第16話 火の聖誕祭 中編
マリアが礼拝堂の近くまで来ると、宗教施設特有の重厚な正面扉は既に閉まっており、内側から錠が掛けられているようだった。中には入れなかった人々は未だ群がって、開きもしない扉を必死に叩いて叫んでいる。
「頼む! 入れてくれ、もうすぐそこまで火が来てるんだ! 焼け死んじまうよ!」
その様子を見兼ねたマリアは早速彼らに向かって言った。
「中に入れば余計に危険です、スクルド川に逃げなさい!」
「で、でも――」
「ここだって当然燃えます。さぁ、早く!」
「わ、分かった!」
良く通る大きな声を以ってすれば、説得にそう時間は掛からなさそうだ。
「さて……」
堂内に入れずにいた彼らが行ってしまうと、今度は礼拝堂の裏口から中に入った。教会連盟関係者だった姉のお陰でその存在を知っているのである。隠し扉を出ると丁度祭壇の裏にあたる所だった。
そこからでも群集の気配がする――それも、ギュウギュウ詰めになるまで集ったおびただしい数の人間。実際に目視した結果、マリアの感覚は間違っていなかった。取り敢えず、彼女はこの場の責任者である神父に声を掛ける。
「神父様!」
「あなたは……ユリア殿の妹さんではありませんか」
「お久しぶりと言いたいところですけど、この状況は?」
「外の様子に気付いて、私はここを閉めようとしたのですが、多くの方々が避難所としてここを頼り、対処に困っている間にどんどん集まって来てしまって……とても断れる状態ではなかったのです。私だけ逃げるという訳にもいきませんし」
「分かりました」
押し掛ける群衆7の相手をするのがそう簡単でないのは察するが、彼らの為にもむしろ受け入れはするべきではなかった。生死を左右する判断を迫られたというのに、弱気な方向へ倒れてしまった神父の無能ぶりに呆れつつも、マリアは大きく息を吸って、目の前に居る人々に向かって呼び掛けた。
「外に出て、川に逃げて下さい! ここは直に燃えます!」
すると、彼らの中の何人かが反論する。
「ここなら、きっと神様が守って下さる。皆で祈れば、きっと救われる」
神父に続いて、今度は信者がマリアを呆れさせる。彼女は冒涜的かとも思ったが、この際キッパリ言ってやった。
「こんなときすら神頼みでどうにかなると思っているだなんて、おめでたい人たちですね。 仮に生き残ったとしても、こんなに密集していると伝染病に罹りますよ⁉ さぁ、出て!」
能天気な信者の連中は随分怒った様子でマリアに罵声を浴びせようとしたが、彼女の説得に応じた群衆の大部分によってその動きは遮られた。彼らはまだ騒めきつつも、外に出ようと少しずつ動いている。
ただ、マリアは既に焦りを感じていた。自分が礼拝堂に入る前の様子から察するに、ここまで燃え広がるのにそう時間は掛らない上、先程から建物の燃焼音がかなり近くから聞こえるのだ。
そう心配していた矢先、突如として天井がバキバキと音を立てて、シャンデリアが落下した。真下に居た人々は皆鋭い悲鳴を上げて頭を覆い、思わずうずくまる。彼らの命はもう果てたかに思われた
――が、首の皮一枚繋がったというか梁の一本が何とか耐え、酷いバランスなりにシャンデリアは宙ぶらりんを保った。シャンデリアは左右に大きく振れ、壊れた部品を人々の頭にばら撒いている
「し、死んだかと思った」
「私も……」
「は、早く逃げましょう!」
人々は冷や汗を拭い、再び動き出した
――その瞬間、シャンデリアは崩落した。逃げ場の無い満員の堂内で、下に居る人たちがそれを避けるのは不可能だった。
巨大で、煌びやかなシャンデリアの落下。それは人間を即死させるには十分過ぎる威力だった。轟音と地響きの後、生き残った者が目を開けると、遺体から浸み出る赤い液体が床の彫刻を辿るようにツーっと流れ込んでいた。直撃は免れ、だが体を押し潰されている者もいるのだが、そのまま火事に巻き込まれて行く。生きたまま焼かれる激痛に叫び、藻掻いている。しかし、その絶望的な光景に拍車を掛けるように延焼は進み、次々に細かい瓦礫も振って来た。
「逃げろ!逃げろーっ!」
誰かの声が合図となり、堰を切ったが如く大混乱が起きた。正面の大扉は錠の仕掛けで閉まって居るのに、前の者を圧迫してこじ開けようとする人の波が出来ている。統率も誘導も無しに大量の人間が一斉に暴れて、建物全体さえも軋(きし)んでいる。
「痛い! 潰れる!」
「押すんじゃねえよ、お前!」
「私じゃない!」
「苦しいよ、助けてママ!」
マリアも
「待って、皆落ち着いて! 今扉の錠を外すから!」
と叫んだが、地獄絵図のような混乱は収まらない。それどころか、また新しく誰かの声が飛んだ。
「さっきの人が反対から入って来るのを見たぞ!」
「裏口が在るんだ!」
「あっちだ!」
それを聞きつけた人々が情報に操られるようにして、今度は祭壇の方へ突進して来る。
『己の身を守る為にだけに、人は暴徒と化す。自らの命に関わるとなれば、他者を殺す程の狂気じみた生存本能が働くだろう』
マリアは最近自分の店に置いた本の中に、そんな一節があったことをふと――けれど鮮明に思い出す。そんな走馬灯は、我先にと血眼になって押し寄せる群衆の波に飲まれ、磨り潰された。
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