第2話 憑き物の子 前編


 銀毛の憑き物を解剖し始めてから、その異常性に気付くまでにあまり時間はかからなかった。


「ねぇ師匠。この血、黒過ぎません? まるで赤ワインみたいだ」

「……」


血痕を見たときから純粋な赤には思えなかったが、周りが暗いのと酸化が進んでいるからだと考えて納得していた。

しかし、師匠が肉に刃を入れる度に血が零れ出すのを見る限り、それは間違いなく鮮血であり、量が量なので色の見間違いようもない。僕は底知れない深みとうすら寒い恐怖を覚えずにはいられなかった。

一方で、師匠は特に返事もせず、黙々と手を動かしている。


「あ、そこの筋に沿って深く切って」


僕は邪念を払い、慌てて次の指示を出した。

僕の守備範囲となる医学はあくまでも人体についてだが、大抵の憑き物なら哺乳動物とよく似た体の造りをしているので、知識の応用が効く。その辺りに関しては師匠よりも僕の方が明るいので、解剖を取り仕切っているところだ。

勿論、自分の頭で理解している僕自身がやった方が手っ取り早いのだけれど、残念ながら憑き物の厚い皮膚や硬い肉を切る腕力を持ち合わせていない。これほど巨大な相手ともなれば猶更で、無理に力を込めた結果やり損じでもすれば、むしろ中身臓器を傷つけてしまうだろう。解体は師匠に任せて、指示に徹するのが正解というわけだ。

 そうして二人で協力しても作業は難しく、子宮らしき臓器を見つけるのにかなり手こずった。調査対象に傷を付けるのは言わずもがな、何かのミスで万が一の事態を引き起こすことなどあってはならないので、細心の注意を払わざるを得なかったのだ。

何とか見つけたそれを調べてみると、出口が退化して完全に袋状の器官になっている。その大きさもかなりのもので、何かを内包している事は確かだ。


「開けるぞ」


師匠はそう言って慎重に短剣を突き立てた。グプッと気味の悪い音を鳴らして引き抜くと、まず透明な液体が急激に零れ出す。


「これは羊水かな? もう少し待ちましょう」


恐怖に似た緊張の中にいつしか興奮を抱えて、僕は息を呑む。

直後、臓器は中身の重みで裂け目を広げ、長い管とそれに繋がった大きな肉塊を吐き出した。粘液まみれのそれは、胎盤やへその緒と胎児で間違いないだろう。表面はブヨブヨした膜に覆われていて、死んだ蛙の腹のような色と質感だ。動脈と静脈、その丹青が織りなす不気味な見た目は暗がりの中でも確かである。


「これも切るか?」

「いや、胎膜は中の赤子が自力で破るはず……普通ならね」


祟りを発病した人間は生殖機能を失う事は随分前から知られている。つまり、憑き物は繁殖をしない……これが常識だったから、憑き物の子供など想像したこともない。どんなものか全く見当がつかない。

僕らはそれ以上触わらず、警戒しつつ見守った。



数秒後、それは急に大きく脈動した。



それに伴い、僕の背筋も鳥肌を立てる。また、息が白くなるような真冬にも拘らず、大粒の汗が首元を伝って流れ落ちた。


「アシュレイ、気を抜くなよ」


先程この憑き物を宥めたときとは違い、今度は師匠自身も剣を握りながら言う。

肉塊はもう一度大きく脈動すると、表面の膜が破れた――胎児が意思を持って破っているのだ。

そうして胎児は、まだほんの一部ではあったが、僕たちに姿を見せた。


「……人間の、手?」


僕は度肝を抜かれた――いや、度肝が空を飛んで消えて行ったというべきか。今の気持ちは驚嘆に近い。

さっきは憑き物の子など想像もつかないと言ったが、無意識の先入観からてっきり醜い獣が出て来ると思っていたのだ。マウスの幼体みたいな、しわしわでピンク色の肌のイメージがまだ頭にこびり付いている。

それはそれとして、もう少し待つと手だけでなく、うつ伏せの上半身が出て来た。


(やっぱり人間で間違いない)


師匠も警戒を解いて近寄って行った。僕もそれに付いて行く。

近くで見ると、その人間は思いのほか小柄で、14か15歳くらいの子供に見えた。白磁のごとき肌は、ずっと胎内に居て日光とは無縁の時間を過ごして来た事を物語っている。

ただ、最も目を引くのは銀の髪。こちらも胎内に居た間ずっと伸び続けていたのだろう、身長に対してかなり長い。母体の毛並みにそっくりなだけでなく、よりつややかだ。今こうして汚い地面に着いているのさえ勿体無い。

しかし、しばらく観察していてもそれ以上動きが無い。呼吸音は正常に聞こえるので、大丈夫だとは思うのだが……

 やがて、師匠はその子からへその緒を取り払って優しく抱き上げた。丁寧に扱おうという心遣いなら僕にもあったが、得体の知れない粘液が付くのも厭わないというのは流石に真似できない。


「女だ」


師匠が姫様抱きに持ち替え、その顔立ちを僕にも見せたとき、丁度少女の目蓋が微かに開いた。彼女は目蓋を震わせ、今にも閉じてしまいそうにだったが、曇り無き瞳で僕らを捉えている。

宝石のような碧だった。


「――」


少女は何か言いたそうに唇を動かしたが、声の出ないまま意識を失ってしまった。

不思議なことに、彼女は安心したように師匠に抱き着いて眠っているように見える。

師匠も彼女の顔を何か有り気に見詰めていた。


「アシュレイ、何か大き目の布が欲しい」

「ありますよ、ちょっと待ってください」


僕は腰のポーチから古いシーツを取り出した。怪我をした際、その場で裂いて止血帯とする為に持っている。骨折した際の三角巾としても使えるように余裕を持った大きさにしてあるので、きっと十分だろう。

それを手渡すと、僕の想定通り師匠は彼女の体を包んでやった。仮にもレディなのだから文字通り「生まれたままの姿」でいるのはよろしくない。一張羅が止血帯というのは誠に申し訳無いが。


「師匠、もう定時ですね」


僕は懐中時計を確認した。

防壁街を警備担当とする弔いは僕らの組以外も存在する。彼らとは地区や日時で仕事を分担しており、そろそろ切り上げ時だ。


「……帰るぞ」


師匠は少女を抱えたまま歩き出した。






・後書き――――――――――――――――――――――――――――――――――


 教会の短剣

教会連盟員に与えられる介錯用の短剣

ドリフト諸島の特別な鉱石によって、固く鋭い刃に打たれている

また、神の十字架を象った造形をしているが

島の古い伝承にある「神」は全くの別物である


 色についての補足

本作では「碧」という字を「ブルーとグリーンの中間色。もしくはエメラルド色」という意味で使います。

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