第5話 旦那(元カレ)がつきまとってきます

結局テニスサークルは辞めずに、坂本君のガチテニスグループが大学所有のテニスコートを使う時に、美香ちゃんと参加することにした。飲み会は不参加だから、私達がサークルを辞めたと思っている人もいると思う。健ちゃんとか、私にかまっていた先輩達とか。


テニス初心者で、迷惑になるんじゃないかと思ったけれど、美香ちゃんや坂本君が丁寧に教えてくれたし、先輩達も息抜きと言いつつラリーをしてくれたりした。楽しくサークル活動をしつつ、友達も増え、前回の人生ではなかったアグレッシブな大学生活を送っている。

ついでに、バイトも始めた。これも、前回の人生ではなかったことで、大学近くの居酒屋のホールスタッフだ。実は坂本君の紹介で、サークル活動の日にち以外に週3日……となると、坂本君と同じ日にシフトが入ることになり、平日はほば毎日坂本君と顔を合わせている。


「彩友……」


大学が所有しているテニスコートにつき、着替えをしてテニスコートへ向かおうとしていた時、テニスラケットを持った健ちゃんに声をかけられた。今までテニスコートでは会ったことはなかったのに、今日は健ちゃんもテニスをしに来たようだ。テニスコートは4面しかないから、ユルテニス勢は、ガチ勢が使わない時に週に1回使うか使わないかだと聞いたのに。


「こんにちは」


頭を下げて通り過ぎようとすると、健ちゃんが私の腕をつかんで止めた。


「サークル、辞めた訳じゃなかったんだな」

「うん、飲み会には参加していないだけで、テニスはしてるよ。今日はガチグループの日だと思ったけど」

「ああ、柏先輩に声かけて、今日はこっちに合流させてもらった」


柏先輩はガチグループのリーダーだ。


「そうなんだ。手……離してくれないかな」 

「彩友、テニスなんか興味なかったよな?俺がいるからだろ?大学も、サークルも、俺を追いかけてきたんだよな?昔からおまえ、健ちゃん健ちゃんって、後ついてきてたもんな」

「離して!」


健ちゃんに引っ張られ、抱きしめられてしまう。


「俺の気が引きたくて、俺の周りをウロチョロしてんだろ?ごめんて。よそ見をしたんじゃないんだ。はずみっていうか……。本当に反省してる。美紗にも、もう纏わりつくなって言ったから」


バレなければ、何度でも裏切って子供まで作るくせに、どの口が言うかな。


「無理。されたことは忘れないし、許しもしないから。いい加減に離して!」


健ちゃんの身体をグイグイ押すが、私の力では健ちゃんの腕を振り解けない。


「許せないのは、彩友が俺のことを好きだからだろ」

「好きじゃない、好きだったの。過去形だから。今は平気で人のことを裏切れる健ちゃんのことを軽蔑しているし、好きだった分大嫌いになったんだよ」

「大嫌いは大好きの裏返しだろ。彩友は俺がいないと駄目なんだから」


どの口が言う!

もう、殺意しか感じない。いや、こんな奴の為に犯罪者になるのは嫌だから、実際にグサリとやりたい訳じゃないけど。


運動も勉強もできて、リーダーシップもあって、誰からも尊敬される存在だと思っていた、自慢の彼氏で旦那様だった健ちゃんが、だだのゲス野郎な上、自己中で傲慢な最低野郎だった。


「な、もう他の女なんか抱かないし、一生彩友だけだって約束する。たった一回の過ちくらい、ちょっと目をつむってくれてもいいだろ」

「たった?たった一回が何回も積み重なるんでしょ。それで、いつの間にか知らないところで子供とかできちゃってるの」

「そんな、有り得ないだろ」


有り得んのよ!


鼻で笑う健ちゃんに、思わず怒鳴り返しそうになった。

浮気相手と二人も子供作っておいて、何をほざく……って、まだ起こってない未来の話なんだよね。ついでに、私は健ちゃんとは絶対に結婚しないから、あっちと結婚するのか、違う誰かと結婚して同じ過ちを繰り返すのかはわからないけれど。


「離して……離してってば」

「彩友、彩友が好きなんだ。愛しているのは彩友だけで、彩友がいないと俺は駄目なんだよ」


なら浮気なんかするんじゃない!


