第13話 秘め事


 防壁街に帰って来るや否や、師匠は「12月24日にお前の最終試験を行う」と言った。

残る技はあと一つの段階まで来ている……ステップである。一番最初に教わった技でもあるが、それだけ習得に時間を要するので、なるべく早くから教えるそうだ。


移動したい方向の足から完全に力を抜き、重力に従って倒れる。その勢いで初動を速めつつ、反対の足で地面を水平に蹴った後、着地タイミングを調節して移動距離を決定させる


この動きを習得すれば、地面を自在に滑るかのように敏捷な回避ができるのだが、如何せん元の難易度が並外れている。そこから更に、地面の状態、地形、相手との位置取り、タイミング、引いては刻一刻と変化する自分の身体状況に合わせてコツを調整しなければならない。

私の課題は、あと数日でこれを完璧まで仕上げることだった。




 とは言え、12月24日はすぐに訪れた。

でも、話はそこではない。ドリフト諸島は待ち詫びていた希望の朝を迎えた――すなわち、極夜の終わりである。

冬晴れの清々しい空に、早い時刻から市民たちの歓声が響く。


「やっと……やっとだよ」

「あぁ、太陽ってこんなに明るかったんだな!」

「ありがとうございます、主よ」


そこには暗闇を耐え抜いた者たちの感動と涙があるのは想像するまでもない。

実際、私も嬉しい限りだ。師匠から外出は差し止められていたけれど、これでようやくルドウィーグの下を訪れることができる。

今日まででできる修練は全てやり切ったのだし、私は彼の所へ赴くことにした。



 しばらく会えていなかった分、期待や心配その他諸々を抱えながら店のドアを開けると、滑らかなグランドピアノの音色が私を出迎えた。聞きなれない曲だけど、ルドウィーグは変わりないようだ。


「こんにちは」


店の奥に向かって挨拶すると、デニムのエプロンを掛けた女性が、腕を広げて駆け寄って来た。


「シルビアちゃん! 久しぶり、良く来たわ~」

「マリアさんもお元気そうで良かったです」


今ハグをしているこの方はマリアさん。ルドウィーグの母親であり、この本屋を一人で経営している。(厳密に言えば、単なる本屋というよりも古本屋や図書館もくるめたような場所) マリアさんは私がここに来るようになって、とても親切にしてくれている。また、父親については師匠がその役割を十二分に果たしているものの、私には母親代わりの人が居ない。私や師匠の面倒を諸々見てくれる点を考えれば、アシュレイさんの立ち位置もそれらしいが、やはり少し違う……

とにかく、マリアさんは一番身近な年上の同性であり、何かと教わることも多い。

大人びても乙女心を忘れない素敵な人なので、私は尊敬している。


「極夜の間、来れなくてごめんなさい」

「いいのいいの、身の安全が何よりなんだから。むしろ、何度か手紙を送ってくれただけ嬉しいわ」

「……ルドウィーグは?」

「……」


私が尋ねると、暗い顔をして俯いた。


「彼、どうかしたんですか?」

「それが、あの子……」


無言で階段を上るマリアさんの後を付いて行き、慣れ親しんだ2階へ。ルドウィーグはそこでグランドピアノの鍵盤を叩き続けていた。

いくら熱中しやすい彼でも、普段ならもう私に気付いている。私の頭に嫌な予感が走って、慌ててマリアさんの方を向いた。


「もしかして――」

「そうなの、精神疾患だって……ピアノとしか向き合わなくなって、小さい頃に弾いていた曲をずっとずっと」


嘘だ。あのルドウィーグが。

確かに、陰湿で危険な環境下においてうつを患う人や、耐えられず正気を失う人も少なくないとは聞いていたけれど……


どうしてルドウィーグが!

私が知っている強い彼はどこへ行ったの?

こんなの嘘……


「嘘だよ」

「え⁉」


少年の軽い声がした。


「やっぱりちょっとやり過ぎだって、母さん。シルビアがショックを受けてるよ」

「ん~、ドッキリとしては深刻過ぎたかしら」


ルドウィーグは何の問題もなく歩いて来て、茫然としている私の背中を摩った。それからようやく事の筋が分かって、恥ずかしくなった。


「……もう! 本当に心配したですから! マリアさんも、ルドウィーグも意地悪しないでください!」

「「ごめんて」」



出会って以来、私たちは多くの時間をこの本屋で過ごしている。私の勉強を手伝ってもらったり、二人でマリアさんの手伝いをしたり……時々他のお客さんも来ることがあったが、大抵はルドウィーグとマリアさんの知り合いであり、会話の環に入ってもらうことも少なくなかった。

ただ、何よりも時間を費やしたのは音楽に違いないだろう。ルドウィーグの部屋もある二階の窓辺にはいつみても立派なグランドピアノが据え置かれていた。初めて会った時もピアノを弾いていた通り、ルドウィーグは音楽好きで、そのセンスも素晴らしい。元々、私も彼の演奏に惚れ込んだことで接点を持ったのだ。

ルドウィーグの様々な演奏を聞くのは勿論、彼自身が曲を作る過程に立ち会い、素人ながら私も意見を述べる。そうすると今度は私にも音楽について教えてくれるようになったのだ。

