第5話 苛めと女生徒

「君は、たぶんさっき、遺体を私が確認した時、悲鳴を挙げた生徒だったよね?」

 と校長が訊ねると、少し間をおいてから、

「ええ、そうです。私は三年二組の、鶴崎純子と言います」

 といって、またモジモジし始めた。

「その鶴崎君は、先ほどの遺体が誰だったのかということが分かったのか?」

 と聞くと、か細い声に、まるでビブラートが利いたような和音を感じたことで、少し声が野太い感じを受けたが、

「はい、あれは、用務員をされていた鮫島さんですよね?」

 というのだった。

 なるほど、その声は少し低い声で、それだけに、重たさが感じられるような気がしたが、校長としては、生徒がそんな声になるということは、何か追い詰められたのか、死体を見てしまったことのショックが抜けていないのかのどっちかだと思った。

「そうだけど、君は、鮫島さんのことが何か気になったのかい?」

 と校長は聞いた。

 普通であれば、担任にまず相談し、担任に伴われてこちらにくるのが 本当なのだろうが、それにも関わらず、本人が直接、校長室に来たということは、それなりに、何か言いたいことがあったのだろう。

「鮫島さんは、2カ月前に学校をやめさせられたと聞きましたが、何か理由があったんですか?」

 と、いきなり、核心を突く質問をしてきたのには、さすがに校長もビックリした。

 しかし、この件に関しては、

「大人の回答」

 をするしかない。

「これは、学校と、本人との間の雇用契約の問題なので、他人に話すわけにはいかないんだ。それくらいは、君にだって分かるだろう?」

 と言ったが、

「そう、まさにその通りなんだ」

 と校長は、自分に言い聞かせた。

 ただ、そんなことは、彼女も百も承知ではないだろうか?

 なぜなら、意を決して、担任を通さずにわざわざ校長室に、先ほどのような緊張感を持ってやってくるのだから、当然、いろいろなことを考えてのことであろう。

 それをすべてわかっていて、いまさらの質問をしてくるのだから、何か他に考えがあってのことにしか思えないのだった。

 校長は、そんな彼女を見つめながら、

「この子は、鮫島さんとどういう関係なんだろうか?」

 と考えてしまった。

「あの真面目で目立たない鮫島さんが、まさか、生徒に手を出すわけもないし、かといって、目の前に鎮座し、モジモジしている彼女が、老人を誘惑するようなこともないとしか思えない。しかも、お金が絡んでくるならまだしも、用務員の鮫島さんが、そんなお金を持っているわけはない。そうなると、私の知らない感情が二人の間にあったということなのだろうか?」

 と、まるで、

「二人には男女の関係があった」

 と言わんばかりの発想にしかならないのであった。

 それを何とか打ち消しながら、校長は、大人の対応をするしかなかった。

「鶴崎君は、どうして、そんなに鮫島さんのことが気になるんだい?」

 と聞かれた純子は、

「私、最近はなくなったんですけど、以前、クラスで苛めのようなものにあっていて、鮫島さんに相談していたんです。一度、学校の裏庭に咲いている花をぼんやりと見ていた私を気にかけてくれた鮫島さんが話しかけてくれたんですね。その時にアドバイスを貰ったことで、別に私が何かをしたわけではないのに、それからぱったりと苛めはなくなったんです。それから、鮫島さんとお話するようになって、よく用務員室に遊びに行ったりもしていたんですが、急にお辞めになったので、私も気にはなっていたんです。それで、今日あんな形で再会するとは思っていなかったので、ビックリしたんですよ」

 と言った。

 なるほど、悩み相談に乗っていたのだとすれば、校長も納得がいく。二人に対して抱いた思いに、

「失礼なことをした」

 と、心で詫びたのだった。

「そうなんだね。用務員の鮫島さんは、よく相談に乗ってくれたかい?」

 と校長が聞くと、

「ええ、よく話を聞いてくれました。わしには何もできないけどって言いながらだったんですが、私はとにかく聞いてくれるだけで気が楽だったんです」

 という。

「でも、それだったら、担任の先生だったいるんじゃない?」

 と校長がいうと、今の今までオドオドとしていた目が、急に座ったかのようになって、

「それができるくらいなら、最初からやっています。学校の先生なんて、しょせん口では何とでもいうけど、いざとなったら逃げだすし、すぐに長いものには巻かれてしまうんですよ」

