新世界計画 ――閉ざされた街――

明日乃たまご

プロローグ

第1話

 かつて、夢島とおぼろ岬は陸続きだった。世界中の氷河が溶けて海水面が上昇、波は農地を侵食して新たな海とし、丘や台地が島として残った。夢島の周囲は断崖絶壁、岬との距離は3キロメートルもあって1本の橋が結んでいた。


 ――ドーン――


 朧岬の先、ずっと遠くで花火の上がるような音がする。朧岬には近代的な建築物が立ち並んでおり、夢島の大人たちは危険な場所だというが、子供たちにとっては憧れの場所だ。


 お祭りかな?……遊田・暁・瑠々香ゆだ あかつき るるかは音がした方角に目を向けた。遊田は父の、暁は母の姓だ。


 夜が近い。空は薄紫色をしていた。花火の音は止んで、断崖の下からドドンと、波の轟きがした。


 音がした断崖を覗く。夢島の周囲、南北と東側は断崖だ。


「怖い……」


「落ちたら終わりだよ」


 隣で朱莉友瑠あかりともるが言った。彼の細い身体が震えていた。


「うん」


 瑠々香は友瑠よりも小さくせこけていた。


 砕ける白波から視線を持ち上げる。改めて長い橋に目をやった。


 橋は幅10メートルもある鉄骨製の立派なものなのに、今、そこを走る車はない。週に数度、非政府組織Non-Governmental Organizationのトラックが通るだけだった。ゲートではヒューマノイドが警備している。ゲートの上には監視塔もあって、そこに近づく車両を見張っていた。権利をもつものしか、そこを通ることはできない。


 どうして向こうに行ってはいけないのだろう?


 どうして私は橋を渡らせてもらえないのだろう?


 瑠々香は理解できない。それを説明できる友達もいなかった。大人たちは、危険な場所だから、と言うだけだ。


 ――ドーン――


 再び花火の音がした。近代的な建物が立ち並ぶネオ・ヤマト国本土は、楽しい場所に違いないと思う。それはテレビを視れば瑠々香にも分かる。


 瑠々香と友瑠は10歳の子供だった。仲の良い二人は、大人たちの言いつけを破り、橋を渡るつもりだった。そうして本土に渡り、そこで暮らそう、と話し合っていた。問題は、彼女たちにはその橋を渡る権利がないことだった。


「先生は渡っちゃいけないって言ってたよ」


「うん」


 何を今更。……瑠々香は思った。


「ママも……」


 友瑠の言葉に瑠々香がビクンと反応した。それまで怯えていた瞳が黒い悲しみに染まった。


「……あ、……ごめん」


「うん、いいの……」


 瞬間、瑠々香の瞳から悲しみの色は消えていた。変わって現れたのは何事かを決意した強い意志の輝きだった。


「……私はお母さんみたいになりたくない。友瑠、怖いなら帰って。私ひとりで行く」


「エッ……」


 彼が息をのむ。顔には安堵と失望、後悔の入り混じった表情が張り付いている。


 ――グゥー――


 彼の腹が鳴った。


 友瑠も空腹なのだ。……瑠々香は自分の腹を押さえた。ここ数カ月、満腹になったことがなかった。食べているのは芋や魚ばかり。そうした食糧事情があって、瑠々香の母親は栄養失調がもとで病になり、昨年、他界した。


 手に暖かいものを感じる。彼に握られていた。


「……ボクも行くよ」


 二人は歩き始めた。橋の中ほどにあるゲートに向かって。


 無理に向こう側に行こうとすれば警備しているヒューマノイドによって撃ち殺される。そうしたことは瑠々香も、いや、島に住む者なら皆知っていた。


 瑠々香は、出来るだけゲートに近づき、そこから欄干らんかんを乗り越えて橋の下部、10センチほどのH鋼のへこみを利用してゲートの向こう側に行くつもりだった。


 瑠々香が予想していたよりそれは早かった。


『止れ!』


 ゲートまで30メートルほどのところで監視塔のスピーカーから声がした。


「見つかった」


「走れ!」


 友瑠が瑠々香の手を強く引いた。彼は橋の欄干に向かっていた。しかし、二人が走ったのは、たったの3歩だった。


 ――ドドドドド――


 耳をつんざくような音と同時に、二人の進行方向のコンクリートに点々と穴が開いた。その欠片かけらが二人の頬を打った。


「ヒッ……」


 一瞬、二人の呼吸が止まった。足も思考も止まった。


 友瑠はちびっていた。股間が濡れている。膝がわなわなと笑っている。


『テロリストのガキども、去れ!』


 声がして、瑠々香は我に返った。


 ムリだ。……頭の中で声がして、向きを変えた。友瑠の手を引き、橋を引き返した。


 冷静になって見れば、橋のたもとに大勢の友達が顔色を変えてこちらを見つめていた。拡声器の声を聞きつけて、集まったのに違いなかった。


「大丈夫か?」「バカ、何やってんだよ」「死ぬ気なの」


 批判の声がした。しかし中には、「すげえな」「勇気があるな」と称賛する者もいた。


 大勢の友達に囲まれ、瑠々香は恥ずかしかった。そして少し誇らしかった。


「ちびってんぞ」


 嘲笑の声に友瑠は泣きそうだった。


 子供たちの集団は瑠々香と友瑠を中心にワイワイいいながら古い団地に向かった。80年ほども昔、大陸人を中心に組織された政府を批判した国民を押し込めるために作った団地だ。


 当時、団地に隔離された反政府的な彼らは朧岬にあるロボット工場で働いた。今、そこではヒューマノイドを作っているが、作業も機械化が進み、団地の住人の仕事はなくなっている。住人達には、仕事の代わりに自治と島内での自由行動が認められた。


 自治が認められた団地の周囲には住人が作る芋畑があった。小さな島は団地と芋畑で出来ているようなものだ。役所や商店、風力発電の風車と蓄電施設、貯水タンクなどのインフラ設備が島の中心部にあるものの、子供たちがそれに関心を向けることはなかった。子供たちはいつも、島の外、本土に関心を向けていた。そこは憧れの地であり、同時に妬みと恨みの対象だった。どうして自分たちはそこに生まれなかったのだろう?


 瑠々奈はそこに祖母と父との三人で住んでいる。

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