第27話「ボクは男の子だから選ばれた」

 母が慌てて電話をかけてきたのは翌朝のことだった。二人でちょっと夜更かしをしてしまったせいで、寝ぼけながら受けたのだけど、母の一言によって一瞬で目が覚めた。

「お父さんがいなくなったの!そっちに向かってるかもしれない!」

 母の話では、朝起きると父はすでに家にはおらず、この旅館を予約したパソコンのメール履歴が開かれていたと言うのだ。ある程度の荷物をまとめていることから考えても、近所の散歩なんではない。何かを察してボク達を探しに来ている可能性が高いと考えるべきだ。

 すぐにユミ姉ちゃんを起こして、事情を話すとすぐに荷物をまとめる。このまま五日間滞在するつもりだったので、すっかり荷物は広げていたことが悔やまれる。でも、今は余計なことを考えている暇なんてない。父がここに到着してしまえば、また鉢合わせになる。一昨日、家の前で鉢合わせた時のことを思い出してゾクっとした。


 残りの宿泊予定をキャンセルして、そのままチェックアウトすると真っ直ぐに駅に向かう。時間は朝の八時を少し過ぎたころだった。人とすれ違う度にドキっとする。特に父に似た背格好の男性を見ると反射的に顔を背ける。電車で向かっているとしたら、始発にでも乗らないかぎりはまだ到着してはいないだろう。父が家を出た時間がわからないのが怖かった。とにかく電車に乗ってしまえば向かう方向が逆なので鉢合わせる心配はなくなる。

 駅について特急電車の時間を確認。次の便が来るのは二十分後だった。

「本当、落ち着かせてくれないね。せっかくゆっくり過ごせると思ったのに」

 ユミ姉ちゃんは口を尖らせる。

「まったくだよ。別に悪いことなんかしてないのに、逃走犯の気分」

「私は、凜ちゃんと駆け落ちしてるみたいで、ちょっとだけ楽しいかも。相手の親から逃げ回るとか映画みたいじゃない?」

 彼女が暢気なことを言うので、不安でいっぱいだった私も思わず笑ってしまった。ユミ姉ちゃんと一緒だったら大丈夫。

「映画だったらボクがヒロインだね。ユミ姉ちゃんはいつでもボクを守ってくれるヒーローだ」

「えー。私だってヒロインやりたいのに!ま、凜ちゃんがかわいすぎるから仕方ないか」

 母から電話を受けたときはあんなに焦っていたのに、今はまるで緊張感がなくて軽口を叩いている。映画だったら、この後、ボク達はピンチになる。ここ最近の展開から考えたって、無事に帰れるなんて思えなかった。だからって、怖がったってしょうがない。

「じゃ、父さんに鉢合わせしちゃっても守ってね」

「任せてよ!って縁起でもないこと言わないでよ。私、バッドエンドは嫌いだし」

 確かにバッドエンドなんて縁起でもない。軽く言ってしまったけど、本当に鉢合わせしてしまって、ボクのことに気付かれたら、タダでは済まない。ボクがどうなるかわからないけど、母が危ない。それに、ユミ姉ちゃんだってこうやって女の子のボクと一緒に逃げてるのがバレれば共犯者認定だ。絶対に鉢合わせちゃいけない。逃げ切らないと。

 でも、絶対に今日は何かあるという嫌な予感があった。ここ数日の出来事からして、最近の私にはツキがない。

 少し、緊張感を取り戻した。だけど、結局は何も起こらず、無事に家に帰ることができた。そして、ボクは人にはいろんな顔があることを知ることになった。


 ボクと母とユミ姉ちゃんの三人でリビングでテーブルを囲む。父の行方はすでにわかっていた。なんと、赴任先の海外に帰っていたのだ。

「あの人、エミがやってきたって思って、逃げ帰っちゃったのよ」

 母は当たり前のことのように言うけど、ボクにはエミから逃げるという意味がわからなかった。

「結局、エミって誰なの?」

 そこで、はじめて複雑な理由を聞かされた。我が家の闇の一つ。


 父は結婚前、母ともう一人別の女性と付き合っていた。要は二股だ。そして、偶然にも二人がほぼ同時に妊娠してしまった。普通の男なら、その時点で焦るはずだ。でも、父は冷静だった。信じられないことに、性別が判明するまで両方との関係を続けたのだ。

「私の子供が男の子だって知って、あの人からプロポーズされたの」

 父の家は今の時代じゃ信じられないくらいに男尊女卑の家庭だった。長男である父は絶対に男の子を残さなければならなかったのだ。二人が同時に妊娠したことに焦るのではなく、好機だと考えるなんて信じられない。そんな男の血が自分に流れているのが怖くなった。

 結局、もう一人の女性が妊娠していたのは女の子だったので、あっさり捨てられてしまった。もう、堕ろせない時期になっていたので、結局一人で女の子を産んだ。

「もしかして、その子がエミなの?」

 聞くまでもなかった。女の子だったから捨てられた。ボクは男の子だから選ばれた。

「このことを知ったのは結婚してしばらく経ったころだったの。その頃にはもちろん、凜は生まれていたし、どうすることもできなかった。相手の女性やエミに申し訳ないとは思ったけど、凜を育てていかなきゃいけない」

 エミの養育費は父の両親が十分に支払っていたらしい。それでも、エミは救われたわけじゃない。それから数年して母親は自ら命を絶った。詳しい理由はわからないけど、結局エミはひとりぼっちになって、親戚に引き取られたとのことだ。

「どうしてママはエミのことを知ってるの?」

「酔っ払って自分で話し始めたのよ。得意げにね。お前は男の子を産んだから俺と結婚できたんだぞ!って。だから、凜をもっと男らしく立派に育てろってね。お前の子供だなんて思うな、俺の家の跡取りなんだからとも言ってたわね」

 確かに、父は深酒をすると急によく喋るようになるところがあった。

「最低です。はっきり言って、気持ち悪い」

 ずっと黙って話を聞いていたユミ姉ちゃんが口を開いた。

「本当ね、気持ち悪くて仕方ない。でも、もう復讐は済んだから。凜はこんなにかわいい女の子になったんだもの。もう、あの人の跡取り息子なんかじゃない。私の娘なんだから」

 母は、笑顔なんだけど見たことがないものだった。ゾクっとした。顔にも出ていたかもしれないけど、変わらずそのまま続ける。

「ユミちゃんにも感謝してるのよ。凜を立派な娘にしてくれてありがとうね。あなたのお陰よ」

 何を言っているんだろう。母は、ボクが自分の意思で女の子になったと思っているはずだ。ユミ姉ちゃんがやってきたことなんて知らないはずだ。

「本当は、私の自慢の娘を見せてあげたかったんだけど、今はその時じゃないわ。もっと立派な女の子に成長して、十八歳で性別変更まで終わらせちゃってからでないと。隠すために離婚して一旦逃げようと思ったけど、逆にあの人が逃げてちゃったから、その必要もなくなっちゃったわ」

 母が別人みたいだ。

 ユミ姉ちゃんの顔を伺ってみたけど、複雑な表情をしていて何も読み取れない。ボクも言葉を失って、妙にハイテンションな母の言葉を聞くことしかできなかった。

 家族なのに、ボクは父のことも母のことも、何も知らなかった。そして、ユミ姉ちゃんのことも、ボクは何も知らないんだ。無防備に何でも信じてしまうボクはやっぱりまだ子供だ。

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