仮面
R.みどり
仮面
人は皆、自分という仮面を付けている。
「起立。礼。お願いします」
教室に少し暗い声が重なり合う。朝のHRの時間だ。月曜日だろうが、火曜日だろうが、朝は疲れが声に滲む。起きる行為自体が面倒であるのだ。午後から授業が始まればいいのにと何度も思う。
「では、転校生の紹介をしよう」
教室がざわめき始める。
転校生って可愛い子?や一目惚れしたらどうしようなど、各々の気持ちが言葉となって漏れる。それは本心ではないのかもしれないが。
「はい、はい。落ち着いて。さ、入って」
転校生は先生に促され、教卓の隣に来た。
「初めまして。転校してきた川崎浩司です。よ…よろしくお願いします」
転校生は、深々とお辞儀をした。クラスは、先程のざわめきを忘れ、転校生の言葉を聞いていた。まるで、卸売市場のように。
転校生は、男ながら小柄だった。顔は、普通以上の良さだったが、髪が長く隠キャであった。声も小さく近くで話していても聞こえないレベルである。
「じゃあ、日野くんの隣の席に座ってもらおう。いいかい?」
少し頷くと日野くんと呼ばれる生徒の隣の席に座った。
「これからよろしく。川崎くん」
日野が彼に話しかけた。
「よ…よろしく」
「よろしくお願いします、だろ。誰に向かって言ってんのかわかってんのか!」
大声で日野が威嚇してきた。
当然、暗い彼は怯える。周りの生徒も皆、無言になる。
「仲良くやってるときにすまないが、これから授業を始める。号令」
そこから、彼にとって地獄の日々が始まった。
「川崎〜。ちょっとおにぎり買ってきてくんね」
「あ、オレもオレも」
初めはクラスの男子たちが、彼をパシリとして使う。初めは代金を払っていたが、だんだん払わなくなっていった。
「今日…の分です…」
半年たった頃、彼は立派な奴隷になっていた。
「ちょっと男ども。また川崎くんを使ってんの? やめなよそういうの」
「今日だけだって、留原さん〜」
クラスのまとめ役である学級委員の留原恵美が、たまに彼を使う男子に注意をしていた。留原の女子からの評判は良くなるが、もちろん、その効果はその日その時その一瞬のみだけに適応するため、実質効果はない。
「大丈夫…だよ。留原さん…」
「ほら、川崎もこう言ってるんだし、ね」
毎回、彼自身が身を滅ぼし、一時的にことを収める。
「あ、そうだ川崎。今度川に行かね?」
そう言った男子の顔はニヤついていた。
「え…」
「おい、お前ら俺を仲間外れにして川へ行こうっていうのか?」
低く唸った声がどこからか聞こえた。
「日野くん…いや、まさかそんなことないですよ。ねえ」
1人が助けを求める。
「ええ、まあ、一緒に遊びに行きましょう」
「は?勝手にお前らで行け。川崎、今度一緒に遊ばねえか」
「あ…」
彼にとって、どちらの選択も救いはない。しかも、彼には選択権がない。
「コイツが例の奴隷ですぜ」
上級生の3人組が彼に近づいてきた。
「…ふーん。おい、お前。いくら持ってる?」
リーダー的存在が彼に詰め寄った。
「え…千円…です」
「じゃあ、それをよこせ」
「でも、これは…」
彼は、案の定サンドバックになった。
そのお金は、奴隷として使っていた男子たちのお昼代であった。
「じゃあ来週も頼むぜ」
そう言い残して三人衆は、この場を去った。
彼は、男子たちにこの状況を説明したが、彼らのお昼がないことに腹を立て、ここでも彼はサンドバックと化した。
「川崎くん、ホントは自分で使ったんじゃないの?」
蹴られる。
「おい、川崎立てよ!」
胸ぐらを掴まれ膝立ちの状態になる。そして、殴られる。
「あ、日野くんだ」
誰かが、教室のドアの前に立っている日野を見つけた。
「コイツオレらのお昼買ってこなかったんですよ。あり得ないっすよね!」
