第13話 愛人と私

「お茶……はカフェインが駄目ですよね」


 美紗先輩は、私の部屋に来ていた。最近昴大君の部屋にいることが多いから、多少埃っぽいかもしれないけれど、さすがに美紗先輩を昴大君の部屋には上げられない。


「気にしないから大丈夫よ。温かいお茶がいいわ」

「ただいま」


 麦茶もないし、白湯を出そうとしていた私は、方向転換してすぐにお茶をいれに台所に戻った。


「……お茶です」


 部屋が暖まるまで、毛布を差し出したのだが、美紗先輩は毛布に入ることなく座椅子に座っていた。コートは前を開けていて、ふっくらとお腹が目立っていた。


「ありがと」


 なんだろう。お茶を受け取り、どこのご令嬢かというくらい優雅に口をつける美紗先輩は、もてなされて当たり前感が半端ない。こんな時間に勝手に来てごめんなさいみたいな感じは全くなかった。


「ご懐妊、おめでとうございます」

「おめでたくはないわ。やっと最近悪阻からも開放されたけど、本当に辛かったし、逆に今は食べすぎて体重は増えるし、着れる服はなくなるし、マタニティは可愛くないし」

「はあ……」


 妊娠の愚痴を言いに来たのかな?この人。


 私は全くの無関係なのに。第一、大学に美紗先輩がいた時も、一度も話したことはなかった。サークルは一緒だったけれど、無視されていたんだと思う。


「あの、うちにいらっしゃった理由を聞いても?」


 美紗先輩は、髪の毛をさらりとかき上げる。いや、その仕草似合ってますけど……。


「理由……わかってるでしょ」


 怖っ!!!


「さ……ぁ?」


 昴大君!早く帰って来て!


 私の願いは届かず、気まずい雰囲気のまま、美紗先輩のお茶をすする音だけが響く。


「健一のことよ」


 そうですよね。それしかありませんよね。


 私は、自分用のお茶を立ったまま一口飲む。私の部屋なんだけれど、居場所がない。


「えっと……幼馴染としてなにか?」

「彼女としてよ」


 それ、言っちゃうんですね。


「元ですから」

「私は高1から今まで健一と関係あるけど」


 あんたは?と顎をしゃくられて、渋々答える。


「私が中2です。私が高3まで。最初、健ちゃんは高1でしたから、おもいっきり被ってますね」


 最低だ。ほぼ同じ時間を、美紗先輩と共有してきたということだ。

 いつから裏切られていたのか?最初からだったんだな。


「健一は私が初めての相手だから、関係したのは私が先ね」


 そこは競いたくないです。私の黒歴史そのものだから。幸せだと思った初体験も、最低な記憶になる。


「ハァ……煙草吸いたい」

「それは駄目でしょ」


 美紗先輩は私を睨むと、フンッとそっぽを向いた。


 え?私、美紗先輩の身体の為にも正しいこと言ったよね?睨まれる意味がわからないんですけど。


「健一、あんたと結婚するって言ってんだけど」

「しませんよ、別れてだいぶたちますから」


 悩むことない即答に、美紗先輩は疑いのこもった視線を私に投げる。


「……しないの?」

「私、彼氏いますし」


 無言の時間がしばし流れる。


「帰るわ」


 美紗先輩が立ち上がったのと同じ時に、私の部屋の鍵が回る音がして玄関が開いた。


「彩友ちゃん、今日はこっちに帰って……西郷先輩」


 マフラーを取った昴大君が、驚いたように美紗先輩を見て、さらにそのお腹に視線を向けて二度見する。


「まだ付き合ってたのね。お邪魔しました。ああ、そうそう。健一、まじであなたと結婚するつもりよ。結婚式場の予約とか、ちょっと意味わらないわね。婚姻届け、偽造されないように気をつけて。あの人、婚姻届け持ち歩いてたから。あなたの名前入りの」

