第9話 弔いになりたくて

 ホールでの事件ではルドウィーグが助けに入ってくれたものの、これを受けて師匠は私に護身術を教えるようになった。

それに伴い、この「師匠」という呼び方についても意味が変わった。あの人は初め、


「呼び方はアシュレイと統一してくれ」


と言ったので、私もただ「師匠」と呼んだわけだが、これからは本当の意味で師匠と言える。




「腕を掴まれたら、後ろに引くな。このように、むしろ前へ踏み込んで身を捻るんだ。……やってみろ」

「はい」


私は師匠を相手に、拘束を解く技の練習をしていた。

私たちの家こと、この旧診療所は広い敷地を有しており、その庭が稽古場として十分な機能を果たす。


 何度か続けていると、師匠は感嘆の音を洩らした。


「……筋が良いな」

「本当ですか?」

「ああ。初動をさらに思い切れば、まだ良くなる」

「……こう、でしょうか」


言われた通りやってみると、想像以上に上手くいって驚く。師匠はまた、落ち着いた様子で出来映えを認めてくれた。


「その調子だ」


普段は口数の少ない師匠だけれど、指導ともなるとしっかりと話してくれるし、沢山褒めてくれる。これまでの稽古も、師匠が言うことなら素直に聴き入れられたし、実際とても出来が良いと言ってもらえた。

ただ、嬉しい稽古の時間はいつもあっと言う間に終わってしまう。


「良し。今日はこれで終わりだ」

「……はい」


返事をする声にはその落胆が現れていたのか、師匠は私の様子に気付いた。


「稽古は好きか?」

「はい、とても。師匠は丁寧に教えてくれて、よく褒めてくれます……それが嬉しいんです」


私は照れを隠し切れないまま素直に答えた。

すると、私と並んで歩いていた師匠の足音は突然止まった。不思議に思って振り向くと同時に、極めて重い問いがぶつかって来た。


「……だから、弔いにもなりたいのか?」

「!!」


図星を突かれて、喉がつかえるような感覚に襲われる。

近頃そう思っているのは紛れもない事実であり、白を切ってどうにかなる筈も無く、面と向かって告発するのも辛い。

師匠は間違いなく私が弔いになる事を拒む。普段の振る舞いからしてそれくらいは想像に難くないから黙っていたというのに、こうも容易に勘付かれてしまった。


「……止めた方が良いですか?」


私は感情的な叱責を受ける事も覚悟していたのだが、師匠は


「一度殺せば、二度と前の自分には戻れない。お前にはそういう人生を歩んで欲しくない」


とだけ言い残して、立ち尽くす私を置いて行ってしまった。


 あの人の言葉はいつも的確で、説得力がある。特に今回は師匠本人の凄惨な経験から来る戒めに近い気がする。

私は着けていた髪飾りを手に取り、ギュッと握り締めた。

装飾の凹凸が掌に食い込む僅かな痛みと共に、あの言葉は一生忘れられないものになった。




 私は師匠の知人【メルヴィン】さんの経営する雑貨店に来ていた。彼はマリアさん同様、面倒な事情も織り込んで相手をしてくれる。

マリアさんやルドウィーグと関わるうちに人との接し方が上達した事もあってか、メルヴィンさんともすぐに仲が良くなれた。

今日も私は商品を注文し、彼が用意する間雑談を交わしていた。


「そうか……まぁそうだよな」

「ですが、私の先輩方は今のところ誰も殉職していないほど優秀らしいですし……」

「死ぬ・死なないじゃなくてだな、本人の人生を歪めてしまう事を機に掛けてるんだろうさ。あの人は『もう弟子を取らない』って決めてたのにシルビアちゃんを育ててるんだから、君にそういうことは望んじゃいない。きっと、もっと特別なのさ」