 と強い口調で言った。

 校長も、

「まさか、ここまで急変貌するとは?」

 と思い、

「そんなに担任に相談したくなかったのかい?」

 というと、純子は、それまでの鬱憤を一気に晴らすかのように、

「ええ、そうですよ。私が苛められているのを知っているくせに、見て見ぬふりをするんだから、たちが悪いなんてものじゃないわ」

 というではないか。

 さすがにそれを聞いて校長も黙っているわけにはいかない。

「えっ、担任も知っているのに? それじゃあ、見殺しにされたも同然じゃないか? そんなバカなことが」

 というと、

「ええ、そんなバカなことなのよ。私が苛められているところに遭遇し、私が眼で先生に助けてって訴えているのに、そそくさとその場を去ったんですよ。私の目をちゃんと見ているのにですよ。だから、苛めっ子たちも、いうんです。お前は先生から見捨てられたんだってですね。これがどれほど私を傷つける行為だったのか、それなら最初から私を見なければよかったって思うと、先生も同罪にしか思えなかったんですよ」

 と彼女は必死で訴えた。

 この変貌ぶりにはさすがに驚いた校長だったが、

「鮫島さんにもこんな口調で言ったのだろうか?」

 と思いながら、

「鮫島さんは、優しかったですか?」

 と聞いてみた。

 これは自分が、今かなり叱責されるように聞いたことが、

「彼女の冷静さを失った中での暴言なのか?」

 ということを、考えさせるからではないかと思ったからである。

 ただ、彼女の目を見ている限り、少し目が血走っているようには見えるが、冷静さを失っていないように思うのは、

「これが彼女の性格なのではないか?」

 ということであった。

 まわりから、舐められないようにするために。虚勢を張るという行動に出るのは、誰もにありえることであろうが、それを必死になっているように見せるというのは、ある意味、いじめられっ子に特有の能力の一つではないだろうか?

「自分の本心を知られないようにするため」

 というテクニックは、いじめられっ子には、人それぞれではありながら、備わっているものだと思うのだった。

 その感情は、誰にも持てるものではなかった。校長と言っても一人の人間。実は校長も、子供の頃、いじめられっ子だったのだ。

 当時というと、まだ、昭和の頃だったこともあって、今と苛めの性質は違っていた。

 今のように、

「何かイラつく」

 というような、理由にもなっていない理由からの苛めではなかった。

「苛められる人には、苛められるだけのそれなりの理由があったのだ」

 ということであった。

 苛めに遭うというのは、昔は。文字通り、

「苛められるには、その人に原因があった」

 といってもいいだろう。

 校長にも思い当たる節はあった。

「私は子供の頃から勉強が苦手だった。小学校三年生くらいまでは、まったく勉強ができずに、落ちこぼれていた。しかし、四年生になると、急に覚醒したとでも言っていいのか、ちょっとしたきっかけから、それまで分からなかった問題が解けたのだ。その調子で他の問題も面白いように解けたことで、成績もうなぎのぼりだった」

 と思い返していた。

 さらに問題はそこから後だった。

 それを今度はまわりにひけらかすようになったのだ。

「俺は偉いんだ」

 と言わんばかりになり、自分が分かる問題を他の人が分からないと、

「何で分からないんだ?」

 みたいなことを口に出していた。急に勉強ができるようになると、自分が劣等生だった頃のことを忘れるわけではないので、まわりに対しての劣等感のようなものが、形だけ残ってしまっている。それを自覚できていないから、まわりに対して、

「お前たちは俺よりも頭がいいはずではないか?」

 と感じるのだ。

 それが、結局自尊心を大きくすることになり、まわりに対して優越感を持つようになる。

 前に持っていた劣等感も一緒に持っていることから、優越感では、相手のことを思いやるという余裕がなくなっているのだ。

 だから、優越感と劣等感の大きな差を感じることで、地獄から天国に上がったかのようになり、

「俺は、神のような存在ではないだろうか?」

 と感じるようになると、今度は、

「もう、俺はお前たちとは違う世界にいるんだ」

 という感覚にあり、言動もそれに似合ったものに変わってきた。

 それによって、まわりは、完全に自分に反感を持つようになるのは当たり前のことだったのだ。

 しかし、そんなことを分かるほど、冷静にはなれなかった。

「なんで、俺は苛められるんだ?」

 という思いである。

 しかし、腕力で敵うわけはないと思っているから、口で勝とうとしてしまい、火に油を注ぐ結果になってしまうのだった。

 それが、苛めという結果で返ってきたのだが、自分ではそのことを分かっていない。

「俺は当たり前のことを言っているのに、何で苛められなければいけないんだ?」

 という意識があったのだ。

 というのも、自分が劣等生の頃は、

「俺は勉強ができない、勉強が嫌いだから、成績が悪い」

 と、つまりは、

「自分が悪い」

 と分かっていたわけで、皆だって、

「俺よりも成績が悪いから、俺に罵倒されることになるんだ」

 と考えることの何が悪いというのか?

