第10話 絶脈の感触 前編

 師匠と僕はいつも通り担当の北東地区を巡回していた。

ここは方角と地形による日射時間の関係で、どこよりも早く憑き物の出現条件が整うため、特に危険な地区とされている。

にも拘らず、今夜は殆ど憑き物に遭わないまま暁が近付いて来ていた。


「師匠。これをどう見ます?」

「……嵐の前の静けさ、といったところか」

「え、だとしたら嫌だなぁ」

「経験に基づく勘でしかないが、憑き物はやたら危機察知能力が高い。自分より大きな脅威が現れる前兆のようなものを感じ取って、近寄ろうとしなくなる」



 その見立てはあながち間違っていなかったのだろう。

程無くして、南の方でトラブルが起きたようだ。


「師匠、あれ!」


建物の屋根上から周囲を警戒していた僕は信号煙を見つけた。

隣の地区を警備担当とする弔いからの合図だ。

確認できる二色が示すところは「増援要求」と「仲間の発病」。

特に後者は滅多に無い緊急事態なのだが、


「行くぞ」


と、師匠は動揺を見せずに走り出した。




「あれか!」


地形を無視して屋根伝いに移動する分、僕が先に現場へ到着した。

そこでは、二人の弔いが熊狼に追い回されている様子が目に入った。

防壁街を担当している弔いは僕らを含めて七組あり、僕も多少知っている。

南東地区上部担当のあの人たちも、熊狼一体くらいなら容易に退けられる実力の持ち主だというのに、何故そうしないのか。

「ついさっきまで人間として生きていた仲間だから、辛くて刃を向けられない」という線もあるが、答えはもっと簡単……その熊狼が明らかに大きいから。

【大熊狼】とでも呼称すべきそれは、馬車一台分の幅を確保した街の道にギリギリで、暴れる度に体のどこかしらが建物を削っていた。


弔いは対憑き物に特化した独自の技を以って戦う。

その要にあるのが瞬間的な急速移動によって相手の死角に回り込む【ステップ】である。(『クイックステップ』とか『瞬歩』とも呼ぶ。)

この機動力で憑き物を翻弄するのが定石にして最善策なのだが、

敵が大きいとそれだけ攻撃範囲も広がり、ステップ一回では死角に回り込めなくなる。

要するに、基本の戦法が通用しなくなるのだ。


 僕が狙い撃とうにも、大熊狼の動きは激し過ぎて狙いが定まらない。

急所以外に命中しても下手に刺激するだけで、かえってあの二人に危険が及ぶだろう。

しかも、うち一人の女性は深手を負っている。

辛うじて無事な男性が肩を貸しているものの、その状態で逃げ切れるのはここが限界らしい。

二人は大熊狼が地面を殴り付けた衝撃で吹き飛ばされた後、地に伏したまま身動きが取れずにいた。


「何でだよ畜生! マーフィー、目を覚ましてくれ!」


彼は追い詰められ、嘆くかのようにかつての仲間の名を叫んだ。

が、現実は非情であり、思いが届きはしない。


(僕が……僕が助けなくちゃ……)


そんな使命感から来る強い緊張が、全身の皮膚を急速に収縮させる。

矢を摘まむ指が汗で滑る。

弓を支える腕が震える。

しっかり構えた筈の足元がガタつく。

狙いを定めなければならないのに、目が瞬きを止めてくれない。


(あぁ……嫌だ、心地悪い。何でこんなときに限って僕は――いや、こんなときだから本性が出るんだ。僕は昔っから、意気地無しだったじゃないか。)


大熊狼は口を張り裂けんばかりに開き、ついに二人を殺しにかかった。

二人は絶望の表情を浮かべながらも、怨嗟の籠った目で僕を見上げていた……「何で助けてくれないんだ」と。


(僕のせいで、また人が死ぬ)











 次の瞬間、疾風と共に黒い人影が隣をよぎる。


……師匠ローレンスだ。


彼は僕を追い越すのようにそのまま建物を跳び下り、落下を利用した強烈な一撃を繰り出した。

大熊狼の頸動脈目掛けて突っ込む双剣……その勢いは凄まじく、刃が突き刺さると同時に両者はもつれ合いながら地面を転がって行った。

吹き出す大量の血が跡を描いた先でようやく回転が止んだ際、地面で仰向けになっていた熊狼は、上を取る師匠に切れ味の悪そうな太い爪を振りかざす。

師匠は右手の矛でその反撃を封じると、今度は左手の大剣で確実に心臓を貫いた。



 二人の弔いは窮地を救われて安堵しつつも、死線を共に乗り越えて来た戦友を亡くした事実に打ちのめされていた。

彼らは血が付く事も気にせず熊狼の死体に縋り着き、泣き喚いている。

師匠なら大熊狼の頭を狙って一撃で仕留める事もできただろう。そうしなかったのは、残された彼らがこの惜別の時間を過ごす為だ。

醜い怪物に成り果てたとは言え、その者を悼むときに首が無いのでは、余りにも救いが無い。

師匠は一歩引いた所から遺体に向かって短く祈ると、あの二人には何もせずに回れ右をして歩き出した。

茫然と立って見ていた僕も我に返ると、黙々と歩き去る彼に追い着いた。


「ねぇ、師匠。どうしてそんな躊躇ためらいも無くを殺せるの?」


本当に今更で、どうしようもない愚問だと自覚はしている。

師匠はこれに、いつも通りのぶっきらぼうな声色で答えた。


「生き様、死に様がどうであれ、死に逝く命の重みに違いは無い。それを葬る事に罪や恐怖は感じな――」

「でも、殺してるんだよ⁉ 僕らはを殺してるんだ! こんなの…………す、すみません」

「いや、お前は正しい。だからこそ、この行いがただの殺しにならない為に、俺たちは彼らの遺志を背負う義務がある」


僕はその言葉を聞き終えると同時に、横から抱き寄せられた。

師匠が慰めてくれたのは、随分久し振り前だった気がする。

彼の体はゴツゴツしていて、僕がもたれ掛かった程度ではビクともせず、とても暖かかった。




「師匠、もう家に着きますから離して下さい」


この角を曲がれば僕らの家・旧診療所。こんな情けない義兄を待っている義妹だって居る。

僕は深呼吸して気持ちを整えると、目を開けた――











――が、視界に入った診療所の扉には無数の爪痕。

窓ガラスの一枚は外側から割られていて、残り全てには赤い液体がべったりと内側からこびり付いている。


「「シルビア!」」


僕らは血相を変えて走り出した。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 絡繰りの弓

アシュレイが自作し、愛用する改造弓

特殊な弾倉と多段弦により、矢次第で最大6発の連射が可能

使い手に余程の腕前が無い限り、弓は憑き物への有効打になり得ない

それでもアシュレイは絶脈の感触を忌み、飛び道具に頼った

狩りの中で、人が逃避や依存をするのは至極当然のことである

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