第9話 渡英にむけて
夏休みは、昴大君と高原のペンションで住み込みバイトをした。
最初は一人でバイトするつもりだったんだけど、過保護な昴大君は心配だからと、一緒に行くと言ってくれたのだ。居酒屋のバイトは私は夏休み前に辞めると言ってあったから、代わりの子に引き継ぎしたし、昴大君の穴は美香ちゃんが入ってくれたらしい。
ペンションのオーナー夫婦は凄く良い人達で、昴大君が心配したセクハラなんかなかったし、もう一人の住み込みバイトも女子だったから、特に問題なかった。
ただ、女子バイトの
「川崎先輩、さすがにここまではこなかったな」
「うん。ある意味平和だったよ」
見張られない生活というのが、こんなにのびのびできるとは思わなかった。これが普通っちゃ普通なんだけど、感覚が麻痺していたかもしれない。
「昴大っち、今日でアルバイトおしまいだよね」
従業員の休憩室で遅いお昼休憩をしていると、希唯ちゃんがやってきて昴大君の隣に座った。
「まぁ、そうだね。彩友ちゃんと明日の朝には東京に帰るよ」
「夏休みまだ一週間あるじゃん。なんで最後までバイトしないの?希唯、あと5日バイト一人になるとか、きついんだけど」
希唯ちゃんは、昴大の腕に手を添えて「ねえねえ」と突っつく。
「彩友ちゃんが交換留学するからな。その準備もあるし、3日後には彩友ちゃん渡英しちゃうから」
「え?彩友ちゃん留学するの?彼氏置いて?冷たーい」
希唯ちゃんは、昴大君の腕にタッチしたまま「昴大っち、可哀想」と、上目遣いで昴大を見る。わざとらしいその仕草に、昴大君も苦笑いだ。
「たった1年だから」
「えー?!希唯だったら1年も放ったらかしにされたら、絶対に寂しくなって他の人と遊んじゃうかも。ねえねえ昴大っち、寂しくなったら希唯呼んで。希唯だったら彩友ちゃんと友達だし、気兼ねなく遊べるじゃん。9月からは希唯も東京戻るし、バイトもシフト制だからいつでも合わせられるしね」
「ああ、うん、まぁ、暇だったら」
昴大君はさりげなく希唯ちゃんの手を外し、飲み物を冷蔵庫に取りに行くと、希唯ちゃんの隣に戻らず、私の隣に座った。
希唯ちゃんは明らかにムッとしたように私(なんで私?)を睨むと、「仕事戻るね」と休憩室から出て行った。
「……私の彼氏役じゃなかったら、希唯ちゃんと仲良くなれたかもしれないのにごめんね」
あれだけ可愛い子にアピールされれば、昴大君も希唯ちゃんと付き合いたいとか思ったんじゃないかと、微妙な心境になる。昴大君に申し訳ないなという気持ちと、昴大君が他の子と仲良くなったら嫌だって、彼女がヤキモチをやくような気持ちまで芽生えていた。
私は偽の彼女で、昴大君の善意に甘えているだけなのに。
「いや、ああいうガンガンくるタイプは苦手だ。今まで女子に言い寄られたことないし、逆になんか企んでないかって思うし」
「昴大君は背も大きいし、体格もいいから、見た目に威圧感があるだけで、全然モテるタイプだよ。大学では私が彼女だって思われてるから言い寄られないだけで、昴大君のこといいなって思ってる女子はいっぱいいると思う!」
「ハハ、高校までも共学だったけど、一度もモテたことないけどな。怖がられることはあったけど」
昴大君は、照れたように頭をかく。
「見る目のない私に言われても響かないかもだけど、昴大君は優しいし頼り甲斐あるし、絶対に彼氏にしたいナンバーワンだよ」
「……彩友ちゃんも?」
「そりゃそうだよ。希唯ちゃんだって、私って彼女がいるって思っているのに、ガンガンプッシュしてくるじゃん。あんなに可愛い子が、略奪愛しても昴大君がいいって思うくらい、昴大君は魅力的なんだってば」
「彼女よりも、彩友ちゃんの方が全然かわ……かわ……、ウウンッ、可愛いと……」
日に焼けた浅黒い顔を真っ赤にしながら、シドロモドロ言う昴大君は、あまりに可愛過ぎた。
つられて私まで赤くなってしまう。
「お世辞でも嬉しい……です」
健ちゃんにはしょっちゅう可愛いって言われていたけれど、こんなに嬉し恥ずかしいのは昴大君に言われたからだろう。
