第7話 アリバイ
さっそく、捜査本部に報告され、
「よし、じゃあ、その男をまず、連行して、取り調べを行ってくれたまえ」
と、本部長からの命令で、男を刑事課に連れていき、取調室に入ってもらうことにした。
刑事課は、いつになく慌ただしくなり、ちょうど、他の事件がなかったことで空いている取調室に入った。
刑事が二人と、書記が一人、とりあえず、3人が1人の男の相手をすることになったのだ。
取調室の扉は開けられたままだった。
もし、取り調べをしている男が犯人だった場合、起訴して裁判ということになった時、
「拷問された」
あるいは、
「自白を強要された」
などということが相手の口から洩れれば、それはまずいことになる。
裁判において実に不利になるということにもなるし、何よりも今の時代、コンプライアンスの問題から、冤罪を防ぐという意味もあるだろう。
だから、昭和の時代のように、刑事が、
「タバコでも吸うか?」
といって渡したり、ドラマでよくあるような、かつ丼を食べさせたりというようなことはしない。
それこそ、
「自白強要の買収」
と受け取られないとも限らないからだ。
相手は、百戦錬磨で、しかも、
「依頼人の財産と権利の保護を至上命令」
とする弁護士が相手なのだ。
警察のちょっとした気のゆるみをついてくることは、火を見るよりも明らかなことであった。
そんな取調室での、刑事と容疑者、参考人とのやり取りは、昭和の頃とはかなり違っていることだろう。
特にタバコなどは、灰皿の上にてんこ盛りというのが普通だったが、今はまったくの禁煙である。それだけでも、かなり違うことだろう。
ただ、施設はそこまで変わっているわけではないだろう。建物自体が建て替わっていれば綺麗だろうが、机やいすは、昔のままに違いない。
そう思うと、建物の壁や窓、扉などが新しいのに、机やいすなどと言った備品関係は、本当にオンボロな状態だといってもいい。
そんなところでの取り調べ、どんな気持ちになるというのか、凶悪犯や、反社会勢力の構成員などであれば、どのような取り調べになるのか、昔のドラマをよく見ていた人間には、想像もできないかも知れない。
そんな取調室に通された男は、
「さて、人を殺したというが、どういうことなのかな?」
と、刑事がまずは柔らかく聞いた。
すると、自首してきた男は、
「はい、あの用務員さんを殺しました」
と神妙に言ったのだ。
「まずは、あなたのことを聞かせてください。名前と年齢、職業をまず」
と聞かれ、
「私は、片桐洋二。53歳です。無職です」
というと、
「差し支えなければ、無職なのは前からなのですか?」
「いいえ、今回の伝染病が流行るようになってから、無職になりました」
というので、
「じゃあ、リストラというわけですか?」
という刑事の質問に男は少しモジモジしながら、
「ええ、そうです」
と答えた。
モジモジはしているが、口調は強かった。
「自分がどうして、リストラされなければいけないのか?」
という気持ちが強いのだろう。
刑事もいろいろな人に職業柄、尋問するのだが、彼らのように、
「最近、無職になった」
という人が多い。
ほとんどの人は、
「自分が悪いわけではないのに」
という、理不尽な気持ちがあるのは当たり前で、当然の気持ちだったのであろう。
この片桐という男もまさにそれで、自首してきているという立場で、恐縮はしているが、リストラに遭ったことに関しては、到底承服できないという気持ちでいっぱいなのであろう。
「どこにお勤めだったんですか?」
と聞かれ、
「一応、商社に勤めていました。年齢的に一番リストラに遭いやすいんですかね? しかも、タイミングが悪く、伝染病にも罹ってしまったので」
と男はいった。
伝染病に罹ったということは、
「人が密集するような場所にいた」
あるいは、
「人と密着するようなところにいた」
などという偏見の目で見られる。
会社からも、
「今回の伝染病に関しての心得と対応マニュアル」
というものを用意しているところも多いだろう。
営業ですら、なるべく電話やネットで済ませている時代に、伝染病に罹るようなことをしたり、行ったりするということは、ある意味、
「服務規程違反」
と見なされるのかも知れない。
それを思うと、
「戒厳令」
の話を思い出す。
「災害などでパニックになると、デマが横行し、関東大震災などでは、朝鮮人を虐殺した事件が起こったりしているではないか」
と思うのだ。
刑事が、そこまで思ったかどうか分からないが、会社では、病気になったというだけで、誹謗中傷を受け、偏見の目で見られたりするだろう。
ひどかったのが、
「奥さんが、医療従事者というだけで、旦那が出社をしてはいけないということになり、最終的に、リストラされてしまった」
というような話もあったくらいだ。
会社からすれば、
「奥さんは関係ない。あくまでも、リストラ候補に挙がっていたというだけです」
と。会社側はいう。
中には、訴訟を起こす人もいるだろうが、リストラされたのが自分だけでなければ、難しい。みんなで訴訟というのであればありえるかも知れないが、そうでなければ、皆が首になっている中で、誰も声を挙げないのであれば、説得力は弱いといってもいいだろう。
