第70話「私の汚い欲求」

 ボクの中学生生活はあっという間だった気がする。二年生の夏休み以降も、色々あったけどこれといった事件もなく、平和だった。バンド活動も順調だったし、エミとの姉妹関係も良好だ。エミとアノ先輩の関係もかつて一緒に暮らしていた頃に戻ったみたいだ。

 中学校の卒業式は、あまりセンチメンタルなものでもない。何しろ、ほとんど全員が付属の高校に進学するんだから。ただの一つの区切りだ。


 高校生になっても、生活はあまり変わらなかった。校舎は違うけど通う学校も同じだし、相変わらずミサトやメイ、エミと連んでる。軽音部ではまたアノ先輩が一緒だから、また少し賑やかになったくらいしか変化はない。


 高校生活に慣れ始めたゴールデンウィークに入った。今年はミサトが家族旅行に行くとのことで、バンドの練習は休み。ちょっと退屈な連休になるはずだったんだけど、突然の訪問者があった。ユミ姉ちゃんだ。

 中学二年生の夏休み、あのカフェで会って以来だ。いきなり家にやってきたから、ボクは身構えたけど、ちょっと様子が違う。なんというか、刺々しさがない。

「いきなり、ごめんね」

「本当にいきなりだね」

 声のトーンも最後に会った時とは全然違って、なんか昔に戻ったような気がした。

「大学もバイトも休みだったから帰って来たの。凜ちゃんは高校生になったんだよね」

「うまくやってる」

「私、凜ちゃんに謝らなきゃって思って」

「いまさらどうしたの?」

 本当に今さらだ。ボクの人生をこんなに変えてしまったんだから。それも、復讐なんてつまらない理由で。

 でも、今のボクは女の子の自分を受け入れていた。男に恋することはないけど、周りの環境は悪くない。男の子のままのボクだったら、こんなに友達はできなかったし、バンドなんて絶対にやってない。自分自身を含めて、好きになっていた。

「私、何も考えたなかったんだ。要はガキだった。性別を変えることのリスクとか、何も考えたことがなかったんだ」

「ボクも考えてなかったけどね」

「ねえ、生きててくれてありがとう」

 性転換者の自殺率は高いらしい。ホルモン投与でメンタルが不安定になるのはボクも経験した。今は安定しているけど、一時期は自分の感情がコントロールできなくて怖かったくらいだ。

「ボクが死ぬわけないでしょ」

「大学でさ、いろいろ勉強してるんだ。そして、知れば知るほど自分のやったことの恐ろしさがわかった。私は凜ちゃんを殺そうとしてたのと同じだって気付いた」

「ボクは殺されてないから大丈夫」

「それでも、私は欲求を止められなくてさ。凜ちゃんが男の子から可愛い女の子になっていくのを見てた時の性的な興奮とか、そういうのが忘れられなかった」

「何言ってんの?」

「凜ちゃんには多分、わからないと思う。これが私の性癖なのかも」

 ユミ姉ちゃんの頭の中はボクにはとても理解できそうにない。そもそも、ボクは早い段階で性を喪っていたので、性的な興奮そのものを理解できないのかもしれない。

「男の子を女の子にすることにハマっちゃったってこと?それって、ボクのせいで?」

「違うよ。私の中に最初からあったもの。私の性的な嗜好。凜ちゃんはその被害者」

「うん。知ってたけど。別にいいよ。今さらどうにもならないし、このまま生きて行く。それなりに楽しくやってるから心配しないで」

 自分を被害者だって考えてたら気持ちが沈んで行くだけだ。恨も復讐もボクの人生には必要ないものだ。

「凜ちゃんは強いね。それに対して私は自分の欲望のために、いろんな男の子を女の子に替えちゃってるの」

「は?何言ってんの?」

 想像もしてなかった言葉に、思わず大きな声が出てしまう。

「ネット掲示板で女の子になりたいって子を見つけてはホルモン投与とかのアドバイスとかしてね。その変化を楽しむって感じ」

 思ってたほど過激じゃなくてちょっとだけホッとした。

「それって、自分で女の子になりたいって人を手助けしてるだけでしょ?性同一性障害ってやつでしょ?悪いことじゃないと思うよ」

「本当に性同一性障害ならね。世の中には軽い気持ちで女の子の身体を手に入れたい、なんて考えちゃう子もいるんだ。異性化した自分を想像して興奮しちゃう、みたいな性癖をこじらせてホルモンに手を出したり、女装趣味がエスカレートしてってパターンもあるの」

「ボクはよくわからないけど、自分で望んでるんなら一緒なんじゃない?」

 ユミ姉ちゃんはちょっと暗い顔になる。

「それが、一緒じゃないんだよ。性自認が男のまま身体を女性化しちゃうと、心が不安定になっちゃうんだ。酷く後悔する人も多い」

 ボクの性自認ってどうなってるんだろう。普通に女の子として生活しているけど、聞かれたらわからない。

「私ね、コスプレ好きな高校生を女の子にしてあげたんだ。好きな女性キャラのコスプレがしたかったんだって。だから、ホルモンの入手方法とか色々教えてあげたんだ」

 理想の自分になりたい、って気持ちは分からないでもない。でも、そのために身体を改造してしまうのはどうなんだろう。ボクが言えたことでもないんだけど。

「その子、女の子になれたの?」

「一年くらいホルモン投与して、胸が大きくなった!とか最初は凄く喜んでた。もう高校生だけど、結構小柄で華奢な子だったから普通に女の子で通るくらいにはなってたよ」

「なら、よかったんじゃない?」

「私も、そう思ってた。そして、私もすごく興奮して幸せだった。男子高校生が女子高生になった!ってすごく私の性癖に刺さったんだ」

 あくまで、ユミ姉ちゃんの目的は自分の欲求を満たすため、ってことか。

「でもね、その子死んだんだ。自殺しちゃった」

「え?なんで?」

「詳しくはわからない。だから推測だけど、女性化して男性機能が喪われたことで心が不安定になったんだと思う。自分が女の子になることに興奮してたのに、男性機能がなくなっちゃったことでそれがなくなった。それで、後悔だけが残る。人によっては絶望しちゃうんだ」

 絶望。ボクも何度か絶望しかけた。でも、なんでボクは普通に生きることができたのか、わからない。

 もしかしたら、ボクだってその子と同じ道を辿ってたかもしれない。そう考えると、ゾッとした。言葉が出てこない。

「つまり、私はその子を殺してしまったんだ。自分の性癖で人の命を奪った」

「もう、やめようよ」

「止められないんだ。性的な欲求って怖いんだ。悪いことだってわかっててもやめられない。性犯罪者の再犯率は高いって言うでしょ。理性じゃ抑えられない」

 それもボクにはわからない。でも、ユミ姉ちゃんが苦しんでいることだけは理解できた。だからって、何ができるってわけでもない。

「せめて、凜ちゃんは生きててくれてよかった。そして、私の汚い欲求のために凜ちゃんの運命を変えてしまったことを謝りに来たの」

「謝られても困るよ」

 本音だ。実際、こんな話をされても戸惑うだけだ。

「許してもらおうとしてるわけじゃないの。でも、もう一つ、話さないといけないことがある」

「何?」

 何か、聞きたくない話の予感がした。

「凜ちゃんを女の子にするのって、私の意思でやったことなんだけど、最初に話を持ちかけてきたのはお母さんなんだ」

「ママが?なんで?」

 ユミ姉ちゃんの言ってることの意味がまるでわからなかった。知るべきことじゃなかったのかもしれない。

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