第20話 獄中の希望 後編


 俺は恐る恐る振り返り、自分の肩を掴んでいる者の顔を見た。恐怖心のあまり、おっかないオッサンかだと思い込んで勝手にイメージを固めていたが、実際は全く違った。

僅かな笑みを浮かべた、美しい金髪の青年。知性を感じさせる顔立ちだ。しかも、割と見覚えがある……きっと著名人。


「ごめんね、僕が彼に頼んだんだ」


青年が口を開くと、看守たちは全員ビシッと立って敬礼をした。


「か、狩長殿!」


その呼び名でようやく気付いた。


(狩長――ってあの『レオン・アインハード』⁉)


その青年は弔いの長を務めるレオン・アインハードだった。

狩長の称号を持つ者は、すなわち「青騎士」の位を授かった者……教会連盟の象徴たる聖四騎士の一角である。また、聖四騎士はそれぞれ自身の騎士団を統べる団長でもあり、普通の弔いとは扱いがまるで違う。これは周知の事実だ。ただ、それ以前にレオンは誰もが認める英雄そのものだった。今具体的に思い出している余裕は無いけれど、結構な頻度で新聞に載るほど彼の武勲は偉大だ。

そうして唖然としている俺を余所に、レオンは話し続ける。


「押収品、どうせ処分するなら譲ってくれないかな? 良さげな武具があるといいんだけど」

「勿論ですが、くれぐれもお気を付け下さい。只今凶悪犯が逃走中との報告が入っております」

「OK、ありがと」


レオンはそうして話を済ませ、俺を連れて看守室を出た。


「言い訳ぐらい用意しとかないと駄目だよ、君」

「えっ、えっ、えっ、本物⁉」


俺はまだ驚きを隠し切れず、レオンの容姿をまじまじと観察した。

磨き上げられた革靴からスタートし、長い脚に沿って視線を上に持って行く。着こなした藍色のスーツがスラリとした体格を際立たせ、縦縞のシャツとチョッキが何ともお洒落。同性から見ても非の打ち所がないイケメンではないか! ここから更に、小綺麗なソフトハットと金のエポレットを揺らすケープで、狩長に相応しい高級感を醸し出している。そして何より、聖紋が刻まれたマントを背負っている……これは聖四騎士のみに与えられるものであり、確かに本物だ。

俺は有名人に遭って少々興奮していたが、我に返った。

防壁街で襲撃を仕掛けて来た白騎士の件を忘れた訳では無い。教会連盟の騎士様だろうともう信頼ならない。というか、レオンはローレンスの武具を奪うみたいなことを言っていた。

けれど、俺がそれを問い詰める前に考えを読んで、彼は言った。


「僕は敵じゃない。早く師匠の所へ行ってやりな」


とも言う。俺はまた驚かされた。


「えぇ⁉ ……ローレンスあの人、あなたの師匠でもあるの⁉」


レオンはいたずら好きな少年のように笑いながら頷いた。俺とローレンスの付き合いなんてとても短いし、彼の何か――人間性を知っているわけでもない。けれど、彼の弟子だというだけでレオンを十分信頼できた。


「さぁ、急いで。君たちが脱獄しているのはもうバレてるみたいだから」

「そうだった。ありがとう、狩長!」


俺は彼に感謝を告げて徴収物保管室へ戻った。



 ルドウィーグは使用されているロッカーを片っ端から開けていったが、まだローレンスの武具は見当たらない。ルドウィーグはじれったく思いながらまた一つロッカーを開ける。


「これも違う……クソ、看守にどのロッカーか訊いとけば良かった」


そう言って乱暴に戸を閉めようとしたとき、中身であったボロい鞄に見覚えを感じた。


「これ……」


それは自分が防壁街から逃げるとき持っていたもので間違いない。中を見てみると、少し焦げた楽譜が入っていた。ルドウィーグはそれを手に持ったまま固まっていたが、急いでポケットに突っ込むと、次のロッカーを開けた。今度こそローレンスの武具が入ってある。あまり余裕も無いので、防具は置いて行くことにしたものの、武器だけでも十二分に重かった。重い矛は先にマンホールへ投げ落とし、大剣だけ背中に差して丁寧に降りた。下ではローレンスが待って居て、着地を手伝ってくれた。


「ごめん、矛は重過ぎて……」

「いや、よくやってくれた。これで少しは戦える」


ローレンスは汚水に沈んだ矛を持ち上げ、ルドウィーグから大剣も貰った。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「肉だ! もっと肉を持って来るノダ!」


教会連盟の軍事・司法部門を受け持つ大司教にして、このバーグ砦の責任者、アブラハム・グラハム。肉尽くしで美味そうな名前――失礼。大司教という称号に反して、現教皇の親族であるのを良いことに横暴を働き、怠惰(と肉)を貪る最低な実態の男だ。


「なぁ、今あのローレンスって男が脱走してる状況なのに、大司教あの人は何やってんだよ」


部屋に居る将校の一人が、隣の者に話し掛けた。アブラハムの生じ中はとにかくやかましいので、ひそひそ話をするのは容易である。しかし、彼が


「止めとけ。口は禍の元だ」


と言う通り、アブラハムはとにかく傍若無人な気分屋で、何を聞いて何をしでかすのか分かったものではない。

実際、今もアブラハムは喚き散らしている。


「無いだと⁉ フン、もう良いノダ!」


奴の汚らしい口から放たれる暴言と食べカスを浴びせられながら、その理不尽にただ謝るしかないウエートレスには同情する。が、アブラハムは彼女にサラダを皿ごと投げつけて席を立つ……その時さえ太った腹を机にぶつけて、テーブルの上を乱していく。二人の将校はこれを胸糞悪い気分で見ていた。誰が見ても、控え目に言って不快である。

