第16話 火の聖誕祭 後編


 結局、ルドウィーグはマリアを置いて先に行くことはせず、別れた河川敷の辺り――少なくとも礼拝堂の様子が見える範囲で待っていたのだが、礼拝堂の屋根が大きく焼け落ちたのは彼にも見えた。その時、ルドウィーグの心の中に淀んでいた心配が心配を通り越し、居ても立ってもいられなくなった。


 ルドウィーグは途中、多少の人とすれ違ったが、息をするのも忘れたように礼拝堂まで駆け付けると、奇妙な光景が広がっていた。正面扉も裏口もだだ開きになっており、辺りの地面一体には踏みつけられた土嚢のようなものがおびただしい数敷かれている。


「静か? だな……」


ルドウィーグは不自然に思って、現場に近付こうと一歩踏み出す。だが、靴底は硬く平らな石畳を踏み締めることはなく、確かな形はあれどもブニブニした何かと接触した。


「?」


ルドウィーグは足を退かしてそこを見る。

倒れ込んでいる人だった。


「あぁ、ごめん! ……大丈夫?」


ルドウィーグは咄嗟に謝るが、反応が無い。これもまた不自然に思い、うつ伏せになっているその人を恐る恐る裏返してみた。


「うわぁッ!!」


何をされたらそうなるのか想像もつかないほど醜く潰れた顔が目に飛び込んで来た。当然、そこに最早意識は無く、慌てふためいた。また、彼の勘がまた一つ推測をしたので、ルドウィーグはもう一度辺り一面を見渡した。


驚愕の事実に彼が目を見開くと、立て続けに肺が詰まって塞がったかのような息苦しさと、耳鳴りまで伴う頭痛が襲って来る。食道の辺りをうろうろして出て来ない絶妙な吐き気がまた、不快感を底上げしている。


土嚢のように見えたものの全てが人だったのだ。その全てから呼吸音すらせず、体に火が着いても動かないのは、それらが死体の山である証……群衆雪崩だ。

ルドウィーグは凄まじい衝撃を受けて呆然としていたが、我に返ると真っ先にマリアの心配が頭の中を満たした。半泣きの気持ちになって死体を掻き分け、それらしい女性を片っ端から確認していく。正直悪い予感しかしていなかったが、彼女が無事であることを強く願う他なかった。


(今なら皆が神に祈る気持ちも分かる……)


そんな風に考えていると、煙で霞んだ向こう側に三つの人影が動いているではないか。


「!!……母さんだったりするかな?」


仮にそうでなくとも助けてくれると思い、ルドウィーグは駆け寄ろうとしたが、その一歩目から太った男の死体に躓いた。死体の山にダイブする感触は最悪だったが、急いで顔を上げて三人の人影に声を掛けようとした。しかし、煙が引いて見えたのは、ガスマスクや防護服で身を固めた異様な雰囲気の男たちだった。


(いや待て、あれはどう考えても普通じゃない! ……って生存者⁉)


ルドウィーグは自身の危機察知能力に従って近付くのを止め、様子を窺っていたところ、ガスマスクらの近くに倒れていた一人が呻きながらも力を振り絞って動いているのが見えた。だが、それを確認した男たちはその者を取り押さえ、槍のような凶器を突き立てた。


(ヤバい!!!!!!)


ルドウィーグは自分の血の気が引くのを感じつつも、急いで死体の上に突っ伏し、それらに紛れた。


「こいつら全員自滅とは馬鹿だなぁ……」

「まあ良い。行こう」


ガスマスクの男たちは曇った声で言葉を交わすと、あの生存者に首をねじ切るのを最後に去って行った。うち一人が肩に担いだ槍には生首が刺さったままで、その死んだ目とルドウィーグの目が合った。







見慣れた女性の顔……マリアだった。







ルドウィーグはそのまま死んだふりをして居られる訳が無かった。

胸が張り裂けるような圧倒的な絶望に叩き伏せられながらも、自らを焦してしまいそうな怒りが心の底からこみ上げて来る。また、その両方を拒絶して堕ちて行く自分も確かに居る……ルドウィーグは発狂した獣のように叫び散らかした。喉が内側から壊れる程の勢いで叫んだ

