第10話 絶脈の感触 前編


 師匠と僕はいつも通り、担当の北東地区を巡回していた。北東地区は方角と地形による日射時間の関係で、どこよりも早く憑き物が動き出す危険な場所の筆頭である。にも拘らず、今夜は殆ど憑き物に遭うことが無いまま暁が近付いて来ていた。師匠の見立てによると、他の地区に集中している可能性があるそうだ。

その見立てはあながち間違っていなかったのだろう。南の方でトラブルが起きたようだ。


「師匠、あれ!」


建物の屋根上から周囲を警戒していた僕は信号煙を見つけて師匠に知らせた。


「白と……赤か」


隣の地区を警備担当とする弔いからの合図だ。白は「増援要求」、割とよく見る。しかし、赤い信号煙が上がることは滅多に無い。それが表すところは「仲間の発病」。僕も初めて見るような緊急事態だが、師匠は動揺を見せずに走り出した。



「あれか!」


煙が上がった所まで屋根伝いに来ると、二人の弔いが熊狼に追い回されている様子が目に入って来た。


(仲間とやらなきゃいけないのは辛いけど、どうして反撃すらしないんだ?)


防壁街を担当している弔いは僕らを含めて七組あり、僕も多少知っている。この南東地区上部担当の人たちも決して弱くないので、熊狼一体くらい退けられるはずだ。

が、そうしない理由はすぐに分かった。反撃できない・・・・のだ。

相手は形こそ典型的な熊狼だが、一回りか二回りも大きい。元の2メートル程度ならまだ人間が対処し得る範囲だが、4メートルを超えた辺りになると話が変わって来る。

弔いは対憑き物に特化した独自の技を使って戦う。その要にあるのが瞬間的な急速移動によって相手の死角に回り込む回避技「ステップ」である。人によっては「クイックステップ」だとか、「瞬歩」とも呼ぶ。このステップの機動力に物を言わせて憑き物を倒すのが定石にして最善策なのだが、敵が大きいと相対的に攻撃範囲も広がるので、回避難易度は上がる。市街地戦ともなれば尚更だ。

 僕が狙い撃とうにも、大熊狼の動きが激し過ぎて狙いが定まらない。急所以外に命中しても下手に刺激するだけで、かえってあの二人に危険が及ぶ。また、今更気付いたが二人のうち一人は深手を負っているようだ。辛うじて無事な男の方の弔いが負傷した女に肩を貸し、大熊狼の強烈な一撃を運良く躱したものの、衝撃で吹き飛ばされた後、地に伏したまま身動きが取れていない……限界が来たのだろう。


「何でだよ畜生! マーフィー、目を覚ましてくれ!」


男の方の弔いは最後に嘆くかのようにかつての仲間の名を叫んだ。が、その思いが伝わることはもうない。

防壁街は憑き物との激戦地ということもあって、彼らは血反吐を吐くような死線を共に乗り越えて来た戦友の筈。そう簡単に「憑き物となったので殺します」とはいかないし、逆にその戦友に殺されるのだって惨過ぎる。


(僕が……僕が助けなくちゃ……)


そんな使命感から来る強い緊張が、全身の皮膚を急速に収縮させる。矢を摘まむ指が汗で滑る。弓を持った腕が震える。しっかり構えた筈の足元がガタつく。狙いを定めなければならないのに、目が瞬きを止めてくれない。


あぁ……嫌だ、心地悪い。何でこんなときに限って僕は――いや、こんなときだから本性が出るんだ。

僕は昔っから、意気地無しだったじゃないか。


大熊狼はその口を張り裂けんばかりに開いて二人を殺しにかかった。

二人は絶望の表情を浮かべながらも、怨嗟の籠った目で僕を見上げていた。「何で助けないんだ」と。


また僕のせいで、人が死ぬ。


だが、丁度そのとき、より遠くの高い屋根から誰かが跳び下りて来て、落下の衝撃を利用した攻撃が大熊狼の側面から直撃した。


……師匠ローレンスだ。


その勢いはまだ収まらず、両者はもつれながら地面を転がっていく。やっと止まった際、地面で仰向けになっていた熊狼は、上を取る師匠に切れ味の悪そうな太い爪を振りかざす。だが、師匠はその腕を踏み付けて反撃を封じると、今度は確実に心臓を貫いた。



 二人の弔いは窮地を救われて安堵しつつも、友を亡くした事実に打ちのめされていた。彼らは血が付くことも気にせず熊狼の死体に縋り着き、泣き喚いている。

さっきの戦いの一部始終を見ていた僕には分かる。熊狼の頭を狙えば一撃で済んだところを、なぜ師匠はこんな倒し方をしたのか。

それは残された彼らがこの惜別の時間を過ごす為だ。醜い怪物に成り果てたとは言え、その者を悼むときに首が無いのでは、余りにも救いが無い。

師匠は遠間から遺体に向かって短く祈ると、あの二人には何もせずに回れ右をして歩き出した。茫然と立って見ていた僕も我に返ると、黙々と歩き去る彼に追い着いた。


「ねぇ、師匠。どうしてそんな躊躇ためらいも無くを殺せるの?」


本当に今更で、どうしようもないくらい愚かな質問だと自覚している。けれど、けれど……

師匠はいつも通りのぶっきらぼうな声色で答えた。


「生き様、死に様がどうであれ、死に逝く命の重みに違いは無い。それを葬ることに罪や恐怖は感じな――」

「でも、殺してるんだよ⁉ 僕らはを殺してるんだ! こんなの…………ごめん」

「いや、お前は正しい……だが、俺たちの行いがただの殺しにならない為に、彼らの遺志を背負う義務がある」


僕はその言葉を聞き終えると同時に、横から抱き寄せられた。師匠がこんなことをしてくれたのは、シルビアが来て以来初めてだろうか。彼の体はゴツゴツしていて、僕がもたれ掛かった程度ではビクともせず、とても暖かかった。




「師匠、もう家に着きますから離して下さい」


僕は久しぶりに師匠に慰めて貰ったが、この角を曲がれば僕らの家・旧診療所だ。こんな情けない兄を待っている妹だっているんだ。

僕は深呼吸して気持ちを整えると、目を開けた。



だが、視界に入った診療所の扉には無数の爪痕。窓ガラスの一枚は外側から割られていて、残り全てには赤い液体がべったりと内側からこびり付いている。


「シルビア!」


僕らは血相を変えて走り出した。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 絡繰りの弓

アシュレイが自作し、愛用する改造弓

弦と弧の間に掛かる弾倉兼装填装置により、最大6発の連射が可能

使い手に余程の技量が無い限り、弓は憑き物への有効打になり得ない

それでもアシュレイは絶脈の感触を忌み、飛び道具に頼ったのだ


https://youtu.be/sy_bJQaD3Uc?si=_QhaR6hhlXoa2ejK

この動画で紹介されているような弓を想像しています。

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