第7話 甘く見んなよ
「アリスがいつも歌っていた広場に行けば、誰かに聞けるんじゃないかな」
店主はそう言った。
「普段なら、お互いはもとより、『余所者』とは言葉を交わしたがらない彼らだけれど、アリスのことは気にしているだろう」
「それに、戻ってきているかもしれませんもんね、アリス」
「はっ。ねえよ」
スタイコフは笑った。トールはじろりと睨んだ。
「あなたは確定的な情報を持っていないんでしょう。それなら、判らないじゃありませんか」
「無駄に期待するのはよせよ。無駄に期待を抱かせるのも、な」
「あ……」
少年は口に手を当てた。
「判ったか、坊ちゃん。奴らの前で、アリスじゃないかもしれませんよう、なんて呑気に言うなよ。奴らもそれを望んじゃいるが、お前がそう言うことは、夢見る仲間がひとり増えたってことじゃ済まない。お前は『クリエイターの助手』なんだからな」
「発言には責任を持て、と?」
トールは渋面を作った。
「ご意見は、もっともです。ただ、文責を考えない人に言われたくはありませんけど」
「はっ」
ゴシップ紙記者は笑った。
「彼らと話をする前に、ひとつだけいいかな、ミスタ。彼らの様子はどうだった? つまり、彼らが持つのは怒り、悲しみ、憤り……無力感」
「それら全部だよ」
簡単にスタイコフは返した。
「『誰がこんなことを』『どうしてこんなことに』『よくも俺たちの女神に』『守ってやれなかった』等々」
「成程ね」
「マスター」
そっとトールは店主を呼んだ。
「本当に、アリスだと思います?」
「判らないよ」
店主は当たり前のことを言った。
「ただ、嫌な符号だね」
彼はそうとだけ口にして、それ以上のことは言わなかった。
だがトールには通じた。マスターの心に浮かんでいるであろうこと。
二年前の「ニューエイジロイド・バラバラ殺人事件」。その犯人と疑いをかけられている人物のこと。
それはただの噂にすぎない。それも、彼らは噂を聞いたのですらない。噂の伝聞だ。
もちろん「噂」というのは伝聞で広まっていくものだが、その話は世間に広まったために伝わったものではなかった。
「ミスタ・スタイコフ」
トールは記者を見た。
「二年前の事件っていうのは、どうなんです」
「ああん?」
「だから。二年前のバラバラ事件。あれって確か、犯人は捕まっていませんよね」
「そうだな。本当に『殺人』って訳じゃないからな。警察も適当に切り上げちまったよ」
厳密に言うならば捜査が打ち切られた訳ではなかったが、熱心に追いかける捜査官も記者もおらず、スタイコフにしてみれば「切り上げられている」印象だった。
「犯人はどうして、やめたんでしょう」
「何?」
「ほら。その手のって、快楽殺人でしょう。ええと、殺人じゃないですけど」
「まあな。当時は、いずれ人間のバラバラ死体が出るんじゃないかと、期待……もとい、不安があったな」
「期待」していたのは〈ミスティック・パラドクス〉だろうとトールは推測した。
「だがあるときを境に、ぴたっと収まっちまった。『遺族』たちは少し騒いだが、あれをきっかけにロイド保険が急成長したなあ」
「そうした記事も出たようですね」
店主は言った。
「『あの事件で得をしたのは誰か?』」
「はは、うちの記事だな。先生、読んでんのか」
「ロイド関連でしたのでね。いくらか、気にしましたよ」
「記憶力、いいな」
「たまたまです」
おそらく店主は、その類の記事を三ヶ月以内に読んだのだ。トールには判ったが、スタイコフは違うことを考えた。
「自分の起こした事件の記事なら、気になるよなあ」
「またそんなことを」
トールは憤慨した。店主は片手を上げた。
「スタイコフ氏は本気で言っている訳じゃない。気にしなくていいよ、トール」
「俺は本気だぜ、先生。甘く見んなよ」
男は顔をしかめた。
「それなら言い換えよう」
店主は肩をすくめた。
「疑っているところがある故に『尻尾を出さないだろうか』と挑発してみるけれど、口で言うほど『絶対に間違いない』とは思っていない」
「……あんた、嫌な人だな」
「そう? 有難う」
にっこりと店主は礼を言った。
「――
不意に、大きな声がした。彼らは一斉にそちらを向いた。片手を上げて彼らの方に駆けてきたのは、三十前ほどの、ひょろっとした青年だった。
「やあ、君は確か……」
「レオです。この前のメンテのとき、デューイと一緒に見てました」
「覚えているよ、レオ」
店主は手を差し出した。レオはそれを取った。
「もしかして先生、アリスのことを聞いて?」
「ああ。真偽を確かめたくてね」
「真偽」
レオは困った顔をした。
「判らないんですよ、誰にも。突然、アリスは姿を消した。そして、くず鉄場にロイドの部品っぽいものがいっぱい落ちてた。なかには……彼女のものとしか見えない、ナンバーの薄れたふたつの手首が」
「成程」
店主はうなずいた。
「個体識別番号が読みとれない、アリスのものらしき手首。状況証拠としては充分、かな」
「見つけたのはオレンジのおっさんなんだけど」
「オレンジ?」
「あだ名です。いっつも身体のどっかにオレンジ色の布キレをつけてるんで。当人によるとラッキーカラーだとか」
「は、ラッキーね」
スタイコフが笑った。
「ジャンク街ではいずり回ってるようじゃ、大してラッキーカラーじゃなさそうだけどな」
「そのミスタ・オレンジが、アリスを見つけた?」
「ええ。アリスがいないって言うんで、手の空いてた奴らで探し回ったんです。番号の読めない手首を見つけたのが、オレンジのおっさん」
「どこに行けば会えるかな?」
「いや、それが」
レオは顔をしかめた。
「あの人も、姿消しちまったんだよな。まあ、人間が消えるのは珍しくないんですけど」
リンツェロイドの「殺人」に騒ぐ一方、人間が行方を眩ませても誰も気にしないのだとレオは言った。
「『美人の女の子』と『薄汚いおっさん』の差もあるかもしれませんけどね」
口の端を上げて、彼はそんなことをつけ加えた。
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