第16話 最終試験
私が物思いにふけながら廃屋街のゲートを越えて旧診療所に帰ると、珍しくアシュレイさんが玄関で迎えてくれた。
「只今戻りました」
「お帰り。師匠が最終試験やるって。行っておいで」
彼は私の荷物を預かりながら、庭を指差した。
「……はい!」
この最終試験に合格したからと言って一人前になれるわけではない。
見習いを卒業し、本物の弔いに仲間入りするだけ……まだ序の口である。
だからこそ、その序の口を確実に越えてみせる。
私はまだ汚れも薄い狩装束に着替えて、自分の剣【哀愁】を手に取った。
半分だけ抜いて、鞘から覗く刀身とそこに映る自分の顔を見つめる……決意が固まると、私はカチンと刃を鞘に納めた。
「お待たせしました、師匠」
「あぁ」
庭の修練場に立っている師匠の背中に声を掛けると、腕組みを解いて振り向いた。
「準備運動はできているな?」
「はい、十全に」
「試験内容だ」
師匠は懐から畳んだ紙を取り出し、こちらに渡す。
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――最終試験――
試験形式は試験官との模擬戦とする。
具体的な戦法に制限は無いが、
受験者は自分の武器を用いて攻撃を一度成功させよ。
ただし、一撃でも喰らった場合は即時失格とする。
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私が目を通した頃合いで、師匠は一言付け加える。
「試験官は俺だ」
当然と言えば当然だ。
しかしながら、それは絶望的な難易度を意味していた。
第一、これまで幾度となく稽古試合をした中で師匠から一本も取れた験しが無い。
……落ち着こう。これまで教わったこと全て出し切れば、きっと――必ず合格できる!
何とか自分を鼓舞しながら、哀愁を抜いた。
人に真剣を向けるのも、これが初めて。
師匠は防具も着ているし、私なんかの攻撃で痛手を負うほど弱くないけれど、やはり緊張感がまるで違う。
「お願い、します」
師匠の方は訓練用の模擬剣を握った。
お互いが万全に剣を構えると、立ち会うアシュレイさんが笛を鳴らした――
――次の瞬間、正眼に構えていた筈の剣に凄まじい衝撃が走った。
重厚な特大剣が虚空から飛び出して来て、カチ合ったのかと思った。
体の反射に脳の処理が追い付いたのは、師匠が続けて繰り出した強烈な一薙ぎを間一髪のところで防御した後。
師匠の極めて重い一撃は、まだ私の腕を痺れさせている。
それをきちんと受け流したうえでこれだというのだから、直撃すればひとたまりもない……
私は思わず身震いをした。
(もしかして……合格させないつもり?)
師匠はその後も容赦無い猛攻を続けた。
開幕のあれは一際力の籠もった一撃だったが、後の一発一発もそれに勝らずとも劣らない速さで打ち込まれる。
おかげで回避や防御の札は何度でも切らされるのだが、攻撃にだけは転じる事ができない。
「たった一撃でも入れば……」と思うのだが、反撃を刺し込む隙はなく、極稀にチャンスが訪れたとしても確実に防御される。
私の体力や肺活量はお世辞にも十分とは言えないため、戦いが長引くほど不利になってしまう……ジリジリと追い詰められて焦りを抑えられなくなったのだ。
その次の攻撃だけステップで潜り抜けると、思い切って反撃に出た。
しかし、攻撃しようとしたのは師匠の方も同じだった。
お互いの攻撃タイミングが重なった場合、打たれ弱い私が敵う筈が無い。
鈍色の模擬剣は瞬く間に私の体に届く。
(あぁ、判断を間違えた……)
私は負けを覚悟し、目を瞑ってしまった。
数秒経っても自分の体に剣がぶつかる感触がしない。
恐る恐る目を開けると、師匠は既に剣を下ろしていて、私の顔ではなくその切先を見つめて言った。
「焦りから無謀な反撃に出て、返り討ち……実戦なら死んでいるだろうな」
「……ごめん、なさい」
私はそのままへたり込んだ。
師匠の言う通りで、弁解の余地も無い。
更に言えば、あの状況に陥ったとき、例え無理矢理でも抗おうとする意思が自分には無かった。
戦いの最中、絶望に支配され、迷いを持ち込んだ。