「……」


彼が言うことは恐らく正しいし、理解も納得もできる。

けれど、それで自分の志を諦められるわけではない。

私が複雑な心境で俯いていると、メルヴィンさんは明るい声で暗い話を終わらせてくれた。


「でもまぁ、もし俺が憑き物に堕ちたらシルビアちゃんみたいなめんこい子にやられたいな、ハハッ」

「そんな縁起でもない冗談止めて下さい」


袋詰めも丁度終わって、私は硬貨を渡す代わりに商品を受け取った――




――が、彼は急に姿勢を崩し、それらを残らず落してしまった。


「大丈夫ですか?」


カウンターの向こうでうずくまっている彼が心配で、私は身を乗り出して様子を窺う。


「ごめん。ちょっと目眩めまいが……ここのところドジが多くてさ」


メルヴィンさんは申し訳無さそうに笑いながら商品を拾い、ゆっくりと立ち直った。

そう言えば、以前来たときに彼は教皇都まで行くと言っていた。日日ひにち的には昨日帰って来たところだろうか。


「そう言えばメルヴィンさん、教皇都に行っていらしたんですよね? きっとお疲れなんですよ」

「そう……だな」

「?」


メルヴィンの表情からちょっとした余裕というか、微笑みが消えた。私がそれを気にしていると、訊かずとも彼は自ずと打ち明けてくれた。


「お袋が、死んだんだ。教皇都には葬儀に行ってたんだ」

「そうでしたか。……お悔やみ申し上げます」

「ハァ……今なら分かる、お袋がどれだけ俺のことを想っていたのか。どうしてもっと、報いてやれなかったんだろう……」


メルヴィンさんは私の前だとしても、溢れる気持ちを抑えられなかったのだろう。或いは誰かに悩みを打ち明けたかったのだろうか。彼の目元は赤くなっている。

こんなとき、私はどうしたら良いのか知らない。何をしてあげれば良いのだろう。

分からないなりに手を握ってあげる事しかできなかった。


「ごめんな、シルビアちゃん……また、今度来てくれ」

「はい。お体にも気を付けて下さい」


去り際に、彼は首から下げたロケットペンダントを開いて、中の家族写真を見つめていた。




―――アシュレイ視点へ―――――――――――――――――――――――――――


 夕方、狩りの支度を整えた僕はまだ自室に居るシルビアの様子を見に行った。

丈夫なレザーの戦闘服に身を包んで家の中をうろつくのは少し変な気分だが、ゆっくり扉を開けて部屋の中を覗くと、彼女は机に座って書き物をしている。

僕はひっそりと彼女に近づき、両肩に触れた。


「シルビアッ! 何してるの?」

「っ! びっくりしました、隠密技術を悪用しないでください……」

「へへへ」


ドッキリは大成功。

驚く仕草も可愛いシルビアを見られて、僕は大満足だ。

ただ可愛いのではなく、慎ましい言動が美貌を際立たせており、どんな場面でもそれが失われることがない。

正直、彼女との触れ合いは、僕の数少ない癒しになっていた。この先も、師匠と一緒に彼女の幸せを守っていかなくては……


 そう言えば、シルビアは何を書いていたのだろうか。僕は彼女の肩の辺りから、書いていたノートを覗き込んだ。


「ん、日記?」

「はい。その日嬉しかったことを書き留めていて、いつか師匠に伝えられたら……」

「そっか。きっとあの人、喜ぶよ。……ふむふむ、ルドウィーグとも良い関係みたいだね。このまま彼氏になったりして」


僕はほんの少しからかっただけのつもりだったが、シルビアは赤面しながら慌てて弁解した。


「ま、まだそんな大それた関係ではないです! ルドウィーグは、その、えっと……」

「ごめんごめん、間に受けなくていいよ。でも、どんな人だと思ってるかは気になるな」

「ん……音楽家としての拘り故か少々繊細なところがありますが、誠実な紳士であり、私に希望を教えてくれる。そんな風に思っています」

「へぇ……」


ルドウィーグは僕が思っているよりも、シルビアの中で大きな存在らしい。

師匠が彼女に「愛情」を与え、次いでルドウィーグが「希望」を教える……そう思えば、なかなか悪くない関係かも知れない。


 そうやって相槌を打ったとき、今度はメルヴィンについて書かれているのも見つけた。しかも今日の日付で、内容もあまり良いものではないらしい。

気掛かりに思ったが、もう出発しようとしたとき、珍しくシルビアが呼び止めて来た。


「あの、アシュレイさん……」

「お、どしたの?」

「突然こんなことを訊くのも何ですが、アシュレイさんはその……どうして弔いになったんですか?」


確かに、結構突然だ。ここは兄らしくしっかり答えなくては!

僕はそれなりに考えながら口を開く。


「そうだなぁ。僕には父さんが居た……4年前までね」

「あっ……ごめんなさい、無神経な質問でした」

「大丈夫、もう踏ん切りの付いていることだから。話を続けよう……僕には秘密にしていたけれど、父さんは弔いだった」

「!」

「……あの人が狩りの中でどんな思いをしていたのか、僕は知りたくなった。あわよくば、あの人の死が無駄にならないように、その献身を継げれば良いなと思ったんだ」


僕が話せるのは大体こんなところだ。

さぁ、シルビアの反応は……


「……少し、意外です」

「逆にどんな予想をしてたの?」

「アシュレイさんは思いやりのある人ですから、他者の為なのかと予想していました」

「確かに、人が殺されるのは見過ごせないし、そういう気持ちはゼロじゃない。けど、善意だけで続けられる程リスクとリターンが釣り合った職ではないから」


このリターンというのは、金銭的な儲けのことではない。


せっかく守った人からは、賞賛される以上に忌避される。

やり甲斐によって心が満たされる以上に、殺しやり甲斐によって心が歪んで行く。


……そういう意味だ。


「他の弔いも皆、割と好き勝手な理由だと思うよ」

「……」


シルビアはあまり気分の良さそうな顔はしていなかった。

そこで仕方無く、僕はもう一つ助言を追加する。


「もし、もしもだよ? シルビアも弔いになりたいと思ったら、よ~くその理由を考えてみて。理由自体は何でも良い。

ただ、それが何かに依存したものだと、すぐに破綻するし、間違っても見返りなんて求めちゃいけない」


こんな重い話になるとは思っていなかったが、そろそろ出発しよう。僕はお気に入りのハンティング帽を被った。


「さて、行って来るね」

「はい。お見送りします」


僕たちは部屋を後にし、玄関へ向かった。


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