第20話 獄中の希望 中編
バーグ砦はかなり古くて老朽化が進んでいるため、何度か改装・修繕が行われて来た。だが、ローレンスの話によると唯一それが行われていない区画があり、それこそがこの地下牢だ。
彼に言われた通り、食事用のスプーンを壁の煉瓦の隙間に突き立てると、
すると、壁には穴が出来るわけだが、その穴は向こう側に別の空間を用意していた。
「それが排水路だ。それを使って脱獄するぞ」
「分かった!」
俺はあと何個かの煉瓦を壁から外し、体が通る程の穴を確保した。彼は別に要らないらしいが、一応スプーンをローレンスに渡してから排水路の方に出て、今度は反対側から煉瓦を積み直す。少しでも穴を隠しておかなければ、看守が見回りに来たときに一発でバレるから。
壁に蓋をし終えると、排水路は真っ暗になってしまった。最初に足を着いた場所は幸い水の通っていない所だったが、ゆっくりと一歩踏み出した途端、爪先から凍みが襲って来た。
「くぁぁ……うぐぅ……」
これには呻きを堪えられず、それまでは「不気味な場所だ」とか思っていた脳も、一瞬にして「冷たい」以外の気持ちを失った。また、足の感覚が麻痺してきているものの、水底には心地悪いドブが溜まっていることが分かるのに加えて、奥からは害獣がそぞろ歩く音も響いて来る。重いドブを蹴るように掻き分けつつ、何とかして少し進むと、前方に灯りが現れた。
「ローレンス! その灯り、どこで?」
「廊下の壁掛け松明だ」
確かに、牢の扉の近くにはそういうのが置いてあった気がする。格子から手を伸ばして届いたようだ。
「俺も持って来れば良かった」
と羨ましくなったが、ひとまず彼に付いて進むにことした。
しばらく移動していると、足元の水が段々ぬるくなって来た。それが
また、排水路の構造が土管らしくなってくると、何やら明るい場所に行き当たった。俺は少し遅れて、上に排水管が伸びており、その排水口から上階の光が差し込んでいるのだと分かった。
「登れるか?」
大柄なローレンスは上まで登れない。彼は上の排水口を指差して俺に頼んだ。上まで梯子が掛かっていたりなどしないけれど、引き受けた。ここまで来たからにはそういう覚悟は既に決まっているのだ。
「この上はどうなってるの?」
「職員用の廊下のはずだ。傍にある押収品保管室に行ってくれ」
「分かった、武具だね!」
「そういうことだ」
俺はそれだけ話すと、ローレンスに押し上げて貰いながらよじ登り始めた。排水管の僅かな凹凸に手足を掛けたり、手足を上手く使って体を突っ張ったりして、やっとの排水口まで来ると、慎重にバランスを取りながら手を伸ばした。
(あぁ~、久し振りにマシな空気だ! 酸素美味ぇ~)
格子の鉄蓋に手を掛けて一呼吸すれば、地下の悪臭に侵されていた呼吸器が浄化されるようにすら感じた。だが次の瞬間、俺の手に激痛が走る。
(痛ーーーーーーーーってぇ!!)
「ん? ……何か踏んだか?」
通り過ぎた誰かに手を踏まれたらしい……これは絶対皮が剥けてエグイことになってるやつぅ! かなり危ういところだったが、絶叫と転落だけは免れた。
どうにか手の痛みが引くと、今度は念入りに周囲を確認してから外に這い出た。そして、蓋を持ったまま近くの物影に隠れる。
暫くして、一人の看守が歩いて来た。
「お? この排水口、蓋が無いじゃねえか……全くどうなってるんだよ」
看守がそう言って足を止めた隙に背後から忍び寄り、彼の後頭部を蓋で思い切り殴り付けた。ガーンという想像以上に大きな音が響くとともに、看守は気絶して倒れ込んだ。
「よ、よし……」
罪悪感に見舞われつつも、自分が生きて脱獄するには仕方の無いことだと思い、続けて制服を剥ぎ取った。変装としての意味は勿論として、着替えとしても丁度良い。防壁街で災難に遭った時点でかなり汚れてしまったのに、ここに来てからの冷遇もあって着替える機会など無かったのだ。脱ぎ捨てたものは煤・油・埃・泥・下水……色々な物に
奪ったカーキ色の制服に袖を通して、俺は堂々と押収品保管室に入ってみたは良いが、幸い誰も居なかった。拍子抜けしつつも、安全に動けるに越したことは無い。しかし、肝心なことを想定していなかった! 押収品が入っているロッカーは幾つも並んでいるのだが、全て鍵が掛かっている。
「えっ……これはどーしたもんか……」
近くに錠を破る手段は見当たらず、仮にそれができたとしても、万が一看守に見つかったら絶対に言い逃れはできない。
俺は仕方無く保管室を出て、「看守室」という札が付いた扉へ向かった。正直に言うと、既に精神的な負荷で腹痛をこじらせている。が、そこから鍵を借りて来るしかない……深呼吸をしてから扉を開けると、そこには何人もの看守が居た。自分の仕事机で新聞を読んでいるような者も居るが、大半は行儀悪い姿勢で居眠りしていたり、パイプを吹かしながら同僚とのトランプに耽っていたりするのだ。
俺は怪しまれないように心掛けていたが、きちんと体を動かせているかどうかさえ不安になる程、酷く緊張していた。
(鍵だけで良い、鍵さえ取れれば……)
恐怖に包まれた使命感が俺の視線を固定し、部屋の最奥の壁に掛かった鍵束以外眼中に無かった。だが、心配とは裏腹に、俺が鍵束を手に取っても誰も反応しない。
(こいつら無用心だな……なんにせよ、大チャンスだ)
そうしてそのまま看守室を出ようとした時だった。
「おい、お前。それ、何に使うんだ?」
俺を呼び止めたのは、鍵束の置き場から一番近くに居た看守長だった。慌てて振り向くと、さっきまで無関心だった他の看守もこちらに視線が向けている。俺はそのプレッシャーで動揺し始めた。脳の奥がグッと締め付けられるような感覚と共に、平衡感覚がねじ曲がっていく。
「えっと……」
「新入りか知らんが、不当な理由なら許されんぞ」
(考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ、俺!)
自分の理性は冷静に考えるように促して来るのだが、看守たちの視線に含まれる疑いの色が強くなっていくと思うと、頭はいっそう真っ白になって行く。そのせいで気付かなかったが、いつの間にかドアから誰かが入って来たらしく、後ろから俺の肩を掴んだ。鳥肌が立った背中に大粒の汗が流れる。
(ヤバい、詰みだ……)
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