第4話 女生徒の訪問
校長先生の話を一通り聞いた刑事は、そのまま鑑識のところへ行った。
「何か目新しいことでもありましたか?」
と、刑事が聞くと、
「ああ、いいえ、今のところは詳しい発見はありませんね。先ほども申しました通り、ここに埋められて、約一か月というところでしょうか? 死因は刺殺。ナイフのようなものだと思われます」
ということだった。
「日にちが経っているので、判別は難しいかも知れないが、殺害現場というのは、ここなんでしょうか?」
と、刑事が聞くと、
「さすが、桜井刑事。犯行現場は、たぶん、ここではないでしょうね。もし、ここで争ったとすれば、いくら、雑木林の中だとはいえ、争った跡が、ずっと残っていて、素人目には分からなくとも、ちょっとした科学捜査では分かるものですからね。犯行現場はここではないといえるでしょうね」
と鑑識がいった。
この刑事の名前は、この鑑識官の言葉にあるように、
「桜井刑事」
というのだった。
桜井刑事は、K警察署では、ベテランと呼ばれる刑事で、今までにもいくつかの事件を解決に導いた、
「敏腕刑事」
と呼ばれていたのだった。
今回の事件でも、桜井刑事の出番とあって、鑑識官は、
「事件は結構早く解決するな。俺もちゃんと仕事をまっとうして、桜井刑事の役に立たないとな」
と、考えていたのだった。
桜井刑事はどちらかというと、推理力の優れた刑事であった。ただ、考えていることを、あまり人に話すタイプではないので、一緒に捜査している刑事も、
「相変わらず、桜井刑事は自分の考えを話そうとしないんだな」
と、あまり考えないようにしていたのだ。
もちろん、そんな時は、聴いても話をしてくれるわけもない。それどころか、
「いまさらそんなことを聞くなんて、私を知らないわけでもあるまい」
とばかりに、それ以上、こちらから言葉を掛ける隙を与えないように振る舞っているのであった。
そういう意味では、
「気難しいところがある」
と言われるゆえんなのだが。それだけではないだろう。
「自分の考えていることが間違っていたら恥ずかしい」
などという、新米刑事が考えるような発想を持つはずがない。
それが、桜井刑事という人の性格だったのだ。
「ああ、そうそう。この死体の衣服のポケットの中から、香水の瓶のようなものがでてきました」
と鑑識が言った。
「香水? 女にプレゼントするものだったのか?」
と言われた鑑識は、
「いえ、男物でした。それも、おしゃれ用ではなく、どちらかというと、臭い消しの要素の強いものだったようですね」
というではないか?
「用務員って、そんなに臭いを気にするものなのか?」
と感じたが、
「いやいや、そもそも、彼は用務員を辞めていたはずでは?」
と考えたのだ。
さて、校長への尋問を終え、他の教員からも聞き取りが終わったのか、警察が一時撤収することになった。もちろん、現場は立ち入り禁止。現場周辺の業者が入っての裏庭整備も途中で中断となった。警察の捜査の解けた時から再度日程調整ということで業者とは話がついていた。この中途半端な状態では、支払いも請求もできないからだった。
警察が帰った後、校長が、校長室で執務を行っていたが、仕事をしながらでも、何か気が付けば考えているというような状態になっていて、集中することができない。
無理もないことで、この学校。いや、この地域で、こんな事件が起こるなど、初めてのことだったからだ。
しかも用務員の鮫島というと、自分が辞めさせた相手ではないか?
