第6話 自首してきた男

 学校の先生も、ゆとりがなくなったせいで、今では、

「一番のブラック企業というのは、学校だ」

 と言われるようになっていた。

 一日平均の勤務時間が、約10時間。さらに、休日もなく、そこに、カリキュラムだけではなく、テストもあれば、その採点もある。

 さらには、勉強だけではなく、部活の顧問、修学旅行などの、学校行事の手配や引率。そんなものを含めると、本当に、寝る暇もないといってもいいだろう。

 さらには、生徒と父兄との板挟み、苛め問題、生徒の進路問題など、突き詰めれば、いくらでも出てくるというものである。

 今の、

「世界的なパンデミック」

 の間では、どこが一番ひどいかというと、

「医療関係」

 であろう。

 何しろ救急車を呼んでも、受け入れ病院がないのだ。

 最初こそ、

「病院というところは、伝染某患者を受け入れることで、他の患者が来なくなって、経営に大きな問題を及ぼすということで、患者を受け入れようとはしない」

 と言われていたが、それが、感染者が急増し、政府がその対策を全く持って取らないようになってしまったことで、そのしわ寄せが、医療従事者に向かったのだ。

「水際政策」

 は、ザル同然になり、そのうちに、

「外出時は、マスクをつけなくてもいい」

 などということを言い出したもので、一気に感染者は拡大。

 それでも、政府は、

「マスクをしましょう」

 とは決して言わない。

 自分たちに文句が来ることが嫌なのだろう。

 そんな政府の、

「体裁をつくろう」

 という政策が、医療崩壊を招いたのだ。

 つまり、国民も医療関係者も、政府としては、

「もう俺たちは知らない。下手に宣言などを出すと、金を出さなければいけない。自分たちが私腹を肥やすための大切な金を、誰が国民になど渡してたまるか」

 と思ったかどうか分からないが、結果としては、まさにそんな感情が後ろに蠢いているという風に見えると言わざるを得ないだろう。

 つまり、政府は、

「自分たちの命は自分たちで守れ」

 といっていて、政府は何もしないということを宣言しているようなものだ。

「核ミサイルが飛んでくる時、政府要人は、ロケットに乗ってどこかに逃げ出すが、国民は、そのまま滅びろ」

 といっているのと同じである。

 しかし、生き延びたからといってどうなるというのだ?

 母国もなければ、国民もいない。

 核戦争になれば、世界がすべて、核爆弾を使う。そうなると、

「地球の何十個、いや、何百個も破壊できるくらいの核が世界にはある」

 と言われている状態で、どこに逃げるというのか。

「月や火星にでも逃げるというのか?」

 思わず笑いが漏れてしまう。

 火星人にでも養ってもらうのであれば分かるが、しょせんどこに行っても、すぐに空気も食料もなくなるだろう。戻るところもなく、死ぬのを待つばかり。まるで、生き埋めいされた上に、すぐに死なないように、空気穴でもあけているかのようなもので、

「もっとも、残酷な殺し方」

 と言われる方法で、自殺に近いことをするというのは、何ともお粗末だ。

 しかし、それは自分たちが招いたことである。全世界の人間を巻き込んだということで、その罪の深さは、

「一体、何回死ななければいけないというのか?」

 ということになるであろう。

 生き残りたいという一心で逃げたはいいが、最期には、

「あの時に、国民と一緒に、考える暇もないくらいの即死の方がどれほど楽だったのだろうか?」

 と思っても後の祭りなのであった。

「もっとも、今がそんな時代だったから、こんな殺人事件も起きたのではないのだろうか?」

 と、校長は思った。

「あの時、鮫島氏を解雇しなければ、今回の事件は起こらなかったのではないか?」

 と、根拠はないが、校長はそう思ったのであう。

 それだけ校長は、今回の事件が起ころうと起こるまうとも、鮫島氏を首にしてしまったという事実を、大きく後悔していたのだ。

「もし、鮫島氏を首にしないと、私が切られていたのかも知れない」

 という考えも頭の中にあった。

 それだけ、今回のパンデミックにおいての経済被害は惨憺たるものがあり、かつての、

「バブル崩壊」

 であったり、

「リーマンショック」

 などというものに匹敵するくらい、いや、それ以上かも知れない。

 なぜなら、今だ、このパンデミックが終わろうという気配がないではないか?