――つもりだったが、感情だけが空回りしたかのように、掠れた咳が二つ,三つ出ただけだった。




 ガスマスクたちに見つかったかと思われたが、ルドウィーグは後ろから誰かに口を抑えられて、物陰に隠された。向こうが


「気のせいか?」

「何か焼け崩れただけだろう」


などと言ってそのまま去って行く間も、ルドウィーグは酷くあえぎながら震えていた。開いた口も塞がらず、何も言えず、唾液と汗が滝のように流れていく。助けてくれた者のことすら視界に入らなかった。けれど、その人物はゆっくりと彼を抱き締めて、優しく背中を摩り続けている。


「大丈夫だから、大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫……」


ルドウィーグとの面識は無いが、アシュレイだった。

アシュレイは摩る手を止めないまま、反対の手でポーチを探り、薬を取り出す。


「ゆっくりね」


小瓶の蓋を開けてルドウィーグの口に含ませると、ゆっくり嚥下するのを待った。

ルドウィーグの喘ぎと痙攣は立ち所に治まった。が、ルドウィーグは自分が何に興奮していたのか、夢から覚めたように絶妙に忘れてしまっている。


「貴方は……弔い?」


ルドウィーグは取り敢えず、目に入ったアシュレイに問いかけた。

弔いは世間に姿を見せない存在なので、情報も少なかったし、本物を見るのも初めてだったが、彼の勘は当たっていた。

アシュレイは少し憂鬱そうに、視線を逸らして答えた。


「そうだよ。……さぁ、早く逃げよう」




「もう生き残りが全然居ない」


火事による被害は勿論、先程のようなガスマスク姿の殺戮者によって多くの人が殺処分・・・されたようだ。死体の山、その一人一人の断末魔を想像すれば、脳内は簡単に悪夢に変わる。そんな思いはしたくないので、二人は脱出を急ぐ間も言葉を交わして気を紛らわしていた。


「アシュレイさんは独りなの?」

「いいや。仲間……と言うか、家族と居たけど、火事で分断されちゃって。ローレンスっていういかつい親父と、シルビアっていう妹!」

「シルビアって……銀髪美少女の?」

「知ってるの⁉」


アシュレイはこの状況に似合わない嬉しそうな顔になってルドウィーグと顔を見合わせた。が、ルドウィーグの返事は既に緊急事態に上書きされていた。


「待って! 左から――」


左を向くと、大砲を構えたガスマスクの兵士が居る……いや、構えているのではない。砲身は煙を吐いており、既に発射されているのだ! 夜の空に同化していた黒い砲弾は眼前に迫り、アシュレイの足元に着弾すると二人諸共吹き飛ばした。

ルドウィーグは幸い、爆風と飛んで来た瓦礫だけで済んだ。一方で、もっと遠くに吹き飛ばされているアシュレイは足がグチャグチャに折れて、声も上げられずにいる。肉は抉れ、割れた骨が皮膚を突き破り、血が湧き出している。手動大砲の次弾装填には時間が掛かると思ったルドウィーグは、彼を助けようと駆け寄った。だが、アシュレイが必死に声を張ってそれを拒む。


「来ちゃ駄目! 逃げるんだ!!!」


ルドウィーグはその言葉に従い、咄嗟にブレーキを掛ける。同時に、物陰から何人もの殺戮者が出て来て、アシュレイを取り囲んだ。

彼は槍でブスブスとめった刺しにされた。肉が傷つき裂け、血が飛び散る音。踏まれ蹴られる低い殴音。


「  ‼  、 ―― ! ………」


ルドウィーグは目を背けて、耳を塞いで、逃げることしかできなかった。






・後書き―――――――――――――――――――――――――――――――――


 忘却の妙薬

小瓶入りの薬液。ローレンスが持っていたらしいが、既に殆ど使用されてあった

製法については一切が不明だが、飲んだ者から直近の記憶を抹消する

服用量によって有効となる時間範囲が変わる

辛い現実を、悪夢だったことにしてしまおう。それが甘い救いとなるように


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