「そういえば、鮫島さんは、辞める時、かなり悔しそうにしていたな。言葉では、しょうがないと言いながら、辞めなければいけないということに、かなりのショックを感じていたようだった」
と感じた。
校長が思うに、
「たぶん、用務員という仕事を辞めなければいけないというだけではない、何かがあったようにも思えるんだよな」
というのは、今から考えるからである。
「もしあのまま何もなければ、今頃は、彼の存在そのものを忘れていたかも知れないな」
と感じるのも、とにかく、この、
「世界的なパンデミック」
というものが、どれほどひどいものなのかということを、いまさらながらに、思い知らされているからであっただろう。
そんなことを考えていると、校長室の扉を、
「コンコン」
とノックする音が聞こえた。
「はい」
といって、校長がその扉を開くと、そこに立っていたのは、一人の女生徒であった。
「あれ? 君は」
その生徒には見覚えがあった。
そう、先ほど鮫島さんの死体が発見された時、鮫島氏の死体を見て、
「きゃっ」
という感じで、明らかに他の生徒とは違った反応を示したあの時の女生徒ではないか。
他の生徒のリアクションと明らかに違っていたので、
「何か知っているのではないか?」
と、思ったが、リアクションも人それぞれであり、しかも、
「リアクションの取り方に、正解などというものって、果たして存在するものなのであろうか?」
ということを考えても、彼女のその時のリアクションには、
「何かある」
と思わせるに十分なものであった。
しかも、
「今一人で勇気をもって、単身、校長の自分の元に訪れるということは?」
と考えると、このまま何も聞かずに帰すわけにもいかないと感じるのだった。
彼女は、扉の前で佇んでいて、ただ下を向いていた。
「覚悟を決めたはいいが、いざとなって、校長の前に立つと、何から切り出していいのか分からない」
というところが本音であろうか?
校長としては、ここは大人の対応をしないといけない。女生徒に対して、
「とりあえず、そんなところにいないで、中に入りなさい」
と促すと、彼女は普通に、
「失礼します」
といって中に入ってきた。
彼女は果たして何をしにきたというのだろう?
「事件のことを聞きたい」
と思ったのか、それとも、
「事件のことで何かいいたいことがある」
ということできたのか。
どちらにしても、単身校長室に乗り込んできたのだから、それだけでも、
「いい根性をしている」
ということになるだろう。
入ってくるなり生徒を見ると、泣いているようである。校長は、それを見て、さすがにいきなり話しかけることはしない方がいいと思ったのか、彼女が落ち着くまで少し待っていた。
何と言っても、校長先生と面と向かいだけでも勇気がいるのに、先ほどの事件の後だけに、その精神状態はかなりのものであろう。
それを思うと、さすがに校長も気を遣わないわけにはいかなかった。
昔から、校長先生というと、温和な雰囲気がある。どうしても、現場を取り仕切っている教頭の場合は、そう、体裁ばかり取り繕っているわけにもいかず、生徒から嫌われ役になっている場合が多い、特に昭和から続く、いわゆる、
「熱血青春もの」
に出てくる先生は、そのほとんどのパターンが決まっていた。
まずは、主人公の熱血先生がいて、マドンナのような美人先生がいる。
体育教師はいつも、ジャージを着ていて、竹刀を持っているような人か、あるいは、実際に勉強を教えているわけではないので、そのあたりが他人事のようで、言いたい放題の先生かのどちらかであろう。
そして、いつも、生徒から苛められているような先生がいたりするが、急にどこかで覚醒するのを、主人公の熱血先生が手助けをするというような場面があったりする。
今の校長くらいの世代であれば、そんな熱血青春ものの番組を、リアルか、少なくとも、再放送で見ていた時代だろう。
昔は今と違い、再放送の時間帯が夕方くらいにあり、人気のある番組は、しょっちゅう、再放送されていたのだった。
あの番組での教頭というと、もう一人、腰巾着のような先生と二人で、熱血先生を追い落とすことで、校長先生を窮地に陥れ、そして、自分たちが出世しようというようなことをもくろんでいるのである。
それが一種の番組の骨格でもあった。
その熱血先生は、校長が採用するというのが、そのほとんどなのだが、校長は温和でありながら、いつも、学校が、
「受験至上主義」
のようになっていくことを憂いていた。
もちろん、学校が勉強をするところだということを踏まえたうえで、
「生徒たちには、伸び伸びとした教育を」
ということを目指している。
そんな校長が雇った先生が、いつも、破天荒な行動をすることで、PTAを怒らせたりして、それが問題になると、その教師の解任問題へと強調はいきり立つ。
それによって、校長の、
「任命責任」
のようなものを問うて、それによって、校長を失脚させ、教頭は自分が、校長の座に就任しようという魂胆だ。
腰巾着先生は、
「教頭が校長になったら、新校長は自分を教頭に推薦してくれる」
という思惑で動いているのである。
果たして、校長にそこまでの力があるのかどうか分からないが、考えてみれば、これも面白い。
確かに、
「任命責任」
を盾にして、校長を追い落とそうとしているのに、腰巾着を教頭にして、もし、新教頭がおかしなことをすれば、今度は自分が現校長の二の舞ではないか?
