第15話 歪んだ愛情
「……私もいつか師匠が納得するくらい立派な弔いになります。どうか、これからもお願いします」
「あぁ、勿論だ。……それと、詫びと言っては何だが、欲しいものでもあるか?」
師匠はよくこんな質問をするのだが、大抵私は「今でも十二分に幸せです」などと答えて彼を困らせてしまう。私も甘えたい気持ちはあるけれど、遠慮の方が勝るのだ。私の口は今回もそう言い――かけたが、私はあることを思い出して考えを改めた。
「ピアノを、ねだっても良いですか?」
「ピアノ……?」
師匠だけでなくアシュレイさんも怪訝そうな様子を見せた。私は身振り手振りしながら急いで説明する。
「ピアノと言ってもコンパクトな――もしかするとピアノですらないのかも知れませんが、トランクくらいの……」
「分かった、明日にでも探しに行こう。……それだけで良いのか?」
「そうだよ、試験の合格と誕生日とクリスマスで三つまでねだっちゃえ!」
アシュレイさんはそんな同調のついでに便乗してお願い事をして……
「ししょー、僕にもクリプレちょーだいな」
「自分で買え」
「えぇ~! ケチー」
などと二人は戯れている。その間に私は色々と考えてみた。弔いとして実戦に出るようになれば、こんな機会は滅多に無くなる。
(まずは誕生日プレゼントの枠…………
考え事の筋が逸れるのを自覚しつつも、自分の出生について引っ掛かった。疑問に思ったこと自体は決して少なくない。
孤児院には来たばかりだったのに、実験台として目を付けられた理由。
自分の銀髪を見て、奴隷人種だと言う人が居る事実。
もしかすると、メルヴィンさんが死んだときに見えた碧い光も……
これらを考えるほど関係が無いとは思えなくなって来た。
そうなると、師匠もはぐらかしているのだろうか。
私は本当に記憶喪失していただけの子供なのだろうか。
……今この場で訊くべきだ。
考えがまとまると、こわばった表情のまま私は口を開いた。
「私の生い立ちを詳しく教えて頂けませんか? 3年前の私は本当に夜道で気を失っていただけでしょうか? 孤児院より前のこと、聞かせて下さい」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
この子が今、これを訊いて来るとは思ってもいなかった。
「……」
俺は動揺せずには居られなくて、返答にも困った。
シルビアが憑き物から生まれたことは本人に伏せてある。か弱い少女に狂気的な真実を突き付けるのは余りにも酷だと思ったからだ。
また、理由や過程はさて置き、俺はあの子の血の意味を知っている。この家に訪れるのは訳アリの者が多いので、互いに詮索はしないようアシュレイにも伝えているが、赤ワインのように濃厚な紅色をしたあの血液は本物だろう。
彼女を傷つけない為に真実を隠すのか、そのように隠すことが彼女を傷つけるのか。
俺はグラスの中の酒を見つめたまま動けなくなった。ただ、その沈黙はシルビアの信頼を裏切るには十分なものだったらしい。
「……私には言えないような事ですか? ……本当に私が大切ならきちんと教えて下さい!」
「言えないんだ。お前を傷付けてしまう」
こんな言葉でシルビアが納得できる訳は無い。彼女はテーブルに強く手を着いて、身を乗り出すように叫んだ。
「私だって強くなりました! 貴方から一本取れるくらいには!」
違う、違うだろ。違うんだ……
俺は早くも焦りと苦悩に追い込まれた。いつか打ち明けなくてはならないと思ってはいたが、こんなにも気分の悪いものだとは想像できていなかった。
そんなとき、俺は邪念を抱いた。卑怯な逃げ道がふと思い浮かんでしまったのだ。
俺は近い内にあの子を置いて逝ってしまう。
どうせ置き去りにするくらいなら、今自分の手で突き放した方がよっぽど楽だろう……
そうだ、その方が彼女もよっぽど幸せだ。それからサリヴァーンの所にでも行けば何の問題も無い……
俺の舌はこの考えに乗っ取られた。
「ならもう独りでやっていけるだろう。出て行ったらどうだ?」
「……⁉ そういうことではなくて――」
