第7話 旋律


 シルビアを引き取ってから早数ヶ月。彼女が来てから新しい日々が訪れ、男二人だった旧診療所は華やいだ。

……とは言っても、シルビアは内気な子だった。生まれた直後から過酷な目に遭ったせいだろう、あまり明るく振舞えないのも当然か。これからも愛を注いで、その心の凍った部分を融かしてやらなくてはならない。

幸い、アシュレイも妹が出来たかのように喜んで、快く接している。尤も、俺の些細な秘密など余計なことまで教え込んでいるのは許さん。今度の稽古で分からせておくとしよう。

 シルビアがこのまま謙虚で美しい娘に育つことを願いたいのだが、環境は良くない。何せ、ここは廃屋街。そんな所で、あろうことか弔いと共に暮らしているなどと知れたら誰も彼女に寄り付かなくなる。最悪の場合、迫害の対象だ。

留意点はもう一つ……教会連盟の手である。シルビア自身から孤児院での話を聞くと、何者かが彼女の存在に目を付けているらしい。脱走して来たのだから、連れ戻しを企む連中が居ても何ら不思議ではない。

シルビアには悪いが、こうした問題を避ける為になるべく外出はさせない方針でいた。これに対し、彼女は文句一つ言わず、むしろ幸せそうにする。

彼女は極端なまでに愛と庇護に飢えていたのだ。だから俺のことを過剰に慕っていて、俺の傍から離れようとしない。

これは何よりもマズいと見た俺は、思い切って彼女にお遣いを頼むようにしたのだ。初めの何回かは俺かアシュレイが付き添ったが、今では一人で十分そうだ。万が一の事の為に、大金をつぎ込んで買った携帯式通話機も持たせており、緊急連絡を可能にしてある。逆に言うと、これくらい無いと俺が・・安心できない。




 誰かが部屋の扉をノックする音に続けて、か細くも澄んだあどけない声が聞こえて来た。


「師匠、中心街まちまで出掛けて来ます」

「あぁ。昨日頼んだ件だな」


俺は狩り道具を整理する手を止めて答え、部屋の扉を開けた。視線を30°ほど落すと、ようやく声の主――シルビアの顔が目に入る。

自分の恵まれた体格に文句を言う気は無いが、せめてもう少し相手と目線を合わせたいものだ。三番弟子のレオン、かなり背の高いあいつでも若干違和感があったくらいだからな。

それは良いとして、彼女を送り出しに一緒に玄関まで向かう。シルビアの格好に目をやると、俺がやったマフラーを律義に巻いていた。モノトーンの配色で編まれたそれは淑やかな彼女の雰囲気によく映える。

悪い気はしないのだが、肌身離さず身に付けているのを見ると、夏が気になってしまう。


「……いつもより荷物が多いな」

「えっと、大通りの脇に本屋さんがあるのはご存知ですか?」

「あぁ、あそこ・・・か――」


俺は顎に手をやって少しばかり煩った。


「どうかなさいましたか?」

「……あの古びた店も良いが、大通りにはもっと大きい店もある」

「私にはあちらの方が性に合っている気がします……こじんまりしたところが気に入って、今日はそこへ寄って来るつもりです」


思うところはあるが、それ以上にシルビアが明確な自分の意思で行動しようとするのは初めてだったので、止められる筈が無かった。


「気を付けて行って来い」


俺はシルビアの行いを素直に肯定することにした。そしていつも通り、彼女の頭を撫でて送り出した。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 私は廃屋街の境にある鉄柵をくぐって中心街に出た。初めてここに来たときのトラウマもあって、以前は通る度に不安な気持ちになっていたけれど、今では一人でも平気だ。ここからもう少し歩いて、通りを逸れた先に目的の本屋はあるのだが、大通りに出る前にフードを深く被る。私の銀髪は珍しいようなので、隠しておかなければならない。孤児院での情報が広がっていた場合、また何かの企みや騒ぎに巻き込まれる要因になるだろうから。

