第19話 火の聖誕祭 後編
結局、ルドウィーグはマリアを置いて先に行くことはできず、別れた河川敷の辺り――少なくとも礼拝堂の様子が分かる範囲で待っていた。
つまりは礼拝堂の屋根が大きく焼け落ちる様子も見えていたということ。
彼は居ても立ってもいられなくなった。
彼は多少の人とすれ違いつつ、息をするのも忘れたように礼拝堂まで駆けた。
そこには奇妙な光景が広がっていた。正面扉も裏口もだだ開きになっており、辺りの地面一体には踏みつけられた土嚢のようなものがおびただしい数敷かれている。
「静か? だな……」
ルドウィーグは不可思議に思い、現場に近付こうと一歩踏み出す。
すると、靴底はブニブニした何かと接触した。
「?」
確かな形を保っている感触はあれども、表面は妙に柔らかい。ルドウィーグは足を退かしてそこを見る――
――倒れ込んでいる人だった。
「うわっ、ごめん! ……大丈夫?」
咄嗟に謝ってみても反応が無い。
ルドウィーグは恐る恐る、うつ伏せになっているその人の体を起こした。
「ッ!!」
目に飛び込んで来たのは、何をされたのか想像もつかないほど醜く潰れた顔。
当然、意識も失っており、ルドウィーグは思わず身振るいをした。
また、彼はまさかと思い、もう一度辺りを見渡す。
驚愕の事実を前にし、立て続けに肺が詰まって塞がったかのような息苦しさと、耳鳴りまで伴う頭痛が襲って来る。
食道の辺りをうろうろして出て来ない絶妙な吐き気が更に不快感を底上げした。
……土嚢のように見えた物の全てが人だったのだ。
その全てから呼吸音すらせず、体に火が着いても動かないのは、屍山である証。
これは群衆雪崩によるものだった。
ルドウィーグは呆然としていたが、マリアへの心配が再び頭の中を満たした事で我に返った。
半泣きのまま死体を掻き分け、それらしい女性を片っ端から確認して行く。
どれだけ胸糞が悪い状況であっても、彼女が無事であることを強く願う他なかった。
(あぁ、今なら皆が神に祈る気持ちも分かる……)
そんなとき、煙で霞んだ向こう側に三つの人影が動いているのを認めた。
(!! ……母さんだったりするかな?)
ルドウィーグは一縷の望みを抱いて駆け寄ろうとしたが、その一歩目から太った男の死体に躓いて、屍山にダイブしてしまった。
彼は急いで立ち直り、人影に声を掛けようとする。
しかし、煙が引いて露わになったのはガスマスクや防護服で身を固めた異様な雰囲気の者たちだった。
(いや待て、あれはどう考えても普通じゃない!)
ルドウィーグは自身の危機察知能力に従って近付くのを止め、様子を窺う。
また、ガスマスクの人物らの近くには、苦しそうに呻きながらもまだ生きている人が一人見受けられた。
ガスマスクの人物らはその者を取り押さえ、手に握っていた棒――いや、槍を突如として突き立てた。
(ヤバい!!!!!!)