 と考えてしまうからだと思うのだった。

 つまりは、

「俺は自分のことしか考えていなかったというよりも、すべてのことを、自分の尺度で測ろうとしていたから、相手のことを考えることもなく、好き勝手な言葉が口から出てくる結果になったんだな」

 と感じた。

 まさにその通りで、相手のことを考えずに口から言葉が勝手に出てくることが、苛めっ子にとっては嫌だったのだろう。

 しかし、そのことが少しずつ分かってくるようになると、苛めっ子との間の溝が少しずつ埋まってくるような気がした。

 それが、今までの自分との溝を自分の中で埋める結果になり、そうなると、相手との距離は自然と埋まってくる。

 相手はそれを、

「誤解していた」

 と感じてくれたのも、ありがたいことだった。

 相手は、その誤解というものを、どう考えていたのか分からないが、

「誤解だった」

 ということが分かることが大切だったのだ。

 そのおかげで、苛められることはなくなってきて、逆に勉強ができることで、まわりから一目置かれるようになった。

「そうか、自分で虚勢を張ろうとするから、皆の怒りを買うんだ」

 という、当たり前のことが、やっとわかった気がしたのだ。

 だが、その気持ちが、分かってくると、今度は、

「この気持ちを将来役に立てることができれば」

 と考えるようになった。

 それが、今までバカにしてしまった人たちに対しての、罪滅ぼしになるとも感じたからだった。

 その思いが、

「教師を目指そう」

 というものだった。

 勉強の中で一番好きだった科目が歴史だった。だから、

「社会科の先生になりたい」

 と思ったのだ。

 社会科の先生になるには、歴史だけではダメで、同じ歴史でも、世界史、さらには、地理、そして、政治、経済、倫理社会などと幅ひろい教養が必要だった。

 だが、幸いなことに、どの学問も嫌いなわけではなかった。

 歴史を勉強していれば、おのずと、政治経済。倫社などには精通してくると、地理にも興味を持ってくるというものだ。

 地理的なことを知らないと、歴史を把握できなかったり、逆に、歴史を知らないと、地理が理解できないということもあった。

「なるほど、まったく違う学問に見えるけど、社会科という一括りにできるということにも、それなりに訳があるということだな」

 と、青年の頃の校長は気づき、勉強に熱心になるのだった。

 おかげで、大学も、歴史を専攻する学校に入学することができ、そこで、教員を目指した。

 歴史を勉強する学部は、意外と、

「教師を目指している」

 という人が多かったのだ。

 おかげで、皆目指すものが同じだと、切磋琢磨もできるし、一緒に勉強もできて、

「自分の欠点」

 を見つけることができたりした。

 それが、どれほど自分のためになるかということに気づかされた。

 それまで大学受験というと、

「孤独との闘い」

 であり、さらには、

「まわりは全員敵なんだ」

 という意識が、勝手に備わってしまっていたりしたではないか。

 それを思うと、勝手に引きこもって、いつも間にか、

「受験にも失敗するのではないか?」

 と思い込んでしまったものだったが、それは、ちょうど、気持ちの落ち込みのピークだったのだろう。

 しかも、その時、自分で初めて、

「俺って、躁鬱症なんだ」

 と感じた時だった。

 躁鬱症というと、躁状態と鬱状態が交互に襲ってくるのだが、その襲ってくるという状態が、まるで、

「負のスパイラル」

 のように感じられると、自分の中にある、

「バイオリズムの線」

 が近づいてくるように感じるのであった。

 学校に赴任してすぐくらいに、よく、保険のセールスレディがやってきて、

「保険お願いします」

 と言いながら、挨拶に、バイオリズムのグラフを持ってきていた。

「三つの線が、人間の感情や肉体などをつかさどるリズムになっているんですが、その線が一致するところでは、気を付けないと言われています」

 といって見せてくれたが、その時はあまり意識はなかったが、途中から、

「ああ、意外と当たっているかも知れないな」

 と見直すようになってから、バイオリズムを気にするようになったのだ。

 そんな時代では考えられないような時代が今の時代で、今の苛めというと、陰惨を絵に描いたようなものであった。

 それこそ、

「地獄絵図」

 といってもいいかも知れない。

 実際に地獄絵図というと、針の山だったり、血の池だったりを想像するが、現実の地獄絵図というのは、

「一度嵌りこむと、抜け出すことのできない」

 と言われる、底なし沼を想像するのだった。

「もがけばもがくほど、抜け出すことができない」

 それが、どれほどの恐怖であるか、それを感じさせられるものであった。

 そのせいで、苛めを受けた子が、かなりの確率で、

「引きこもり」

 となるのだった。

 ただ、この引きこもりというのは、恐ろしいもので、学生だけではなく、大人まで引きこもることが多いという。

 社会に出ても、適応できずに、すぐに会社を辞めてしまい、

「ニート」

 というものになる。

 つまりは、

「ニートと引きこもりというのは、相対した言葉ではないだろうか?」

 と言われるようにもなっていた。

