第3話 立派な父親


 自分の足音がバタバタとうるさいことなど気にしていられず、乱暴にドアを開くや否や、僕は半ば悲鳴のような声で師匠に訴えた。


「師匠! 大変です、あの子が居ない! そこら中探しても――」


師匠は相変わらず安楽椅子に掛けており、俯き加減の横顔を見せたまま静かに、僕の言葉を遮るように言った。


「俺が連れて行った」

「……」


僕のあらゆる心配はその一言によって一蹴され、馬鹿馬鹿しさのあまり真顔で一瞬沈黙してしまった。続けて、今度は不満が込み上げて来る。


「どこにやったんだよ! こぉのクソジジイィィィィ!」


僕は口調を荒げて割と本気のヘッドロックを決めた。だが、師匠はそれを気にも留めず、軽々とほどいて、答える。


「孤児院だ」

「孤児院って……あんな所、体の良いモルモット養育所ですよ⁉」

「俺には関係無い」

「そんな言い方――」


僕はつい声が大きくなったが、師匠はまたその言葉を遮るように言った。


「俺の傍に居るべきじゃない……もう巻き込みたくないんだ」

「……」


師匠のどこか悲しそうな声に、僕はそれ以上反論しなかった。

この島にある孤児院のほぼ全ては教会連盟の運営なので、手頃な子供が居れば引き抜かれ、実験や研究に使われる。師匠がそれを知らない訳が無い。その上で、この判断を取ったのだ。


『……もう巻き込みたくないんだ』


その言葉はまるで、自分の弟子たちは皆、自分のせいで被害者になったと言っているように聞こえた。その被害者にはきっと僕も含まれる。

そんなとき、僕は3年前の師匠との出会いを思い返した。


◆◇◆


 朝の6時過ぎ、玄関の鍵がカチャカチャと音を鳴らした。父さんが帰って来たのだ。僕はいつも通り玄関へ急行し、父さんが鍵を開けるよりも早く内側から開けてあげた。


「お帰り、父さん」

「ああ、ただいま」


僕が屈託の無い笑顔で出迎えると、父さんは家に上がるよりも先に謝った。


「今日も家の事任せっきりで済まないな、いつも独りにして済まないなぁ……」

「父さんに比べれば大変じゃないよ。ご飯出来てるよ」



 父さんは医者だった。うちは父子家庭だったから彼は母親の分まで休みなく働き、毎日の帰宅など次の朝だった。

ドリフト諸島では夜に徘徊する憑き物に接触しないよう、一般人には門限がある。その為、日の入り後まで仕事をしている父は、仮に深夜に終わったとしても日の出まで帰って来れないのである。

また、この後は食事をし、たった2,3時間寝たらまた出勤する。

その過労のせいだろう、彼の目元に見られる隈は眼鏡を掛けたくらいで目立たなくなるようなものではなくなっていた。

父さんが体を悪くしていたのは明らかだったけれど、あの頃の僕では休むように言っても説得できなかった。代わりに金を稼げる程の能力もない、まだ頼りない子供だった。だから父さんは一人で無理をした。

今思えば幾らでもやりようがあった。当時の、至らない点だらけの自分が本当に疎ましい。

それでも、僕は懸命に働く父さんを誇りに思い、父さんも間違いなく僕を愛していた。



 翌朝、父さんは帰って来なかった。これまでも流石にこんなことは無かったので、僕は心配しつつも、「きっと特別忙しいのだろう」などと思い、いつもより豪華な食事を作って気長に待っていた。

すると、昼前になってドアベルが鳴った。


(お、やっと帰って来た! あれ? でも、父さんなら自分で鍵を開ける筈……)


僕は怪訝の念を抱きながら恐る恐る玄関扉を開けると、暗い装束に身を包んだ男が一人、仁王立ちしていた。僕の体を覆い尽くすほどの広い影を落とす大男。彼の顔を見上げてみても、フードの中にベールを被っていて、素顔が見えない。


「君がアシュレイか?」

「……はい、ご用件は?」


僕は不審な男に薄い恐怖を覚えつつも、きちんと受け答えをする。

すると、男は懐から赤いシミの付いた白い布を差し出した。僕はその意図が分からないまま静かにそれを受け取り、布をめくった。

ひび割れた眼鏡だった。そのひびに血らしきものが流れ込んでおり、フレーム自体酷く歪んでいる。アシュレイの頭の中で、嫌な予感が駆け巡った。


「申し遅れた、俺はローレンス。君の父の同僚だ」


そして、そのローレンスという男の口から、父さんは僕に弔いであるのを隠していたことと、殉職したことを知らされた。あまりにも突拍子な知らせに、僕は実感が湧かなかった。

 後日の葬儀でも棺の蓋が開くことは無かったこともあり、僕は本当に父さんが入っているとは思えなかった。遺体は凄惨な有様で、告別の際に遺族が見られるような状態ですらなかったらしい。或いは、遺体回収すらできていなかったのかも知れない。


(こんな物に花を供えて、僕は何をしてるんだろう……)


僕がしなびた気持ちで居る一方で、周りの人たちは皆酷く泣いていた。また、「父親の死に表情一つ変えない一人息子」を見た人の非難の囁きも聞こえていた。


「立派なお父さんだったというのに、何て薄情な子でしょう……」

「哀れなことだ、あれでは遺産相続もままならないだろうに」


僕は遅れてその空気を感じ取ると、急いで自分も泣こうとした。しかし、父さんの死を受け入れられていないのに、そんなことはできない。


(僕の父さんは死んだんだ。死んだ、死んだ、死んでしまったんだ!)


どれだけ自分に言い聞かせても、心はむしろ頑なになり、全く動かない。

結局、最後の一人になるまで墓地に残っても泣けなかった。僕は悔しくなり、目を乱暴に擦って涙を搾り出そうとした。その時、僕は誰かに手を掴まれ、目を擦るのを止めた。顔を上げると、あのローレンスだった。


「もう良い、涙が勿体無い」

「でも、僕……」


ローレンスは僕を強く抱き締めた。

その腕の中はとても暖かくて、優しくて……僕は彼の懐でいつの間にか違う涙を零していた。


◆◇◆


 師匠はあの少女に強い執着心を抱いていたが、それを自ら断ち切る為に無理矢理少女を手放すことにした。それが孤児院に捨てるという手段になってしまった。

僕には今の師匠がそんな状態に見えた。

相変わらず暖炉の火を見つめ続けている彼の前に立ち、僕はなるべく目を合わせた。


「師匠、僕はあなたに救われました。狂った人生ではあるけど、不幸だとは思ってません! だから……だから――」


僕は落ち込んでいる師匠に慰めの言葉を掛けたかった。

こんなもので慰められるほど師匠の心が単純でないのは分かっていても、何とか証明してやりたかったのだ。あなたによって救われている人間が居るのだと、自分は被害者などではないのだと。


「……救われてるのは俺の方だ。申し訳無いくらいにな」


師匠は屈強な見た目と反して繊細で傷ついた一面を持っている。その秘密を知る者はいないに等しいが、分かることだってある……

師匠は――ローレンスという男は、哀しい過去を背負っているからこそ、誰よりも愛が深い。


「あなたは……立派な父親じゃないですか」


こう思っているのは絶対に僕だけじゃない。先輩たちも、この先出来るかも知れない後輩も、皆同じように言うだろう。


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