第21話 最期の輝き
ローレンスは防壁街で白騎士団の支隊を討ったときと同じように、向かって来る兵士を次々と斬り倒す――のではなく、剣の柄頭で殴って気絶させるなど、なるべく軽傷で相手を無力化していった。
白騎士団に関してはシルビアを害す意思が明確にあった上、手加減をしている余裕が一切なかったのだろう。一方で、この兵士たちはアブラハムに命じられているだけであって、むしろ戦いには消極的な様子だ。ローレンスも残り少ない命を懸けて戦っているので、本当なら形振り構っていられないのだが、不憫な兵士たちを一方的に殺そうとは思わなかった。
兵士たちの側も大方それを察して、立ち向かおうとする者は途中から居なくなった。
勿論、それが気に食わない者も居る。
「クソ……元々期待してなかったが、やっぱり使えない雑魚共なノダ! ブル、相手をしてやれ!」
「ヴォ。」
アブラハムは傍に控えさせていた大男をローレンスに差し向け、その隙を突いて、早くも処刑場を後にする。
ローレンスもそれを怪しくは思ったが、目の前に居る大男から意識を逸らすことはできない。
「……血性実験の被害者か」
血性が高い人間ほど祟りに感染しない。現状立証されているこの事実に基づき、教会連盟の医療研究部門は、祟りの予防策として聖血を人造に腐心している。表沙汰にはなっていないが、その過程で数え切れない程の人体実験を繰り返している実態だ。対象は主に犯罪者や孤児となっているが、体質にそぐわない血を注入され、致命的な障害を負ったり、息絶えたりする者も少なくない。
このブルという男もきっと異常輸血を施されて部分的には適応し、強大な肉体を手に入れたのだろうが、脳が麻痺し、今では飼い主に言われるがままだ。
ローレンスは彼を憐れんだものの、これまでの兵士のように手加減できる相手でもない。仕方なく、今一度双剣を構えた。
アブラハムは処刑場の管理室に入るや否や、部下に怒鳴り散らした。
「おい、お前! あのレバーを引くノダ!」
「大司教! お待ち下さい、これは……」
その部下は指されたレバーの仕掛けを知っていた。
「とっととやるノダ!」
アブラハムは腰の銃を抜いて彼を脅した。
「は、はい!」
処刑場では大掛かりな仕掛けが作動する。その際、壁際に隠れていたルドウィーグは特に間近で震動と音を感じたかと思うと、その壁が一面丸ごと動き出したのだ。壁だと思っていたそれ自体が実は巨大な仕切りだったようで、ポタポタと汚水の雫を垂らしながら天井へ上がった。
そうして繋がった向こうの空間には靄が立ち込めており、様子が分かり辛い。だが、数秒経ってから嗅覚が異常性を訴えてかけて来た。舌がしびれて、頭の奥が痛む程の強烈な臭気。鼻も曲がるどころか、腐ってもげてしまいそうだ。
ルドウィーグに続いて兵士たちも次々と咳込み、嘔吐する者すら居る。
ただ、ブルだけは何かを察知したかのように、巨体に似合わない俊敏な動きで処刑場から退散した。単にローレンスから傷を負わされて逃げたというだけではなさそうだ。
また、ローレンスも靄の中に立つ像に
黒い像は地響きに合わせて近付いて来る……そうして靄を潜り抜けて来たのは、10メートルはあろうかという桁外れに大きな憑き物だった。その姿も典型的な獣の類ではなく、全身が肥大して半ば腐ったイモリと言ったところ。誰しもに気味悪さを抱かせる。
「……なんだ、この化け物は!!」
「憑き物、だよな? デカすぎるだろ!!」
「聞いたことあるぞ……もしかして
慄き騒めく兵士たちを管理室から見下ろして、アブラハムは笑っていた。
「ゲヘへへへ……これでローレンスも終わりなノダ!」
そんな間にも、汚染の
ただ、主もすぐに襲おうとはせず、無駄な仕草を繰り返している。ふと、一番手前の兵士に顔を近付けた……臭いでも嗅いでいるのだろうか。
ルドウィーグはそのときにはっきりと主の様子を観察できた。おびただしい数の腫れ物は気味が悪いと思うまでに膨れ上がって、その周りには寄生虫やカビが巣食っている。
それを目と鼻の先で見させられているあの兵士は今にもチビりそうな表情で仰け反り、あらゆる衝動を我慢していたが、
「う゛……グェッ!!」
遂に猛烈な腐臭に耐えることができず、汚水の中に倒れ込んで吐瀉してしまった。
その行動が刺激になってしまったのか、主はゆっくりと動き出した。不気味な桃色をした斑点模様の喉袋をブルブルと震わせたかと思うと、次の瞬間、口をいっぱいに開けてヘドロのブレスをぶちまけた。津波のように押し寄せるそれに呑まれた者たちは身動きもできず、腐った泥の中で溺れ死んだ。何とか攻撃を免れた残りの兵士たちは出口から逃げようとしたが、先程退散したブルが扉に錠を掛けていたようだ。取り残された兵士たちは口々に叫ぶ。
「は!? 嘘だろ!? ふざけんな!」
「こっから出せ! 俺たち死んじまうよ!」
「お~い、誰か! そっち側に誰か居ないのか? 錠を外してくれ! 早く!!」
しかし、その声に答えたのは救世主でも何でもなく、彼らを管理室から見下ろすアブラハムだ。拡声器を通して兵士たちを一蹴した。
『お前らなんか使い捨ての雑魚なノダ! そこで死んでろなノダ!』
