第33話 次の使者を

 助手はうなった。


「これまででいちばん、酷いです」


「そう?」


 店主は首をかしげた。


「どの辺りが?」


「ど、どの辺りって! 格安販売どころじゃないでしょう! ただでミスタ・オレンジにあげちゃうなんて! これまでのメンテ費用を考えたら、赤字じゃ済まないですよ!」


「君たちが口を揃えて、エミーをもう売るなと言ったんじゃないか。だから売らなかったのに」


「言葉尻を捉えないでくださいっ」


 トールは悲鳴を上げたが、店主はただ肩をすくめた。


「大丈夫だよ。エミーのプログラムは独自性を取り払って一般的なものに差し替えた。そもそもオセロ街の彼らはもともと生きることを忘れている節があるんだから、エミーの虜になったって何かを失うことはないだろう」


「……そりゃあ僕だって、エミーが歌っていられる環境があるなら、兄として喜ばしいと思いますけれど」


「だろう? 理想的じゃないか」


「でも何か、違うような気がするんですけど」


「エミーはアリスではないからね。たとえ、データを上書きしても」


「上書き?……まさか、マスター」


「そんなことはしていないよ。私はエミーを『殺す』気はないんだ」


 店主は肩をすくめた。


「再販するのであればデータの初期化も必要だけれど、他ロイドのデータで上書きというのは有り得ないね」


 ただ、と彼は続けた。


「追加はした」


「追加ですって」


「うん。〈アリス〉の、最新にして最後のバックアップデータを持っているのは私だから。エミーにアリスの『記憶』を持たせたよ」


「え」


「君も知っての通り、エミーのトークレベルはゼロだから、彼らがそれに気づくことはないと思うけれど。的確に、彼らそれぞれの好みの歌を好みの歌い方で歌えるだろうね」


「それって……」


 トールは顔をしかめた。


「いいこと、なんでしょうか?」


「さあ」


「『さあ』って、マスター……」


「何も私は『いいこと』だと思ってやった訳じゃないもの。依頼人……この場合、ミスタ・オレンジだね。彼の希望に添うよう、在庫のロイドを調整して、出荷しただけだよ」


「調整、ですって」


 トールは胡乱そうな顔をした。


「このところ特別な依頼もないのにこそこそやってると思ったら、それだったんですか」


「こそこそだなんて。酷いな」


「僕に隠れて、作業してたんじゃないですか」


「たまたま君が見なかっただけだよ」


「へえ? ここ数日、僕がマスターの部屋を訪れると『ちょっと待って』と何分も放置されてたのは、僕に形跡を見られまいと何か片づけていたせいではないと仰るんですね」


「うん、違うとも」


 にっこりと店主は言った。ちっともごまかす気がないな、とトールは思った。


「こそこそしていようと堂々としていようと、もうひとつ、いいですか」


「何だい」


「出荷というのは、無料で、した訳ですよね」


「人の弱みにつけ込んで大金を請求するなと言ったのは君じゃないか」


「大金じゃなくても! せめて、その最後のメンテ費用くらいは請求してもらいたかったです!」


 〈クレイフィザ〉経理は主張した。


「マスターは、極端なんです!」


「そうかな。そうかもしれないね。ごめんね」


「……そこで謝られると、困るんですけど」


 彼は息を吐いた。


「お金がなくなったら、いちばん困るの、マスターなんですよ。判ってるんですか」


「大丈夫だよ、どうにかなるから」


「当てはあるんですか」


「うん。次の依頼がね」


「まともな依頼ですか」


「どういう質問なの、それは」


「だって、訊きたくもなりますよ」


「安心してくれていい。次のリンツェロイドは真っ当に、高額を請求できるだけのものになるから」


「本当ですか。本当ですね。信じますよ、マスター」


 切実な表情でトールは言った。店主は笑った。


 不意に、通信を知らせるランプが点灯した。トールは首筋に手を当てる。


「はい、〈クレイフィザ〉です。……何だ、あなたですか。……はい、少々お待ちを」


 渋面を作って、トールは店主を見た。


「スタイコフ氏です、マスター」


「おや。あれきりだったのに、どうしたのかな」


 片眉を上げて、店主は通信を受け取った。


「やあ、ミスタ。今日は何……」


『先生! 面白いネタがある。聞きたいか?』


「ぜひ」


 笑みを浮かべながら、店主はトールにも声が聞こえるよう、出力先を外部に変更した。


『ジャンク街にな、また、ロイドが現れたんだ』


「おや、それは驚きですね」


 素知らぬ顔と声で、店主は言ってのけた。


「もしや、アリスが帰ってきたのですか? 彼女が無事だった?」


 よく言うものだ、とトールは呆れた。


『それが、違うんだなあ』


 スタイコフがにやにやしているのが判るようだった。トールは苦笑を浮かべた。


『いやね。俺はまたすぐ連絡をすると言って、それっきりだったろ。ちょいとボスにこき使われて、時間が取れなかったんだが、ひと区切りついたんでね。何か進展はなかったかと思ってジャンク街に行ったんだ――』


 そこで彼は、アリスではないロイドが歌っているのを知ったと言う。


『謎のロイド再び。こりゃ、ちょっとうちに似合う記事かもな。この話を先生に教えようと思ったのは、意見を聞きたくてだな……』


「私の意見? あなたは私を疑っていたのではなかったかな?」


『そう言うなよ。そうだったら面白いと思ったことは確かだが、話してる内にそうじゃないことは判ってたって。だいたい、もう誰も、アリスの殺害犯のことなんか気にしちゃいない。あのイッちまったような顔してた兄ちゃんも、穏やかな顔になってて』


「――そう。それはよかった」


『まあ、アリスは早い話、ばらされて売られたってことで、もういいだろ。タイミングも逸したしな、もういいと思ってる。面白いのは、その新しい歌姫で』


 興奮したようにスタイコフはエミーのことを伝え、店主は興味深そうに聞いていた。


『どう思う、先生。ばらして売った犯人が、反省でもして、違うロイドを用意したのかねえ?』


「おやおや」


 店主は苦笑した。その説によれば、彼自身かオレンジが犯人ということになってしまうからだ。


「私の意見は違いますよ、ミスタ」


『聞かせてくれ。プロの見識を』


「天に帰った女神アリスが、次の使者を使わしたというのはどうですか?」


『……はあ!?』


「介在しているのは、神父様かもしれませんよ」


『何を訳の判らないことを』


「ああ、すみません。来客が。失礼します、ミスタ・スタイコフ」


『おい。先生、待てよ』


 不服そうなスタイコフの声に気づかないふりで、店主は通信を切った。もちろん、来客などはない。

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