第10話 何で、そんなことに
それは、半年から一年ほど前のこと。
オセロ街で〈アリス〉を見つけたのは、オレンジと呼ばれる男だった。
彼は、おそらくかつては鮮やかなオレンジ色だったと思われるバンダナを「ラッキーカラー」と称して身につけている変わり者だ。
そのオレンジが、くず鉄場で動かないロイドを見つけた。
ほかの人物だったら、どうにかして売り払うことを考えただろう。そのままであろうとパーツにするのであろうと。
だがオレンジは、リンツェロイドが少々の電力で動くことを知っていた。燃料電池さえ補充できれば、内部でエネルギーを生成できることを。
彼のちょっとした好奇心で、美しい「少女の形をしたもの」は「息を吹き返し」、低いトークレベルで礼を言った。つたない話しぶりは、人間とみまごうばかりの「それ」が確かに機械であることを雄弁に語った。
実際、そのロイドは喋ることができたが、あまり上手に返事はしなかった。彼女はどうして自分がくず鉄場に落ちていたのか判らないと言い、自分の名前も覚えていないと言った。
正確に言うのであれば、自ら説明したのではなく「どうしてあんなところに」「判りません」「名前は」「判りません」というようなやり取りであったが、気づけばオレンジをはじめ、何人もの男たちがそんな「壊れロイド」に魅せられた。
デューイもそのひとりだ。
古臭い嗜好を持つ男が、古典になぞらえ、彼女のことを「ワンダーランドならぬオセロ街に迷い込んだアリス」だと言い、彼女はやがてアリスと呼ばれるようになった。
若くてきれいな女など、まずお目にかかれない場所である。アリスはその外見だけでも彼らのアイドルたり得た。
おかしなことを考える者もいたが、リンツェロイドに正しい知識を持つ者がアリスはセクサロイドではなく「そうした機能」または「穴」はついていないことを知らせ、諦めさせた。そうした事実すら無視、或いは理解できず、または忘れて彼女を襲おうとした愚か者は、アリス姫を守る、さながら「オセロの騎士」たちが叩きのめした。
そう、いつしかアリスは、彼らの姫君となっていた。
美しき外見だけによらない。何より彼らの心を揺さぶったのは、彼女の歌う、歌の数々。
決してトーキングが上手ではないアリスが歌うとき、そこにたどたどしい感じはかけらほどもなかった。時にはプロの歌手のように、時には幼子を抱く母のように、アリスは彼らの望みに応じてさまざまな歌を歌った。
そうしてアリスがすっかり「オセロ街の歌姫」となった頃、ひとりのクリエイターがオセロ街を通りかかる。
「――それは、リンツェロイドですね?」
エイドリアン・カインと名乗ったクリエイターが目を見開き、口をぽかんと開けた様子をデューイはよく覚えている。
「ずいぶんと汚れているようですが。いったい、どなたの? メンテナンスには出しているのでしょうか?」
「汚いだって? うちの歌姫に何てこと言いやがる」
オレンジが言った。凄むと言うのでもなく、茶化すような雰囲気だったのだが、カインは慌てて謝った。
「リンツェロイドは通常、屋内使用を想定されていますから。もしそのロイドがこうしてしょっちゅう外で歌っているようでしたら、メンテナンスも通常より早めがよいですよと、助言を」
「メンテナンスだって」
「そんなもんが必要なのか」
オセロ街の彼らは、リンツェロイドはもとより、ニューエイジロイドもまともに扱ったことのない人間ばかりだった。オレンジは多少知っていたが、かつて働いていた会社にロイドがいた――または、あった――というだけで、詳しい訳ではなかった。
クリエイター・カインは無料のチェックを申し出、彼らの見張りのもと、それは行われた。
カインはロイドのパーソナル・データや記憶データがめちゃめちゃになっていると告げ、手首の個体識別番号も読み取れず、所有者を探すことは困難だと言った。
彼らはそれに安堵した。状況からしてもアリスが「捨てられた」ことは明らかだったものの、もし正当な持ち主が「返せ」と言ってきたらどうしようもない、と思っていたのだ。
だから彼らはそれを朗報と取り、安心してアリスを「崇めた」。
騎士または下僕のように彼女を守ることはもちろん、メンテナンスに金がかかるとなれば、自分の生活費を削ってでも彼女のために差し出した。
そうして、傷ついた男たちがアリスの歌に慰めを見出し、彼女を女神のように思うようになってしばらくした、ある日のこと。
アリスが、姿を消した。
「おっさん」
異変に気づいたのは、デューイだった。
「なあ、おい、オレンジのおっさんってばよ」
「ああ? デューイか。何だ、どうした。こんな朝っぱらから」
「アリス、見なかったか」
「ああ? 何だって?」
寝ぼけ顔でオレンジは聞き返した。
「いつもの広場にいないんだ」
「いっつもあの広場にいるって訳でもないだろう。アリスには二本の脚があるんだからな」
「俺らが提供した寝床にもいないんだよ。エッグの酒場にも」
「誰かがどっかで歌ってくれってやったんじゃないのか。近頃はアリスに妙な真似を働く奴もいなくなったろ」
心配するな、とオレンジは言うと、再び路地裏に横になった。デューイはそれを引っ張り起こす。
「そういうんじゃないんだよ、おっさん! 誰も見てないんだ、アリスを。頼むよ、一緒に探してくれ!」
切羽詰まったデューイの様子にオレンジも目を覚まし、それから彼らは手分けをしてオセロ街を回った。知った顔には事情を伝え、アリス捜索隊は二十名近くにまでなった。
一時間と経たぬ間に、オレンジが見つけた。
再び、くず鉄場で、アリスを。
その、手首だけを。
「な……何で」
デューイは呆然とした。
「何で、そんなことに!」
「判らん」
オレンジは苦い顔で首を振った。
「ほかにも、ロイドのパーツらしいものが散らばってた。俺がひとりで全部拾ってくることもできなかったからこれだけ持ってきたが、誰か気づけば、パーツ屋に売り払うかも」
「な……そんなこと、させられるか!」
「あ、おい!」
年上の男がとめようとするのに耳も貸さず、デューイはくず鉄場に走り、目につくパーツを拾った。関節部位と思しきもの、ロイドのものとも判らない基板、エンジンの一部らしきもの――。
「アリスのもの」と考えられるのはオレンジの見つけた手首部分しかなかったが、それだけで充分とも言えた。
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