第17話 失われるもの
火災を掻い潜りつつ、はぐれてしまった師匠とアシュレイさんを探して彷徨っていると、珍しくガスマスクを付けた殺戮者の遺体を見つけた。これまで通って来た道では虐殺された、もしくは焼死した市民の遺体ばかりが無数に転がっており、歩くことも
なぜガスマスクの殺戮者がやられているのか、その話に戻る。近寄って見てみると、その眉間には完璧なまでに矢が深く刺さっていた。また、この矢には見覚えのある……アシュレイさんの使っている矢で間違いない。それも、幾つか種類がある中で貫通矢だ。狩り道具の手入れはよく手伝っていたから知っている。この矢は高価な素材を使う分、彼は滅多に使わないというもの。どんな状況でこうしたのか定かではないけれど、あれだけ殺しを忌んでいたアシュレイさんがそれ程までの殺意を人に向けたと思うと、また辛くなった。
けれど、これがあるならきっとアシュレイさんも近くに居る。私がそう考えて直して立ち上がった時だ――背後から落ち着いた声が聞こえた。
「お前さん、ローレンスの何だい?」
「⁉」
それまで全く気配を感じなかったので、心臓が飛び出そうになった。
急いで振り向くと、悠々と腕組みをしたまま壁にもたれている人物の姿が。声の主で間違いなさそうだが、深く被ったフードが完全に顔を隠している。装いの方にも目を向けてみるが、黒光りするレザースーツに、黒い羽毛の外套……と、老若男女の区別すらつかない。強いて言うなら、話し方がどことなく年上の女性っぽい。ここでは「黒羽」とでも呼ばせてもらおう。
何にせよ、師匠の名前を口にする点において只者ではなく、私は警戒して後退りした。また、少し間が開いてしまったけれど、先程の質問に慎重に答える。
「……弟子、です」
「ただの
「血……?」
顔に酷い血汚れでも付いているのかと思い、私は頬に手をやる……向こうの飽きれた反応を見るに、そういう話ではないらしい。
「……その様子だと知らないみたいだね」
すると、黒羽は余裕ぶった態度を止めて言った。
「ここからは私的な質問だ」
その直後、私は壁に押さえ付けられており、眼前には黒羽の拳が突き出されてあった。近過ぎて焦点が合わないが、何も無かった筈の手には凶器を握っている。どこに隠し持っていたかは分からないけど、私は護身術を駆使して抵抗した――が、またもや何が起きているのか分からないまま拘束されてしまった。
完全に手玉に取られている、大人しく答えるしかなさそうだ。
私がそういう態度になったのを認めると、黒羽は
「お前さんはいつまで
と問い掛けて来た。その声はどこか寂しそうだった気もする。
私には質問の意図がまだ分からなかったが、率直に受け止めて考えた。つい数時間前、師匠から「愛していない」と言われた時には自殺まで考えた。それ程までに私は彼に依存していたのだ。その自覚を踏まえて言葉を綴り、出来た答えを口に出した。
「……まだ、決められていません。けれど、お別れの時がそう遠くないのは薄々気付いています。それがどんなものになるかは分かりませんが、決して悔いの無いものにします。そのためにも、私はここを生き延びるんです!」
「そうかい……」
黒羽はゆっくりと武器を下ろしてから呟いた。
「抜け道を教える。付いて来な」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
ルドウィーグもまた、燃える街を駆けていたが、それは脱出のルートではない。それらしい所を手当たり次第巡り、ある人を探していたのだ。
そして、彼はようやく弔いらしき大男を見つけた。殺戮者の仲間ではないかを注意深く確認してから――そんなこと、するまでもなかった。彼はむしろ鉢合わせた殺戮者を軽く捻り、捕まえている。
「痛デデデデ! うぅ……クソッ、離せ! 汚い手で触るな、感染うつるだろ!」
というように相手が抵抗すると、彼は懐から短剣を取り出し、喉にかざして言った。
「質問に答えろ」
「ヒッ……」
「これは事故ではない、襲撃だな?」
「勘が良いな。だが、誰の差し金かまでは言わないぞ! 俺も殺処分されちまう」
「安心しろ、お前が言わずとも見当は付く」
