第26話 そうとも言える

 そうして彼らが〈カットオフ〉を出たときは、もう昼を大きく回っていた。


「あの、マスター」


 ずっとおとなしくマスター同士の話を聞いていたトールは、挨拶以外でしばらくぶりに声を出した。


「『神父様』というのは、誰のことなんですか」


 彼は首をかしげた。


「マスターとミスタ・ギャラガーはそれで通じていたようですけれど」


 何気ない、かつ当然の質問に、店主は顔をしかめた。


「とある、クリエイターのことだよ。善意で行動しているようなんだが……何と言うか、特殊なことを進めている人物でね」


「特殊なこと?」


「言うなれば、ロイドによるセラピーだ」


「へえっ」


 トールは驚いた。


「セラピスト・ロイドですか? でもそんなの」


 こほん、と彼は咳払いをした。


「こう言うのも何ですが、どこかの個人工房のロイドみたいに、特殊レベルのトーク機能を持っていないと難しくありません?」


「何もリンツェロイドにカウンセラーをさせようと言うんじゃない。アニマル・セラピーみたいなものだよ」


「ああ」


 トールはうなずいた。


「成程」


 動物で心を癒すことができるように、リンツェロイドでも。それが「神父様」の考えであるらしかった。


「使役機械ならぬ、愛玩機械ですか」


 でも、とトールは遠慮がちに続けた。


「リンツェロイドにはもともと、いくらかそういう傾向があるように思いますけれど」


「そうだね」


 店主は認めた。


「『マスター』となったオーナーが、リンツェロイドを命あるもののように扱い、大事にする。それはクリエイターとしては喜ばしいことだ」


「じゃあ、何が悪いんですか?」


「悪いとは言っていないよ」


 店主は肩をすくめた。


「やり方によっては、それも使役の形だ」


 彼は言った。


「やり方によっては、ね」


 その繰り返しに、トールは首をかしげた。


「『神父様』は、どんな『やり方』を?」


「――ミスタ・ギャラガーの言った通り、彼自身はリンツェロイドを作ったことがない。その代わり、既存のロイドをアレンジする」


「それは、でも、オーナーの希望であれば、どの工房もやるでしょう」


「もちろんだ。一度売りに出した製品がどんな改造を受けようと、それはもうクリエイターの手が届かないところだ。気に入らなくても甘受するし、多くは、気にとめないようにする」


 静かに、店主は続けた。


「だが彼は、そう思わないようでね」


「と、言いますと?」


「自分がアレンジを加えたロイドは、手元から離さない。ほかの工房には出さない、という誓約書に署名させたり、厳しい契約を結んで自分の所有ロイドを貸し出すという形を作ったり」


「……それは、ちょっと」


 トールは顔をしかめた。


「気になりますね」


「普通、そうした極端な囲い込みをしたがる工房からは、自然と客が離れるものだ。だがロイド・セラピーというものに興味を持ったり、依存したりするマスターは、ファーザーの工房に通う」


「何だか」


 しかめ面のままでトールは言った。


「悪徳商人、という感じがしますけど」


「ところが困ったことに、彼にあるのは善意なんだ」


 店主は口の端を上げた。


「客を囲い込むのは、金蔓と見ているためじゃない。あくまでも救うべき相手と考えている。療法として有用であることを認める医師もいて、他工房も抗議しづらい」


「……何だか、マスターとミスタ・ギャラガーが『神父様』と言う理由が判ってきたような気がします」


 「善意の人」の揶揄である訳だが、信奉者もいるという辺りだろう。トールはそう理解した。


「たいていのクリエイターは、一度ファーザーと関わりを持つと、もう彼の邪魔をしてはいけないと思うようだ」


 言葉を選んでいるが褒めてはいないな、とトールは判断した。要するに、クリエイター間ではその考えが受け入れられておらず、誰も二度は関わりたがらないということ。


「でも、何だか変じゃありませんか?」


 トールは首をかしげた。


「その『ファーザー』は、半年前にフランソワの居場所を知っていたと思われるんですよね? それってつまり、フランソワがアリスと呼ばれていた間の……」


「おかしなところはないよ」


 店主は答えた。


「え?」


「スタイコフ氏の話を聞いて、そうじゃないかと思ったんだ」


「はい?」


「ミスタ・ギャラガーから答えをもらうとは思わなかったけれど。正解を引き当てて嬉しくない、というのは複雑だね」


「……あの?」


 助手は首をひねった。マスターは「神父様」のことを言っているのだろうかとも思ったが、それだけでもないような気がした。


「さあ、ここまでだよ、トール」


「はい?」


 少年は目をしばたたいた。


「君はもう、お帰り」


「……はい?」


「〈クレイフィザ〉にお帰りと、言ったんだ」


「それは、僕だけですか?」


「そうだよ」


 マスターはうなずいた。


「どうしてですか」


 トールは目をぱちぱちとさせた。


「僕も聞きたいです、フランソワと言うかアリスと言うか、どちらにせよ、件のロイドのこと。マスターは、そのファーザーやフランソワの所有者マスターの話に何か手がかりがあると考えているんでしょう?」


 僕も手伝いますとトールは言ったが、彼のマスターは首を横に振った。


「駄目と言ったら駄目なんだよ、トール」


「……何ですか、その、聞き分けのない子供に対するみたいな言い方は」


「ミスタ・ギャラガーについては、反応が判っていたからね。〈シャロン〉のこともあるし、あまり気にしないんだが」


 彼は曖昧な言い方をしたが、彼のリンツェロイドはその意図に気づいた。


「その『ファーザー』は違うんですか」


「うん。そうとも言えるね。彼が気づくとは思えないけれど、危険を冒したくはない」


「それ以外は、何なんです?」


「うん?」


「『そうとも言える』。ほかの理由は?」


「同じようなことだね」


「どういう意味ですか」


「君に興味を持たれたくない」


 店主は言った。


「気づこうと。気づくまいと」


「……よく判りません、マスター」


「そう?」


 彼は首をかしげた。


「判らないなら、いいんだ」


「そんな言い方は、ずるいです」


「そうだね。ずるいかもしれないね。でもとにかく」


 もうお帰り、と命令は繰り返された。トールは従わざるを得なかった。

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