第17話 歪んだ愛情


「……それと、詫びと言っては何だが、欲しいものでもあるか?」


俺はよくこんな質問をするのだが、シルビアはどこまでも無欲で困ってしまう。

遠慮が強いというのではなく、単純に謙虚が過ぎるのだ。

今度も「何もかも十分間に合っています」の一点張りかと思われたとき、シルビアはこう言った。


「ルドウィーグとマリアさんに普段からのお礼をしたいのです。教皇都でも、お土産を買いそびれましたし」


俺とアシュレイが溜め息を吐く結果は結局同じだった。


「えっと……駄目でしょうか?」

「シルビア、それは『必要な品』であって『欲しいもの』ではないぞ」

「そうだよ。試験合格、誕生日、聖誕祭……三つもおねだりできるのに!」


アシュレイも半笑いで援護射撃をしたかと思えば、ついでに便乗して来た。


「ししょー、僕にもプレゼントぉー」

「自分で買え」

「えぇ~、ケチ! ちょーだいなったら、ちょーだいな!」


仕方無く戯れてやっている間、シルビアはいつになく真剣に考え込んでいた。

……どう見てもプレゼント選びに悩んでいる様子ではない。

しかも、途中


「誕生日……」


などと呟いていた。

しばらくして、シルビアはこわばった表情のまま口を開いた。


「あの、師匠。話が逸れるのですが、2年前の私は本当に記憶喪失していただけだったのでしょうか?」

「それはどういう意味だ?」

「……孤児院には来たばかりだったのに、実験台として目を付けられた理由。この銀髪を指して、下等種族だと言う人が居る事実。それから、時々見えるんです……妙な碧い光が。

