第34話 嫌だよ、そんなの
「……マスター」
「何かな、トール」
「適当なことを言うのも、ほどほどにしてください」
ため息混じりに助手は言った。
「でもあの人、あんなにマスターが犯人じゃないかってしつこかったのに」
どうして疑いを取り下げたのだろう、とトールは訝しんだ。
「時機を逸した、と言っていたろう。それが本音じゃないかな」
マスターは肩をすくめた。
「あのタイミングであってこそ、〈アリス〉解体を無理にでも二年前の事件と結び付け、ロイド・クリエイターが犯人だというセンセーショナルな記事が書き得た。時間が流れるのは早い。一ヶ月も前のロイド行方不明事件なんて、もう誰も興味を持っていないだろう」
「そういう、ことですか」
トールは呆れた。
「じゃあ彼は、もしかしたらまた」
「うん。何かしら私が……いや、『私』でなくてもいい。クリエイターが犯人だったら面白そうだ、という事件に出会ったら、またあの日と同じ態度でやってくるんじゃないかな」
「有り得そうです」
認めたくないと思いながらトールは認めた。
「ねえ、マスター」
「うん?」
「神父様、って言いましたね、また」
「何だって?」
「いま、スタイコフ氏に、言ったじゃありませんか」
「そうだったかな?」
「……マスター」
「近頃、忘れっぽくてね」
「……さっきから、本気でごまかすつもりすら、ないですね」
じとん、とトールは店主を睨んだ。
「言いたくないんだよ、彼のことは」
肩をすくめて彼は応じた。
「それなら、訊きませんけど」
「訊きたくてたまらない、という顔だね」
「う、そりゃあ、まあ、気になります」
正直に彼は言った。
「君は、私が人の弱みにつけ込むと言うけれど」
「す、すみません。つい」
本音が、とトールは呟いた。
「私に金を払うか払わないか、彼らには選択肢があるだろう。彼らはまだ、そこで引き返すこともできるんだ。冷静に考えて、『所詮、機械』でしかないモノに、必要以上の大金を払うことはない、と結論を出すこともできる」
店主は淡々と言い、「所詮、機械」は黙った。
「『弱みにつけ込む』というのは、彼のようなやり方を言うんだ。心弱くなったオーナー、またはユーザーに優しく話しかけ、まるで神の使いのような顔をして……いや」
首を振って彼は続けた。
「彼らが求めていることでもある。少なくとも彼は私と違って大金など請求しないし、実際、救われた人間も多いだろう。彼の選ぶものが好かないからと言って貶めるのは、公正ではないね」
「マスター……」
トールは困惑した。どうにも情報が足りない。
「あの、ええと」
しかし主人がこの話題を続けたがっていないことを感じ取り、トールは別の話題を探した。
「あ、あの、気になってたことがあるんですけど」
「何だい」
「マスター・カインには、アリスのこと、何て言うんですか」
彼が選んだ話題は、彼の想像した店主の希望と正反対だったが、彼はそれを知らなかった。
「何を言えばいい?」
店主は片眉を上げた。
「僕が訊いているんです」
「彼は、もう詳細を知っているよ。エミーのことは知らないけれど」
「ええ? じゃあ、エミーのメンテナンスは誰がやるんです」
「私しかいないだろう」
「……あの格安料金で?」
「仕方ないね」
「カイン氏に任せたらいいじゃないですかっ」
「嫌だよ、そんなの」
「……嫌?」
トールは目をぱちぱちとさせた。
「どうしてです? そりゃあエミーはちょっと変わり種ですけど、これまでいろんなクリエイターに『妹』たちを任せてきたのに」
「エミーをほかのクリエイターに見せたくないなんて言ったかい? ミスタ・カインには、エミーだけじゃない、何も見せる気はないと言っているだけだよ」
「え?」
「私は彼のことが嫌いだから」
にっこりと店主は言った。トールは一瞬、自分の音声認識回路に狂いが生じたのかと思った。
「どうしてですか、マスター」
しかしエラーの様子はない。気の毒にもトールはおろおろした。
「何かあったんですか。あ、その人が連絡をしてこないから怒っているんですか」
「とんでもない。いい傾向だ」
「もしかして」
そこでトールははっとなった。
先ほどから変化の生じない、マスターの態度。
「『ファーザー』と呼ばれるクリエイターというのが」
マスターが「トールを見せたくない」と洩らした相手。アリス・フランソワの件の詳細を知る人物。そう言えばあれから一度も、店主は「アリスの主治医」に顛末を知らせようとしたり、今後について連絡を取ったりという様子がなかった。
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