第33話「もっと女の子になってみる?」

 衣替えが終わると、教室が一気に華やかになる。濃い色のブレザーを脱いで、白い半袖シャツに赤いリボンが映える夏服も悪くない。対照的に空はどんよりした日が続く。インドア派のボクは、そんなに雨は嫌いじゃない。部屋の中から雨の音を聴くのは好きだった。でも、外に出るとなったら話は別だ。傘は邪魔だし、電車の中もなんだかジメジメして気持ち悪い。梅雨が終わったら、また夏が来る。

 夏はボクにとっていろんな分岐点になった季節だ。小学校五年生の夏休み、ボクは男の子をやめた。去年の夏休み、手術を受けて女の子になった。今年ははじめて最初から女の子として過ごす夏休みになる。そう考えると、久しぶりに純粋に楽しめる夏休みなんだ。ちょっとワクワクした。

「夏休み、海とか行きたいね」

 相変わらずおしゃべりなミサトは唐突に話し出す。

「まだ一ヶ月も先の話じゃん。気が早いよ」

 ボクも夏休みのことを考えていたことを隠すように言った。自分の考えていることが読まれたみたいで癪だからだ。

「でも、楽しみじゃない?中学生になって最初の夏休みだし」

「その前にテストあるよ」

 ミサトはとぼけた顔をして話を逸らす。

「夏休みさ、マリンの家でお泊まりとかしたいなあ」

「なんで私の家?」

「私の家は兄貴と弟がいて騒がしいんだよ。それに、マリンみたいにかわいい子連れて帰ったら手出そうとするから危険なの」

「兄弟がいるなんていいじゃん!男の子が家にいるだけで頼りになるし!うちはママと二人だからさ」

 あれから、父は帰って来るどころか、ほとんど連絡すらないらしい。もともと、マメに連絡するようなタイプでもなかったし、母もボクも全然気にしてなかったけど。

「お父さん海外赴任なんだよね?確かに女二人だけって不安かもね……だから、私がお泊まりにいったら安心じゃん!」

 そういえば、ユミ姉ちゃん以外の人を家に呼んだことなんてなかった。お泊まりなんかも経験したことがない。だから、正直ちょっとだけワクワクしていた。

「安心かどうかはわかんないけどさ……私の部屋狭いし」

「パジャマパーティしようよ!いっぱいお菓子とか買ってさ!」

 ミサトは人の話をまるで聞いてない。きっと、このまま押し切られて、夏休みの間、何回もうちにやってくるんだろう。

「だいたいさ、お泊まりって夏休みじゃなくてもよくない?もっと夏っぽいことないかな」

「だから海だって!水着買いに行こ!」

「私泳げないから嫌だなあ」

 でも、水着姿の自分の姿を想像する。去年よりももっと女の子らしい体つきになったから、ビキニだって着れるかもしれない。男の子の視線を感じながらビーチを歩くのも悪くないかもしれない。こんなこと考えてるからユミ姉ちゃんに無防備だって怒られるんだけど。

「泳げなくても海楽しいって!」

 そういえば、去年、ユミ姉ちゃんとも海に行く約束をしていた気がする。ヒナとも、約束していた。

「剣崎先輩誘ったら?水着で誘惑しちゃえばいいじゃん!」

「そんなの無理に決まってるじゃん!あ、マリンもしかして私じゃなくて武田と海行きたいとか?だったら私は身を引くしかないかなあ。親友の幸せを邪魔するわけにはいかないからね」

 さすがに私も、武田が私のことを女の子として意識していることには気付いていた。水着姿の私を見たら、彼はドキドキするんだろうか。そんなことを考えていたらちょっと恥ずかしくなった。

「そんなわけないでしょ。海じゃなくて夏祭りとか花火にしようよ。あと、夏フェスとかいいんじゃない?私達、一応バンドマンだしさ!」

「フェスかあ。ちょっと怖そうだけど、楽しいかも!」

 友達と夏休みの計画を立てる。なんか凄く青春っぽくて悪くない。今までのボクは季節のイベントを楽しもうなんてあまり考えたことがなかった。夏は暑いだけ、冬は寒いだけ、そんな印象で、ただ過ぎるのを待っていただけだ。季節がこんなに鮮やかに色づいていることを知らなかった。


 本当にヒマを持て余してるみたいで、帰宅するとユミ姉ちゃんがうちに来ることが増えた。

「凜ちゃん全然会いに来ないから寂しくて死んじゃうよ」

 ユミ姉ちゃんは大げさに泣き真似をする。

「だから、部活とか忙しいんだよ」

「本当にそれだけ?彼氏作ったりしてないでしょうね?」

「そんなわけないじゃん。毎日、部室でギター弾いてるだけだよ。この指が何よりの証拠だよ」

 毎日、鉄製の弦を押さえ続けているおかげで、タコができて硬くなった指先を見せた。

「あ~!凜ちゃんのかわいい指がこんなになっちゃって!」

「そんな大騒ぎするようなことでもないでしょ」

 ユミ姉ちゃんは突然マジメな顔になる。

「なんか、凜ちゃんが私の知らないところで変わって行ってる気がして、ちょっと不安になっちゃったんだ。凜ちゃん、本当に女の子になっちゃったから、男の子を好きになっちゃうのかも、とか。女同士なんて気持ち悪いとか思われたらどうしよう、とか考えちゃうの」

 ボクも自分の中の変化に気付いていたけど、それを怖いとはあまり考えていなかった。開き直っていた部分もあるし、どうせ逆らったってどうにもならない。

 最初にユミ姉ちゃんが言っていた通り、女の子への一歩を踏み出した時点で、絶対にもう戻れないんだ。

「そんなことないよ。ボクはユミ姉ちゃんのために女の子になったんだよ?」

「そうだけどさ」

「性別変えるなんて、究極の愛じゃん」

 究極の愛なんて、自分で言いながらちょっと恥ずかしくなった。

「だったらさ、もっと女の子になってみる?」

「ボク、もう女の子なんだけど」

「まだまだだね。男を受け入れて、本当に女の子になるんだよ」

「ユミ姉ちゃん?ちょっと何言ってるのかわからないんだけど」


 ユミ姉ちゃんは狂ってる。それは薄々感じていたけど、ボクはまだまだ知らなかった。彼女の秘めた狂気を。

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