「え?なんで彩友ちゃんと結婚?先輩のお腹の子、川崎先輩の子供だよな」

「さあ、どうかしら。じゃあね」


 美紗先輩はヒラヒラと手を振り、玄関に向かう。


「あの、お腹の赤ちゃん、性別はわかってますか?」


 あの女の子ならば、健ちゃんの子供で間違いない筈と、私は後ろ姿の美紗先輩に問いかけた。

 美紗先輩は、ヒールのない靴を履いて振り返る。


「男の子よ」


 男の子……。あの子じゃないんだ。

 あの女の子の笑顔が浮かんで消えた。


「そう……ですか。お元気で」


 美紗先輩はそのまま玄関を出て行った。


「彩友ちゃん、大丈夫?!」


 昴大君が私に駆け寄り、私はその胸にしがみついた。


「家に……電話しないと」


 ママからは何も言われていないけれど、勝手に結婚式場の予約とか不穏過ぎる。


「俺がかけるよ」


 昴大君は私の肩を抱いたまま、スマホをズボンのポケットから取り出すと、家に電話をかけてくれた。通話はスピーカーにする。


『もしもし昴大君、どうしたの?』

「夜分にすみません。あの、実は川崎先輩のことでお聞きしたいことがありまして」

『まさか、健ちゃんに彩友の居場所がバレたの?!』


 電話口で、明らかに慌てたママの様子から、健ちゃんに居場所が知られたらマズイ状態なんだと察する。


「いえ、今はまだ。ただ、川崎先輩の知り合いの方がいらして、川崎先輩が彩友ちゃんとの結婚式を予定してるとか聞きまして」


 ママの小さなため息をスピーカーは拾う。


『彩友には話さなかったんだけど、そうなのよ。和恵も困惑してるわ。勝手に結婚式場の予約をして、準備をしているらしいの。いくら彩友とは別れたでしょって話しても、4月2日に結婚式を挙げるのは決まっているからって、きかないのよ』


 4月2日?!

 それは、前の時の私と健ちゃんの結婚記念日だ。その日の朝、婚姻届けを出してそのままプリズムホテルで式と披露宴を挙げたんだった。


「その予約した結婚式場、どこかわかる?」

『彩友、あんたもいたのね。確か……プリズムホテルよ。和恵が予約の取り消ししなきゃって、ウエディングプランナーの人に話に行ったて話してたから。なに?健ちゃんと付き合っている時に、このホテルで結婚式あげたいみたいな話でもしてた?』

「そんな話はしてない……」


 私だけじゃなかった。


 タイムリープしたのは、私だけじゃなくて健ちゃんもだったんだって確信する。じゃなかったら、4月2日にこだわる訳がないし、プリズムホテルを選ぶ理由もない。あそこの教会はステンドガラスが凄く綺麗で、あの荘厳な雰囲気に、私が惚れ込んで決めた式場だったから。


 前の時と私は違う人生を歩んでいるというのに、健ちゃんだけ前の人生をなぞろうとしている。健ちゃんは全てを取り戻したいんだろう。

 社会人としての地位も、私との結婚生活も、そして愛人と子供のいる生活も。


 前の人生で凄くお世話になったウエディングプランナーの由比さんにも、多大なご迷惑をおかけしているんだろうと思うと、申し訳なくて目眩がしてくるくらいだ。


「ママ、一度健ちゃんと話をするよ」

『でも、今の健ちゃんは……』


 ママは言葉を濁す。今の健ちゃんは普通じゃないから……みたいな言葉を飲み込んだのだろう。


 私達がなんでタイムリープしたのかはわからない。でも、健ちゃんからしたら、いきなり過去に戻されて、どんどん過去の事実が塗り替えられていくのは怖かったかもしれない。

 私と結婚することで、方向修正したかったんだろう。


 もう、何があっても戻ることはないのに。それを教えてあげられるのは、私だけかもしれない。

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