂を保ち、部屋には食器を動かす音だけがあった。



 残すはデザートのみとなった頃、ローレンスは中心街の方が騒がしい気がして、窓の外を見た。

幸い、近くは背の低い建物が多く、遠くまで見える。

騒ぎの原因は火事で、燃えているのは記憶に新しいレンガ造りの館――孤児院だった。

ローレンスは、今朝そこに置いて来た少女のことが真っ先に頭に浮かんだ。

憑き物絡みの事件である可能性から、弔いとしての義務感も生じるが、

それ以上に銀髪の少女が心配で、すぐ向かう事にした。


「……アシュレイ、すまん。留守を頼む」


帽子とコート、大剣だけ持つと、彼は一言残して外へ出た。


「あ、ちょっと師匠! ケーキどうするの⁉ はぁ……行っちゃったよ、全く」




 条例で定められた門限はもう過ぎているので、野次馬一人居ない。お陰でローレンスは最短・最速で孤児院に辿り着いた。

現場の状況ならば、来る前から予想が付いていた……施設内で誰かが祟りを発症したのだ。

憑き物は火を嫌う習性があるので、照明や燭台を蹴散らす。そのまま火事に繋がるのはよくある事だ。

15年前、ローレンスが妻子を失った事件もよく似た状況だった。

それは、全てを奪い去った最悪のトラウマとして彼の心に刻み込まれている。

しかし、だからこそ今度は誰かを――銀髪の少女だけでも助けたいと思い、彼は火の中に飛び込んだ。


 基本がレンガ造りという事もあって火の手はまだそれほど酷くない。早いうちに生存者を見つけるのが得策だ。

ローレンスは手始めに二階から調べる……修道女と男がそれぞれ一人、いずれも苦痛に歪んだ表情のまま完全に息絶えていた。

また、男が死んでいた部屋の窓辺には、はち切れた服や人の臓器が散らばっていた。ローレンスはそこが発症の現場だと確信した後、駆け足で一階へ戻る。

 一階は単純な間取りなので、出火元がダイニングルームと見て間違い無い。

周辺では数十人もの子供が殺されており、流石のローレンスも胸が痛くなった。

床を染める血は、赫々たる炎に照らされて、景色がとにかく赤く見えた。


「これは……黒髪か」


彼はそれらしい女児の遺体を一つ一つ調べて回ったが、どれも銀髪ではないので、仕方無く憑き物の捜索を優先する。

内側から割れた窓は無く、血汚れとして床に残る足跡もまだ新しいので、外に出てはいない。

潜んでいるとすれば、それはまだ火の手が届いていない水回りに絞られる。

台所は先程確認済みで、便所という線は薄い。


「風呂場か」



 ローレンスが大剣を構えて進んで行くと、やはり憑き物(熊狼)の後ろ姿に行き着いたのだが、それと同時に銀髪の少女が目に映った。

たった一瞥でも間違えようが無い。

熊狼は仰向けの少女にし掛かり、今にも噛み付きそうな距離で唾液や呼気を吹き掛けている。

また、少女の右腕には既に大きな傷があり、赤黒い血が滴っている……彼女は泣きそうな表情のまま、声も出せない状況で悲痛に耐えていたのだ。

そして今、ローレンスの姿をを認めるや否や、視線で強く訴え掛けて来た。



 助けて。



次の瞬間、熊狼は少女に牙を剥いた。

     ローレンスはそれより速く、熊狼の喉を貫いた。

惨い殺し方は避けたいところが、少女を救うには熊狼を即死させる他無かったのだ。

ローレンスは倒れ込む熊狼を退け、自身の愛剣すら二の次に、少女を起こして抱き留めた。


「よく頑張ったな……もう大丈夫だ」


その言葉を聞いた少女の美しい瞳からは、大粒の涙が溢れ出す。


「ひとまず外に避難するぞ」

「……」


少女は小さく頷いた。



 火事の心配の無い場所まで来ると、ローレンスは少女を地面に下ろしたのだが、彼女は離れようとしない。

少女は抱き留められた際に悟ったのだ……自分を拾い上げ、手放し、また目の前にいるのがローレンスこの男だという事に。

それから、彼の胸倉に顔をうずめたまま言った。


「もう、見捨てないで下さい」


その言葉はローレンスの感情を強く揺さ振った。

アシュレイが言ってくれた「あなたは立派な父親です」という言葉も重なって、彼の心の錆がボロリと落ちる。


(……俺なんかがまた、親になって良いのか?)