そんなことになっても、とりあえずは、
「自分の手足となって動く部下」
という方がいいというのだろうか?
それとも、そこまで考えずに、単純に、
「都合よく使おう」
と思っていたとすれば、もしクーデターが成功しても、すぐに、内部崩壊になるのではないかと考えるが、まさにその通りではないだろうか?
結構、
「悪知恵」
が働く癖に、自分のこととなると、なかなか、うまくいかないのであろう。
そんなドラマを見ていたせいか、教頭時代には、自分も、
「早く校長になりたい」
と思ったものだ。
しかし、それは、別に当時の教頭のようなことをしようと思ったわけではない。もちろん、生徒を締め付けたり、学校を、
「受験戦争に打ち勝つようなエリート学校」
にしようとも思っていなかった。
ただ、教頭という職では、
「何か成果をあげないと、その先がない」
ということであった。
「校長になるための、踏み台」
と考えるか、それとも、
「教育の現場の頂点」
と考えるかによって、その自分の立ち位置も変わってくる。
後者であれば、それだけ、自分の進むべき道も見えてくるというもので、
「校長の椅子を狙うわけではなく、教頭という立場から、校長という職を見る」
という考えであれば、今後、自分が校長になった時、どのような立場でいればいいかということが分かるというものである。
一般企業においては、教頭といえば、部長クラスであろうか?
部長ともなると、実際の職務の最高責任者であり、取締役という立場に一番近い役職でもある。
そういう意味では、
「実務の最高責任者としては、一番の部署であり、取締役とまでいかなくても、ここで十分」
と思っているサラリーマンも多いだろう。
しかし、学校では、
「教頭まで行ったんだから、校長まで目指したい」
と思うのは当然である。
校長から、教育委員会に行くというのを栄転と考えている人もいて、こちらは、どちらかというと、警察組織に似ているのかも知れない。
警察組織というと、いわゆる、
「キャリア組」
と呼ばれる、官僚職が存在するものであり、完全な、
「縦割り社会」
となっている。
教育の現場も、そんな縦割社会が、存在していて、問題はもっと他にも山積している。
昔からあるのは、
「苛め問題」
などである。
しかも、下手に相手をすれば、
「体罰」
などと言われ、大っぴらに生徒を叱ることもできない。
そうなると、先生は何もできない。
PTAと呼ばれる父兄の組織も糾弾してくるであろうし、その後ろには、教育委員会がついている。
普通の会社でいえば、PTAは、会社にとっての、
「社員による組合」
のような存在で、教育委員会は、その組合を組織する団体だったりするのではないだろうか?
と考えている。
そんなことを最近、無性に考えるようになったのだが、きっと、それは、自分が年を取ったからではないだろうか?
特に考えてしまうのは、
「世界的なパンデミック」
が流行ったせいで、学校は、国の命令で、
「全国一斉休校」
となった。
学校ではどうすることもできない。リモート授業などもできず、かといって、学校に登校させて、病気が蔓延すれば、学校の責任だ。だから、国の方針を間違っているとは思えない。ただ。
「自分たちに力がない」
ということが分かったということがである。
そんな状態において、
「理想の校長先生」
というのが、どういうものなのかを考えていたが、なかなか思いつくわけにもいかなかった。
とくに最近などでは、学校の内外でトラブルが起こることも多い。学校に限らず、保育園、幼稚園などでもそうだ。
幼稚園などで、多発している、
「幼稚園バスの中に、子供を置き去りにして、その子が熱中症で亡くなる」
という事件も再発したりした。
最初の事件で、あれだけ騒がれたにも関わらず、再度起こった事件というのは、最初に起こった時は、
「前代未聞の大事件」
などと言われたのだから、それから1年も経たずに起こってしまった事件では、何と表現すればいいのだろうか?
「言語道断」
というだけで済まされるのだろうか?