そして彼は「質問は以上、用済みだ」と言わんばかりに相手の喉を貫いた。 ルドウィーグはその一瞬は目を瞑ったが、弔いの手が空いたタイミングで
「ねぇ、弔いさん――で当ってるよね?……」
と声を掛ける。
「ああ、そうだ。どうした、坊主?」
そう言って振り返った男の容姿を見て、ルドウィーグは思い出した。3年前、シルビアと出会った日に知った彼女の義父・ローレンスではないか! 彼の方もこちらのことを覚えていたらしく、お互い一瞬驚いていたが、急いで話を再開する。
「あなたの仲間で、死にそうな人がいるんだ! 早く来てくれ!」
「……分かった」
ローレンスは声色を変えずに返答したが、この時点から、アシュレイに何か起きたのだと悟ったのだろう。
ルドウィーグに案内され、後に続いて走っていたローレンスだが、途中の路地裏の傍で突然立ち止まった。
「どうしたの? ローレンス」
「少し待て、奥から何か来ている」
ローレンスはルドウィーグを自分の後ろに下がらせながら言う。
殺戮者だとか憑き物の可能性もあるにはあったが、二人が目を凝らすと、二つの人影だと分かった。
(寄り道なんかしてたら、あの人が手遅れになる……)
と、ルドウィーグは焦ったが、暗い路地から出て来たのはシルビアの姿がだった。
「師匠!」
「シルビア、無事か?」
ローレンスは駆け寄って来た彼女を受け止め、傷が無いか確かめた。僅かな掠り傷以外は特に問題無いようだ。すると、彼女はすぐさま後ろを振り返ったのだが、それっきり怪訝そうな顔をしている。
「あれ? 黒羽の方が――」
そう言えばもう一つの人影がいつの間にか消えている。シルビアもそれに関して何か呟いていた。
が、もう一度前を向いた時、ローレンスの影に居たルドウィーグと目が合った。
「ルドウィーグ! 生きてたんですね! 良かった……」
シルビアは彼の手を取って喜ぶ一方で、ルドウィーグの方はものも言えないほど驚いている。その様子を見て、自分だけ安心していることに気付いてしまったシルビアは、表情を心苦しそうなものに変えた。それからゆっくりと手を離すと、ルドウィーグの手は重力に従って垂れ下がった。
「隠していてごめん……なさい。私は弔いです」
「……」
ルドウィーグはそうと知っても彼女を否定するような態度を取らなかったものの、軽いショックを受けているのは間違い無い。その場には重い雰囲気が形成されつつあったが、
「ルドウィーグ。案内の続きを頼む」
と、ローレンスが口を挟むことで一旦先送りになった。
アシュレイはやはり、ルドウィーグの案内先で静かに倒れていた。彼のトレードマークでもある小洒落た黄土色の外套も、形が無くなるまでに引き裂かれた上で、血が滲み込んだことによって赤黒く染め直されてしまっていた。
砲弾にやられた両足は目も当てられない状態。全身には無駄に大量の刺創……アシュレイは長い時間痛めつけられた末に、誰にも看取られず死んだのだ。
シルビアは彼の傍にへたり込み、冷たくなった手を握って大粒の涙を零した。
「ごめんなさい……アシュレイさん、ごめんなさい……ごめんなさい……」
嗚咽しながらずっとそう呟いている。
一方、ローレンスは辛そうに顔を押さえるだけで、涙を見せたりはしなかった。が、反対の手ではミシミシと音が鳴るくらい拳を握り締めて、わなわなと震えている。これほどまでに恐ろしい怒りの雰囲気を纏ったローレンスは誰も見たことが無かったはずだ。
そして、この場にはもう一人居る……ルドウィーグは二人の後ろで立ち尽くす他無かった。ルドウィーグは半ば部外者のようなものだけれど、アシュレイは彼を助けるために死んだようなものだ。それは彼自身も分かっており、ただでさえ大きな罪悪感は二人の哀しみと怒りによって更に重みを増した。
「今は供養も回収もできない。アシュレイは……置いて行く」
ローレンスは何とか言い出すと、彼を壁に座らせて白い布を被せた。
「直にここも焼ける……」
シルビアはその後も、ローレンスに諭されるまで最後まで傍に居ようとしていた。
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