 ただでさえ、単独でも大いなる社会問題であるにも関わらず、それが一緒になってしまっているのであるから、当然その問題は大きなものになるに違いないのだった。

 そのことを考えると、子供のうちから、苛めというものをなくさないと、将来がないといえるのではないか。

 それは、その子だけに言えることではなく、社会を形成する、大人の世界が、崩壊に帰するといえるだろう。

 そういう意味で、最近の、

「コンプライアンス問題」

 がクローズアップされているのも分かる気がする。

 むしろ、今まで誰も触れてこなかったことの方がおかしいと言えるだろう。

 現場からいくらでも、問題として挙がってきているはずだ。

 セクハラはもちろんのこと、パワハラ、モラハラ、マタハラなど、どんどん出てくるというものだ。

 バブルが弾けてからはなくなったが、それまでは存在していた。

「サービス残業」

 という言葉。

 これは今の時代のものとは若干違い、例えば、

「上司が会議をしている時、定時までに終わらなかったといって、部下が勝手に帰ることは許されなかった」

 というものである。

 勝手に帰りなどしたら、翌日。

「何で上司を待たなかったんだ。それくらい、社会人としては常識だろう」

 というわけだ。

 それが当時の

「サービス残業」

 であった。

 バブルが弾けてからは、経費節減が叫ばれるようになり、

「残業などというものは、してはいけない」

 と言われるようになった。

 しかし、それがいつの間にか、

「座業手当を支給しない。つまりは、残業申請をしない残業をさせる」

 というのが、サービス残業になった。

 それがパワハラと言われるようになり、今は禁止となったが、昔はそれが当たり前の時代があったのだ。

 世の中は、いろいろ変わってくるので、

「いい時代が、悪くなったり、悪い時代がよくなったり」

 というそんな状況が、繰り返されるのが、世の中というものではないだろうか?

 そう考えると、苛め、引きこもりの問題は、

「どこにでもあることだ」

 ということになるのだろう。

 今の時代は、コンプライアンスの問題がクローズアップされているが、しかし、それは会社におけることがほとんどで、なかなか学校には行き届かない。

 生徒に対して、甘いことの方が多いのではないだろうか?

 特に、昔であれば、

「愛のムチ」

 と言われていたことが、今なら、ちょっとしたことで、

「体罰」

 と言われるようになり、先生の立場も明らかに失墜してしまっている。

 そんな時代における学校では、数十年前から、それまでの、受験戦争のための、

「詰込み教育」

 と言われたものから、今度は、

「ゆとり教育」

 ということのために、週休二日制などというものを導入することで、生徒にゆとりを持った学習を行わせるようになったはいいが、今度は、本来身につけなければいけないはずの学習能力を、まったく身につけられずに社会に出ることで、社会での甘えが出たりして、

「ゆとり世代」

 などという。ありがたくない称号を賜ることになったのだ。

 それは、実にまずいことであり、社会においては、ゆとりなどというものをまったく考えないところであるから、ゆとりとのギャップから、社会に出たとたん、先輩からは馬鹿にされ、

「何もできない社員」

 というレッテルを貼られ、それが、さらに、

「何もできない世代だ」

 ということで、いわれのない苛めのようなものを受けることになるのだった。

 さすがに教育委員会も焦ったことだろう。

 自分たちが計画したゆとり教育が、完全な失敗に終わったのだ。これは、どうにもならないことになってしまったのかということを考えさせられるものだった。

 そんなこともあって、今では、

「ゆとり教育」

 から、前のような教育に戻すようなことも行われている。

 ただ、そうなると、今度は先生もついてこれなくなる可能性があるではないか。

 何と言っても、今の先生は、

「ゆとり境域」

 の恩恵を受けてきた人だ。

 社会に出れば、上司から、反感を買うであろう人が、教育者として、教育委員会の決めたカリキュラムを行おうというのだ。

 当然のごとく、

「キャパオーバーではないか」

 と言われるのも当然である。

 今までの自分たちが受けた教育を、まったく変えた形で自分たちが教えることになるのである。

 つまりは、

「教師のための、教育」

 が必要なのではないかということである。

 しかし、教育現場は、待ったなしである。

 そんなことは分かっているが、毎年のように、教育方針や、科目によっては、いろいろ変わってくる。

 特に校長が専攻した歴史などという科目は、まるで、

「生き物」

 であった。

 徐々に新しいことが発見、発掘され、今までの常識が非常識になるのだ。

 どこまでついてこれるかというのは、生徒よりも先生ではないだろうか?

 それを思うと。先生への教育というものが、いかに大切なものであるかということが問題になってくるのだった。

 特に、人物画であったり、年表の年代。さらには、事実までもが、

「実は間違いだった」

 などということになると、

「一体何が正しいというのだ?」

 ということになるのは、当たり前のことになるのだった。

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