第9話 見かけによらないものですよ

 晴れた空の下、くず鉄場の空気は乾いていた。


 危険、関係者以外立ち入り厳禁――と宙に大きく浮かぶ文字は、気づかずにいるのが難しい。つまり、その柵の向こうに足を踏み入れるのは関係者か、文字を読めない者か、はたまた判っていながら無視する者、ということになる。


「立ち入り禁止ですよ、マスター」


「うん。そう表示されているようだね」


「で、それが何なんだ?」


「まだ圧縮の時間じゃないから大丈夫」


「あの……禁止……」


 メンバーのなかで警告に従うべきと考えたのはトールだけのようだった。


「嫌ならここに残っていていいよ」


「い、行きますよっ」


 店主の親切な――或いは意地の悪い――台詞に、トールはすぐさま返答した。


 おそらくかつては機能していた錠前は、いまでは開きっぱなしのようだ。収集、分別、圧縮、回収が繰り返される巨大な黒い箱は、空と彼らに向かって入り口を開いていた。


「ああ、やっぱり、いた」


 レオは、見つかってよかったと言うような、そう言いたくないような、複雑な様子だった。


「――デューイ!」


 呼びかけられて、人影は動きをとめ、立ち上がって彼らを見た。


「レオ。それに……クリエイターの先生」


 デューイは、レオと同年代か少し下に見えた。二十代半ばというところだ。


「やあ、ミスタ・デューイ。よければ少し休憩して、話さないか」


 店主はそんなふうに言った。デューイは躊躇う風情でちらりとレオを見た。レオはうなずいた。店主は〈アリス〉のことを知っている、と告げたのだ。


「あとにしてもらえませんか」


 高い位置から、デューイはそう返答した。


「いま、忙しいんです。事情はご存知のようですから、省きます」


 そして彼は再び鉄くずの上にしゃがみ込んだ。まるで発掘作業だった。


「やれやれ」


 店主は肩をすくめた。


「いいからこっちにくるんだ、ミスタ・デューイ。君も判っているだろう? まともなパーツはみんなもう売られている。仮に破片があったとしても探し出すのは困難、更に仮に、探し出せたところで何にもならな」


「マスター」


 トールは諌めた。


「正論すぎます。ミスタ・スタイコフには何だかんだと、彼の気持ちを判ってるようなこと言ったのに。何で当人を前にそんなこと」


「うーん、何でも肯定してあげるのは相手にとって心地よいことだけれど、解決にならないからねえ」


 店主は顔をしかめた。


「じゃあどう言えばいいの。『一緒に探そうか』とでも?」


「……マスターが見れば、ロイドのパーツかどうかなんてすぐ判るでしょう」


「君も判るんじゃないかい」


「はい、マスター」


 トールはうなずいた。


「じゃあ僕、手伝ってきま」


「そういうことを言ったんじゃないよ」


 命令ではない、と店主は苦笑した。


「レオ。デューイはずっとあんなふう?」


「あれでも落ち着きましたよ。一日二日は、俺まで殺されるんじゃないかと思うくらいおっそろしい顔してた」


「彼はずいぶん、〈アリス〉に思い入れていたんだねえ」


「メンテ費用をカンパするって奴はけっこういますけどねえ。取りまとめられるのはなかなか。熱意もですけど、かっぱらわないと思える奴。手元に集まった金を自分のために自由にしない奴なんて、いると思いますか? よりによって、このオセロ街で」


 何もデューイが誠実でみんなに信頼されていたというのではない。オセロ街にそんな美しい言葉はない。


 〈アリス〉にマスターはいなかった――正確に言うのであれば、いるのやらいないのやら、いるとしたらどこの誰なのか、ちっとも手がかりがなかった――が、彼らの間で仮にマスターらしき人物がいるとしたら、それはデューイだった。彼女を見つけたのもまたオレンジと呼ばれる男だったが、デューイはオセロ街の住人のなかで二番目に彼女を見た人物で、すっかり彼女に「惚れ込んだ」。