 今年の年明けに始まり、秋口までの約9カ月の間に、2回もの、

「波」

 を経験し、何が恐ろしいといって、

「伝染病のピークは冬にやってくる」

 ということであった。

 つまりは、伝染病で怖いものとして、冬になると猛威を振るっているものの代表というものが、

「インフルエンザ」

 というものである。

 これだけでも、猛威を振るえば恐ろしいのに、さらなる、一年も経っているのに、いまだ、ウイルスの前に、

「新型」

 などという名前で呼ばれているというものではないか。

 実際に専門家は、必死になって、その正体を確かめようとしているのだろうが、今だその正体が分かりかねている。

 それを考えると、やはり、

「まだまだこれからが正念場だ」

 ということになり、伝染病が変異を繰り返し、さらに強力になっていくことで、何度も波がやってくることを考えると、

「これからの経済、どうなっていくのか?」

 ということになるのだ。

 そうなると、問題は、

「蔓延を防止するための行動制限と、経済を復興させるための、経済の活性化の、バランスというもの」

 が大きな問題にあってくるというものである。

 確かに、経済をいかに回していくかということも大切ではあるが、だからと言って、患者が増えていくと、結局、店は休業を余儀なくされる。

 一人でも患者が出た店というのは、一週間から、10日の休業は、当然言い渡させることになる。

 この間の緊急事態宣言での1カ月に及ぶ休業がどれほどのものであったのか、思い知ったはずである。

 しかし、もし患者を出せば、また休業。本当であれば、

「一気に休業して、患者が少々のことでは増えないくらいにしないと、いたちごっこになるだけだ」

 と思っている人も少なくはない。

 ただ、それは少々余裕のある大企業にだけ言えることで、まったく余力のない中小企業や、前の時の緊急事態宣言で、今は首の皮一枚でとどまっている零細企業というところは、もう、溜まったものではない。

「3日以上、休業すれば、もう店を畳むしかない」

 と言って、大型連休中も、お盆期間中も休まず営業したりしていた。

 確かにこのバランスは難しく、今の政府に、できるわけのないことであった。

 結果論からいうと、冬にまた大きな波がやってきて、結局まだ、休業や時短を余儀なくされ、ひとたまりもなく潰れていった会社はたくさんあった。

 もう、経済に対しては、

「容赦なかった」

 ということになるのだった。

 経済において、うまくいかずに潰れた会社を見ていると、学校も例外ではない。

 いや、学校ほど、危ないところもないといってもいいかも知れない。少しでも経費の節減をできるところをしないと、ただでさえ、教師の仕事はぎゅうぎゅうなので、どうしようもなかったといってもいい。