という訳で堂々と外を歩くことは叶わなくても、今日、街に漂う春の豊かな雰囲気はとても新鮮で、自然と上機嫌になれた。

 ただ、同時に違和感も覚えている。時々振り返ってみても怪しい人影は特に無いのだが、背後から常に視線を感じるのだ。私はそれが気掛かりで、不安になる内に本来通るべき道から外れて行ってしまった。



 結局私はその視線の犯人を突き止めることはできないまま、人通りの少ない路地裏に迷い込んでしまった。少し離れただけで光景は打って変わり、「春の街に漂う豊かな雰囲気」の欠片も無い陰鬱な場所だ。また、荒れ様が廃屋街などとは少し異なり、素行の悪い人間が行き来し、汚しているのだと思われる。こういう所に居るとろくな事が起きないのは経験済みなので、一刻も早くここを立ち去りたいのだけれど……裏路地は想像以上に入り組んでいる上、似た景色ばかりで道に迷ってしまった。


「こんなに早く頼ることになってしまうだなんて……」


私は無念を呟きつつも、鞄の中をゴソゴソ探って携帯式通話機を出した。

以前アシュレイさんに教わって、私は通話機の仕組みを知った。まず、ドリフト諸島には古代の遺跡が数多く眠っており、遺物――即ちオーパーツ的な資源も見つかるのだという。

そうした遺物の一つに「共鳴の鈴」というものがある。多くは二つ一組ふたごになっていて、その片方に音波刺激を与えると、もう片方も同じ音波を再生するそうだ。有効範囲が非常に優秀なこともあって、通信機にはこれが使われている。ペアの鈴を持っている者同士でなら通話が可能……お互いの鈴そのものが連絡先のようなものだ。端末にセットする鈴を交換すれば、別の相手に連絡することも勿論可能。

通常の据え置き型と、今私が持っている懐中時計のような携帯式では仕様が若干異なるそうだが、少なくとも今師匠のところに連絡する分には困らないので良しとしよう。

私が端末の蓋を開けていざ使おうとすると、丁度どこからか楽器の音が聞こえて来た。私はまだ知識でしか知らないが、恐らくこれは鍵盤楽器の類だろう。

その音色は悪い雰囲気を覆すように、平和な気分をもたらしてくれた。もう少し耳を傾けてみると、ある程度滑らかな演奏が途切れ途切れ……。しばらく同じ旋律を繰り返し弾いているように思われたが、所々修正や改善を入れていることに気付く――作曲中なのだろうか。私はその演奏者に道を尋ねられたら良いなと思い、音の発生源を探した。



「あ、居た……」


曲り角から様子を覗くと、自分とそう年の変わらない少年が小型の鍵盤を弾いていた。長めの黒髪を振り乱した、フワフワとボサボサの中間のような髪型が特徴的に思える。髪以外の身形みなりからしても不審な点は無いし、何より音楽を嗜むような風情ある人なら大丈夫だろう。声を掛けようと私が歩み寄っていると、彼は作業が何か一段落したような様子を見せて、直後、彼の目付きと周りの空気が変わった。彼は真剣な眼差しを崩さぬまま、今度は一曲を通して奏で始めた。



               ♪♪♪


私は初め、


(あ……これが終わるまでは声掛けられないな……)


と、機を逃したことに気を取られていたのだが、待っている間耳に入って来る旋律がそのことを忘れさせる。

短調の曲として完成度が高いのは素人ながら分かる。けれどそれ以上に、旋律はごく特別な郷愁と幻想を感じさせ、流れ来る音の一つ一つが心を震わせて来るのだ。

こんな年の若い少年が凄いものを作るとは驚きだ。あるいは、少年の純粋な心があるからこそなのだろうか。私は知らず知らずのうちにどんどん引き込まれて行った。

やがて曲の纏う悲壮美が湧き上がるように大きく増して、遂に最高潮サビを迎える――


次の音を待ちわびていた私に飛んで来たのは、外れた音で、それを最後に演奏は途絶えてしまった。演奏に聞き入って思わず閉じていた目蓋を開けると、少年が不本意そうな表情でこちらを向いている。ただ、彼は持ち物を抱えて去ってしまった。