また、アブラハムは彼らに近付いて来たかと思うと、一人のスカーフをひったくって口を拭いた。


「お前」

「はっ」


彼は屈辱を受けながらも、調子の良い声で答える。


「脱走者は今どこに居る」

「具体的な所在は不明ですが、排水路を進行中だと思われます」

「むぅ……兵士を集めておくノダ」

「何の部隊を手配いたしましょう?」


雑な命令に対して彼が具体的な指示を求めると、


「私にそんなことを訊くな! 自分で考えるノダ!」


アブラハムは機嫌を悪くして怒鳴り出した。その顔面はもはや興奮し切った豚のそれである。


「……了解しました」

「……何か文句でも?」


アブラハムの質問と同時に、先程まで隅でじっとしていた覆面の大男が彼を覗き込んだ。

大男の体格と言ったらどう考えても普通ではなく、何かの憑き物が人の皮でも被っているように思える……実際人ではあるらしいが。なんにせよ、その巨漢は猛犬のように荒い息を吹きかけて圧力を掛けて来る。


「いいえ、何も」

「そうか、なら良いノダ」


アブラハムは満面の笑みを浮かべ、あの大男と共に部屋を去って行った。と同時に、部屋に居た誰もが溜め息を吐く。

奴は庶民への外面こそ良いように取り繕って、連盟内部ではその権力と連れの大男で相手を脅す。故に誰もアブラハムを批判することができないのが実態だ。




 アブラハムが大男を連れて廊下を歩いていると、長身痩躯の司教が杖を突いて通りすがった。


「おい、サリヴァーン! ここは俺の勢力圏なノダ! それなのにこの俺様に挨拶も無しか⁉」


司教はゆっくりと振り返り、落ち着いた声で答えた。


「済まないね。私はもう目が見えないようなものだから、坊や・・のことが分からなかったんだ」


適当にからかわれたことでアブラハムは顔を真っ赤にし、また大男に命じた。


「おい、ブル! アイツを分からせてやるノダ!」


ブルという名の大男が命令通り、サリヴァーン司教に対して岩玉のような拳を振り被ったその時、レオンが止めに入った。


「ちょっとちょっと。サリヴァーン先生お年寄りは労わらなきゃ駄目でしょう?」


アブラハムは彼の姿を見るや、舌打ちだけして大男と共に去ってしまった。




 先程の所長室付近の廊下には大きな窓や長い絨毯が見られたが、そこから離れ、地下へと近付いていく内にどんどん陰鬱な通路に変わって行く。レオンとサリヴァーンはそこを歩きながら話をした。


「やれやれ。先生も立派な司教なんだから挑発は控えて下さいよ?」

「そう言う君こそ、私をお年寄り呼ばわりとは偉くなったものじゃないか」

「まぁ、一応狩長ですから」


二人は肩を揺らして少し笑った。


「……さて、ローレンスは?」

「あの人、脱走中みたいです。一人お供を連れてね」

「ほう?」


噂をすれば、すぐ横を兵士や看守が何か言いながら走って行った。


「逃走経路は排水路だったらしい!」

「それで地下の処刑場に召集が掛かったんだな」


などという内容がレオンには聞き取れた。


「処刑場か……僕たちも行きましょう」

「……ローレンスは以前から度々、自分の余命を宣告していた」


サリヴァーンは突然このように話し出したが、レオンは特に困惑せず答える。


「ええ……そういう手紙、僕も貰ってます」

「それに偽りが無ければ、彼は丁度今宵にも死ぬ頃だろう。それでも、君は彼を助けようと言うのかね?」

「まさか。僕ごときが師匠の生き様に手は出せませんよ……ただ、見届けるまでです」

「それなら良かった。私も同じ思いだよ」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 俺はローレンスの手を借りながら排水路を出る最後の傾斜を登り切った。ただ、重いドブに散々足を取られてかなり疲労が溜まって来ている。

こんなことなら牢で食事くらいしておけばよかったとも思ったが、辛いのは身体だけではない。只ならぬ緊張を感じ続けて、精神もまた追い詰められているのだ。

だが、今はそういう弱音を思い浮かべている場合ではない。顔を上げると、これまでの狭苦しい土管の中とは打って変わって、ちょっとしたホールくらいの広い空間が広がっていた。

そのとき、壁の各所でカッと明かりが灯った。明るさ自体は大したことないが、暗闇に慣れていた目が急に刺激され、俺は思わず目を細める。

狭い視野から見えた風景は足の感触通り、血が混じったドロドロの汚水だった。その直後、背後でガシャン! という音が響き、元来た排水路には鉄格子が下りていた。


「ルドウィーグ、隠れて居ろ」


ローレンスは俺を退避させ、双剣を構える。俺たちの居るこことは反対側の隅に唯一の出入口があるようだが、そこから多数の兵士が現れ、立ち塞がった。

その隊列の後ろ、安全圏からブクブクに太った男が声を挙げた。


「もう追い詰めたノダ! 脱走犯はここで処刑なノダ‼ ……ほら。行け、お前ら!」


兵士たちは不潔な処刑場には降りるのを躊躇いながらも、何とかローレンスに突撃していく。


「やはり、都合良く逃げ切ることはできないか……」


ローレンスはそう呟くと、兵士たちを迎え撃った。


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