第28話「かわいいんだから、いいよね」

 夏休みはあっという間に終わってしまった。母は前よりもずっとボクに優しくなったけど、何か少し怖い。ユミ姉ちゃんは前と何も変わらないけど、やっぱり少し母を警戒するようになったみたいだ。結局父は、海外の赴任先から帰ってくることはなかった。このまま任期の五年間を過ごすんだと思う。


 フリースクールは想像していた以上にいろんな人がいたけど、人間関係は希薄だ。誰もが人に関わろうとしない。小学校とはまるで違った雰囲気の場所だった。授業らしい授業もなくて、ほとんどの人が勝手に勉強したり、本を読んだりしていた。ボクも最初はずっと本を読んでいた。本棚にはいろんなジャンルの本が並んでいて、暇つぶしには困らない。毎日適当に推理小説を手に取り、読み終わったら帰る。そんな毎日だった。退屈だったけど、毎日かわいい服を着て外に出るのが何か楽しくて、嬉しかった。


 10月に入って、日が落ちるのが少し早くなってきた頃、ボクの生活に大きな変化があった。ボクが通っているフリースクールには簡易的な防音室のような部屋があって、たまに楽器の練習をしている人達がいる。読書にもちょっと飽きて、気まぐれでその部屋に行ってみるとボクよりちょっと歳上くらいの女の子がエレキギターを弾いていた。巧いとか下手とか、そんなのは全然わからなかったけど、かっこいいって思った。

「君、音楽やるの?」

 彼女は演奏を止めて、ボクの方を見た。フリースクールではほとんど人と会話をすることがないので、声をかけられるのが新鮮だった。

「やったことないです。でも、中学生になったら軽音部に入るから」

 自分でも思いがけない言葉が出た。ボクが通う学校では部活に入ることが必須だって聞いてから、悩んではいた。運動部は絶対に無理だから入るなら文化系。軽音部もその候補のひとつではあった。昔から音楽は好きだし。でも、彼女の姿を見て、ボクは即決してしまった。軽音部に入ってエレキギターを弾く。

「じゃ、ちょっと触ってみる?」

 ボクは吸い込まれるように彼女のギターに手を伸ばした。オレンジ色のグラデーションが鮮やかなエレキギター。思ったより重くて、ストラップをかけると肩に沈んでいくような気がした。弦に触れてみると、アンプから大きな音が飛び出す。

 エレキギターを持って、ステージに立つ自分を想像して、ドキドキした。

 これがきっかけで、ボクはギターにのめり込んで行く。


 フリースクールは絶対に毎日通わないといけないわけじゃない。ギターをはじめてから、ボクはあまり通わなくなってしまった。ただ本を読んでいるよりも、ギターの練習をした方が有意義だと思ったからだ。中学校に入学するまでにある程度弾けるようになっていた方が、部活に入ってもきっとスムーズだし。そんな言い訳をしながら、結局はギターを弾いてる自分が好きなだけ。女の子のボクはちょっとナルシストに目覚めつつあった。

「かわいいんだから、いいよね」

 嫌な女だって思われるかもしれないけど、止められない。

 母に買ってもらったファイヤー・グローのリッケンバッカー330を手にする。30万円近かったけど、ボクに甘くなった母はあっさり買ってくれた。猫みたいな形をしてて、オレンジ色のグラデーションカラーがきれいだ。ボクによく似合う。

 アンプに繋いでヘッドホンから音を出す。まだぎこちないけど、毎日何時間も基礎練習をしているうちに少しずつサマになって来た。昔から、同じ事を繰り返すのは苦じゃない。むしろ好きな方だった。何時間だってゲームのレベル上げをしていられるタイプだ。そんなボクに楽器の練習は向いているのかもしれない。

 音を繋げて、重ねて行く。気持ちよかった。


 ギターに夢中になっているうちに、あっという間に年末を迎え、年が明けて、また春がやってくる。待ち遠しかった中学生活がはじまる。ギターのお陰であまり退屈はしなかったけど、やっぱり学校が恋しくなる。


 男の子のボクはあまり友達はできなかった。作ろうと努力したこともなかったのだけど。でも、女の子になって、変われる気がする。たくさん友達を作って、女子中学生としての生活を満喫するんだ。部活にも入って、バンドも組みたい。楽しい妄想が止まらない。


 そして、迎えた入学式の日。ボクは制服に身を包む。はじめて着た日よりも、ずっと女の子らしく成長していた。髪も前より伸びたし、胸やお尻もちょっと大きくなった。顔つきも、ちょっと変わった気がする。

「うん、大丈夫。ボクはかわいい」

 鏡の中のボクは、確かに女の子で、ちゃんとかわいい。だから、きっと大丈夫。


 玄関を出ると、まだ少し肌寒い。でも、春の匂いがした。新しいスタートにぴったりな季節。これから、本当にボクの女の子としての生活がスタートする。不安はなかった。


 でも、人生は思うように進まないものだ。特に、ボクの人生はすぐに道を外れてしまう。そもそも、ボクはとっくに大きく道を踏み外していたことに、この時点では全然気付いていなかった。

 ボクの希望、母の思惑、ユミ姉ちゃんの企み、全部が入り交じって複雑に捻れていく。あまりにも捻れすぎて真っ直ぐに見えたから、気付けなかったんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る