「アリスを女神と言い、慕ったのは、何もデューイだけじゃなかったですけど。彼がいちばん熱心でした。でも」


 レオは息を吐いた。


「こんなふうになるほど、惚れてたなんてな」


「ロイドへの虚しい恋、か。尽くした女が殺されて、その復讐に燃える男の話……なんてのは、いまいち、うち向きじゃないな」


 スタイコフは肩をすくめた。


「それより分解事件だ。何かもうちょい、手がかりはないのか」


「いちばん知っているのはデューイでしょうね。でもあの様子じゃ、他人と話をするなんて」


 無理そうだ、とレオがため息混じりに言ったとき、ガタンと大きな音がした。


「なっ、何だ!?」


「圧縮機です!」


 トールが叫んだ。


「もう時間か」


 レオが目を見開いた。


「でも、警告音が鳴るはずなのに」


 彼が戸惑う間に、機械音がリズミカルになって行き、巨大な箱の床部分が開きはじめる。真ん中からばらばらと酷く大きな音を立てて、ゴミが落下していった。


「デューイ! 早くこい! 落ちたら、潰されるぞ!」


 両手を口に当てて、レオは友人を呼んだ。デューイは焦った顔をしたが、それは自分の身に関する心配ではなく、アリスのパーツが失われることに対しての焦燥であるようだった。と言うのも、デューイはひざをつくと、むやみやたらにその辺を引っかき回し出したからだ。


「逃げる気ないのか。阿呆か。俺ぁ見たかないぞ、スプラッタ。だが、うちの記事には最高だな……」


 どうにも非道なことをスタイコフは呟いた。


「デューイ! いい加減に」


「――マスター!」


「仕方ない。行っておいで」


「有難うございます!」


 待ちかねていたトールは、マスターの指示を受けて地面を蹴った。彼は怖れ気なく、いままさに稼働せんとしているプレッサーの上に駆け上がり、かがむデューイの腕を掴んだ。


「は、放せ!」


「聞けません」


 トールには大して腕力などありそうに見えない。その彼が、彼より高さも幅もあるデューイの抵抗を抑え、荷袋のように肩に抱え上げてしまうのは、驚くべき光景と言えた。


「げ。すげえ力だな、あのガキ」


「人は見かけによらないものですよ、ミスタ。これからトールをからかうときは注意してくださいね」


 ロイド・マスターは、〈トール〉が鍛え上げてでもいるかのように言った。


 少年――の形をした機械――の上でデューイはなおも暴れていたが、その手から逃れることはできなかった。彼らがダストボックスから出てすぐ、床は完全に開いて、全てが地下へと落ちていった。


 わずかな間ののちに、鈍い破壊音が辺りに響き渡る。スタイコフは顔をしかめ、トールはデューイを下ろして複雑な表情を浮かべ、デューイはがっくりとひざをつき、レオは友人に掴みかかった。


「馬鹿野郎っ、お前な、お前が死んでどうするんだ。アリスの仇討ちをしたいなら、お前は生きてなきゃならんだろうがっ」


 震える声でレオは叫んだ。


「有難う、トール。こんな馬鹿のために危ない真似を」


「しなければならないことをしただけです」


 それは一見、立派な台詞だが、かのロボット三原則に縛られた機械としては当然のことだった。


 本来であれば、仮に彼の「マスター」が先ほど「ノー」と言ったとしても、〈トール〉は三原則を優先して「マスター」の命令に逆らうことになる。だができることならそうしたくなかったために、トールは出た許可に礼を言った。


 もっとも、〈クレイフィザ〉で作られたロイドの一部は、三原則よりもマスターの指示を優先することができる。〈トール〉にそうした――裏の――機能が組み込まれているかどうか、それを知るのは彼のクリエイターばかりだ。


「いったいどうなってるんだ」


 トールの「正体」を知らないレオたちは、少年が思いがけぬ力持ちであったことに驚きつつも、突然の圧縮機作動に憤慨していた。


「圧縮の前には、警告音が鳴る。もし人間サイズの発熱源があったら、町中に響きわたるくらい、でかく」


「壊れてんだろ」


 スタイコフは簡単に言った。


「誰も修理にきたがらないしな、こんなとこ」


「確かに、有り得る話だな。俺たちで見るしかないか」


 レオは嘆息した。


「さて。改めて、ミスタ・デューイ」


 何ごとも起きていないと言うように、店主はしゃがみ込んだままの男に声をかけた。


「お話を伺いたいんですがね」

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