「あ、待って下さい!」


シルビアは少年を追い掛けた。



 初めの内はまだ後ろ姿が見えていたのだが、すぐに撒かれてしまった。少年はこの辺りに慣れているのだろう。

この時点で、私は正直路地裏の道を尋ねることなどどうでも良くなっていた。ただ彼との出会いを、音楽に惹かれる心をこれっきりにしたくなかった。私は諦めずに彼を探していると、急に誰かに呼び止められた。


「やっと追い着いたぜ、嬢ちゃん」


振り返った所に居たのは三人の若い男、とても紳士的とは言えない風貌……不良かヤクザで間違いないだろう。師匠やアシュレイさんならまだしも、元々他人と接するのが不得意な私は余計に畏縮してしまった。何より、あの夜の事を思い出す。

真ん中に立つリーダーらしき男は、ぬるい口調で話し掛けて来る。


「ここ、俺らの私有地なんだわ。何の断りも無く入って来られたら困るんだよね~」

「ご、ごめんなさい……」


私が僅かに震えながら謝っていると、いつの間にか囲まれ、背後も壁で逃げ場が無くなった。男は私の顔のすぐ横に叩き付け、威嚇した。壁を思い切り殴るのは痛いに違いないが、彼は拳にナックルダスターをはめているのがチラリと見えた。


「事後の謝罪とか全くもって要らないね。まぁ今回は大目に見てやっから、金出しな」


私は怖がって目を瞑ってしまいながらも、恐る恐る答えた。


「それは……できないです……」

「持ってはいるみたいだなぁ。何で出さないの?」


ここで多少のお金を盗られたくらいで、師匠やアシュレイさんは怒らない。二人はきっと私の無事の方が大事だと言ってくれる。けれど、相手の思う壺になるのはとてもやるせない。私は勇気を振り絞って口を開いた。


「家族が稼いでくれた、大切な財産だからです」

「そっか、じゃあ仕方ねぇな」


拍子抜けした。こんなにあっさりと割り切ってくれるものなのか……そんな風に思っていた瞬間が私にもありました。


「……嬢ちゃん、体で払うっ知ってるかい?」

「え?」


動揺する私を無視して男たちは私を取り押さえた。


「ま、待って下さい!」


抵抗しようとした拍子に、自分の視界が明るくなった。

フードが脱げて銀髪が露わになる。


「あぁ? ……ぎ、銀髪だ」


一人が少し驚いていると、リーダーの男が私の髪を鷲掴みにし、強引に引っ張りながら言った。


「……聞いたことあるぜ、銀の髪は奴隷人種の証だってな」

「だったら尚更躊躇なんか要らないっスね!」


それが何のことなのかも分からないまま、私は再び襲われる。鞄を剥ぎ取られて、服に手を掛けられて……


嫌だ。嫌だ。いやだ、いや! いや、いや、いや! 

……誰か助けて!


そう思った次の瞬間、一人の頭に大きな煉瓦が降って来た。それが当たったかと思うと、男は短い呻き声を発した後にあっさり気絶した。


「おい、どうした?」

「この煉瓦だ、どっから……」


私が呆気に取られ、残る二人の男も動揺していると、続けて二人目の頭にも何かが降って来る。今度は煉瓦ではなく、角材を振り上げた少年だった。少年の落下攻撃は盛大に命中し、角材も木端微塵になる。これで二人目もダウン。


「痛っ~……」


着地の衝撃で脚を痛めているのだろう、少年はその場で少し硬まっていた。

その容姿には見覚えがある……フワフワとボサボサの中間のような黒髪。先程追っていた少年だ!

そのようにぼんやりしていると、


「ほら、来て!」


彼は私の手を取り、迷わず走り出した。


「待ちやがれ、ガキ!」


リーダーの男は黙って私たちを見逃そうとはせず、落ちていた鉄棒を咄嗟に投げつけて来た。鋭い軌道を描いて飛んで来たそれは少年の側頭部を掠める。彼は彼で脇目も振らずに走っていたようなので、思わぬ攻撃を受けて転びかけたが、今度は私が彼の手を引いて逃げ切った。


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