 そんな中、純子のように、そんな用務員をしている人に、自分の相談をしていた生徒が他にもいたのではないかと思うと、校長は、後ろ髪を引かれる思いだった。

 しかも、今回のように、何がどうしてこんなことになったのか分からないが、

「解雇した人間が、解雇されて、すでに関係のなくなった場所で、死体となって発見される」

 というショッキングな事件が起こったのだ。

 首になった腹いせに、勤めていたところで自殺を試みるというような話は、昔からあったことだ。

 解雇されたビルの屋上から飛び降りるというような事件は、昔の方が多かった。

 しかし、それは大企業などに多かったことで、会社に利用され、

「危ない橋」

 を渡らされ、会社が危なくなったことで、会社から、

「すべての責任を押し付けられ解雇される」

 ということにあり、そのせめてもの抵抗として、自分の会社ビルから飛び降りるという行動に出るのであった。

 しかし、これは、会社側にとっては有難いことで、

「やっぱり、犯人はあの人で、罪の呵責に苛まれ、自ら死を選んだ」

 ということになり、完全に思うつぼに嵌ってしまうことになる。

 完全に、そうなってしまっては、犬死だといってもいいだろう。

 それを思うと、昔から、企業や官庁などというところは、実に冷たいものだ。

 昭和の社会派ミステリーなどと言われる推理小説ではそんな話が山ほどあり、それが受けた時代があった。

 高度成長時代が終わり、その後に訪れた不況が大きかった。

 しかも、中東戦争などによる、

「オイルショック」

 というものから発した、不況はひどいものだった。

 小さな会社や、町工場などは、立て続けに潰れていき、

「一家心中」

 などという言葉が流行った時期でもあった。

 また、社長が一人、社長室や工場の端の方で、首をつっていたというのも、珍しいことではなかった。

 オイルショックという言葉を聞いたことがなくても、

「町中のスーパーからトイレットペーパーがなくなる」

 というデマを聞いて、スーパーに並ぶシーンが教科書などに乗っていたりするので、

「そんな時代があった」

 ということを知っている人は少なくないはずだ。

 それまで、高度成長期ということで、

「ものを作れば、どんどん売れる」

 しかも、需要というのはいくらでもあったのだ。何しろ、輸出が日本経済の基本だったからだ。

「事業を拡大すればするほど、儲かる」

 と言われたバブルの後、その広げてしまった事業が行き詰ったことで、資金が焦げ付いてしまい、結局、

「バブル経済というのは、自転車操業にしか過ぎなかったのだ」

 ということではないだろうか。

 日本人は、

「20年前にオイルショックなどの不況を経験しているくせに、なんでこんな簡単なことが分からなかったのだろう?」

 ということである。

 そもそも実態のない経済が、うまくいくはずないではないか?

 ということは、ちょっと考えれば分かるはずなのに、なぜ、誰もバブル崩壊を予知できなかったのだろうか?

 一番の原因は、経済界の、

「神話」

 にあったからではないか?

 特に、

「銀行は絶対に破綻しない」

 ということである。

 破綻してしまうなど、誰も考えていない。だから、

「今は不況ということだが、いずれ経済が少しでも上向きになると、銀行から金を借りて、会社を盛り返す」

 と思っていたのだろう。

 しかし、そもそも、不況の遠因が、そんな銀行による、

「過剰融資の焦げ付き」

 が原因なのだから、銀行は、自分たちが危ないことを察知し、それ以上融資をするわけはないのだ。

 それよりも、焦げ付きが不良債権となり、回収できないことで、さすがの銀行も、

「破綻するか、大きなところと一緒になって、生き残るしか手はない」

 ということになるのだった。

 それが銀行というところであり、彼らにだって、自分たちの指名が分かっているはずだった。

 なにしろ、

「銀行は絶対に潰れない」

 という神話があるわけだ。

 だからこそ、

「潰してはいけない」

 と余計に思うのであり、そうなると、焦げ付いたものは仕方がないとして、

「これ以上の傷口を広げないようにしないといけない」

 と思うのだ。

 民間企業は、苦しくなって銀行に融資を願い出るが、そもそも、過剰融資が焦げ付いているので、貸し渋るのは当たり前、誰だってそうであろうが、

「貸した金を返してもらえない状態で、さらに回収の見込みもないのに、また貸すなど、本末転倒ではないか?」

 と感じることであろう。

 本当に常識的なことなので、こうなると、零細企業はひとたまりもない。手形は簡単に不当たりとなり、あっという間に倒産してしまう。それがだんだんと大手企業にも伝染していき、倒産がはげしくなってくる。

 そこでいろいろな手が打たれるわけだが、一番多い方法として、

「大きなところに助けてもらう」

 ということで、

「企業合併」

 という方法である。

 これは、銀行や金融機関などが率先してやったことで、それまでの単独の銀行のままで生き残ったところがあるだろうか?

 財閥系の銀行も、ほとんどが、その名前を残さず、しかも、財閥系の銀行同士が合併するなどという、今までではありえないことが起こったのだ。

 ちょっと前まであった、

「銀行不敗神話」

 がウソのようではないか?

 校長先生は、そんな時代も知っている中で、今の時代がどれほどのものかを考え、そして、その時代が学生は児童にどのような影響を与えるかを憂いているのであった。

 先ほどの純子だけではなく、苛めの問題、さらに引きこもりともなると、学校の先生がどこまで介入していいかという問題に加え、さらに、教師の

「今でさえ、どうしていいのか分からない」

 というほどの、過密カリキュラムにどのように対応すればいいのか、問題は山積しているのだった。

 要するに、

「何から手を付けていいのか分からない」

 と思っている教師に、果たして、生徒を救える余裕などあるのだろうか?