日野は、軽蔑の目をしていた。
「そうか。川崎、屋上でしっかり話し合おうじゃないか」
ある日の放課後。彼は留原と日野を屋上に呼び出した。
「川崎〜。俺らになんか用か?」
川崎は沈黙を貫く。そして、ゆっくりとフェンスへと向かった。
「ちょ、川崎くん!飛び降りるつもり!?」
留原が川崎に近づく。日野も留原の後を追った。
「…」
無言のまま2人に振り向く。その顔の口角は、上がっていた。それは、ひどく冷たく見たものに畏怖の念を抱かせるような表情だった。思わず留原は怯む。
「な、なによ」
「…死ねばいいのに」
ボソッと彼は、留原に言った。その瞬間、どことなく冷たい風が吹いた。季節は夏というのにも関わらず。この風は、留原を芯から震わせた。曇天が恐怖をさらに煽る。
「ホ、ホントあの男子たちはヤバいよね。ってか、日野くん、今日は静かなのね」
留原は、気分をなんとか正常に保とうとする。その結果、自分優先の言葉しか脳裏に浮かばなくなる。それは、他人のことを考えない言葉である。その防衛本能が、留原を動かしていた。
「アンタがボクにしたことは、すべて把握している…」
日野の方に向いたが、日野は黙ったまま留原を見つめていた。その代わり彼が口を開いた。
「これは、何の冗談? 私があなたに何をしたっていうの?」
声を震わしながら、留原は彼に向かって言った。
「自白しないのか…?」
彼はさらに顔を近づけてきた。留原の顔を下から覗き込みながら。留原は一歩、また一歩下がる。そして、日野にぶつかる。
「私は、あなたを助けようと…」
「ふざけるな!」
彼の怒号が響き渡り、あたりのカラスは一匹残らずいなくどこか安全な場所に飛び去った。
「…もう一度、チャンスをやる。自白をしろ。そして、謝れ」
彼は、落ち着いた雰囲気で諭すように暴言を吐いた。
「私…が…やりました…」
「何を!」
彼はさらに詰め寄る。
「男子たちを…買収して、アンタをいじめさせた…」
「そうだな。でも、それだけじゃないだろ」
留原の背後にいる日野が言った。
「アンタもいじめてたんじゃないの!?」
声に驚きが滲む。
「オレがいつ、川崎をいじめた? 殴ってるのを見たのか?」
「いや…見たことない」
「オレは、川崎をいじめてるフリをしていた。男子たちと一緒にな」
日野がニヤつく。そこに、クラスの男子たちがやって来た。
「この会話はすべて録音している!もう逃げられないぞ!」
男子の中の誰かが叫ぶ。
「そうだ、そうだ!俺たちをジュース一本で買収しやがって」
怒号や不満が飛び交う。日野が手を出して静める。
「コイツらは、お前に買収されたことを報告し、川崎にも伝えた。そして、お前の企みを利用させてもらったのさ。もちろん、放課後にお昼代をきっちり払っている」
「そしてアンタは、男子たち買収したと思い込み、か弱い男子である川崎くんがいじめられてるのを止める演技をし、クラスの女子からの支持を集めたかったんだろ」
彼は、真っ直ぐ留原を見ながら、流暢に言った。
「でも、なんでお前をいじめようとしたんだ?」
男子たちの誰かが、彼に尋ねる。
「理由は二つある。1つは、コイツ…留原は、生徒会に立候補したかったんだ。そのためには、票が必要だ。その票をどうやって取るか…。女子の前でいい顔をみせればいい、そう考えた。女子の噂話はすぐに飛び火するから、自分にとって良いニュースを広めるには、素晴らしい道具だろ。いじめと真剣に向き合う素晴らしい学級委員を女子の前で演じ、選挙を優位にしようとしたんだ」
留原は沈黙のままである。
「そしてもう一つ。アンタ…いじめられたことがあるんだろ」
「えっ、なんで…」
下を向いていた留原が、彼の顔を見た。
「女子に聞いたよ。噂話はすぐに広まるって知ってるだろ」
