第23話「エミに会ってみたいな」

 ファミレスで時間を潰して七時を過ぎてやっと外が暗くなってきた。もう少し待った方がいいかもしれないけど、そわそわした気持ちのままじっと座っていることが辛くなって、ボク達は店を出た。夜になってもまだひかない夏の熱気がエアコンで冷えすぎた肌に心地いい。

「お父さんってこのくらいの時間に出歩くことある?」

「休みの日とか帰りが早い日はとっくに晩酌を始めてる時間だね。多分、出てこないと思う」

 父はお酒が入ると動かなくなる。そして、必ず毎日飲んでいた。

「じゃ、大丈夫だね。一応、家が近くなったら私が先に行って様子を見てみるから」

「ありがと。これだけ警戒してればまた鉢合わせるなんてことはないと思う」

 まだ、少し不安な気持ちはあったけど、なんとかなるってまた開き直ってる部分があった。怖がりな男の子の頃のボクがどんどん消えていく。女の子のボクは大胆な性格で、すぐに開き直ってしまうような子だった。


 家まであと数十メートルの所で、ユミ姉ちゃんが先に家の前に行った。すぐに手招きをしたので、ボクはバッグを抱えて小走りで家の方に向かう。リビングの灯りがついているのを確認して、そのままユミ姉ちゃんの家に向かう。よく考えてみたら、エミが何者なのかはわからないけど、そんな何時間も探したり、家の前で待ってたりするなんてことはないだろう。


 ユミ姉ちゃんの部屋に入って二人同時に大きく息を吐いた。

「なんかスパイごっこみたいで楽しかったかも」

 無事に部屋までたどり着いた安心から、暢気な言葉が飛び出す。ユミ姉ちゃんもリラックスした顔だ。

「もう大丈夫だろうとは思ってたけど、結構なスリルだったね」

「なんか、父さんが大きな秘密を抱えてるかも、って考えはじめたらもっと会うのが怖くなっちゃったし」

「なんか、凜ちゃんのお父さん、正直私はずっと苦手だった。何考えているかわからないところがあったし」

 ボクも、ただ父が怖かった。一緒にいると変な緊張感があって、落ち着かない。いろんな所に地雷がある感じで、何がきっかけで不機嫌になったり、怒り出すかわからなかった。テレビに出てた芸人のギャグに笑っただけで睨まれたり、恋愛もののドラマを観ているといきなりテレビを消され、勉強しろと怒鳴られたりで、いつの間にか父の前では地雷を踏まないように何もしない、リアクションを取らないように注意するようになった。

「ママもずっとたいへんだったのかな」

「多分、そうだと思う。だから、離婚することにしたんだよ。凜ちゃんのせいで離婚するんじゃなくて、本当は今まで凜ちゃんのために結婚生活を続けてたのかもしれないよ」

 確かにそう考えることもできる。子供のために形だけの結婚生活を続ける夫婦も多いなんて話はボクも聞いたことがあった。ボクには関係のない話だと思ってたけど、我が家もそんな家庭のひとつだったのかも。

「そういえば、父さんに遭遇したことママに伝えてないけど大丈夫かな?」

「それ、考えてなかったね。お母さんって今日は何時くらいに帰って来るんだっけ?」

「ママの帰って来る時間ってまばらなんだよね。でも、今日は遅くなるって言ってたから十時くらいになるかも」

「じゃ、今電話した方がいいね」


 ボクは電話で今日の出来事を全部伝えた。母は最初驚いてたんだけど、父の反応を聞いた途端にほっとしたような様子で「大丈夫、安心して」と言ってくれた。仕事中だから、と詳しい話は聞けなかったけど、母はエミが何者なのかを知っているみたいだった。とりあえず、私とユミ姉ちゃんは予定通り、明日の朝早く温泉旅館に向かうことになった。母も、明日は仕事を休んで離婚の話を切り出すらしい。

 父に鉢合わせするという最悪すぎる事件が起こってしまったんだけど、あっさりと事態は収拾してしまうようだ。なんだか拍子抜けだけど、母さんの態度や言葉でほっとした。母さんはボクが思っている以上に強い人なのかもしれない。

 でもやっぱり気になる。母さんも知ってたエミという女の子の存在。ボクと同じくらいの年頃で、多分ボクに似ている。本当に隠し子なのだとしたら、ボクの姉か妹ということになる。ボクは一人っ子だったけど、ユミ姉ちゃんがいつも一緒にいてくれたお陰で寂しい想いをしたことはない。兄弟姉妹に飢えることなんてなかった。

 でも、もしも姉か妹がいるのだとしたら、会ってみたいと思った。


「ボク、エミって子に会ってみたいな」

「それは好奇心?それとも、凜ちゃんのお姉さんか妹ちゃんかもしれないから?」

「どっちだかわからないけど、なんか会ってみたいな」

「私は反対かな。仮に本当に姉妹だったとしても、これまで育って来た環境はあんまりにも違うでしょ?」

 離れて暮らしているのだから当たり前だ。

「それはそうだけど、なんで反対なの?」

「凜ちゃんがお父さんと一緒に暮らしてきたということは、そのエミって子は父親のいない家庭で育ったことになるよ。もし、それが彼女を苦しめてたとしたら?」

「わからないけど……父さんと暮らしてきた私に嫉妬する?」

「嫉妬くらいならかわいいものだけど、憎しみを抱いてるかもしれないよ」

 無意識に憎まれているという状況を想像したこともなかった。仮にエミが父の隠し子だとして、捨てられたのであればその原因を憎むだろう。そして、一番わかりやすい原因は父の家庭。つまり、母やボクだ。

「そっか……そこまで考えてなかったよ」

「会ってみたいって気持ちはわからなくはないけどね。相手が必ずしも好意的であるとは限らないの。本当、凜ちゃんは無防備だなあ。心配になっちゃうよ」

「ごめんね。もっと気をつけることにする」

 それにしても、今日もまた急展開だ。怖いくらいに私を取り巻く環境は変わっていく。そして、どんどん父さんの秘密に深入りしていくみたいだ。

 でも、この時点でもまだまだボクは何も知らなかったと言っていい。その秘密はあまりにも残酷にボクにも降りかかってくることになる。

 大人はいくつも秘密を抱えている。ボクはまだ子供で、無垢すぎて何も気付かなかった。ユミ姉ちゃんの抱える闇にも。

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