そんな時、責任者として、園長や理事長が出てきて、マスコミに対して、
「言い訳」
をして、頭を下げるだけであった。
その言い訳も、完全に他人事で、見ているだけで、違和感があるのは、皆に言えることではないだろうか。
当事者とすれば、
「いいわけではない」
というかも知れないが。起こってしまったことは、どうにもならない、時を戻すわけにはいかないのだ。
つまり、
「言い訳以外の何ものでもない」
というわけだ。
亡くなった子供がもし、生き返ったとしても、それでも、
「よかった」
といって許される問題ではない。
当事者の家族に対して、さらには、子供を預けている親に対しても、さらには、園を経営している他のキチンとした(本当にそうなのかどうかは甚だ疑問であるが)幼稚園、さらには、その父兄に対しても、信頼を失墜させ、不安だけを煽るような会見をするくらいなら、謝るだけ無駄である。
「頭を下げればいい」
と思っているだけなのかも知れない。
二度目の罪は、一度目よりもさらにひどい。
「一度、他の園でこういうことがあったのだから、うちの子供を預けている園でも余計に気を付けるだろうから、うちの子供は大丈夫だ」
と思っていた親の期待を見事に裏切ったのだ。
こうなれば、
「日本中の幼稚園すべてが信用できない」
と思えてくるだろう。
そうなると、最初の罪どころの話ではない。
「指の先ほど残っていた期待を、完膚なきまでに粉砕したわけなので、幼稚園というところだけの問題ではなくなってしまった」
といってもいいだろう。
そうなると、
「あの謝罪は何だったんだ?」
ということになる。
同じ幼稚園で起こったのだとすれば、一つの幼稚園の異常な体質ということになり、他の幼稚園は、そこまで気にすることはないのかも知れないが、他の幼稚園でも同じことが起こったとなると、もう、幼稚園というもの時代の信頼が、まったく失せてしまったといてもいい。
「一度失った信用は、そう簡単に戻せるものではない」
という。
しかも、他の幼稚園からすれば、迷惑でしかないものであり。誹謗中傷であれば、まだほかに手の打ちようがあるが、一種の身内が立て続けに起こしたトラブルであれば、手の打ちようはない。
そう思うと、怒りが収まらないのは、同業者の関係者であった。
学校だって、同じことが起こらないとは限らない。相手は人間なのだから、
「明日は我が身だ」
ということで、校長は、最近はそのことを気にしていた。
今のところ幼稚園の問題なだけなので、こちらは関係ないが、実際に、今進行している、
「学校における諸問題」
というのは、まったく解決していない。
これは、どの学校も抱えている問題ということで、何をどうすればいいのだろう?
そんなことを考えていると、
「自分が、もし、学校の誰かの問題で、釈明会見を行わなければいけなくなったら、どうだろう?」
と考えた。
謝るだけでは済まされない。マスゴミ連中から、余計な質問を浴びせられ、まるで、
「針の筵」
に載せられたような気分になるだろう。
そうなってしまうと、本当に何を言っても言い訳になってしまうのが分かるだけに、自分が一番他人事だと感じるに違いない。
しかし、そんな様子を少しでも見せると、あのマスゴミ連中は、
「誠意がないですね」
などと言って糾弾してくるだろう。
だが、マスゴミの連中こそ、一番の部外者ではないか。
いかにも正義感ぶってはいるが、やつらは、面白い記事を書いて、新聞や雑誌が売れることしか考えていない。
そんな連中に、果たして、
「我々を糾弾できる権利があるというのだろうか?」
と考えてしまう。
「他人事なのは、お前たちではないか?」
と言いたい。
「世界的なパンデミック」
にしてもそうだが、特に昔のマスゴミはひどかった。
大東亜戦争の時、
「マスゴミが煽らなければ、戦争にならなかったかも知れない」
ともいわれている。
もっとも結果論であり、ルーズベルトが戦争にしたかったものに、日本が載せられたというのが事実だったので、
「世論の高揚が戦争を引き起こした」
というのは、一番の原因ではないが、
「戦争を引き起こした責任」
という意味では、戦争へと国民の高揚を促すような報道をしたマスゴミを許すことはできないだろう。
確かに、戦争中など、軍による
「情報統制」
が行われたのは事実であるが、それを戦後になって、
「言論の自由への冒涜だった」
などというのは、筋違い。
「本末転倒だ」
と言ってもいいだろう。
むしろ、
「因果応報」
というべきで、戦争さえなければ、報道統制もなかったわけだし、自業自得といっていいのではないだろうか。
そう、人間は、とかく、追い詰められると、他人事になるものだ。それを思えば、校長としても、
「知らず知らずのうちに、自分も他人ごとになっているのではないか?」
と思わざるを得ないだろう。
そんなことを考えていると、目の前にいる女生徒も、何が言いたいのか分からないが、「なるべく他人事としての対応はできないだろう」
と感じたのだった。
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