「お世辞じゃないし。……ああ、その、1年会えなくなるしさ、本当は川崎先輩のことが落ち着いたらって思ってたんだけど……」
「うん?」
「俺、彩友ちゃんが留学している間も彼氏として待っていていいかな?」
「それは……彼氏役として?」
昴大君は、大きく深呼吸をすると、真剣な表情で私の顔を覗き込んだ。
「いや、彼氏として」
初めてされた異性からの告白に、頭が真っ白になる。
それに、留学から帰っても昴大君には側にいて欲しいって、本物の恋人として手を繋ぎたいとも思っている。でも、また裏切られるのは耐えられない。
昴大君は健ちゃんとは違うってわかっているけど、純粋に好意を向けるのが怖かった。
「正直な気持ちを言ってもいい?」
「もちろんだよ」
私は昴大君に向き直った。
「昴大君は……優しいし、頼り甲斐があるし、凄く好ましい異性だと思っているよ」
昴大君は、私の言葉を急かすことなく黙って聞いてくれていた。
「私以外の女子にくっつかれるとモヤッとして、彼氏役してくれているだけなのに、変なヤキモチやいたりしちゃうし、気持ち的には恋愛なんじゃないかなって思う。でも……、まだ実際に恋愛するのは怖いんだ。信じて裏切られるのが怖い」
私の言ったことを噛みしめるように昴大君は頷き、徐ろに口を開いた。
「うん。それは当たり前だよ。だから、彩友ちゃん的には、あいつ裏切るんじゃないかって、疑いの視線で見ててくれてかまわない。彩友ちゃんが疑う隙がないくらい、俺がちゃんとすればいいだけの話だし。スマホも見せるし、GPSアプリも入れようか。なんなら、俺の部屋にビデオカメラつけて監視する?」
昴大君は、私の不安をすんなり肯定すると、私が安心できるように提案してくれた。
「アハハ、そんなことしないよ」
昴大君があまりに大袈裟なことを言うから、思わず笑いが溢れてしまう。
「いや、マジでそれくらいしてくれてかまわない。困るのは着替えの時くらいだけど、そこは目をつぶってくれたら。俺、けっこう家では裸族だから」
「そうなの?」
「うん。パンツ一丁でうろついてる。たまにマッパ」
「じゃあやっぱり、ビデオカメラはいらないよ」
昴大君は私の目の前でGPSアプリをダウンロードすると、私のスマホにも入れるように言ってくる。言われるままにダウンロードすると、昴大君はさくさくと登録して私のスマホと繋がった。
「俺のスマホの暗証番号は☓☓☓☓ね」
「ちょっと昴大君、まだ私OKはしてなくて。駄目だよ、そんな簡単に暗証番号教えたら」
「別に彩友ちゃんならいいよ。それに、この提案は俺の精神的安定の為だから」
「精神的安定?」
昴大君は、片手で自分の顔を覆うと、少し呻いてからそっぽを向いて言った。
「今までは側にいれたから彼氏役で良かったけど、これから1年は別々だろ。俺がいないところで、金髪碧眼の美青年にかっさわられたら、マジで後悔が半端ないだろうから」
「え?ないない。これまで何回も短期で留学してるけど、そんな心配皆無だったよ。外人さんからしたら、私は子供にしか見えないみたいだし」
「いや、それはたまたま。彩友ちゃん、もう少し自分のこと自覚した方がいい。こんなに可愛……。いや、とにかく、1年なんてすぐだし、俺の精神的安定の為にジョブチェンジさせてください」
赤くなりすぎてドス黒くなってしまっている昴大君の顔は、真剣過ぎて逆に喧嘩を売ってるんじゃないかってくらい強面がさらにパワーアップしていた。
そんな不器用な様子が無性に怖可愛くて、変に意地を張って昴大君を拒絶するのが馬鹿らしくなってしまう。
「ジョブチェンジって、RPGじゃあるまいし」
「いや、彩友ちゃんはそれくらい気軽に考えてくれていいから」
「……わかった。よろしくお願いします」
「シャッ!」
昴大君は身体を丸めて拳を握り、ガッツポーズをとる。
そして昴大君は私の人生2人目の彼氏になり、私は昴大君の初カノになり、その3日後、私は空の上の人になり、イギリスへ留学したのだった。
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