第11話 悶々


「弟子を止められないなら、その道で生きる術を教えるのが師の役目というものだ」


弔い修業を始める最初の日、師匠がそう言ったのをよく覚えている。私が簡単に死ぬような三流にしない為だろう、その言葉の通り、師匠は極めて厳しい稽古を付けた。始めるときに覚悟していたものの、この二年間で心が折れかけたことも幾度となくあった。

以前やっていた護身術の授業なら、説明を受けて何度か体に覚えさせれば十分だった。そもそも、護身術は自分ができる範囲内で危険への対処法を持っているかどうかに尽きる。

けれど、弔い修業は考え方からして別物。何せ、狩りの場において自分の生死に直結することだから。



 まず、徹底的に身体を鍛えるところから。これについて多くは述べないが、例え見習いを卒業しても続けなくてはならないので地味にしんどい。

ようやく技の習得に入っても、説明だけでは一割も理解できない。師匠に何度もお手本を見せてもらって、自分なりに再現し、修正を繰り返す。「できる」がスタートライン。次からは実戦に近い環境でその技について考え、応用し、精度を高める……「使える」ようになって初めて技を習得したことになるのだ。

一朝一夕ではどうにもならないものばかり。そういった日々を続けていくのは身体的にも精神的にもかなり過酷なものだったけれど、私は師匠に近付きたい一心でなんとか喰らい付いてここまで来た。




「これまでの技は申し分無い。あとは連続でのステップを完全にすることだな」

「はい!」


最近は師匠も特に大変なのに、私の修行も大詰めだからと言って今日も付き合ってくれた。それに対する感謝の意を込めて、私もなるべく筋の通った声で返事をした。

直後、頬に冷たい粒を感じた。空を仰ぐと、真っ黒い空を下地にして輝く白い粉が散り、舞っている。


「……雪? でしょうか」


掌を上に向けると、一つまた一つと氷の粒が舞い降りて来る。


「お前を迎えに行った日以来か、雪は」

「あれからもう3年が経ちますね」

「そうだな、もう3年か……」


師匠のような年頃の人なら「まだ3年しか」と言いそうなところだが、そうは言わなかった。

師匠の方に目をやると、彼も私と同じように空を見上げており、また口を開いた。ただ、過去を偲ぶ柔らかな声はもう終わっていて、深刻な事態への溜め息も混じった声だった。


「……20年近く前にもこんな事・・・・があったらしい。その頃から祟りは始まった」


空が真っ暗だと言ったものの、実は現在、時計は15時頃を指している――日落ちには明らかにまだ早いのはお分かり頂けるだろうか。

1週間程前からドリフト諸島は原因不明の極夜状態に見舞われている。この環境は想実は、1週間程前から太陽が姿を現していない極夜・・なのだ。

とは言っても、「極夜」しか表せる言葉が無いからそう呼ばれているだけで、厳密には違う。ドリフト諸島の緯度ではあり得ないし、実際例年は起こらない。これもこの地の超常現象と見た方が良さそうだ――中でも、かなり深刻な厄災として。


 先人たちが調べた限りでは、憑き物は月夜・・にしか活動できない。だから、満月の時のように一晩中憑き物が蔓延はびこる日もあれば、下弦の月のように時間いっぱいとはならない日、上弦の月のように宵の短い間だけという日もある。

更に言えば、新月の前後なら丸一日弔いの手がに空く。普段なら忙しい師匠から直接指導を受けていたのもそういった時期だ。

けれど、今は24時間全てが夜――すなわち新月以外、毎日憑き物が活動するのだ。新たな発症者も含めて日に日に数は増し、被害は膨大した。処理が追い付かなくなった死体が街中まちなかに残り、衛生環境の悪化は伝染病の蔓延も招いた。これもまた、追い打ちというには十分過ぎる死者を出している。


「せめて、聖誕祭には晴れると良いですね」


私が願望に近い気休めを呟いた直後、師匠は不自然な咳をした。ベールの口元とそこを押さえていた手には黒っぽい液体が少量付いている気もする。

師匠はそれをそっと隠した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 この手に握った血を気付かれまいと、シルビアから逃げるように部屋に戻った。