私だって健ちゃんだけだった。小さい時から、あの瞬間まで健ちゃんのこと疑いもしなかった。信じてた。


「私は健ちゃんじゃなくていい!」


肘がうまい具合に健ちゃんの鳩尾に入った。


「……グッ」


健ちゃんの腕が緩んだ隙に、健ちゃんを突き飛ばして走り出した。


「彩友!」


健ちゃんが追いかけてくる足音がする中、とにかく両手を精一杯振って全力疾走する。


「彩友、待って!」


あと少しでテニスコートというところで追いつかれ、腕を強く引っ張られる。


「痛い!」


引っ張られた拍子に、肩がグキッと鳴った。


「何してるんだッ!」


私の悲鳴が聞こえたのか、テニスコートから学生が出てきた。真っ先に駆け寄ってきてくれたのは坂本君だった。


「川崎、なに1年に乱暴してんだよ」

「なに?なにごと?」


一歩前に出ようとした坂本君を制して、柏先輩が前に出てきて、健ちゃんの肩をつかむ。他の先輩方も後ろから心配そうに見ている。


「いや、ちょっと痴話喧嘩です。お騒がせしました」

「痴話喧嘩って……。音羽と知り合いだったのか?」

「幼馴染で……彼氏っす」


柏先輩が眉を寄せる。健ちゃんが大学に入ってから3年間、月一の飲み会や合宿で顔を合わせてきた中で、私の彼氏としては納得がいかない部分があったのだろう。

例えば……。


「西郷はおまえのなんなんだよ」

「高校も同じ仲間っていうか、親しい友人ですよ」


女子の先輩達も「は?」という表情だ。


「幼馴染は正しいけど、彼氏じゃないです。1年前に別れてますし」

「それは!彩友の試験勉強の為に一時的に別れただけだ。彩友は俺を追って大学に入ってきたし、サークルだって俺がいるから……」


いまだに私の腕はつかまれたまま、健ちゃん自身は柏先輩に押さえられていた。


「大学は受かったから入ったの。受験した中で、一番レベルの高い大学に合格したら、そりゃ入るでしょ」

「じゃあサークルは?」

「テニスをやりたかったのと……」


私は坂本君をチラッと見る。


ごめん!後でしっかり謝るから。


「今の彼氏がテニサーにいるから」

「は??!」


健ちゃんがあ然とマヌケ顔を晒している隙に腕を逃れると、坂本君の横に小走りで行き、そのガッシリとした腕にしがみついた。

体格的に大人と子供のように見えるかもしれないが、ちゃんと彼氏彼女なんだぞとアピールするように、しっかりと身体を寄せる。胸がくっついてしまうが、あるかないかわからないような些細な物なんで、気にはならないだろう。


「今カレの坂本君です!」

「……そりゃ、やり返したい気持ちはわからなくはないよ。でも、彩友と坂本……君?無理あるだろ」

「どこがよ」

「だって、彩友は男子が苦手だろ?俺以外の男子は怖いって、いつも言ってたじゃないか。坂本君は、彩友が一番苦手なタイプじゃん。顔が厳ついし、身体は大きいし」


私はムッとして健ちゃんを睨む。


「確かに坂本君は身体も大きいし威圧感もあるけど、凄く優しいよ。健ちゃんみたいに、上辺だけ優しい嘘つき人間と違って」


私が坂本君の腕にさらにギュッとしがみつくと、健ちゃんの顔がいままで見たことがないくらい不愉快気に歪んだ。


「音羽、坂本、ちょっと話がある。今日はもう上がりだ。川崎、打ちたいんなら交ざってけばいい。ただし、今日だけにしてくれ」


柏先輩は坂本君と私の背中を押すと、3年の川下先輩に「先に上がる」と声をかけ、更衣室まで戻ってきた。


「音羽、坂本、先に着替えろ。俺はちーと見張ってるから」


健ちゃんがついてくるのを警戒したのか、柏先輩は女子更衣室の前に立ってくれた。


「坂本君、テニスまだやりたいでしょ?私に付き合わなくてもいいんだよ?なんなら、テニスで健ちゃんボコッてくれてもいいんだし」

「気にすんな」


坂本君は、ポンポンと私の頭を撫でると、男子更衣室に入っていった。


「音羽、おまえも着替えてきな。大丈夫、覗かないから。でも、一応鍵は閉めてな」

「そんな心配してないですよ」


私も更衣室に入り、急いで着替えをすませてから出ると、すでに着替えを終えた坂本君と、テニスウェアの上にジャージを着た柏先輩が待っていた。


「ちょっとお茶でもして話を聞こうか」


話というと、やはり私と健ちゃんとのことだろう。


私達は駅の近くにある喫茶店へ向かった。


二人共大柄だし、どちらかというと強面なタイプな為、昔の私ならば近づかなかったかもしれない。女子高、女子大に通っていたら、知り合うこともなかった人達だ。

前の人生の時は、友達もいなくはなかったけれど、健ちゃん優先の生活をしていたから、浅い付き合いの友人しかいなかった。全部が全部、健ちゃんを中心に回っていたから。


それが、今は健ちゃんがいない代わりに、美香ちゃんと仲良くなったし、坂本君とも親しくなれた。頼りになる先輩もいる。大学でも、バイト先でも、交流関係が広まった。


前の人生では、健ちゃんの裏切りを知った時、私の全てがなくなったような、奈落に落とされたような絶望感に苛まされた。そりゃそうだ。凄く狭い世界で、健ちゃんしか見えていなかったんだから。


でも、やり直せた今の人生には、浮気男なんかいらない。

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