困惑するシルビアの反論を捻り潰して、俺は冷ややかに言う。
「良い加減本音を言おう……俺はお前を――ない」
「?」
上手く聞き取れなかったシルビアは首を傾げていたが、俺はテーブルを叩くように椅子から立ち、大声で言い放った。
「俺はお前など少しも愛していない!!」
長い静寂が続いた後、水滴が落ちる音が始まった。瞬き一つせず、シルビアはただ泣いていた……美しかった碧い瞳は、見る影も無いほど輝きを失って。そして彼女はゆっくりと俯き、ふらりと消えるように部屋を走り去った。
玄関扉の開閉音が響いた後、俺は肩と視線を同時に落とした。まだ息も荒いまま自らの行いを顧みると、「これで良かったのだ」と言い聞かせる俺が居て、そいつを心に住まわせている自分ごと殺してやりたい気分になった――
――突然、皮膚を裂くような激しい衝撃が頬を襲った。
「この大馬鹿野郎!! 何やってんだ、さっさと追い駆けろ!!」
さっきの俺にも負けない程の怒号。声の主はアシュレイで、血走った目で俺を睨んでいた。
こいつは弟子でありながら良き助言者……正しき批判者でもある。ずっと前からそうだ。だから今、俺を
俺はヒリヒリとした痛みと、急速に膨れ上がる後悔で歯を食い縛った。ようやく正気を取り戻した俺は、アシュレイに感謝しつつすぐに外へ走った。
今夜も憑き物が徘徊している危険はあるが、それ以前の問題として俺は全力で彼女を探した。とは言え、酷く大きな嗚咽が
廃屋の壁に座り込み、泣き崩れているシルビアを見つけた。視界の端に俺の影がは映っているはずだが、変わらず泣き叫び続けている。
きっとこの子は、勘付いている……自分が普通の人間ではないことにも、俺にとって亡き娘の穴埋め役でしかないことにも。けれど、俺のあの一言だけは受け入れられなかったのだろう。彼女はこれまでずっと慕い、追い駆けて来た俺に全てを否定されたのだ。大きく抉れた心を元に戻すのは簡単ではない……本当に可哀想なことをしたと思っている。
「……済まなかった、許してくれ」
俺が謝罪の言葉を口にすると、シルビアは辛うじて息を吸い、涙を拭って答えた。
「さっきのも……また嘘、だったんですか?」
「少なくとも真意ではなかった」
「なら、何が言いたいんですか⁉ もう師匠を信用できません!!」
シルビアは鼻声のまま叫んだ。
「反論の余地も無い。俺は腐りきった男だ……だが――」
懐から静かにマフラーを取り出し、彼女の首に巻きながら続けた。……3年前の今日、俺がこの子に与えたマフラーである。
「一つだけ確かに訂正させてくれ。俺は、お前を心から愛している」
俺はシルビアを抱き締めた。
俺の言葉に偽りは無いと示す証人はこの温もりだけでありながら、俺がこの子に抱く愛情は今も尚歪んだままだ。けれど、守るべきものに変わりはない……この世にたった一人の、俺の娘だ。
「ずるいです、師匠……でも、やっぱり私は……貴方の娘でありたい」
シルビアは弱弱しい声でそう答え、細い腕で俺を抱き返してくれたのだった。
俺とシルビアが旧診療所に帰ろうとしていると、向こう側からおびただしい数の鳥が飛んで来て、あっという間に頭上を越していった。また、その直後にはアシュレイが三人分の武具を担いで、その重量に負けながらも走って来た。
「二人とも無事でよかった!」
「どうした、アシュレイ?」
酷く動揺しているアシュレイにその訳を尋ねると、彼は深呼吸をしてからはっきりと口にした。
「街が……燃えてる」
・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――
暖かなマフラー
誰かの手編みであろう柔らかなマフラー
ローレンスはこれを身に着け、失った家族の暖かみに縋っていた
だが、ある時これを名も無き少女に与えてしまった
それはきっと、今度は彼が愛情を注ぐ立場になったということだろう
愛することとは、守ることだ
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