他の人は、
「訴訟などすると、次の職が見つからない」
と思うのだ。
もし、勝てなかった場合は、当然、職を失うことになり、訴訟も、職探しにもどちらにも負けることになるだろう。
そう考えると、訴訟をしようと思う人もいない。
「そんな時間があるんだったら、職を探した方がいい」
と思うはずだ。
何といっても、裁判を起こすには、お金も時間もかかるのだ。就活には致命的だといってもいい。
しかも、選考中に、
「この男は、前の会社を訴えている」
などということが分かれば、まず雇うことはしない。
さらに、就職できたとしても、試用期間中であれば、いつでも解雇できるというものだ。試用期間中にかたがつくほど、裁判は簡単ではないだろうからである。
彼はそんなことをせずに、甘んじてリストラを受け入れて、退職するようにしたようだ。
「新しい職はなかなか見つからないでしょう?」
と刑事にいわれると、それまでの苦労が思い出されたのか、目はうるんでいた。
「自首しに来ました」
という時は、覇気のなさは感じたが、涙目にはなっていなかった。
どちらかというと、職が見つからなかったことの方が辛かったのではないだろうか?
刑事はそれを思うと、
「この男、自首してきたこともあって、根っからの悪ではないようだ」
と感じたのだ。
だから、少し、ゆっくり目に話をするようにした。
もちろん、話が佳境に入ってくると、強い口調になるのは当たり前のことであろう。
それを考えると、まずは男が話しやすいように花を向けることにしようと思うのであった。
「それは大変でしたね。じゃあ、事件のことを伺いましょうか?」
と刑事がいうと、
「私は、職を失ってから、当然のように、新しい職が見つからない。女房子供は実家に帰ったまま、帰ってこなくなり、迎えに行っても、けんもほろろで追い返される。何がどうなったのかと思い、一度家に帰ると、女房が来ていたようで、離婚届に判が押してあり、もう押すしかない状態ですよ。こうなったら、すべてがに嫌気が刺して、しかも、明日はどうなるか分からない。職が決まらなければ、どうしようもないですからね。そうなったところで、考えたのが、空き巣だったんですよ。私は、学校に忍び込んだんです。プロではないので、普通だったら思わないのですが、衝動的だったんです。自分でも、その時の精神状態を覚えていませんからね」
というではないか。
なるほど人間というのは、切羽詰まると、何も考えられなくなる。衝動で身体が動くというのも分かるというものだ。
ただ、彼がなぜ学校だったのかということは分からない。ひょっとすると、
「目の前に学校があったからだ」
ということなのかも知れない。
しかし、これほど無謀なことはない。
学校内部を知っているわけもないからだ。
「ひょっとして、あの中学校、自分が行っていた学校なんですか?」
と言われ、
「ええ、元々卒業生です。だから、忍び込んだ時、後ろめたさよりも、懐かしさがあったんですよ。そのせいですかね? 罪悪感よりも、何か、中学の時、肝試しでもしていたかのような意識になったんですよ。面白いものですね」
と、男は初めて、笑顔を見せた。
といっても、あくまでも、その笑顔は、シャレになっているわけではなく。引きつったままだった。
「そうか、じゃあ、泥棒に入ったというわけだね?」
「ええ、そうです。学校の中に入ると、真っ暗でした。しかも、ちょうど学校が閉鎖になってから、少ししてからのことだったので、学校内は、誰もいませんでした。ちょうど、空き巣が飲み屋街で流行っていると聞いたので、衝動的になったのも、その意識があったからでしょうね」
と片桐は言った。
「ということは、君が忍び込んだというのは、まだ、緊急事態宣言中だったということかな?」
と刑事がいうので、
「ええ、そうです。あの頃は、まだ表に誰もおらず、暗くなってしまうと、まず表を歩いている人などいませんからね。本当にゴーストタウンを歩いているようで、ムラムラとおかしな気分になったのも、言い訳のようですが、それはそれで仕方のないことだったと思います」
と言った。
刑事はそれを聞いて、
「ということは、君が殺したという人は、まだ学校の用務員だったということかな?」
と言われ、
「ええ、そうですよ。まさか、用務員がいたなんて思いもしなかったので、ビックリしました」
という、
「あの用務員さんは、住み込みだったようで、あそこに住んでいたんだよ」
と刑事がいうと、
「そうなんですか? 昔ならいざ知らず、今住み込みで用務員をやっている人がいるという意識はなかったですね。もっとも、無意識だったので、後から感じたことだったんですけどね」
と、片桐は言った。
「片桐さんは、殺したというのは、その時ではなかったんですね?」
と刑事がいうと、
「ええ、違います。だいぶ経ってからですね」
という。
確かに、緊急事態宣言中であれば、5月か6月ということになる。検死報告としては、死亡推定は、
「10月頃だ」
ということであった。
三か月か四カ月の開きがあるということは何を意味しているのだろう?