ルドウィーグは自分の血の気が引くのを感じつつも、急いで地面に突っ伏して死体に紛れる。
「こいつら全員自滅とは馬鹿だなぁ……」
「まあ良い。行こう」
ガスマスクの人物らは曇った声で言葉を交わすと、そのまま去って行った。
うち一人が肩に担いだ槍には今殺された人の生首が刺さっており、ルドウィーグは目と目が合った。
見慣れた女性の顔……マリアだった。
ルドウィーグはそのまま死んだふりをして居られる訳が無かった。
胸が張り裂けそうな圧倒的な絶望。
自らを
二つが混在しながらも、両方を拒絶して堕ちて行く理性。
ルドウィーグは発狂した獣のように叫び散らかした。
喉が、肺が壊れるところまで叫んだ。
けれど、それは『つもり』でしかなく、感情だけが空回りしたかのように掠れた咳が二つ,三つ出ただけだった。
ガスマスクの人物らは目敏く後ろを振り向いたものの、
ルドウィーグは颯爽と駆け付けた誰かに手を引かれ、共に物陰に隠れた。
向こうが
「気のせいか? 咳みたいな声がしたんだが」
「……何か焼け崩れただけだろう。仮に一匹くらい残っててもどうせ生き延びはしないさ」
などと言って再び背を向ける間も、ルドウィーグは酷く
開いた口も塞がらず、何も言えず、唾液と汗が滝のように流れて行く。助けてくれた者のことすら視界に入らなかった。
けれど、その人物はゆっくりと彼を抱き締めて、優しく背中を摩り続けている。
「大丈夫だから、大丈夫だよ、大丈夫、大丈夫……」
アシュレイだ。
アシュレイは摩る手を止めないまま、反対の手でポーチを探り、薬を取り出す。
「ゆっくりね」
小瓶の蓋を開けてルドウィーグの口に含ませ、嚥下するのを待つ……呼吸困難と痙攣は立ち所に治まった。
ルドウィーグは自分が何に興奮していたのか、夢から覚めたように忘れてしまっていた。
「アシュレイ、さん?」
「そうだよ。落ち着いた?」
ルドウィーグはこっくりと頷くものの、
実戦的な装束に身を包み、様々な狩り道具を伴うアシュレイの姿は初見であり、驚きながら訊いた。
「……弔い、なの?」
アシュレイは少し憂鬱そうに、視線を逸らして答えた。
「そうだよ。それより、早く逃げよう」
「もう生き残りが全然居ない」
大火災による被害は勿論、先程のような殺戮者の暗躍によって多くの人が
死体の山、その一人一人の断末魔を想像すれば、脳内は簡単に悪夢に変わる。
そんな思いはしたくないので、二人は脱出を急ぐ間も言葉を交わして気を紛らわしていた。
「アシュレイさんは独り?」
「いや、ローレンス師匠もシルビアも居たんけど、火の手で分断されちゃった」
「そんな……」
「川沿いに逃げる計画は共有してるから、いつかは合流できる事を祈ってる」
アシュレイの心は乱れたり疲弊したりしていないと言えば嘘だ。
あくまで、希望を捨てない姿勢をルドウィーグにも示してそう言ったのだ。
しかし、またもや緊急事態が訪れた。
「待って! 左から――」
ルドウィーグが気配を察知し、そちらを向くと、
ガスマスクの殺戮者らが居る。
しかも大砲を持っており、こちらに向けている。
――最悪な事に、それは構えているのではない。砲身は煙を吐いており、既に発射されているのだ!
夜の空に同化していた黒い砲弾は眼前に迫り、着弾と同時に二人を吹き飛ばした。
ルドウィーグは幸い、爆風と飛んで来た瓦礫だけで済んだ。
一方、もっと遠くに吹き飛ばされているアシュレイは足がグチャグチャに折れて、声も上げられずにいる。
肉は抉れ、割れた骨が皮膚を突き破り、血が湧き出していた。
大砲の次弾装填には時間が掛かると思ったルドウィーグは、彼を助けようと駆け寄るも、アシュレイが必死に声を張ってそれを拒む。
「来ちゃ駄目! 逃げるんだ!!!」
ルドウィーグはその言葉に従い、咄嗟にブレーキを掛ける。
同時に物陰から何人もの殺戮者が出て来て、アシュレイを取り囲んだ。
「 ‼ 、 ―― ! ………」
踏まれ蹴られる。
槍でブスブスと滅多刺しにされる。
血が飛沫となる……
そうした音と声にならない絶叫は、ルドウィーグが背を向けて一目散に逃げても、しつこく耳に入って来るのだった。
・後書き―――――――――――――――――――――――――――――――――
忘却の妙薬
小瓶入りの謎めいた飲み薬
ローレンスが持っていたらしく、既に殆ど使用されてあった
製法については一切が不明だが、飲んだ者から直近の記憶を抹消する
服用量によって有効となる時間が増える
辛い現実を、悪夢だったことにしてしまおう
それが甘い救いとなるように
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