「…そうだよ。転校先2回いじめられた」
「今回は、いじめられまいと…そして、いじめる側になった」
留原は、また口を閉ざした。
「アンタ、ボクを自分と重ねてたんだろ」
「ああ、そうだよ。自分と同じ目に遭わせないと気が済まないじゃない!そうでなければ…私が惨めじゃない」
「八つ当たりだな。だから、男子たちを使うだけでは物足りなかったアンタは、上級生をボクに襲い掛からせた。ボコボコにやられたのは、演技じゃない。普通に痛かったぞ」
「上級生のカツアゲもお前がやったのか!」
日野が怒号を発する。留原は、無言の肯定をする。
「ボクはね、留原…君みたいなやつが大っ嫌いなんだよ。自己中心的で、常に自分の利益を追求する。それに、自分がこれまで経験してきたこと同じ目にしないと気が済まない…この下等生物が!」
彼は、軽蔑の目…いや、下等生物を見る目で留原を見ながら、怒鳴った。その時、雨が降ってきた。
「そういうやつは、生きてる価値がない…」
彼は、不気味な笑い声を出した。萎縮していた留原は、さらに恐怖を感じた。
「カツアゲ分の痛みはどう償う?どうやって死にたい?」
「命だけは…許してください。もうしません。誓います。もうしませんから」
留原は土下座して、謝罪を口にした。
「そうかそうか。飛び降り自殺か。じゃあ日野!あとお前ら。やれ」
日野と男子たちは、哀れみの目を向けながら、留原の肩を持ちフェンスまで引きずった。
「アンタさ、SNSで色んな人を誹謗中傷して何が楽しいの?それで死んだ人もたくさんいるんだ。その重さをその身をもって知れ」
彼…川崎の言葉が私の心に重くのしかかった。
ポタっポタっ。雫が顔に落ちる感覚があった。雨だ。夏はよく夕立が起きる。いや、そういえば今朝、天気予報で夜まで振り続けるとか言ってたっけ。
ってか、今はどういう状況だ?私らしい素晴らしい曇天が見える。ああ、そうか、屋上から突き落とされたんだ。ハハ、死ぬのか…。じゃあ、今見たのが走馬灯か。
ああ、もう全てが嫌だ。転校先2回連続でいじめられる人生。これほど苦痛なものはない。肉体的にも精神的にも。ここで、楽になれるのかもしれない。
「ああ…でも…まだ…死にたく…」
雨が次第に強くなった。彼女…留原恵美は雨の中に隠され、翌日の朝まで発見されなかった。
屋上から飛び降りた彼女が、そこにあった。彼女は、一滴も血を流していなかった。見たところ、全身打撲か全身骨折、ひどくても脊髄損傷ぐらいだろう。ボクは、彼女の腕に触れ、脈を確認した。脈はあった。この校舎は横に広く作られているため、屋上といっても、3階である。大雨の影響で、地面は泥状になっている。つまり、飛び降りたとしてもこの環境では、死にはしない。
「ボクは基本、人殺しはしない。ただ…君がそう望むならいくらでも殺してあげよう」
彼女が聞こているかどうか不明だが、彼女を見ながら囁いた。
「行こう日野、腐りきったこの学校を変えてやろう」
「ああ…でも留原にあそこまでやってよかったのか?アイツももとは被害者じゃないか」
歩きながら、日野がボクに話しかけてきた。
「まあね。彼女は悪くない。環境が悪かった。だが、犯した罪は変わらない。そのターゲットが運悪くいや、幸運にもボクらだった。日野、これだけ覚えておいてくれ。人生何が起こるかわからない。そして、人は、常に自分第一になる。つまり、人生は、無常で非情なんだよ」
「ハハ、なにカッコつけてるんだ。留原はただ単に学校側への見せしめだろ」
「さあどうだか」
ボクは、笑みを浮かべた。
終
仮面 R.みどり @midorikunn
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