「用務員の仕事は、校長先生の話では、7月くらいに解雇になっていて、遅くとも、8月くらいには、学校を退去したような話だったんだけど、となると、あの人は退去した学校に現れたということになるんですよ」
と刑事は言った。
「そうなんですか? 私はてっきり、あの人はまだあそこで用務員をしていると思っていましたよ」
という。
「そうだったんだ。だが、なぜ君は、あの人と関わるようになったんだい?」
と、刑事は大方分かっていたが、とりあえず聞いてみた。
「私は、あの人に泥棒に入ったのを見つかったんですよ。それで、私も一気に目が覚めたような気がして、持ち前の気の弱さから、平謝りしかしなかったんですね。ごめんなさいと連呼していた気がします」
という。
「この男を見る限り、その通りなんだろう」「
と刑事は思った。
「じゃあ、用務員が、この男の弱みに付け込んで何かをしようとしたということなのか?」
と思ったが、何しろ泥棒をしようとしたくらいの相手である、脅迫などしても、何にもならないのは、分かり切っていることであろう。
「君は、見つかって平謝りをしたんだね? 彼は許してくれたかい?」
と聞かれ、
「何とも言えない表情をしていました。許すとも許さないとも言わず、じっと黙って私を見下ろすんです」
というので、
「そうか、難しいところだったんだろうな?」
と刑事がいうと、
「ええ、そう思います」
と、片桐はいうのだった。
「ところで、君は、用務員に捕まったわけだよね? それで、相手の男はどうしたんだ?」
と聞かれて、
「ええ、最初は、どうしようかというような感じだったようですが、こっちの目が覚めてから、完全に我に返ったのを見て、豹変したようです。最初はにっこりと笑っていたんですが、そのうちに、表情が明らかに妖艶な笑みに変わり、いかにも、何かを企んでいるかのようになったんです。それを見て、私は、たまらなくなりました」
と、言って怯えるように、身体を震わせて、ゾッとした様子を見せたのだ。
片桐がそういうと、少し、会話が途切れた。刑事も何を言おうか考えているようだった。
そして、少ししてから、
「じゃあ、その用務員が、君を脅してきたということかい? しかし、君だって、金がないわけだろう? 脅したって、お金が手に入るわけではないだろうに」
と刑事がいうと、
「はい、そうなんです。だから余計に私の方も怖くなったんですよ。何をさせられるのか、見当もつきませんからね」
と片桐はいう。
「その日は、じゃあ、つき出されることとかもなかったわけだね?」
「ええ、証拠は握っているからと言われ、連絡先などを聞かれたので、完全に相手の言いなりになっているというところです」
「じゃあ、相手は君に連絡先は教えていないというわけだね?」
「ええ、知りません。どこの誰かも分からないという感じですね」
「連絡は相手から一方的だということかい?」
「ええ、そうです。ケイタイもレンタルのようだったので、番号も毎回違っているような感じですね」
と片桐はそう言って、
「手の打ちようがない」
とばかりに、しょげていたのだ。
「なるほど、それにしても、一用務員の立場で、よくそんな悪知恵が働くものだな」
と刑事がいうと、
「ひょっとすると、バックに誰かいたのかも知れませんね。私が今回自首してきたのも、その気持ちがあったからなんです」ssz
という。
「どういうことだい?」
「相手にもし、バックがいれば、そいつらから、私が犯人だと分かってしまうだろうから、警察の捜査が入る前に、私が殺されてしまうのが怖かったんです。警察であれば、安心だと思って自首してきたんです」
という。
なるほど、男のいうのも分かる気がする、確かに、こんな大それたことを一人の男が、ただの用務員が考えるはずもない。片桐という男のいうのも、分かる気がすると考えていた。
だが、実際に自首してくるということは、勇気もいることで、本当に怖がっているのだろうと思えたのだ。
自首するということは、何かをさせられ、そこでトラブルになったことで、事件が起こったのだろう。
刑事はそれを考えると、
「ところで、君は、その用務員から、何をさせられようとしたんだい?」
と聞かれて、
