第2話 憑き物の子 後編

 ドリフト本島の中央からやや西に、輪状の岩壁で囲われた土地がある。

そこに位置する【防壁街】は、円村が数万の人口を抱えるまで発達して出来た。

中央には礼拝堂があり、そこから広がる【中心街】は住宅や商店が集まっている。

ただし、更に外側に離れて行くと、突如として高さ3メートル程の鉄柵に突き当たる。

そこから先は、開拓時代一昔前に急造されたバラックの残りが佇む無法地帯【廃屋街】。

祟りの感染爆発によって人口が急減した際、当時は富者しか買えなかった中心街だけで住居が足りるようになってしまった。

そうして貧民どものボロ家は、処分すらされず棄て置かれたというわけだ。



 ローレンスとアシュレイは、廃屋街の中に忘れ去られた古い診療所跡で暮らしている。

部外者が近寄らないうえ、様々な薬や器具が残っているので、弔いの拠点にはおあつらえ向きだ。


 しかし、実を言うと彼らはおおっぴらに生活できないがために、そうせざるを得ないのだ。

例え教会連盟の正規傭兵であっても、大衆の目に映る弔いとは「穢らわしい祟りの隣人」であり、決して「怪物狩りの勇者」とはなり得ない。

彼らが居なければ世の中はより惨烈なものに近付くと承知してはいるが、敬遠の態度を改める事は難しいらしい。

もし弔いの正体が露呈すれば、日常生活にまで支障が出るのは想像に難くない。

買い物に中心街へ出て行っても、すれ違う誰もが忌避の視線でこちらを刺し、入店を拒否する営業者も少なくない。

酷い相手になると、世の中の荒れ様は弔いが不甲斐無いせいだとして、八つ当たり染みた迫害をして来る。

アシュレイもかつてそういう輩に絡まれた経験があった。


 尤も、彼は引き摺ってなどおらず、今も鼻歌を歌いながら連れ帰って来た少女の体を洗ってやっていた。




 旧診療所の内装は味のある木造で、誰か歩けばギッと控えめに軋む。

ローレンスはその音を聞き、アシュレイが浴室から戻って来るのが分かった。


「言われた通り、あの子は向こうのベッドに寝かせときました。粘液ぜ~んぶ洗い落とすのは一苦労でしたよ、全く」


アシュレイの報告に対し、安楽椅子に揺れながら暖炉の火を眺める師の反応は薄かった。


「ご苦労だったな……」


彼が気の無い返事をするのは、決まって考え事や悩みがあるときだ。

とは言え、本人は少し遅れてその態度を反省した……彼の三番弟子・トリスタンは愛想を尽かして離れて行った(と思っている)からだ。

その点、ローレンスはアシュレイに感謝していた。機嫌を損ねないばかりか、むしろうなだれている様子に気を遣い、余計な質問を避けてくれている。


「……報告書、書かないとですね」


弔いは、祟りに関する異例の事態や新しい発見があった際、または定期的に教会連盟へ成果報告書を提出する。

それが仕事内容の一つであるのは勿論、危険な仕事を務める上での生存確認にもなっている。

仮に定期報告が途絶えれば、連盟側は殉職したと受け取るのだ。


「俺の方でやっておく」

「じゃあ、お願いします。お休みなさい、師匠」


アシュレイは便箋と封筒がまとめて入った袋を箪笥たんすから出し、傍の机に置いて行った。

しかし、そんな気の利いた彼が寝室に行ってしまうと、ローレンスは紙類をまとめて暖炉に放り込んで炭の仲間にしてしまった。


「はぁ……」


彼は自分で吐いた一際大きな溜め息に呆れつつ、帽子を深く被り直して椅子を立った。




――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


(寒い……)


それまで心地良く眠っていた少女は、固くて冷たい場所に置かれた感覚がして意識を取り戻した。

繊細なまつ毛の生え揃った目蓋をしばたたきつつ、朧気な記憶を頼りに彼女は早い段階で察する……これが二度目の目覚めだと。

なので、状況を呑み込むのに然程さほど時間は要らなかった。


今は明け方である事。

自分が裸ではなく、ローブや毛布に包まれている事。

レンガ造りの建物にもたれて座っている事。


また、聴覚も働き始め、彼女は近くの芝生を踏み締める足音に気が付いた。

のらりくらりと一歩一歩、自分から離れて行くものだった。

顔を上げると、正面には背を向けた大男……喪服のような黒尽くめの格好と、よれよれのハット帽には見覚えがある。

手掛かりは最初に目覚めた際の記憶の他無い。

その内容は朧気おぼろげで、あれからどれほど時間が経ったのかも掴めないが、それでも少女が持っていた唯一つの記憶だ。

何よりも特別なものだ。

だから彼女は、目の前に居る人物こそがよすがなのだと確信してしまった。

考えている間にも大男は遠ざかり、門扉もんぴを目指している。少女は心に芽生えかけていた不安と迷いを焦燥感によって振り切り、初めて使う口で精一杯言葉を唱えた――




――が、出ていたかも定かではない微かな声は、大男が門を閉じる音で掻き消されてしまった。

彼はもう、この黒い柵で覆われたこの敷地から出てしまったのだ。


「あぁ……」


少女は落胆の気持ちで今更大きな声を洩らした。

また、あとほんの少し速くそれくらいの声が出ていればと、再び落胆した。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 防壁街

ドリフト本島の中央からやや西に位置する大都市

街道の合流地点であり、商業や物流によって栄えている

命名の由来になった、街を囲う「壁」は人工物ではなく

その正体については未だ論争が絶えない

今のところ、極端な凹凸のカルデラとする説が有力だが

「吹き抜けになった巨大な切り株だ」

などと嘯き、笑い物にされた学者もいるらしい


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