師匠ならご存知ではありませんか? 孤児院より前のことをどうか教えてください」

「……」


やはり、ふと耳にした言葉――「誕生日」をきっかけに、シルビアは勘付いてしまったようだ。

想定外の事態とい嘘になるが、俺は動揺して返答に困った。


 シルビアが憑き物から生まれた事は本人に伏せてある。

か弱い少女に狂気的な真実を突き付けるのは余りにも酷だからだ。

また、【聖血】のことも、単に特異体質だとしか言っていない。

彼女を傷つけない為に真実を隠すのか、そのように隠すことが彼女を傷つけるのか……選択した先で、どんな不幸が降り掛かるのか。


俺はシルビアと目を合わせる事ができず、グラスに注がれた酒を見詰めたまま沈黙してしまった。

その態度は彼女の信頼を裏切るには十分なものだったらしい。


「……私には言えないような事ですか? ……本当に想ってくださるのならきちんと教えて下さい!」

「言えない。お前を傷つけてしまう」


シルビアが納得する訳も無く、彼女はテーブルに強く手を着いて身を乗り出すように叫んだ。


「私はそんなに脆いでしょうか⁉ 私だって強くなりました、貴方から一本取れるくらいには!」



 違う、違うんだ……



俺は早くも焦りと苦悩に追い詰められた。

シルビアが自分の過去と向き合わねばならないときは必ず来る。

だが、同時に俺を失いまでしたら、あの子の心が持たない。



 済まない。済まない、シルビア……俺が愚かなばかりに――



そんなとき、ふと邪念を抱いた。卑怯な逃げ道が浮かび上がって来たのだ。


俺は近い内にあの子を置いて逝ってしまう。

どうせ置き去りにするくらいなら、今自分の手で突き放した方がよっぽど楽だろう……

憎んでくれて構わない。

そうしてサリヴァーンの所に行ってくれれば、きっと幸せなまま別れられる。


俺の舌はこの考えに乗っ取られた。


「ならもう独りでやっていけるだろう。出て行ったらどうだ」

「……⁉ そういうことではなくて――」

「お前は何も知らなくてよかった。余計な事に首を突っ込んだものだ」

「ちょっと師匠、何言ってるんですか?」


見兼ねたアシュレイが口を挟むが、俺は


「お前は黙っていろ」


と一蹴。


「待ってください、師匠。話が――」


困惑するシルビアの反論を捻り潰して、俺は冷ややかに言う。


「家族ごっこも今日で終わりにしよう……俺はお前を愛していないのだから」

「?」


シルビアは自身の耳を疑って首を傾げたが、俺はテーブルを叩くように椅子から立ち、大声で言い放った。











「俺が愛したのは死んだ娘の影だ! 代替品の分際で調子に乗るな!!」











長い静寂が続いた後、水滴が落ちる音が始まった。

瞬き一つせず、シルビアはただ泣いていた……美しかった碧い瞳は輝きを失って。

そして彼女はゆっくりと俯き、ふらりと消えるように部屋を走り去った。

玄関扉の開閉音が響いた後、俺は肩と視線を同時に落とした。

まだ息も整わぬまま自らの行いを顧みると、「これで良かったのだ」と言い聞かせる俺が居て、そいつを心に住まわせている自分ごと殺してやりたい気分になった――




――突然、皮膚を裂くような激しい衝撃が頬を襲った。


「この大馬鹿野郎!! 何やってんだ、さっさと追い駆けろ!!」


さっきの俺にも負けない程の怒号。声の主はアシュレイで、血走った目で俺を睨み付けていた。

アシュレイは弟子でありながら、良き助言者にして正しき批判者。

だから今、俺をち、真っ先に叱りつけてくれたのだ。

俺はヒリヒリとした痛みと、急速に膨れ上がる後悔で歯を食い縛る。

ようやく正気を取り戻して、すぐに外へ走った。




 酷く大きな嗚咽が木霊こだましていたため、居場所は掴み易い。

シルビアは廃屋の壁に座り込み、泣き崩れていた。

視界の端に俺の影が映っても、変わらず泣き叫び続けている。

きっとこの子は、勘付いていた……自分が普通の人間ではない事にも、俺にとって亡き娘の穴埋め役でしかない事にも。

けれど、俺のあの一言だけは受け入れられなかったのだろう。

彼女はこれまでずっと慕い、追い駆けて来た俺に全てを否定されたのだ。

大きく抉れた心を元に戻すのは簡単ではない……本当に可哀想なことをしたと思っている。


「……済まなかった、許してくれ」


俺が不器用な謝罪をすると、シルビアは辛うじて息を吸い、涙を拭って答えた。


「さっきのも……また嘘、だったんですか?」

「少なくとも真意ではなかった」

「なら、何が言いたいんですか⁉ もう師匠なんか信用できません!!」


シルビアは鼻声のまま叫んだ。


「反論の余地も無い。俺は腐りきった男だ……だが――」


懐から静かにマフラーを取り出し、彼女の首に巻きながら続けた。

2年前の今日、俺がこの子に与えたマフラーである。


「一つだけ確かに訂正させてくれ。どんな形であろうとも、俺はお前自身を心から愛している」


俺はシルビアを抱き締めた。

この温もりくらいしか、この誓いに偽りは無いと証明する術が無かったから。

俺がこの子に抱く愛情は今も尚歪んだままだが、守るべきものに変わりはない。

この世にたった一人の娘ではないか。


「ずるい……ずるいです、師匠。

 でも、私は……やっぱり貴方の娘でありたい、ローレンスの娘じゃなきゃ嫌です」


シルビアは弱弱しい声でそう答え、細い腕で俺を抱き返してくれたのだった。




 俺とシルビアが旧診療所に帰ろうとしていると、向こう側からおびただしい数の鳥が飛んで来て、あっという間に頭上を越していった。

また、直後にはアシュレイが三人分の武具を担いで、その重量に負けながらも走って来た。


「二人とも無事でよかった!」

「どうした、アシュレイ?」


酷く動揺しているアシュレイにその訳を尋ねると、彼は深呼吸をしてからはっきりと口にした。


「街が……燃えてる」






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 暖かなマフラー

誰かの手編みであろう柔らかなマフラー

ローレンスはこれを身に着け、失った家族の暖かみに縋っていた

だが、あるとき これを名も無き少女に与えてしまった

すなわち、今度は彼が愛情を注ぐ立場になったのだ

愛する事とは、守る事だ


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