「はい、私にもう一度同じことをしろというのです」
と片桐が言った。
「どういうことだ?」
と刑事が聞くと、
「もう一度、泥棒に入れということなんです。聞いてみると、その用務員さんも、私と同じように、学校からリストラされたというではないですか。私と立場は同じなんですよ。しかも、その復讐がしたいということだったので、私に、もう一度、泥棒に入ってほしいというんです。そして、その時には、警備y防犯カメラは切っておくからということでした」
というのを聞いて刑事は、
「なるほど、そういうことなんだな、君も彼の気持ちが分かるから、弱みを握られていることもあって、協力する気になったということだな?」
と、刑事はいうのだった。
「もちろん、それだけではないですよ。何か、あの人に同情的なところがあったんだと思います、でも、それは、自分が悪いことをしなければいけなくなったことで、その免罪符として、自分がそう思い込むことで、結果的に同情的になったんじゃないかって感じるんですよ」
というのだ。
「なるほど、その気持ちは分かるけど、では、君と用務員との間で、何か気持ちの中で繋がらない部分であったり、裏切られたという感覚に陥ったりした部分があったということのなるのかな?」
と刑事がいうと、
「そうですね、端的に言えばそういうことだったんだと思います。もっとも、自分にとって、用務員さんがどういう感情で、殺そうと思ったのかということを考えると、どこで感情が狂ったのか分からなくなってくるんですよ」
と片桐は言った。
「ところで、君は、どうして用務員の態度が変わったと思うかね?」
と聞かれて、
「さぁ、詳しくは分かりませんが、人間には、二重人格的なところがあって、急に何かのきっかけで豹変するということだってあるではないですか。つまりは、自分があの人の何かスイッチになるようなことをしたのか、言ったのか、そのどちらなのかも知れないですね。だから、あの人から裏切られたような感覚になって、しかも、弱みを握られていることから、先が見えてしまったことで、あの人を殺すしかないと思ったのかも知れないですね」
と、片桐は言った。
「なるほど、しかし、それだけでは、我々は納得がいかんのですよ。調書も作成しないといけませんしね。何をいかにして殺害したのか、いつ、どこでまで、しっかりと聞いておく必要があるんです」
と刑事は言った。
片桐は話始めた。
彼がいうには、
「まず、用務員室には誰もいないはずだから、まずそこに行って、そこで、警備を解除すればいい。そして、警備を解除したら、校長室の金庫から、盗むものを盗んで持ってくればいい」
と言われたという。
そして、
「実際に、管理人室までいくのに、本当は警備があるのだが、表門のある個所から、警備を解除すれば、管理人室までは行ける」
ということだった。
「用務員は、時々自分が表から遅く帰ってきた時、そこを自分で解除して、用務員室に戻るといっていました。もちろん、校長もそのことは知っていて、校長だけではなく、教頭も皆知っていることだから、忍び込んだとしても、大丈夫だ」
と言われたんですよ。
というので、今度は刑事が、頭を抱えた。
「校長が知っている?」
というと、
「ええ、だから安心だと言われました」
と当たり前のことのように、片桐がいうと、
「それはおかしいよ」
と刑事は言った。
「何がですか?」
「君は気づかないかい? 校長が知っているということは、もし盗みに入って、警報が切られているのを見つかると、一番最初に疑われるのは、用務員だろう? 特に辞めさせられたということで恨みを抱いているわけだから、だったら、君にやらせないで自分でやる方が、内部事情に詳しいだけに、いいと思うんだ。そのあたりが、辻褄が合っていないように思うのだが、どうなんだろうね?」
と刑事に言われると、片桐も、
「あっ」
といって声を挙げた。
「ああ、確かにそうですね」
とばかりに、今までそんな簡単なことに気づかなかった自分が恥ずかしくなったくらいだった。
片桐は、そこで頭を抱えてしまったのだ。
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