これまで学んだ技術もそうだが、それ以上に再三再四言われていた精神面について何も守れていない。
(私って、本当に弱い……)
血が出るほど唇を噛んだ。
これまでの集大成どころか、学びが何も活かせていない無様を晒す結果になってしまった。
それはすなわち、教え手に対する侮辱。
師匠もさぞ失望したことだろう。
直接手合わせまでしたのだから、誰よりも明白にその未熟さを感じ取っていた筈だ。
そう考える内に、段々と視界が波打って周りの景色が歪んで行った。
そして瞬きの度に眼球に纏わり付いていたものが軽くなって視界が少し戻り、また溜まる……
我ながら本当に安っぽい、下らない涙だ。
全く愚かしい。
この小娘は恥を何度塗り重ねれば気が済むのだろうか。
私はそうやって、心の中で自分を痛めつける事しかできずにいた。
しかし、完全に俯いていた私の頭に慣れ親しんだ感触が訪れる。
ゆっくり顔を上げると、師匠の掌だった。
「だが、合格にせざるを得ない」
「?」
師匠の言う意味が分からない……けれど、アシュレイさんも口を挟む。
「立会人からすると、シルビアの方が速かったからね」
私はしばらく考えてからようやく理解した。
まだ私が握っている哀愁の刃は、確かに師匠に届いている。
パニックになって忘れていたが、これは試験であり、合格条件を満たした瞬間に終わる。
仮に実戦ならば私の敗北は避けられないが、今回はほんの数秒先に攻撃を当てていた私の勝利だ。
「やったじゃん、シルビア!」
「ハァ……良かっっった……」
私の心はもうグズグズで、安堵のあまりまたも泣き出してしまった。
――ローレンス視点へ――――――――――――――――――――――――――――
夕食は立派なステーキを中心に、例年にも増して豪華なものだった。
「はい、では皆さん……乾杯!」
アシュレイの仕切りで俺たち家族だけの小さなパーティーは始まった。
シルビアは料理の取り分けを請け負おうとしたが、アシュレイが止める。
「あー、シルビア。そんなのしなくて良いよ、食べて食べて」
「では、お言葉に甘えて……」
シルビアは手元の鉄皿で良い湯気を立てているステーキにナイフを入れ、その欠片を口に運んだ。
思いの
「とっても美味しいです」
「そりゃあ良かった! この肉、師匠がとんでもない額を出して買ってたからね」
「アシュレイ、そういう事は言わんでいい」
「そういう師匠は何から食べます?」
「お前たちが好きなだけ食べろ。俺は適当に酒を飲んでおく」
・
・
・
夜も深くなる頃には粗方食べ終えて、デザートや飲み物を片手に団欒の時間を過ごす。
そんな中、俺はようやく話を切り出すタイミングを掴んだ。
「シルビア、済まない」
「急にどーしました、師匠? 酔ったんですか?」
野暮ったいアシュレイはこの拳でブッ飛ばして話を続ける。
「あの試験は不当に厳しいものだった」
シルビアは返答に困るかと思ったが、意外に落ち着いた様子だった。
「そんな気はしていました。あまりに容赦無かったものですから」
「……お前には、やはり弔いになどなって欲しくなかったんだ。許してくれ」
俺がそれだけ伝えると、シルビアは両手で持ったコップをゆっくりと机に置いて口を開いた。
「元々私は不合格のようなものですから、あまり気にしないでください。ただ、私もいつか師匠が納得するくらい立派な弔いになります。どうか、これからもお願いします」
そのときの笑顔は、いつも以上に美貌が輝いているように見えた――いや、改めて見て、彼女が大人びている事に気付いただけだ。
しかし、心の方はまだ純粋無垢であどけない。
俺はまだ心配を拭い切る事ができなかった。
・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――
哀愁
研ぎ澄まされた白鞘の騎士剣
質素だが美しく、繊細な剣技に映えるのだろう
これはシルビアが自身を守る愛剣でありつつも
同時に殺しの重みを宿す戒めでもある
また、「剣は主の分け身」とも言われる
故にその心は、ただ真っ直ぐであれ
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