ローレンスは先程まで何の迷いも無く少女を抱いていた手を、今になって思うように動かせない――抱き返せない。


(俺は本当にこの子に触れても良いのだろうか? 彼女の想いに応える資格があるのだろうか?)


彼が葛藤の中で涙を零しかけた寸前で、夜空の方が先に氷の涙を流し始めた。

また、少女は何度もくしゃみをし始めた。

彼女の服装は仮として着せられたであろう薄いローブ一枚のままであり、さぞ寒いことだろう。


「少し待て」


ローレンスはコートを被せてやろうと袖を抜いたものの、流石に大き過ぎる。

代わりに丁度良い物を求めていると、自分のマフラーが目に留まった。

それは彼にとって愛剣よりもずっと大切な品だったが、思いを決めて首から解くと、少女に巻いてやった。

それから手を繋ぎ、


「帰ろう」


とだけ言った。


 聖誕祭の夜、ローレンスへの贈り物は「娘」だった。

彼が思うに、自らの穢れた手には余りあるほど貴く、欠け替えでしかない・・・・・・・・・贈り物だった。




 旧診療所に戻って来た者が一人増えていてもアシュレイも快く迎え入れ、少女の右腕の手当てを請け負った。

それが済むと、ローレンスは改めて少女のもとに歩み寄る。

彼女は素顔も見せない黒尽くめの大男に対して恐れる素振りもせず、上目遣いにただ見ている。

ローレンスは膝を折って視線を合わせた。


「傷は大丈夫か?」

「はい」


ローレンスは首を縦に振る素直な反応を可愛らしく思い、少女の頭を丁寧にさすってやった。

彼女はちょっぴり身を縮めて、さぞ嬉しそうに微笑む。


(まだ赤子だったあの子が生きていたら、この子くらいだろうか)


 ローレンスが今は亡き娘のことを思い出すと、長い間心の奥底に溜まっていた涙が枯れるほどの哀しみと、やるせない悔しさが濃厚な痛みとなって込み上げて来た。

これまでなら、その痛みが彼を無力にして終わりだったが、今回だけは違う。


(替わりにせめてこの子を幸せにしてやれたら、俺はどれほど救われるだろう)


ローレンスはあの日・・・からずっと、小さいながら何よりも重い娘の棺桶を引き摺っていた。

いや、むしろ彼が棺桶につながれて、靴底はずっと同じ場所の地面を削っていたと言うべきか。

そして今、ようやく新しい地面を踏み締める事ができた。

その一歩があくまで罪滅ぼしやわがままでしかないのは、彼も自覚している。

それでも、ローレンスの中で不純な動機というのは少女を見捨てる理由にはならなかった。

もう二度と、そんな真似はしないと誓ったのだから。



 ローレンスはようやく顔を上げると、少女と真っ直ぐに視線を合わせ、落ち着いた声で言い聞かせた。


「シルビア……それがお前の名前だ」


少女への贈り物は「シルビア」の名と、先んじて受け取ったあのマフラーだった。

シルビアがこの意味を知るのは、随分と先の話である。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「防壁街第二孤児院は半焼。職員・児童共に全員死亡だ。唯一見つかっていないのは、連絡があった娘さね」

「……そうか」

「何せ、あの男・・・が持ち去ったんだから」

「まさか――」

「その『まさか』さ」

「ハッハッハッハッ……あぁ、これも巡り合わせだな。

……ローレンス、歯車が動き出すのはまだ先だ。それまで君の好きなようにしたまえ」






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 黒い影のベール

古い弔い、ローレンスが被る黒いベール

外側から顔が見えなくなってしまう

普段はフードと共に、狩りではハットと共に身に付けるが、

家族同然の弟子の前でさえ彼がそれを脱ぐ事は無い

「無能風情があの人に合わせる顔など無い」のだと

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