それを聞いた兵士たちは血相を変えた。いや、汚染の主と対面した時から困惑と恐怖で血相が変わっていたが、今度は純粋な憎悪にすり替わっただけだ。だからもうアブラハムに媚びを売ったりはしない。これまで蓄えて来た不満を、誰もが罵詈雑言として吐き散らした。
「畜生! この腐れ外道が!」「それでも大司教か!」「地獄に落ちろ、豚野郎!」
けれど、そんなことをしても虚しいばかりで、兵士たちはすぐに気を落し、へたり込んでしまった。
「クソッ……俺らはこんな所で……」
が、今更考えると、汚染の主はまだに迫って来ない。それはどうしてなのか――彼らが後ろの状況を見ると、ローレンスが一人、力強く主と戦っていたのだった。その様に兵士たちは圧倒され、言葉を失っている。
そこにルドウィーグが出て来て、呆然としている彼らに言い聞かせた。
「あんたら、これでもう俺たちと戦う理由はなくなったろう? だったら生き延びる為に協力してくれ!」
兵士たちは初め、ざわついていたが、何人かが説得に応じてくれた。それに続いて、結局全員が味方してくれるらしい。
「ありがとう。よし、まずはこの扉を破るんだ!」
「でも、あれは相当頑丈な造りだ。ビクともしないと思うが?」
兵士たちが言う通り、扉は重厚な金属製で、しかも階段の上にある都合周りの足場が狭い。この人数を以てしても破壊は難しいだろう。だが、ルドウィーグにもまた策があった。
「うん。俺たちでは壊せない……
例え「主」の名を冠する憑き物が相手だったとしても、ローレンスからすれば的確な回避と反撃を繰り返すだけで、他の憑き物と変わりはないのだろう。
ただ、それは万全のときの話。衰弱しつつある今のローレンスでは、刃の通りが悪いのが現状だ……それは彼の命が本当にあと少しであることを示している。
だからこそ、ローレンスはこの汚染の主こそが最後の宿敵のように思っていた。
そんなとき、横から一斉に声がした。
「こっち向けぇ! 化け物‼」
兵士たちがナイフやゴミなんかを投げつけながら主の気を引いてくれたのだ。主はローレンスに向かって振り上げた腕を下ろし、ゆっくり兵士たちの方へ歩き出した。
少し休む
「彼らに協力してもらって、あの怪物を上手く誘導するんだ!」
「なるほど、奴の攻撃で扉を破ると……」
「その通り!」
兵士たちもなんやかんやで主の攻撃を上手く避けて着実に扉の方へ誘導できており、作戦の成功は見込めると思ったのだが……
天井の辺りに設けられた管理室に、見覚えのある太った男が立っている。それを見ていたのはローレンスだけだったが、彼は太った男が手元で何かをしたのを見逃さなかった。
アブラハムだ。彼は自分の命令で働くとき以上に果敢に振る舞う兵士たちを疎み、またも罠を作動させたのだ。
(マズい!)
壁の各所から生えている排水パイプ、そう思っていたものの中から何かの作動音がし、次の瞬間鋭い大矢を番えたバリスタが顔を見せる。バリスタが落雷のような轟きを起こす寸前、ローレンスはルドウィーグを突き飛ばした。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
視覚が、聴覚が、意識が朦朧とする。こうなってからあまり長い時間は経っていないのだろうが、しばらく気を失っていたかのように気分が悪い。
俺が目を開けると、天井の穴から美しい満月が見えた……さっきの衝撃で崩れたのだろう。続けて横を向くと、視線とは垂直になった水面が細かい波紋を立て続けている……俺は仰向けに倒れているらしい。上体を起こして辺りを見回すと、協力してくれた兵士たちは皆、大槍のような矢に貫かれて、血の池を作っていた。また、俺のすぐ隣には汚染の主が横たわっており、自分は主が盾になる位置に居たから助かった事も悟った。そして視線を正面に戻したとき、串刺しになったローレンスを見つけた。その姿は碧い月光に照らされ、だが足元は赤黒い血に染まっている。
「ローレンス!!」
俺は我に返り、全速力で彼の傍まで駆け寄った。
「……今これ抜くから!」
彼に刺さった矢に手を掛けてみるも、床に巨大なヒビを作って深く刺さっており、ビクともしない。俺は自分の無力を痛感して涙目になりつつも、それをやめることはできなかった。
ローレンスは確かにもうすぐ死ぬと言っていた。
けど、俺にはまだローレンスが必要だ。
シルビアにだって必要だ。
こんな理不尽な死に方なんて聞いてない、認められるか!
俺が無謀な努力を続けていると、ふと、後ろで大きな気配がした。振り返ると、汚染の主が立ち上がっているではないか。
「あ……」
主も体中を刺されてダメージを負ったようだったが、こちらに気付くと、再び咆哮を挙げて突っ込んで来た。正面から視界を覆いつくす程の大口、その醜い内側が自分の見る最後の光景だと、俺は覚悟した
――が、目を瞑ろうとしたその寸前、碧く光る粒子が眼前を
再び目を見開くと、俺は迫り来る主には目もくれず、光を追い掛けた。光は、ローレンスがまだ握っていた大剣に集まって閃く。
同時に、ローレンスは甦ったかのように素早いステップを踏んで俺の前に現れた。その大きな背中に、頼もしい後ろ姿に、俺は改めて惚れてしまう。
彼は碧く輝く剣に力を込めて、ただ一度振るった。暗闇に
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