 それを思うと、

「医者もそうだが、教師になりたいと思う人がどんどん減ってくるのではないだろうか?」

 という危惧を校長先生は持っていた。

 医者が不足するということは、現状ではリアルに困ることであるが、教師が減るというのは、長い目で見ると、実に深刻だ。

 特に義務教育が存在するので、最悪でも小学校中学校の先生は必要になってくる。ただそれはあくまでも、最低強要を得るためだけであるので、高校以上の学力をつけたければ、

「海外で勉強するしかない」

 などということになると、日本の未来は真っ暗闇ではないだろうか?

 もちろん、こんなことは究極のこととして、なかなかありえないとは思うが、バブル崩壊の時。

「銀行の不敗神話」

 というものが、あっさりと崩れたではないか。

 何が起こるか分からないという今の世の中で、学校制度が崩壊するなど、実は簡単に起こることなのかも知れない。

 校長は、純子の話を聞いて、それを警察に言おうかどうか迷っていた。

 ただ、今のところ、事件に直接関係のあることでもないし、純子に対し、

「これは、警察に自分では言えないから、私から言ってほしいと思っていることなのかな?」

 というように聞いてみると、純子は黙ってしまって、下を向いてしまい、モジモジしている。

 それを見た校長は、

「ああ、いや、いいんだ。何も警察に絶対に報告しなければいけないわけではないからね」

 というと、純子は少し安心したように、

「すみません。私、このことを自分一人の胸に抑えておくことが怖くなったんです。誰かに聞いてもらいたかったというのが本音なんです。だから、絶対に警察に言わないでほしいともいえないし、言ってほしいともいえないんです」

 というのだった。

 それはそうだろう。警察に報告すれば、刑事は絶対に彼女に事情を聴きにくるに違いない。それがどういうことか分かっているだろう。

 学校側がそんな話をしているなど、警察はまったく知らなかった。

 ただ、警察の捜査も、それほど進展しているわけではない、用務員の鮫島が、殺されたことは分かったが、その後、彼がどこで何をしていたのか、なかなか、その消息が分からない。

 学校側も、仕方がないとはいえ、解雇した相手なのだから、その後のことをしるよしもない。

 これが、一般企業などであれば、他の会社で雇ってもらえるかどうかを問い合わせることもできるだろうが、学校ともなると、そうもいかない。

 実際に、やれることは校長もやってみた。

 他の学校で、用務員がほしいと思っているところがあるかどうか、念のために確認したが、ほとんどのところで、

「間に合っている」

 という回答しか却ってこない。

 それどころか皆、この中学と同じ答えしか選択肢はないようで、逆に同じことをしようとしている学校が多かったくらいだ。

 警察が、被害者の足取りを捜査している間、別のところから、事件が変わっていくことになったのだ。

 それは、事件が発生し、捜査本部ができあがって、初動捜査の報告が行われ、捜査方針を決めようという、最初の捜査会議があってからすぐのことであった。

 捜査方針としては、まずは、被害者が学校を辞めてからの足取り、さらに、事件当日、いや、一か月も経っているので、その前後数日の、目撃者などの捜索、もちろん、中学校内部のことなので、生徒への尋問は、かならず教師を通してのことになるのは分かり切っていることなので、そのあたりの確認も行われた。

