第6話 信用できません

 「ジャンク街」。


 それは、程度の差はあれ、どの都市にも存在するこうした場所の総称である。「偉い人たち」は「社会のひずみ」などと言った。


 きれいで安全な街並みから柵をひとつ越えると、別世界のような混沌とした暗い場所に出る。


 この二十五番街区の片隅は「オセロ街」とも呼ばれていた。


 異なる色で挟まれると駒がひっくり返る、昔ながらのテーブルゲーム。誰かが自分たちをひっくり返された駒にたとえたらしい。自嘲を込めて、彼らは彼らの町をそう呼んだ。


「……昼間でも何だか、薄暗い感じがしますね」


「だから、君は残っていていいと言ったじゃないの」


「怖がってなんかいません、と僕も言ってます。マスターをひとりで行かせたくないんです」


「この前は、ひとりできたよ」


「それは、僕が知らなかったからでしょう。知っていたら禁止されない限りついていきましたし、それに」


 トールは息を吐いた。


「こんな男とマスターをふたりで行かせるなんて、絶対、駄目です」


 「こんな男」スタイコフは片眉を上げた。


「俺はこの辺のこと、よく知ってる。むしろ俺といればリンツ氏は安全だぜ、お坊ちゃん」


「誰がお坊ちゃんですか。いえ、僕のことで一向にかまいませんけどね。マスターにおかしな疑いをかけてつきまとってくる人のことなんか、信用できるはずありますか」


「取材だよ、しゅ、ざ、い。調査にインタビュー、現地への同行。まあ、とりあえずは協力者のクリエイターAってことにしとくわ」


「名前を出してくれても、別にかまいませんよ」


「へっ? いいのか?」


「駄目ですっ」


 トールは店主とスタイコフの間に入った。


「クレイフィザのCもリンツのLもなしです! 許可は僕を通してください。ミスタ・スタイコフも、マスターも、いいですね!」


「はいはい、判った。頼んだよ、トール。ということだからよろしく、ミスタ」


「仕方ねえなあ」


 スタイコフは煙草を取り出した。


「小姑だな。雇い主に任せとけよ」


「あなたには都合がいいかもしれませんけどね」


「つまらん言質は取らんと言ってるだろう」


「信用できません」


「あのな。そんなら俺は、お前さんの言葉なんて無視してもいいんだ。掲載許可は本人からもらったとして、店の名前も店主のフルネームも、住所や通信ナンバーまで書いたっていいんだ」


「何ですって。そんなことは」


「聞け。俺は言ったろ。『仕方ねえな』と。これは『判った、了承した』ということだ。クソ、何でまた、俺の方が言質を与えなきゃならん」


「ミスタ・スタイコフ」


 店主は記者を見た。


「あなた、いい人ですね」


「は。んなこた、初めて言われたね」


「マスター。駄目です、油断しちゃ」


「このガキ」


「そう怒らないでいただきたい。トールは、私と店を心配しているんだ。貴紙の評判は、あなたもよくご存知と思う」


「ま、そう言われちゃな」


 スタイコフは肩をすくめた。


「トールの反応の方が、普通だよ。あんた、変だな」


「よく言われるようです」


 店主は笑ってトールを見た。何やら楽しげな店主に、少年は嘆息した。


「笑ってばっかりもいられませんよ、マスター。本当に、アリスが……」


「うん。にわかには信じがたいが、実際にアリスがいないから、その破片が彼女のものじゃないかということになったんだろう。誰かに話を聞きたいね」


「言っておくが、俺はあんたへの疑いを捨てていないからな」


 煙草をくわえながら、スタイコフ。


「わざわざここまで出張ってきたのも、『自分は何も知らないんです』というカモフラージュじゃないとは限らん」


「どうぞ推測はご自由に。ただ私は、リンツェロイドたちを子供のように感じますとお話しした通り」


「昨今は、親だって子を殺す。逆もまた然り。もっとも、ロイドはあんたを殺さないだろうけどな」


「三原則がありますからね」


「なければ殺されるとでも?」


「どうでしょう。殺したいと思われるほど憎まれることはしていないと思いますが、こればかりは相手次第です」


「……ロイドの話だぞ?」


「そうでしたね」


 澄まして、店主は言った。


「ロイドを使うのは、人間ですが」


「ははあ」


 スタイコフはにやりとした。


「どっかのロイド・オーナーには、恨まれるようなことをしてるって訳かい」


「不幸なことに、われわれクリエイターは、守銭奴と思われがちですからね。たとえ原価でご提供しても『高い』と」


「リンツェロイドをそんなに安く買えると思ってる馬鹿もいないだろ」


「『よいものを安価で手に入れたい』と考えることは、賢愚と関係がありませんでしょう」


「そういうのは、図々しいってんだ」


 スタイコフは鼻で笑った。


「もっとも、クリエイターさんよ。あんたはロイドを作って売るばかりじゃないだろ。直したり、メンテをしたり。そういうとこで、技術料ふんだくってんじゃないのか」


「先ほども申し上げました通り、適正価格ですよ」


「そりゃロイド技術士一級の試験は、とんでもない難関だからなあ。無茶苦茶に思える価格に見合うだけの腕が、あんたをはじめ、世のロイド・クリエイター連中にはあるんだろう。だが」


 記者はにやにやと店主を見た。


「たとえば、たった一本の配線を交換する程度の、目と手がありゃ俺でもできるような簡単な修理でも、技術料はきっとお高いんだろうな?」


「どの配線を交換する必要があるか、それがお判りになるなら、ご自身でなさるといいですよ、ミスタ」


 にっこりと店主は返した。ち、とスタイコフは舌打ちをした。


「ではミスタ・スタイコフ。ご案内を願えますか」


「ああん?」


「アリスのパーツを見つけた人物に会わせてください」


「んなこと、するかよ」


 スタイコフは口の端を上げた。


「俺はあんたの行動を見物するためにきたんであって、協力のためじゃない」


「そうですか」


 では、と店主は踵を返した。


「どこに行くんです、マスター」


「ミスタ・デューイを探す。メンテナンスの依頼をしてくるのは彼だし、この前も話をしたしね」


「探すったって、どの辺りにいるのかも判らないのに」


 「オセロ街」はそんなに広い地域ではない。ものの十分も歩けば、端から端まで行けるくらいだ。


 だが、区画整理の計画から洩れた、或いは外されているこの街区は、ひたすらごみごみとしている。細い小道、曲がりくねった抜け道、上ったかと思えば下ろされる階段、子供の造った迷路のようだ。


 住んでいる者は道にこそ迷わないが、彼らは基本的に、互いに興味を持っていない。知った顔と飲み交わすことはあっても、そいつが普段どこをねぐらにしているとか、何で日銭を稼いでいるとか、そうしたことは知らないのだ。


 もっともそれは、冷淡だけを意味しない。互いに詮索しない、という暗黙の了解でもある。つまり「俺は訊かない。お前も訊くな」。

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