第15話 秘め事

――シルビア視点から開始――――――――――――――――――――――――――


 防壁街に帰って来るや否や、師匠は「12月24日にお前の最終試験を行う」と言った。勿論、弔いとしての試験だ。

残る技もあと一つの段階まで来ている……【ステップ】である。

最初期に教わる技ではあるが、簡単だからではなく、習得に最も時間を要するとされているからだ。

 「移動したい方向の足から完全に力を抜き、重力に従って倒れる。その勢いで初動を速めつつ、反対の足で地面を水平に蹴った後、着地タイミングを調節して移動距離を決定させる」

こうしたコツを掴めば、地面を滑るように敏捷な回避ができるのだが、如何せん難易度の並が外れている。そこから更に、環境・位置取り・体調に合わせて諸々を調節しなければならない。

私の課題は、あと数日でこれを完璧まで仕上げる事だった。




 12月24日はすぐに訪れた。

同時に、凄い事が起きた。ドリフト諸島は待ち詫びていた希望の朝を迎えた――すなわち、極夜が終わったのだ。

冬晴れの清々しい空に、早い時刻から市民たちの歓声が響く。


「やっと……やっとだよ」

「あぁ、太陽ってこんなに明るかったんだな!」

「ありがとうございます、主よ」


暗闇を耐え抜いた者たちの感動と涙が、街に溢れた。これで祟りが終わる訳でも、膨大な犠牲者たちが生き返る訳でもない。

けれど、陰鬱な世界から解放された以上、喜ばずにはいられないのだ。


私も師匠から外出を差し止められていたけれど、これでようやくルドウィーグの下を訪れる事ができる。

今日までにできる修練は全てやり切ったのだし、久々に彼の所へ赴くことにした。



 しばらく会えていなかった分、期待や心配を抱えながら店のドアを開けると、滑らかなグランドピアノの音色が私を出迎えた。

聞き慣れない曲だけど、ルドウィーグは変わりないようだ。


「こんにちは」


店の奥に向かって挨拶すると、ちっとも雰囲気の変わらないマリアさんがハグを求めながら駆け寄って来た。


「シルビアちゃん! 久しぶり、良く来たわ~」

「マリアさんもお元気そうで良かったです。極夜の間、来れなくてごめんなさい」

「いいのいいの、身の安全が何よりなんだから。むしろ、何度か手紙を送ってくれただけ嬉しいわ」

「あ、きちんと届いていてよかった……ルドウィーグも居ますよね?」

「えぇ、いつも通り二階に」



 日記にもよく記しているように、私たちは出会って以来多くの時間を共にして来た。

取り留めの無い話をして盛り上がったり、隣で勉強をして教え合ったり、二人でマリアさんの手伝いをしたり……

ただ、何よりも時間を費やしたのは音楽に違いないだろう。

ルドウィーグの部屋もある二階の窓辺にはいつ見ても立派なグランドピアノが据え置かれていた。

彼がそれを使って様々な演奏を聞かせてくれるのは勿論、彼自身が曲を作る過程に立ち会い、素人ながら私も感想を述べる。

そうすると今度は私にも音楽について教えてくれるようになったのだ。

最近は連弾を練習していた。正直難しいけれど、ルドウィーグに教えてもらえるのなら安心できたし、単純に嬉しい。


 1ヶ月近く間が空いたものの、今日もそれに明け暮れていた。


「は~い、二人共おやつよ~」

「あ、マリアさん。ありがとうございます」

「お、ドーナツ! やった」


マリアさんが階段を上がって来て、お菓子とティーポットの乗ったお盆を置くと、ルドウィーグの勉強机に腰を下ろし、私たちの方を細い目で眺めた。

私は彼女が頬杖を突いて見守ってくれている穏やかな時間が好きだったし、ルドウィーグだっていつもより少し笑っている。


「フフッ、青春してるわ……どこまで弾けるようになった?」


マリアさんはレッスンの進捗を尋ねる。


「ブランクが空いた分、流石にまだ掛かるかな」

「そっかそっか」


別に責められているわけではないが、まだ成果を見せられないというのは残念だ。

……この気持ちが顔に表れていたのだろうか。

こちらを見たルドウィーグはドーナツを食べ終えると、私をピアノの方に手招きした。


「俺が導いてあげれば弾けるかも」


彼は椅子に掛ける私の後ろに立ち、私の手に掌を乗せた。彼の指が直接私の指に働きかけて、鍵盤をひとつ押させる。