 何といっても、相手は中学生、義務教育の範囲なので、学生ではなく、生徒、児童なのである。

 そのあたりは、警察も気を付ける必要があるだろう。

 特に、中学生というと、苛めの問題や、学校不信、その他いろいろとあるだろう。 

 何と言っても、思春期の真っただ中、多感な時期であることは分かり切っている。

 それを考えると、

「教師と一緒」

 というのが一番であろう。

 刑事が教育現場についてどれほど理解しているかは分からないが、少なくとも、刑事が単独で生徒に聴くよりも、先生同伴というワンクッションがある方がいいに決まっている。

 そのことを刑事も分かったうえでの行動で、あくまでも、証人探しであって、生徒の中に犯人がいるとは思っていないことを示す必要がある。

 警察としては、本当は生徒も犯人として見なければいけないというのが、捜査の鉄則なのだろうが、それを顔に出してしまうと、警戒されるだけだ。

「思春期の子供は、意外と勘が鋭い」

 ということは刑事も分かっている。

 というのは、ベテラン刑事や警部補くらいになると、年齢的に、中学生の子供がいても、不思議のない年代だ。

 それを思うと、刑事も、

「あの子たちも、自分の子供と変わらないくらいの年齢だ」

 と思い、どうしても、思い入れは出てきてしまうだろう。

 そんな中学生に応対する前に、事件の様相が変わってきた。

 それは、死体が発見された翌日の昼前くらいのことであった。K警察署に一人の訪問者があったのだ。

 その男は、ラフな格好をしていて、髪はボサボサ、服もよれよれのものを着ていて、顔もひきつっていて、うだつが上がらない。

 他の場所で見れば、ただの、

「目立たないおじさん」

 というだけであろうが、場所が、

「警察署内」

 ということで、その様子が、異様に感じられたのだ。

 いや、そもそも警察というのは、何かの事件の犯人ということになると、その様子は、ただでさえ、異様なものであろう。そういう意味では、警察署内部とはいえ、その男の雰囲気は、確かに異様であった。

 最初は、その男が入ってきたことに誰も気づかなかった。受付を始め、署員はそれぞれに仕事があるからだ。

 男は、モジモジとしていて、最初からその男のことを気にしている人がいるとすれば、そのおかしな様子に気が付いたことだろう。

「どうされましたか?」

 と、ウロウロしていれば、市役所なのでは声をかけるのだろうが、警察ではなかなかそうもいかない。

 それでも、そのうちに一人の婦人警官が気づいて、声を掛けたのだ。

「どうされましたか?」

 と声を掛けると、男の表情は急に安心したかのようにホッとした表情に変わったので、声を掛けた婦人警官も安心した顔をした。

 そして、

「まずは、こちらに」

 といって、長椅子に腰かけさせ、その横で話を聞くことにした。

 二人とも、マスク着用していることは、言うまでもないことである。

 椅子に座らせたのは、その男の足取りが怪しかったからだ。しかし、それは、憔悴していてのものであったり、薬物やアルコールによって、フラフラしているわけでもなさそうである。

 年齢からしても、まだ中年くらいなので、そこまでくたびれているわけではないが、その恰好からすれば、憔悴しているとしても、その理由は分かるような気がしたのだった。

「どうされたんですか?」

 と、椅子に座って、少し間をおいて、彼女が再度聞いた。

 男は、必要以上に、息が荒いようだった。緊張からなのか、それとも、本当に体調が悪いのか、彼女には分かりかねていた。

 本当であれば、誰か刑事がついていてほしいと思うところであるが、受付のある階には、刑事のいる部屋はなかった。しょうがないので、

「ちょっと、ここで待っていてくださいね」

 といって男を待たせたまま、彼女は上司に相談に行ったようだ。

「あの方が、ウロウロと、挙動不審なところがあったので、あそこに座らせていますが、刑事さんを呼んだ方がいいでしょうか?」

 といいに行ったが、

「私がちょっと聞いてみよう」

 といって、あくまでも、刑事を呼ぼうという意識はなかったようだ。

 上司が近づいて、男からすれば三度、

「どうされました?」

 と聞かれるとさすがに今度は答えた。

「実は、自首をしに来たんです」

 というではないか。

「自首? 自首というと、何かをされたわけですか?」

 と聞くと、

「ええ、人を殺しました」

 という。

 こうなってしまうと、刑事を呼ばないという選択肢はない。さっそく、捜査一課に連絡を取り、一課の刑事が降りてきた。

「人を殺したというのは本当か?」

 と、明らかに、強い口調で言った。

 完全に犯人だと決めつけているわけではないだろうが、自分で殺したといっているのだから、遠慮することはないだろう。

「じゃあ、そこで誰を殺したんだい?」

 と聞くと、

「K中学校で、用務員の肩を殺しました」

 というので、連行しようと思い、やってきた二人の刑事は顔を見合わせて、一瞬、その場が凍り付いてしまったかのようになったのを感じたのだった。

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