直近では、初めて会ったときに聞いたあの曲・・・を連弾できるように練習している。かなり上級者向けのようだけれど、ルドウィーグに教えてもらえるのなら安心できたし、その時間は長い方が楽しい。

1ヶ月近く間が空いたものの、今日もそれに明け暮れていた。


「は~い、二人共おやつよ~」

「あ、マリアさん。ありがとうございます」

「お、ドーナツ! やった」


マリアさんが階段を上がって来て、お菓子とティーポットの乗ったお盆を置くと、ルドウィーグの勉強机に腰を下ろし、私たちの方を細い目で眺めた。私は彼女が頬杖を突いて見守ってくれている穏やかな時間が好きだったし、ルドウィーグだっていつもより少し笑っている。


「フフッ、青春してるわ……どこまで弾けるようになった?」


マリアさんはレッスンの進捗を尋ねる。


「流石にこれまでとは難易度が違うからね……まだかかるかな」

「そっかそっか」


別に責められているわけではないが、まだ成果を見せられないというのは残念だ。

そういう気持ちがドーナツを頬張っていた私の顔に表れていたのだろうか。こちらを見たルドウィーグはドーナツを齧るのを止めて、私をピアノの方に手招きした。


「俺が導いてあげれば弾けるよ」


私が椅子に座ると、彼は私の背中から腕を回して、手に手を乗せた。彼の指が直接私の指に働きかけて、鍵盤をひとつ押させる。

このやり方には初め、少し驚いたけれど、私の指を掴んで従わせているのではなく、軽やかで優しい抱擁のような感触がしていた。

続けて押していく内に、段々と使う指の数や速さが上がっていく。その動きはどんどん大きく滑らかになり、旋律が姿を現した。彼一人で弾くよりもよっぽど間違えが起きやすい筈なのに、それすらも感じさせないようにせわしなく音を連ねて行く。


「もっと楽にして」


途中、耳に入って来たルドウィーグの囁きは随分近くから聞こえた気がして、私はほんの少しの間鍵盤から目を離して左を見た。


(近い!!!)


ルドウィーグの横顔が近い、とにかく近い。当の本人は演奏に集中しており、楽し気でありながらも真剣な表情を崩さない。一人恥じらいの色を見せている私がどうかしているみたいではないか!

この変に熱っぽい気持ちに堪え切れず、困り果てた私はマリアさんに助けを求めて振り返る。が、彼女も満面の笑みを浮かべて眺めているだけ! ただ、その間も進んでいく旋律が、また私の心をほぐし、幸せな空間を作ったのだった。

師匠とアシュレイさんの居る家庭を無下にする気は毛頭無いが、ここは私の第二の家とも言えるほど安心できる居場所になっていた。




「演奏、良かったわ」

「いえ、私はされるがままで。凄いのはルドウィーグです」


私はつい癖で謙遜したけれど、マリアさんは私の細い手を握って言ってくれた。


「夢中になったあの子の動きに付いて行けていたあなたも中々よ? いつかローレンスにも聞かせてあげてね」

「……⁉ どうして師匠のこと――」

「あ、何でもないわ。じゃあ、メリークリスマス」

「……メリー、クリスマス」


半ば強引な別れの挨拶に乗せられてしまったが、私は違和感を拭い切れずにない。ただ、丁度ルドウィーグも来たので、今日のところは素直に帰るべきだろう……


「お待たせ、シルビア」



 ルドウィーグはいつも、私の帰りを途中まで送ってくれる。その道すがら、彼は喋り掛けて来た。


「シルビアって変わったよね」

「えっ……」


そのさり気ない一言で、私の心臓は一気に縮み上がった。

まさか、弔いであることが……例えルドウィーグでも、そこには勘付かれたくない。こればかりは本当の秘め事だ。仮にそうと知れたら、今の関係では居られなくなる。


「ど、どう、変わりましたか?」

「そうだなぁ……どこかを境に少しずつ。目付きというか、眼差しが変わってきた気がする」


その返答からして、私の心配するところまで気付かれてはいないようだが、ルドウィーグの勘はとても鋭い。

けれど、もしかしたら……

私は不安で先走った質問をしてしまった一方で、あの答え・・・・を期待する自分も居る。


「この先、私が変わり果ててしまったら、ルドウィーグは――」


彼はやはり二年前とよく似た答えを、食い気味に発した。


「前にも言ったけど、そんなの関係ないよ。君が何であれ、大切な人だから助ける」


私はルドウィーグの揺るぎない思いに心打たれた。……これなら、何の心配も無く剣を握れる。

ただ、ルドウィーグの話にはまだ続きがあるようで、彼は大きく息を吸ってからもう一度面と向かって言った。


「明日……渡したいものと、伝えたいことがあるんだ」


ルドウィーグは緊張しているようだったが、私はただ穏やかにそれを承諾した。


「勿論です、また明日お会いしましょう」

「メリークリスマス」

「メリークリスマス……」


丁度目的地の辺りまで来たので、私たちはその挨拶で別れたけれど、ルドウィーグはしばらくの間、歩き去る私の後ろ髪に視線を送っているようだった。




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