このやり方には初め、少し驚いたけれど、私の指を掴んで従わせているのではなく、軽やかで優しい抱擁のような感触だった。

続けて押していく内に、段々と使う指の数や速さが上がっていく。

その動きはどんどん大きく滑らかになり、旋律が姿を現した。彼一人で弾くよりもよっぽど間違えが起き易い筈なのに、それすらも感じさせないようにせわしなく音を連ねて行く。


「もっと楽にして」


途中、ルドウィーグのは随分近くから聞こえた気がして、私はほんの少し鍵盤から目を離して左を見た。


(近い!!!)


ルドウィーグの横顔が近い、とにかく近い。鼻先が頬に触れてしまいそうなくらい近い!

当の本人は演奏に集中しており、楽し気でありながらも真剣な表情を崩さない……恥じらいの色を見せているのは私だけという事になる。

変に熱っぽい気分に堪え兼ね、困り果てた私はマリアさんに助けを求めて振り返る。

が、彼女も満面の笑みを浮かべて眺めているだけ!

ただ、その間も進んでいく旋律が、また私の心をほぐし、幸せな空間を作ったのだった。




「演奏、良かったわ」

「いえ、私はされるがままで。凄いのはルドウィーグです」


私はつい癖で謙遜したけれど、マリアさんは私の細い手を握って言ってくれた。


「夢中になったあの子の動きに付いて行けていたあなたも中々よ? いつかローレンスにも聞かせてあげてね」

「はい、是非そうします。それでは、メリークリスマス」

「えぇ、メリークリスマス」



 ルドウィーグはいつも、私の帰りを途中まで送ってくれる。

その道すがら、彼は喋り掛けて来た。


「シルビアって何か変わったなぁ」

「えっ……」


さり気ない一言で、私の心臓は一気に縮み上がった。

例えルドウィーグでも――いや、ルドウィーグには弔いである事を勘付かれたくない。

こればかりは本当の秘め事だ。

仮にそうと知れたら、今の関係では居られなくなる気がする。

私は恐る恐る訊き返した。


「ど、どう変わりましたか?」

「う~ん……どこかを境に少しずつ。目付きというか、眼差しが変わって来た気がする」


私の心配するところまで気付かれてはいないようだけれど、ルドウィーグの勘はとても鋭かった。

今日この後、最終試験を突破すれば私はもう正式な弔いになる。

となると、隠し切れるのは時間の問題かも知れない。


「あの、ルドウィーグ」

「なあに?」

「この先、私が変わり果ててしまったら、あなたは――」


彼は食い気味に溜め息を吐いた。


「そんなの関係無いだろ。君が何であれ、大切な人だから助ける」


ルドウィーグはきっぱりとそう口にした。

私はその揺るぎない思いに胸を打たれた……これなら、何の心配も無く剣を握れる。

ただ、ルドウィーグの話にはまだ続きがあるようで、彼は大きく息を吸ってからもう一度面と向かって言った。


「極夜で中止になってたけど、明日は聖誕祭コンサートの千秋楽なんだ」


ルドウィーグの所属する【クリスティアン交響楽団】は例年、聖誕祭一週間前から毎日コンサートを行っていた事を思い出した。

極夜のせいで今日までの6回はキャンセルせざるを得なかったが、明日に最初で最後の1回ができるようになったという事らしい。

そして、今回はルドウィーグの創った曲が初めて全体で演奏される。


「来て欲しいんだ……渡したいものと、伝えたい事がある」


ルドウィーグは緊張しているようだったが、私はただ穏やかにそれを承諾した。


「勿論です、また明日劇場でお会いしましょう」

「うん、メリークリスマス」

「メリークリスマス……」


丁度目的地の辺りまで来たので、私たちはその挨拶で別れたけれど、ルドウィーグはしばらくの間、歩き去る私の後ろ髪に視線を送っているようだった。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 マリア、キャラクタービジュアル

https://kakuyomu.jp/users/yuki0512/news/16818093083221310031

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る