そんな俺を出迎えたのは、窓辺の木の枝にある微かな気配。背景と同じように体色が黒かったので、気付くのが少し遅れたが、鴉だ。それも、その辺の野良とは違う独特の雰囲気……覚えがある。


「お前はトリスタンの――」


呟きながら窓を開けてやると、鴉は「カァー」と鳴いて、すぐに入ってきた。それから俺の肩に止まり、自分の細い脚に付いた紙筒をくちばしつついた。

……手紙だ。

俺はそれを丁寧に外し、目を通す。


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ローレンスへ

今度、教皇都に来て私と話をしてくれないだろうか。なるべく早くが良い。

極夜が起こって、それどころではないのは分かっている。

しかし、だからこそ私たちの今後の話をしておくべきだと思うんだ。こればかりは君と直接言葉を交えたい。

君を信じて待っているよ。

                          君の友、サリヴァーンより

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「……」


俺は少し頭を悩ませた。

この短文……随分急いでいたのか。或いは俺に余計なことを悟らせないようにするためか。いずれにせよ、あのサリヴァーンが、こんな時に俺を呼び付けるというのだから、重大なことなのだろう。無下にはできない。

それに、便りこそ数ヶ月おきに送り合っていたが、あいつとはもう何年も顔も合わせていない。


(良い機会、か)


正直気が重いが、俺は腹をくくって部屋を出た。


「アシュレイ、シルビア。出張に行くぞ」

「出張って急だねぇ⁉ どこまで?」

「教皇都だ。お前たちも準備しろ」




 古い知人の伝手で即急に馬車を用意し、俺たちはその日の内に街を出た。

防壁街から南下して、教皇都までは見積もって3日といったところ。往復する間、2人を留守番させておくのはリスクが高過ぎる。

あれだけ活発化した憑き物どもに対して、獣除けの香料を焚くだけでは安心できない。

また、憑き物だけではなく、人の思惑にも注意が必要だ。この混乱に乗じて善からぬことを考えている連中や怪しい物流が増えている。

信頼できる誰かに預けようにも、残念ながら近場にそんな者は居ない。

ならば、結局連れて行くしかない。これもこの子たちにとっても貴重な遠出の機会と思って。


 暗い森に挟まれた街道を馬は走るわけだが、その手綱を握りながら自分の判断を振り返えり、脳内で読み上げないと正当性や自信が持てない。

我ながらたいそう情けないことだ……つくづく弱みを自覚する。こんな状態で、俺はサリヴァーンとろくに話せるだろうか。

とは言え、俺よりも弱みを曝け出している者がすぐ後ろに居ると、何だか調子が狂って来る。


「ウゲェェェェェェェ……グハッ」

「……」

「オロオロオロオロオロオロ……ブハッ!」

「アシュレイ、平気なのか?」

「べーぎでぃびえばず?」


普段の明朗な様子とは打って変わって、青い顔をしたアシュレイ。馬車の縁に掴まったまま吐瀉物の垂れている唇を何とか動かした。


「何と言った?」

「多分、『平気に見えます?』と」

「……この先の人里が近い道路は汚すなよ」

「まさか、アシュレイさんがここまで乗り物酔いに弱かっただなんて」

「そうだな。月の出まではスピードを落とそう」

「ばい、あぬげいしゅばしゅ」

「『はい、お願いします』だそうです」


シルビア翻訳機の助けを借りてコミュニケーションが成立したところで、俺は手綱を控えた。


 アシュレイが吐いていられるのも、健全に生きているから。シルビアがそれを気遣ってやっているのは、心優しく育っている証。

やはり弟子この子たちを見ている時が、俺にとって一番幸せだ。

だが、俺は小心者だからすぐに怖くなる。この何気ない希望が、小さな光が失われる事を。

実際、俺は大事なものを目の前で亡くしたし、無意識のうちに失ってしまったものも沢山ある筈だ。

俺の弱みというのは、そういった心配が滲み出て来た姿なのだろう。

 それでも、守りたい儚い幸せの為にはつべこべ言って居られない。少なくとも、俺はそう思い直した。


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